最後の夏の思い出《週刊READING LIFE Vol.276 あの夏の日》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2024/9/3/公開
記事:亀子美穂(READING LIFE編集部ライティングX)
「夏が近づいているんだな」
どこからか聞こえてきた鉦や太鼓の音に、夏が近いのを感じた。
阿波踊りの練習の音だ。
高円寺阿波踊り。
毎年、8月の終わりに、高円寺のメインの商店街や大通りを、踊りながら練り歩く。
150を越える連が参加し、100万人近い観客動員数を誇る、東京でも有数の夏のイベントだ。
会場となる道路には人垣ができ、その中を、連ごとに踊りや衣装に趣向をこらした踊り手が鉦や太鼓の音とともに通り抜けていく。
あの中に入ったら、どんな景色が見えるのだろう?
当時27歳だった私は、ふと、そう思った。
それは、私が高円寺で過ごす最後の夏だった。
私はその年の秋に結婚して、地方に行くことが決まっていた。
生まれ育った街を離れる前に、何か思い出を作りたい。
そんな気持ちになっていた。
それまでの私は、この生まれ育った街にそれほどの思い入れがあったわけではなかった。
それまでの27年間、そこは、別に何でもない普通の街だった。
当たり前のように毎日を過ごして、楽しいことも、つまらないことも、いいことも、嫌なことも、普通にあった。好きとか嫌いとか考えたこともなかった。
でも、いざ、そこを離れるとなると、いろいろな思いが湧いてきたのだ。
子供の頃から、毎年、阿波踊りはあった。
近所には子供だけの阿波踊りの連もあって、友達に誘われたこともある。しかし、引っ込み思案だった私は、お祭りの人混みがあまり好きではなかったし、人前で踊るなんて考えられなかった。
中学生ぐらいになると、斜に構えて「阿波踊りで大はじゃぎするなんて、馬鹿みたい」なんて思っていた。
そんな私も1度だけ、阿波踊りに心を動かされたことがあった。
それは中学3年の時の事だ。高校受験を控えていた私は、その日も塾の夏期講習に行き、テストで悪い点を取って落ち込んで、高円寺に帰ってきた。ちょうど夜の8時頃。阿波踊りが佳境に入って盛り上がっている時間で、駅からの帰り道は観客であふれていた。家に帰るためには、踊りの会場となっている道路を横切る必要があった。私は、道路の端で、踊りが途切れて道を渡れるタイミングを待っていた。
その、目の前を通り過ぎていく踊り手の中に、同じクラスの男子を見つけたのだ。あまり成績が良くなくて、目立たないタイプのその男子が、とても生き生きと踊っていたのだ。連の中でも、結構上手な踊り手らしく、時々コミカルな手や足の動きを入れながら、楽しそうに踊る姿に観客から拍手が送られていた。それはとても輝いて見えた。
同じ中3なのに……こんな世界もあるんだ。
その時、私は少しうらやましいと思った。
阿波踊りの鉦や太鼓の音を聞いて、何か思い出を作りたかった27歳の私の脳裏に、中3の時の輝いていた男子の踊る姿がよみがえったのだった。
阿波踊りに出たい。
あんな風には踊れないけれど、きっと自分がこの街にいたという確かな何かが得られるに違いない。
そんな気持ちが大きくなっていった。
阿波踊りは、連というグループ単位での参加になるため、どこかの連に入る必要がある。
知り合いのつてで、1つの連を紹介してもらった。
練習会場になっている公民館に行くと、連の責任者にこう言われた。
「今から入るのは、遅すぎる」
みんな4月には本格的な練習に入っているのだという。
この連、高円寺でも一番古い連で、本場徳島の由緒正しい連と姉妹連になっているのだとか。
それだけ高いレベルが求められるので、阿波踊りの経験がない人がやるのは無理だというのだ。
「でも、今年が最後のチャンスなんです。高円寺での最後の夏に自分がこの街にいた証をのこしたいんです」
必死で頼み込んだ。そこまで言うのならと、責任者も折れてくれた。
その日は、女踊りの基本の型を教えてもらった。みんなと合わせて踊るのは無理。鏡の前で一人で練習。もともと踊りの素養もリズム感もない。2時間やってもうまくいかなかった。
阿波踊り、舐めてた。無理だ。
ひどく落ち込んだ私を気の毒だと思ったのか、責任者が
「踊りに出すのは無理だけど、お囃子なら……笛、吹ける?」
と言ってくれた。
「やります。笛、やったことないけど、ピアノ習ってたし、音楽、5でした」
こうなっては、とにかく阿波踊りの舞台に立ちたいという気持ちだった。
それから毎日、仕事帰りに責任者の家に行き、横笛の特訓を受けた。
先生は責任者の甥っこ。19歳の浪人生でなかなかのイケメンだった。
こんなおばさんの無茶な希望のせいで付き合わせてしまったのに、嫌な顔もしないで、ていねいに何度も繰り返し教えてくれた。
そのおかげで、最初はちゃんとした音も出ないぐらいだった私の横笛が、何とかお囃子の節を鳴らせるようになったのだった。
高円寺での本番の前に、神楽坂のお祭りイベントに連が呼ばれたのが、私の阿波踊りデビューになった。
女踊りと同じピンクのゆかたに編み笠をかぶり、下駄をはいた。着物を着慣れていないせいか、衣装を着けるのも大変だった。その着慣れない衣装のせいか、とても緊張してしまい、何が何だか分からなくなってしまった。笛もしどろもどろだった。終わった後、ひどく落ち込んだ。
「落ち着いて吹けば大丈夫。1回やって、どういう風かわかったと思うから。本番は高円寺だから」
と先生に励まされた。なんていい子なんだ。私があと10年若ければ……とひそかに思った。
そして、とうとう高円寺阿波踊りの日が来た。
開始は夕方からだったが、昼前に集合。衣装の着付けをしたり、踊りのフォーメーションなどの確認をした。期待と緊張がどんどん高まっていく。
各連がそれぞれ指定された場所にスタンバイし、祭り開始。
お囃子は踊りの後をついていく。
順路は高円寺の街の商店街や道路をおおきな8の字を描くように決められていた。その中で、広い道路の一部分に来賓席や審査員席があって、そこではとっておきの踊りを見せるようになっていた。
約2時間。沿道の人たち。高円寺の街の景色。夢中で笛を吹いて、歩いた。
最後は飛び入り参加自由の総踊り。街中の盛り上がりを感じて、終了。
みんなの笑顔。歓声があがっていた。
その後は打ち上げの飲み会。
地元高円寺トークで盛り上がった。
「どう? 阿波踊り、出れてよかった?」
責任者に聞かれて、はい、と思いっきり答えた。
でも、これで最後なのかと思うと少しさびしくなった。
こうして、祭りは終わった。
連の仲間と別れ、1人家路についた。
多分、これからもいろいろな事があるだろう。
でも、この街で過ごしたあれこれはもう戻らない。
阿波踊りに出たことも、明日になったらもう、思い出になってしまうのだ。
そんなことを考えて、少し悲しい気分になった。
ふっと、涼しい風が吹いてきた。
夏が終わったのだとその時思った。
□ライターズプロフィール
亀子美穂(READING LIFE編集部ライティングX)
東京都生まれ。愛知県名古屋市在住。 2024年7月にライティング・ゼミを修了し、同年8月よりライティングXに途中合流。
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