日本人と思われてはいけない時代《週刊READING LIFE Vol.277》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2024/9/9/公開
記事:山田THX将治(天狼院・ライティングX READING LIFE公認ライター)
2024年夏、日本中は連日オリンピックで盛り上がった。
普段から、ナショナリズムを意識したことは無いが、こんな時は思わず、応援に力が入ってしまう。
海の向こう、遠く離れた地での試合なのに。
平和の祭典であるオリンピックは、どうしても日本選手を応援して仕舞うものだ。
そして、彼等が活躍することによって、日本人としても誇らしい気持ちに為るものだ。勢い、自分が日本人であることを、外国の人々に告げたくなるから不思議だ。
45年前、私はそれとは全く逆のことを感じた。
日本人に思われてはいけないと、教えられたのだ。正確には、そう思い知らされたのだ。
1979年、私は初めて海外に旅立った。
目的地は、アメリカ合衆国だ。
子供の頃から映画、特にアメリカ映画に親しんでいた私は、幼い時からアメリカ本土へ行きたいと思っていた。
生で、映画に出て来る雰囲気を味わいたかったからだ。
特に、アメリカ独特の真っ直ぐ伸びた路で、アメ車を走らせてみたかった。
勿論、左ハンドルで。
ロサンゼルス(L.A.)に降り立った私は、アメリカ国内線をトランジット(乗り継ぎ)して、隣りのアリゾナ州フェニックスに到着した。
隣接した州に移動するのに飛行機を乗り継ぐとは、日本では考えられない体験だった。アメリカ本土の広さを、実感したのだった。
私が参加したツアーは、レンタカーでドライブしながら、アメリカ中西部を巡るものだった。
目的は、西部劇映画のロケ地を訪ねることだった。今風に言うと、“聖地巡礼”といったところか。
出発前に我々は、ツアコンから細々とした注意を受けた。アメリカ映画を数多く観ていた私には、聞き慣れたというより、見慣れた事柄だった。
中でも、
『パトカーに停められたら、充分に注意すること』
『素直に車を右側に停め、両手をハンドルの上に置いたまま待つこと』
と、いうものが有った。
実際、警官に車を停められたドライバーは、ハンドルの上に手を置いている光景が、映画の場面によく有った。
下手をして、急に手を動かそうものなら、警官から銃を探しているのでは疑われ、
「FRIEZE!(動くな! の意)」
と、銃口を向けられかねないのだ。
そして、日本とは違い、当時のアメリカは治安が良くなく、手回り品に注意することや、夜の一人歩きはやめる様にとの御達しも出た。
私達は、真新しくも聞き慣れた注意を頭に叩き込み、悠然と車を走らせ始めた。
初めて運転する、アメリカ本土の車は、大きく日本に在るアメ車と違っていた。
何しろ、サイドミラーが、運転席側にしか付いて居ないのだ。車線変更の際等、振り返る様に後ろを確認せねば為らなかった。
慣れるまで、少し時間が掛かった。
アメリカの路は、想像以上に真っ直ぐ伸びていた。
地平線の向こうから現れるコンボイ(大型トレーラー)は、コンテナの天井部分から姿を現した。
私は思わず、
「地球って、本当に丸いんだなぁ」
と、感動の声を上げた。
借りることが出来たレンタカーは、’60年代程の大きさは無かったものの、’70年代当時ではそれでも中位の大きさだった。運転免許を取って3年の私には、充分な大きさだった。
私の運転は快調で、フリーウェイ脇の看板や標識は、次々と後方に消えて行った。
或る道路標識を見て、私は頭上に“?”を立てた。
一瞬のことで気が付かなかったが、後ろに追いやった標識には、
『○○Exit 1M』
と、表記していた気がしたのだ。
私は思わず、
『1m(メートル)前で、知らされても……』
と、妙なことが頭を過った。
“1m”の筈はない。元々アメリカは、‘m(メートル)・g(グラム)’制を採る日本と違い、‘yd(ヤード)・lb(ポンド)’制なのだ。
冷静に考えれば、‘1M’の表記は、‘1メートル’ではなく‘1マイル’のことだと理解出来る。
‘1M’と言えば、約1.6kmのこと。
出口を知らせるには、丁度いい距離だ。
大体、レンタカーの速度表記だって、マイル表示だ。勿論、制限速度標識も。
私は改めて、道路脇の“Speed Limit 40M”を確認した。
50M(80km)程、走行した時、私の背後にパトロールカーが追従して来た。
嫌な予感がした途端、後ろのパトカーの回転灯が回り始めた。同時に、短いサイレンが鳴らされた。
私は、車を減速させ路肩に停めた。
そして、同乗する二人に、
「いいか動くなよ! 手も動かすなよ! 何なら、始めから手を挙げてろ!!」
と、矢継ぎ早に指示した。
まるで、捕虜に為った兵隊みたいに。
路肩に停まっている私の窓を、パトカーから降りて来た警官が、警棒でノックした。窓を下ろせという指示だ。
私は、ゆっくりと手を動かし、パワーウインドウのスイッチを下ろした。
目の前には、50代後半位のロバート・デ・ニーロといった感じの警官だった。サングラスのせいか、妙な威圧感があった。
初めて見たかもしれない日本人の私に対し、ゆっくりとした口調で、
「運転免許証を」
と、低い声で言ってきた。
完全にビビって仕舞った私は、センターコンソールに置いていたセカンドバッグから、国際運転免許証を取り出した。
感じが読めないであろうデ・ニーロは、
「日本人か? パスポートもだ」
と、私に命じた。
その間、同乗の二人は、生きた心地がしなかっただろう。
何故なら、デ・ニーロのバディ(相棒)が、車の前方で仁王立ちしていたからだ。
風貌と言えば、30代のハリソン・フォードといった感じだ。但しハリソンは、右手が腰の拳銃を握っていたのだ。多分、安全装置は外されて居ることだろう。我々の誰かが、変な動きをした途端、簡単に射殺されることだろう。
デ・ニーロは、慣れているせいかハリソンの様子を意に介さず、私に向かって、
「私は若い頃、日本に居たことが有る」
と、言い出した。
私は、
「兵隊さんですか?」
と、訊ねた。
本当は、“進駐軍”という言葉を使いたかったが、私の英語語彙力では見付けることが出来なかった。
「そうだ。戦後、横浜と東京に居たことが有る」
と、言って来た。
私は、
『やっぱ、GHQか』
と、言って遣りたかったが、止めて置いた。
何せ車の前には、拳銃のグリップを握ったハリソンが立っているのだ。
デ・ニーロは、
「ここは、40M(約65km)制限だ。君の車は45M(約73km)出していた」
と、言って来た。
更に、
「今回は注意だけしておくから、この先気を付ける様に」
と、言い残し、私に免許証とパスポートを返してよこした。
そして、“行っていい”という様に、左手親指を進行方向に突き出した。
私は、ホッとして窓を上げた。
ハリソンは、“Good Job”とでも言いたげに、サムアップしながらパトカーに戻って行った。
いっそのこと、デ・ニーロに向かって、
「Give me Chocolate!」
と、でも言っておけば良かったと後悔した。
私はその先、くれぐれも制限スピードを越さぬ様、注意して運転した。
昼に為り、御腹が空いたので、如何にも田舎のダイナーといった感じのドライブインに入った。
気さくそうな黒人店主が出迎えてくれ、またしても、
「君達は、日本人か? 私は、日本で働いていたことが有る」
と、言って来た。
私は、デ・ニーロのことが有ったので、
「G.I.ですか?」
と、敬語で訊ねてみた。
「そうだ」
と、店主は短く答えると、私達を歓待してくれた。
出してくれた料理は、アメリカンな味ながら美味しかった。
私達は、多目にチップを置くと、店主に礼を言い店を出た。
店主は、
「帰り道に、また寄ってくれ」
と、私達に挨拶してくれた。
車に戻ると、日本人は、こんなアリゾナの田舎でも知られているものだなぁ、と、感心した。
時代は未だ、野茂英雄投手やイチロー選手が渡米するずっと前だ。
大谷翔平選手に至っては、生まれる前だ。
私は思わず、日本を有名にしてくれた、企業各社に感謝したく為った。
宿泊するホテルに到着する前に、ショッピングモールのスーパーで、食料を買い込むことにした。
何たって、学生の旅行だ。ホテルのレストランなんて、身分不相応というものだ。しかも当時は、$1=\250程の時代だったし。
私は、駐車場の空きスペースにレンタカーを停め様とした。
日本の癖で、後進駐車をしようとして仕舞ったのだ。
アメリカは通常、前進駐車だ。
大きなアメ車を、後進駐車させるのは意外と苦労した。
しかも、サイドミラーは運転席側にしかないのだ。
少々狭い駐車スペースに、私は何とか車を入れた。
近くで、私の駐車風景を見ていた老人男性が、駐車を完了した途端、拍手して褒めてくれた。
まるで、アンソニー・ホプキンス風の老人は、私達に近付きて来た。
ミスター・ホプキンスは、開口一番、
「君達は、日本人か?」
と、訊ねて来た。
最早、‘来為すった’としか思えなくなった私は、ミスター・ホプキンスの先を制して、
「日本にいらっしゃったことが有るのですか?」
と、敬語で訊ねた。
「そうだ」
と、ミスター・ホプキンスは答えてくれた。
私は、
「もしかして、兵隊さんですか?」
と、訊ねた。
ミスター・ホプキンスは、
「いや、私は終戦前に除隊していたよ。年寄りだからね」
と、優しい表情で答えてくれた。
続けて、
「私は、京都の大学で教えていたことが有るのだ」
と、教えてくれた。
早合点は禁物だ。
ミスター・ホプキンスは、更に、
「日本から来た君に進言しよう。車は必ず前進駐車させるのだ」
「後進駐車していると、日本人と断定される」
「日本人と解ったら、車上荒らしに狙われるぞ」
と、教示して下さった。
日本人には気付かぬことを注意して下さり、有難い限りだった。
私は何度も、ミスター・ホプキンスに礼を述べた。
ミスター・ホプキンスは、私に向かって、
「Good Boy」
と、言いながら、握手してくれた。
僅か一日の出来事だったが、アメリカ本土は、異文化の発見ばかりだった。
どれもこれもが、日本に居ては体験出来ぬことだった。
私はそれ以来何度も、海外に旅立った。
そう。
異文化を体験したくて。
□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院・ライティングX所属 READING LIFE公認ライター)
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion
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