週刊READING LIFE Vol.28

希望部署に配属されなかった君は、この質問に答えられるか《週刊READING LIFE Vol.28「新社会人に送る、これだけは!」》


記事:吉田けい(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

2013年朝ドラ「あまちゃん」で、いたたまれなさに息が詰まったシーンがあった。
 
地元で一番の美少女が、アイドルを目指して上京するが、オーディションを受けても鳴かず飛ばす。ずば抜けた素質や個性もなく面接を落とされそうになり、審査員に「他に何かないの?」と言われ、苦し紛れに、忌み嫌っていた地元のアルバイト体験の演技ができる、と口走ってしまう。「やって見せて」と言われ、眉間に深い皺を寄せ、祈るような、慟哭するような顔で演技をするも、審査員の琴線にはかすりもしない……。
 
ネタバレしないように書けばこんなものだろう。あの時の少女に、私は自分のかつての苦しみを重ね合わせてしまった。別にアイドルを目指していたわけではないが、誰しもが同じような感覚に苛まれたことがあるのではないだろうか。
 
面接で。
あるいは、上司や後輩から。
 
「君、何ができるの?」
 
と問いかけられて、貴方は何と答えるだろうか。

 
 
 

新入社員諸君が研修を終えて本配属されるのはいつ頃だろうか、企業によって様々だろう。一ヶ月で終了する企業もあれば、一年、あるいはそれ以上みっちりしっかりと鍛え上げる企業もあるだろう。いつの時期でも構わないが、本配属で自分の希望通りの部署に配属された方には、もう何も言うことはない。そのまま当初の野心を胸に頑張り続けていただきたいものだ。私が話をしたいのは、希望の部署に配属されず、肩を落としている諸君である。
 
私の元彼の一人は年下で、私が会社員、向こうが学生の頃に付き合い始めた。元彼は就活を頑張り、まあまあ希望の企業に内定し、希望の部署に配属されることを夢見るフレッシュマンだった。四月になって就職し、元彼は研修を頑張っている様子で、私はかつての自分を思い出しながら微笑ましく応援していた。ところが、本配属の発表となるゴールデンウィーク明けから、元彼と連絡がぱったり取れなくなってしまったのだ。当時LINEはないが、メールの頻度はほぼ毎日。お互い忙しくても、丸一日以上連絡が取れないことはなかった。それが、もう一週間も返信がない。電話をかけても出ない。私は焦った。何か事故でもあったか、はたまた嫌われたか、もしくは浮気でもしたか、と、共通の知人に尋ねまわったが、やはり同じように連絡が取れないとのことだった。
 
一ヶ月ほど過ぎた頃だろうか、やっと元彼から返信が来た。今までの文面と比べると、事務的で、ずいぶんそっけない。細心の注意を払ってやりとりをし、何とかランチの約束をとりつけて会いに行くと、適当なカフェにげっそりとやつれた様子の元彼がいた。
 
「……希望の部署に入れなかった」
 
この世の終わりのような表情で、元彼はぼそぼそと呟く。
 
「それで落ち込んで、連絡くれなかったの?」
「……うん」
「……そうかあ」

砂を噛むようなランチだった。あれこれと慰めの言葉を言ってみたり、全然関係ない話題を振ってみたりしたが、うなだれて、覇気のない眼差しで、うん……、うん……、と頷くだけ。私たちの関係についても、別れるとも、別れないとも言わず、ぎくしゃくと距離を置くことになった。
 
何かで見たうつ病の症状にそっくりだと思っていたので当たり障りなく接していたが、本当のところは呆れていた。希望の部署に配属されなかったくらいが何なのだ。しかし、呆れると同時に、元彼の気持ちも痛いほどわかってしまった。
 
かくいう私は、一度は希望の部署に配属されながら、一年とたたず別の部署に異動していたからだ。

 
 
 

四十路も目前に迫る今思い返せば、私が新卒で入社した会社は、私の適性に合っていなかったのだろうなと思う。決して悪い会社だったわけではない。飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し続けている企業だったので、私がその勢いについていけなかったのだ。何かを作ったり、人を喜ばせたりすることが好きで志したブライダル業界。夢が叶い、ウェディングプランナーとして支店に配属された。さあ頑張るぞと意気込んで、がむしゃらに働いた。初めてお客様からご契約を頂戴した時は、同僚や先輩がサプライズでお祝いしてくれて、あまりの驚きにリアクションしそこなった。初めて婚礼の担当をさせていただいたご新婦様は、高校の先輩と面影がよく似ていたのもあって、緊張が少し和らいで打ち合わせに臨むことができた。二組目のお客様、三組目のお客様、……今でもどのお客様もありありと思い出すことができる。
 
なりたかったウェディングプランナー、楽しい楽しい仕事のはずだったが、仕事は順調とは言えなかった。今思えば、発達障害の療育をしていないのだから、仕事が人よりできなくて当然だったのだ。まず日報を書けと言われても、出社してからさっきまで、何をしていたのか思い出せない。午前は先輩のレクチャーでしょ。昼ごはんは何時に食べたっけ。午後は何してたんだっけ。全然思い出せないからと言って白紙で出すわけにもいかない。当日に出さなければいけない日報は、持ち帰りになり、翌日も書けず、未提出がどんどん溜まっていった。上司や先輩から見て、日報もまともに書けないなんて、こいつ一日何してたんだと思って当然だろう。
 
書類の整理も、小学校の頃から苦手だったものが、社会人になったからといって急にできるものではない。私のデスクはみるみる紙の山になり、大事な書類がどこかに埋もれてしまったり、すぐ対処しなければいけない電話メモを放置したりした。よく片付け関連の本で、デスクが散らかっていると、年間150時間も書類を探すのに費やすことになる、とまことしやかにいわれている。普通の散らかったデスクで150時間なら、私は300時間くらいかけていたかもしれない。どんどん残業時間が増え、どんどん物覚えが悪くなり、お客様や皆に怒られてばかりだった。仕事量を調整してもどうにもならず、とうとう営業から管理部への異動が言い渡されたのだ。それは私の意向でどうにかなるものでもなく、うなだれて承諾の返事をし、家に帰って泣いた。
 
異動先で頑張ったら、また現場に戻れるのかな。
それとも、転職した方がいいのだろうか。
 
そんなことを考えながら、しょんぼりと新しい部署で仕事を始めた。初めはやはりあれこれやらかし、もう一度、今度は内部監査室に異動となった。内部監査室では、ひょんなことから内部統制を担当することになってしまった。その頃、私は発達障害であると発覚し、その対処を始めたので、働きぶりは少しはマシになったように思う。現場では役に立てなかったから、後方支援を頑張るんだ。そんな気持ちで日々仕事をこなした。この頃からExcel便利屋になり、社内でちょっとした事で質問を受けていたが、実はExcel以外にもよく聞かれる質問があった。
 
「これってさ、現場ではどうだったの?」
 
成長著しい企業ではよくある事だと思うが、総務、法務、経理、人事といった管理部門は、法律などそれなりに専門知識が必要なため、その業務の経験者を中途採用する。当時の管理部のほとんどがそうした中途採用で、現場の状況を直に知る人は数える程しかいなかったのだ。Excelの質問をするついでに聞きやすかったのだろう、自分がやり取りしている書類が現場ではどのように扱われているのか、という質問を本当にしょっちゅうされていた。私は伝道師のように現場は人手が足りなくて大変なんです、と説いて回った。皆、現場の状況に驚き、フローを変えよう、タイミングをずらそう、など、改善案を考えたようだった。
 
私みたいなダメ社員でも、現場の経験って大切なんだなあ。
 
そんなことを考えつつ、全然違う仕事をしてみたい、という気持ちになった私は、社会企業というものをしてみたいと思い立ち、異業種交流会や起業セミナーの類に参加するようになった。全く新しいことをしたかったので、今の仕事である内部統制とは掠りもしない分野で取り組みたかった。しかし、いろいろな人と話をするたびに、必ず問われる問いがあった。
 
「それで、貴方は何が強みなんですか?」
 
強み……。
新しいビジネスを考えて、それに自信があって、やる気があります。
社会企業を通して世界に貢献したいんです。
 
「そんな人、たくさんいますよ。その中で貴方が成功できる強みは?」
 
問いに答えることはできなかった。
新卒で入社した企業で、内部統制をしていることを除いては。

 
 
 

内部統制は八年間担当した。詳しいことは書けないのだが、いろいろな資格を取得し、様々なことに取り組み、現場の記憶を頼りにほんの少しばかり会社の仕組みを変えたりした。それでも内部統制という仕事は好きではなかった。たまたま担当することになって、たまたま責任が大きかったから、必死になって仕事をしていただけだ。それは今でも同じで、できれば内部統制と関わらずに生きていけたらいいなと思っている。
 
しかし、何か新しいことをしようと思った時、必ずあの質問を聞かれる。
 
「貴方は何が出来るんですか?」
 
そう問われると、私は内部統制と答えるしかない。
あまちゃんの少女が、苦し紛れにした演技のように。
 
何もできないけれど熱意だけはあります、という状態は、もう許されなくなってしまったのだ。きっと最後にそれが許されるのは、新卒だったのだろう。新卒が終わってしまったら、多かれ少なかれ、今まで何をしてきたのかを問われるようになる。新しく転職、起業、異動したとしても、そこからゼロスタートになるわけではない。今までの経験値の上にこそ成り立つのだ。先方も、自分たちにはない経験を取り入れられるのではないか、と期待している。だからこそ、私はあの短い現場経験のことを何度も尋ねられたのだろう。経験値はゲームのようにリセットされず、ただただ積み重ねられていくのだ。
 
希望の部署に配属されなかった新入社員諸君、どうか落ち込まないでほしい。その部署に定年までずっと在職し続ける可能性の方がずっと低いのだ、いつか必ずまた異動の時期が来る。その時までずっと希望の部署への異動願を出していればいいではないか。そして、上司や人事に異動させてやってもいいかなと思わせるには、配属先で成果を上げることだ。こんなに熱心に取り組んでいる君が異動を望むなら、異動先でも活躍してくれるに違いない。活躍した時の知見を先方で生かしてくれるに違いない。そんな風に思わせられるよう、配属先はどんな業務なのか、必死に学ぶとよいだろう。あとはまあ、Excelをしっかり勉強しておけば、どこに行っても通用する人材になれるだろう。

 
 
 

元彼が就職早々失意に陥ったのは、現場から異動してすぐの頃だった。私の異動が内示された時、元彼はたいそう慌てふためいて励ましてくれたものだったが、自分の番となるとこの体たらくである。当時私は、気持ちは痛いほどわかるが、早く貴方も立ち直りなよ、と思っていた。決定事項は覆らないし、時間は巻き戻らないのだから、目の前のことを頑張らなければ、望む未来は手に入らないのだ。元彼は配属されて以降、半年以上落ち込み続けていて、本格的にうつ病だったのではないかと今でも思う。私たちの関係はぎくしゃくしたまま修復しきれず、なんとなく終わってしまった。
 
その後、ぽつり、ぽつりと生存確認程度の連絡をとっていた。結婚してからはその連絡も来なくなったが、就職先のホームページで、事業を紹介する記事があり、責任者として元彼の写真が掲載されていた。生き生きとした笑顔で商品を説明している様子は、別れた頃とは別人のようだった。
 
きっとあれから立ち直って、いい経験値を積み重ねることが出来たのだろう。

 
 

❏ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。

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2019-04-15 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.28

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