週刊READING LIFE vol.285

私のアリスインワンダーランド〜新卒入社した会社でウサギ狩りをした女子の悩み〜《週刊READING LIFE Vol.285》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2024/11/11/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「わっしょーい、わっしょーい、わっしょーい……」
山の中に数十人もの男たちの雄叫びがこだまして、師走の寒い空気を震わせている。
祭りではない。男たちはウサギを追い詰めて狩っているのだ。
手にした木の棒で地面をバンバン叩き、大人数で山を囲む。
みんなでその輪の中心に向かって少しずつ進むことで、ウサギを輪の中に追い詰めて捕らえるのだ。
そしてなぜか私も男たちの輪の中に混ざって、一緒にウサギを狩っていた。
 
これは実話で、私が24歳の新卒女子だった令和4年の出来事である。
 
 
新卒入社した会社は超老舗の日本企業であった。
事業こそ海外展開しているが、社風は超絶ドメスティック。
年功序列、体育会系なノリ、「一般職」という概念、と見事に三拍子揃っている。
 
『難しい質問は男性社員に聞いてください』
『作業は女性スタッフに頼みます』
こんなセリフが普通に飛び交っていた。
仕事の目的と戦略を理解している男性社員。わかっていない女性スタッフ。
現場の細かいことに疎い男性社員。細々としたことを担う女性スタッフ。
「男性社員」と「女性スタッフ」というジェンダーロールが、がっちり出来上がっていた。
 
しかし、ここ数年、総合職女子が増えてきた。
バックグラウンドや思考能力を重視して採用すると、女子が多く最終面接に残るらしい。
男性社員と同じ職責を持つ総合職女子は、これまで100人規模の事業所の中で片手で数えられるほどしかいなかったけれど、私が入社する数年前から一気に倍増した。
ジェンダーロールに収まらない第三勢力としての総合職女子が台頭する時代に突入し、その1人として私は入社したのだった。
 
 
ウサギ狩りという伝統的な行事の存在を聞いたのは、入社後のことであった。
普段から電波の入りにくい会社の敷地の裏手は、かなりしっかりと山が広がっている。
山にはウサギに鹿、猪、蛇、狸にイタチが棲んでおり、たまに敷地内にも出没するほど。
併設する専門学校の生徒も含めた大勢で、その山に入ってウサギ狩りをする。
みんなで協力して狩りをすることで、協調性や忍耐力、行動力が養われるというわけだ。
 
ウサギ狩りはとても重要な行事だ。
隊長に選ばれた人はあらかじめ下見をして、ウサギが捕まえられそうな狩場をピックアップしておき、当日は朝からみんなで狩場に入ってウサギを捕まえる。
その晩の飲み会では「誰がウサギを捕まえたのか」「誰が逃がしたのか」という話になり、すんでのところで逃がせば、会社の上役に「お前はウサギを逃がしたからな〜」なんて1年間イジられる羽目になる。
 
ひと昔前は、捕まえたウサギは汁にして食べていたそうだ。
「男性社員」が狩りをして、「女性スタッフ」がおにぎりを作って帰りを待っている。
それが毎年恒例だったという。
みんなに食べさせるウサギを捕まえるという責任を負った男たちと、そのケアをする女たち。まさに家父長制の役割分担だ。
もっとも近年は山のウサギが減ってきたから捕まえた個体は逃がしているし、女子がおにぎりを作るという古風な風習も時代の流れで廃止され、代わりに食堂が提供する豚汁をみんなで屋外で食べている。
 
 
総合職女子がウサギ狩りに参加するかどうかの判断は難しい。
「なかなかできない経験だしせっかくだから参加すれば」という男性の先輩もいれば、「かなり体力的にキツイからやめておけば」と女性の先輩に言われたりもする。
聞けば、同じ総合職女子の先輩と同期の2人は、どうやら参加するらしかった。
 
新入社員だった私はとても迷った。
正直体力には自信がない。
でも女性だからと言って引っ込めば、そういう人だという印象がついてしまう。
男性と一緒に活躍したいという気概だけは示してみよう。
それに、おにぎりを作って待っている側ではなく狩りに行く側の女子が少しでもいれば、会社に染みついたジェンダーロールも少し壊れるかもしれない。
そんな気持ちで、軽率にウサギ狩りに参加することを決めてしまったのだった……。
 
 
当日、危ないからメガネは外せと言われてコンタクトを入れた私は、服は何重にも重ねて長靴を履いて完全防備で山に入った。
手には長い木の棒を持つ。
隊長から説明を受けて狩場の地形と人の配置を理解した後、前の人に続いて山を登り等間隔に並んでいく。
そして全員で山を囲み終えたら、大声を出しながら輪の中心に向かって進んでいくのだ。
 
大声を出して脅かさないと、ウサギを輪の中心に向かわせることができない。
「腹から声出せ、声!」
隊長の怒号が飛んでみんなが野太い声を張り上げ始め、私がウサギだったらたまらないな、と思わず首をすくめてしまう。
 
輪が少しでも崩れるとその隙間からウサギが逃げてしまうから、隣の人と同じ速度でひたすら前に進まなければいけない。
しかし、現場は人の手入れがされていない山の中。
いま私の目の前にはシダの茂みに覆われた大きな岩があった。
長靴の下でシダが滑り一向に岩に登れない。
隣の先輩が「頑張れ」と声をかけてくれるけれど、頑張ってどうにかなるものでもなかった。
私の遅れのせいで、ウサギを追い詰める輪が縮まらない。
あぁ、足を引っ張っている。
楽しそうにサクサク進んでいく男たちに混ざって、私は体力の限界で死にかけていた。
ウサギなんて影も形も見えなかった。
 
『離脱する? いや、でもわざわざ参加した手前、早々に諦めるのは気が引ける……』
『でも怪我をして、誰かにおぶって帰ってもらうなんてことはしたくないよね、絶対に』
脳内会議の結果、私はあえなく離脱を決めた。
その日は6カ所の狩場を回る予定だったが、2カ所の時点で私はギブアップだった。
 
 
「私にはおにぎりを作って待っている側が合っていたのではないか」
悔しいけど、ウサギ狩りの一行からひとり離脱しながらこんなふうに考えてしまった。
 
『男性と同等に働くことで道が開ける。私が頑張ることは女性みんなのため』
そう思って、ここまで頑張ってきた。
でも私は男ではない。
髪をショートカットにして、男性に混ざって会議をしてバシバシ意見をしていても、責任ある仕事を担当させてもらっていても、私は男ではなかった。
男っぽい女と女っぽい女の差なんて、本物の性差の前では意味をなさなかった。
戦争や大災害を起きたら、もっとなんの意味もなくなる。太古の昔からそうだったのだ。
 
体力と身体能力が普通の女子の1.5倍はないと、男の人と同じことをすることはできない。
そんな当たり前のことをウサギ狩りで思い知った。
男性と対等に働く気力と知力を兼ね備えていると思い込んでいた私は、完全に鼻っ柱を折られた。
必要なのは、気力と知力ではなく体力だった。
「なんで頑張れると思っていたんだろう」
舗装された道を胸を張って歩いてきたしこれからも歩いていくはずだと信じて疑わなかったのに、いつの間にか足元の見えない茂みの中に迷い込んでいた。
 
 
ウサギ狩りだけでなく、女子にはキツいなと思うことは普段の仕事の中でたくさんあった。
例えば、南米や中東など危険な海外への出張や赴任、海外拠点の設立関係。
産休育休や退職などを理由に離れるのが難しい長期プロジェクトの責任を持つこと。
人体に有害かもしれない薬品の取り扱いや、大型トラックを使った運搬業務。
併設する専門学校の男子学生の指導、飲み会や親睦会の盛り上げ役。
男性と対等に働きたいと思いながらも、大変な仕事のほとんどは自然に目上の男性に担ってもらっていたし、回ってこなくて安心している自分もいた。
 
とはいえ、「女性だから面倒な仕事が回ってこなくて良いよね」という男性社員たちのそこはかとない不満を肌身に感じながら働くのはしんどい。
一般職の女子に面倒な仕事が回ってこないのは当たり前で、むしろ自分たちの業務をサポートしてくれる彼女たちに男性社員は優しい。
でも総合職女子は男性社員と同じ立場で同じ評価軸に乗っているにも関わらず、面倒なことはやらなくてもいい、となると途端に不満の対象になる。
 
全部全部、私が望んだわけでもないのに、対等に働けず不満を持たれ肩身の狭さを感じながら働かなきゃいけない。
そのままならなさは、じわじわと私の心をすり減らした。
男性社員と同じぐらいしんどい思いをしているようにみえないと認められないし、一緒に愚痴も言い合えない、と無意識に思うようになった。
だから私は、新しいプロジェクトを立ち上げて働きまくったし、他のチームからちょっと頼まれた仕事も快く引き受けた。
どんどん心には余裕がなくなり、自分で頭を使うこともなく指示された仕事だけをこなして優雅に定時で帰っていく一般職の女性たちを、いつしか羨ましく眺めるようになった。
 
 
そんな日々の中、私は2024年上期の朝ドラ「虎に翼」に出会ってしまう。
心にギュッと刺さる場面ばかりで、しんどすぎて見ていられなくなる時もあったが、気づけば惹き込まれてどんどん見進めていた。
序盤は、女性として生きていく中で感じるモヤモヤに「はて?」と切り込んでいく主人公・寅子の姿に勇気をもらった。
自分も同じように抱えている疑問が、はっきり言語化されていく気持ちよさはとてつもなかった。
物語はこのまま「モヤモヤした女性に勇気を与える、働き女子の奮闘記」として進んでいくんだろうな、と思いながら観ていた、その矢先。
後半に差し掛かったところで、大きくその期待は裏切られた。
社会を切り拓く女性として一躍有名になった寅子が、大きく変化してしまうのである。
 
努力して地位を築いてお金を稼いで家族を養っている彼女は、周りの人に対して「自分へのケア」や「自分と同じくらいの努力」を無意識に要求して気を遣わせてしまう。
家族や娘でさえ、寅子に何か本音で話そうという気持ちをなくして「スン」としてしまうのだ。
 
嫌っていた家父長制を自分でやってしまう寅子の姿を見て、「うわー、嫌な女」と思うと同時に、自分の心にもほんのり苦いものが広がっていくのを感じた。
「これ、私じゃん」
私も寅子と同じように、家父長制を内包していたのだった。
 
 
『責任を持たずにケアだけを担う女性と自分は違うと思いたくて、出来もしないのにウサギ狩りに参加したのではないだろうか』
『男社会で頑張っている辛そうな自分を見せて、同じチームの一般職に気を遣わせていないだろうか』
『自分の頑張らなきゃという気持ちだけでチームの仕事を増やして、増えた分の仕事を一般職に手伝ってもらって当たり前の顔をしていないだろうか』
振り返れば振り返るほどに、自らの家父長的な振る舞いに気づいていった。
 
「女であることに甘んじていない自分」「大多数じゃない自分」「自立している自分」
こんな自分になりたくてずっと頑張ってきた。
それがいつの間にか「“私だけが特別に”頑張って苦労している」という気持ちに変わり、
ごく普通に働いている一般職の女子を見ては、「私はもっと頑張っている」「自分は違う」と無意識に思ってしまう自分がいた。
ケアを担ってくれている女性に対して「責任もなくて楽でいいよね」と思うのはまったく論点がズレていて、男性が発言していたら反感を覚えるのに、実際には自分も同じことを心の中で思っていた。
 
「“女性だから”に囚われず頑張ることで、周りの女性のエンパワメントにもなるし可能性が広がる」
こんなふうに思っていたけど、今はもう声を大にして言えない。
私はしんどいから男社会から逃げたくてたまらないし、女性みんなの味方でもないしむしろ気を遣わせてしまう。
男性となんでも対等にやりたいけど、女性としての幸せも念頭に置いたキャリアを歩みたいし、負担が大きい仕事を男性社員に代わってもらって安心したことがある。
 
私は、責任を負う代わりに女性固有のケアの仕事を免除してもらったと思っていた。
でも実際はそうじゃない。
ケアだけ放棄してやりたい仕事をやらせてもらって、本当に重い責任は男性社員に任せる中途半端な存在なんじゃないだろうか……。
 
こんな私がどこで何を言ってもなんの説得力もないし、誰のためにもならない。
そう思って口を噤んで淡々と仕事をしていたら、「お淑やかすぎる」「もっと自己主張してやりたいことやりなよ」と上役に言われる始末だった。
 
なりたい自分にはいつまで経ってもなれないし、人の期待を裏切ってばかり。
男らしい女にも、女らしい女にもなれなくて中途半端。
翼を広げて飛ぼうとしたのに、土砂降りのせいじゃなく自分の気持ちの重さのせいで飛べなかった。
男社会で翔けるような強い翼なんて、そもそも持ち合わせていなかったのかもしれない。
 
 
……こんなふうに、翼があればと悲しみに暮れる日々だったが、ある日一筋の光が差し込んだ。
すごく勇気をもらう言葉に出会ったのだ。
 
それは、ちくま文庫の「女たちのエッセイ」の中の、湯川れい子さんという音楽評論家・作詞家の方のエッセイの一節だ。
有名になった彼女の元にはキャリアウーマンについての原稿依頼が複数寄せられ、仕事と家庭とどちらを取るかといった相談をもらうこともしばしば。
そんな彼女は自身のエッセイの中で、こんなふうに女性たちに喝を入れる。
 
『昔の人は二兎を追うもの一兎も得ずといったけれども、二兎だと思うから大変であり、共に半端になるのであって、これもあれもどれも、たったひとつの我が人生と思えば、それはピョンピョンと飛び跳ねる、魅力的な一匹の兎にすぎなくなるのではないだろうか』
 
 
憂鬱な顔で、文庫本片手に通勤電車に揺られていた私は驚いた。
モヤモヤとした視界が急に晴れて、なにか綺麗な生き物が颯爽と目の前を横切った気がしたからだ。
 
一匹のウサギを追うように、目の前のやりたいことに一生懸命に取り組んでいたら、それが自分の人生になるのではないか。
それは、みんなと足並みを揃えて狩りに参加しなきゃという切迫感で、見えないウサギを追い込んでいたあの苦しさとは全く違うだろう。
人にどう思われるかばかり気にして、あれもこれもやらなきゃと散らかっていた目の前が急に片付いた。
 
『なりたい自分になんてなろうとするから、欲張って中途半端になるんだ。
今ここにいる私が自分の人生というウサギを追っていく、ただそれだけ。
なのに、何を難しく考えてゴチャゴチャ言っているのだろう』
湯川さんの言葉は、ウサギ狩りのあの日からずっと彷徨っていた深い森から私を連れ出してくれた。
 
強靭な翼を望むより、「なりたい自分」という重い荷物を捨てて身軽になることの方が先だった。
キラキラ光って跳ね飛ぶ「私の人生」というウサギ。
すっかり身軽になった私はこの魅力的なウサギを追いかけて、不思議の国のアリスよろしくスカートを翻しながら地面を軽やかに駆けていこうと思う。
 
私の前から消え失せるなよ、ウサギ。
いつか絶対捕まえてやるからな!!!
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。 食べることと、読書が大好き。 料理をするときは、レシピの配合を条件検討してアレンジするのが好きな理系女子。 好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。

 
 

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2024-11-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.285

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