週刊READING LIFE vol.292

結婚秒読みから大失恋した最恐のメンヘラ女子が、悟りを開きそうになった話《週刊READING LIFE Vol.292》

thumbnail


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/1/6/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「もし俺だったら、おまえの前から姿を消していると思う」
この言葉を聞いた時に、私の心は壊れた。
足元がなくなったみたいにどこまでも落ちてゆき、何かに捕まろうと腕を伸ばして爪を立ててみても止められなかった。
深く落ちた先にはもう誰の言葉も届かない。ただただひとりになりたかった……。
 
 
 
今から一年とちょっと前、京都の素敵な喫茶店で母と向かいあっていた。
ダークな木目が艶々と光る室内は、落ち着いた雰囲気。
母は学生時代からこの喫茶店が好きだったらしい。
席の横には花瓶が置いてあり、小柄な母と同じ存在感で立派な百合が咲き誇っていた。
 
そのとき私は結婚を考えていて、彼と一緒に住もうとしていた。
彼とはとても仲がよく、もう5年もの付き合いになり順風満帆だった。
 
しかし、私には親に話していないことがあった。
それは彼のメンタルが弱く問題を抱えていること。
このまま親に話さずに結婚しようと思っていたけれど、不安になった時につい口からポロリと出てしまったのだ。
そして当然のように問題になり、こうして母と向かいあっている。
 
親に話さないでいたのは、心配されたくなかったから。
親の心配を抜きにして相手を選びたかったし、自分はタフだから多少の困難は乗り越えられるなんて本気で信じていた。
そして何より、繊細で心優しい彼が好きだった。
メンタルなんか強くならなくていいから、優しいままでいてほしかった。
 
もともと、男性的な男性が苦手だった。
それはおそらく、幼少期から見ていた父と母の関係性に起因している。
母は専業主婦で専門職の父の仕事も手伝っていた。
父の実家に暮らし、父方の祖母の面倒までみながら子どもの世話に奔走する母。

昭和の頑固親父的なニュアンスを持つ父は、母が一生懸命働くのは当たり前という態度を崩さなかった。
そんな様子をみていて、父は母の人生は軽んじていると子どもながらに思った。
母はしょっちゅう父に対して不満をぶつけ、ヒステリーを起こして泣いていた。
その姿はなんだか辛そうで惨めだった。
 
『お母さんみたいになりたくない』
『お父さんみたいな人と結婚したら、自由に生きられない』
中学生の頃には、こんなふうに思うようになっていった。
母のようにならないことが私の行動指針であり、自由を勝ち取るために私は努力を惜しまなかったし、自分の船のオールは誰にも渡さないと決めていた。
 
『私は強くて賢くてタフだ、母とは違う新しい時代の女だ』
こうやって自分を鼓舞しながら、順調に人生のコマを進めてきた。
そして、結婚してキャリアを積むという大事な局面にさしかかり、満を持して王手をかけようとしていた。
 
しかし、結婚する話が具体化した時、意気揚々と我が道を歩いてきたはずなのに急に自分の気持ちが翳るのを感じた。
なんだろう、この不安な気持ちは……とモヤモヤしていた時に、母にポロリとこぼしてしまった。
「彼、メンタルが弱いんだよね。パートナーになって、彼を傷つける可能性がいちばん高い人間になるのが怖い」
 
私がこぼしたあと母は父と話し合ったようで、結婚を考え直させるべく母は私に会いに京都まで来たのだった。
「お父さんは、少しでも不安な気持ちならやめなさいって言ってる」
 
父が言うには、『あまりにも条件が整いすぎていて不自然で、本当にずっと一緒にいたいという強い気持ちがあるのか怪しい』ということだった。
同じ大学出身であること。
彼はリモートワークができて、私の職場近くに住めること。
家事が得意で、私のキャリアを支えると言っていること。
確かに父の言う通りあまりにも、あまりにも好条件だった。
 
それもそのはず。
メンタルの弱い彼と結婚するのは、私にとって合理的だったのだ。
強くない男性と一緒にいれば、自分のキャリアを優先させることに経済的な合理性が生じる。
家庭内でも対等な関係でいられる。
自分の生まれ育った家庭の家父長制から抜けだせる。
身が固まって、色々なことに煩わされずに思い切って仕事ができる。
将来的には子育てしながらバリバリ働く女性のロールモデルとして、会社でも重宝されるはず……
メリットを挙げれはキリがなかった。
 
彼のことを心から大切に思っている、そう信じていた。
でも父に指摘されて、自分の真の思惑に気づいてしまった。
『強くない男性を選ぶことで、私は相対的に強い女でいられる』
これが本当の狙いだったのだ。
しかも、一見して合理的に見えるこの判断は長期的に見たら不安要素の方が大きく、冷静に考えても危険だった。
あまりにも打算的で浅はかな自分に吐きそうだった。
 
しかも、それを父に見破られたと思うと無性に腹が立った。
『お父さんの言っていることは正しい。でも、打算的な女になっちゃったのはあんたのせいでしょうが』
父への複雑な思いで心がギュウンと歪んでいく。
涙を堪えると鼻の奥がツンとして、百合の香りが鬱陶しかった。
 
さらに母が続けたこの言葉が、ぐちゃぐちゃな心に追い打ちをかけた。
「お父さんに『もし自分が彼と同じ状況だったらどうする?』って聞いてみたの」
「なんて言ってた?」
「『もし俺だったら、おまえの前から姿を消していると思う』って。」
 
弱い相手を選ぶのではなく、自分が本当に強くなって相手を守る。
できなければ相手の幸せを願って去る。
これが、相手のことを本気で想っている人の行動だった。
 
あぁ、私にはできないな、と負けを悟った。
彼のメンタルをずっと支えられるほど強くはない。
そして、『この人たち、めちゃくちゃいい夫婦じゃん』と不覚にも思ってしまった。
 
 
『あれ、ちょっと待って……?
父は母を虐げている悪いヤツで、私は母の愚痴を聞いていて同じ状況にならないように努力していて……それで……』
合理的な娘の脳内コンピューターが、初期設定と矛盾した入力に対して完全にバグを起こし始めた。
 
『お母さんは不幸なんじゃないの? お母さんの選択が正しいの??』
足元だったはずのものがガラガラと崩れていき、私はなすすべもなく真っ逆さまに落ちていった。
正面からまっすぐ私を見つめる母の潤んだ瞳が、怖い。とても怖い……
 
『これまで一生懸命頑張っていたのはなんだったの』
私は強い女になりきれなかった。
欲しいものはほとんど手に入れてきたはずなのに、なりたい自分が手に入らない。
自分の生き方の不毛さに苦しくなった。
 
この衝撃を受け止めて消化することは私には難しく、その後しばらく親とうまくコミュニケーションが取れなくなってしまった。
親からかけられる言葉は全てヒリヒリ突き刺さり、私はまるでズル剥けの因幡の白兎だった。
とにかくひとりになりたい。
彼とは別れて心機一転、会社の寮を出て一人暮らしを始めた。
 
 
 
そして、迎えた年末年始休暇。
実家に帰りたいが、こんなぐちゃぐちゃな気持ちで親と話したら余計なことをたくさん言いそう……
よく考えた結果、帰らないという選択をした。
荒れた心を鎮めて内面を見つめ直す7日間にしよう。
 
とはいえ、7連休はさすがに暇である。
せっかくなら、連休しかできないことがやりたい……と考えを巡らせてみた。
すると突然、ある思いつきが降りてきて、さっそく友人に決意表明のLINEを送った。
 
「今から断食することにした」
 
「え、修行僧?」
「出家した? 大丈夫そ?」
ポポポン、と立て続けに入るメッセージ。友人の反応は正しい。
家族と美味しいものをたくさん食べるのがお正月の過ごし方であり、断食する人なんてほぼいないだろう。
失恋して親と距離を置き、そのうえ断食ときたら、俗世を捨てたと思われても無理はない。
平安時代なら出家も考えただろうけど、あいにく令和の世では身の振り方の選択肢が多い。
波乱の多い我が人生、出家という選択肢はまだとっておいた方が良さそうだ。
 
 
断食をしようと思った動機はシンプルで、もともとファスティングに関心があったからだ。
長期間食べないことによって、オートファジーと呼ばれる細胞内タンパク質の分解が
起こり、老廃物のデトックスにつながると言われている。
それに、食べものを消化する必要がないから胃腸を休めることができるそうだ。
 
素敵な効能に魅力を感じていたものの、普段はフルタイムで働いていて、さすがに食べないと働けないから実践するわけにはいかなかった。
だから、7日間も労働を免除されている今が絶好のチャンスであった。
 
「この機会を逃すわけにはいかない!!!!」
無駄な行動力に定評のある私は、さっそくネットで調べた情報をもとに断食を計画した。
※自己流なので決して真似しないでください。
 
まず初日はご飯と味噌汁ぐらいの1日2食からスタート。
その次の日は味噌汁だけで過ごしてから、ようやく本格的な断食期間に入る。
断食期間中は、水と甘酒のみを飲んでいいことにした。
ものを食べないと必然的に摂取する水分量が減ってしまうから、断食中の水分の摂取は必須だという。
栄養を全く摂れないもの不安なので、飲む点滴と呼ばれる甘酒で補うことにした。
 
断食1日目、日中は流石にお腹が空いてキツかった。
会議が長引いてお昼を食べ損ねた時の状態。
空腹を紛らわせるためにストレッチをしてみたり、部屋の掃除をしてみた。
ところが夜になると慣れてきたのか空腹が気にならなくなってきた。
「私、いまマジで断食しちゃってるよ!」という気分でちょっと楽しくなる。
体が軽くて布団に入るとスッと眠りに落ちた。
 
しかし2日目、午後からなんだか頭がぼんやりしてすぐに眠くなってしまう。
作業が全く捗らず、軽微な頭痛と手の震え。
体が異変を感じ始めたのを知り、3日間行う予定だったけれど、まる2日で断食期間を終了した。
 
 
断食明けは、胃腸に負担をかけないように軽いものから食べて回復させていく。
腸内を掃除すると言われている、梅干しと出汁で大根を炊いた「梅大根」を作った。
このとき食べた梅大根の美味しいこと、美味しいこと。
ありがたいことに、2024年は大好きな人たちと美味しいものをたくさん食べた。
でも、この時の梅大根の美味しさにはどれも敵わないだろう。
 
過敏性腸症候群に悩まされた私にとって、長いあいだ食べることは辛いことだった。
食べたあとで体調を崩すのではないかという不安と、常に隣り合わせ。
「もうこんな苦しい思いをするなら食べたくない、つらい」と泣いては、ご飯を作ってくれる母を悲しませた。
 
でも今、私の体が細胞が、食べることを喜んでいた。
お出汁の旨み成分を空っぽの体が全力で吸収している。
たった一杯の汁でこんなに満たされるなんて。
普段、いかに食べ物を味わうことなくただ食べているかを思い知った。
 
 
驚きはそれだけではなかった。
断食を終えた日に、いつも安眠のために行っている瞑想をしていたら、不思議なことが起きた。
いつもは静かに整って眠くなっていくはずなのに、その日は違った。
 
何かモヤモヤとした気持ちが、心の奥底からブワーっと吹き出すのを感じたのだ。
もう寝ようとして電気を消して布団の上で瞑想をしていたのだが、居ても立っても居られず、机に向かってノートを広げる。
すると、あれよあれよという間に5~6ページぐらい書き殴ってしまった。
それはまるで自動書記のような感覚で、意思とは関係なく心が筆をとっていた。
初めての感覚に、戸惑いと気持ち悪さすら覚えた。
 
書いた内容は、幼少期からの自分の考えや価値観のようなもの。
普通に考えごとをしてもたどりつけないような心の奥深くに、ずっとしまっていた気持ちが目の前に現れた。
ザァっと潮が引くように、黒く内側から噴き上げてきたモヤモヤはいつの間にか消えて、空っぽの自分だけがポツンと座っていた。
「なんだったんだろう、今の……」
 
 
この不思議な心の動きは、のちに解き明かされることになる。
修行のような年末年始から始まった2024年が終わりに近づく頃、私は一冊の本を手に取った。
それは『自分とか、ないから。』という、東洋哲学が超絶わかりやすく解説された書籍。
東大卒ニートである著者の軽妙な語り口と思い切った自己開示がとても読みやすく、哲学書と思えない勢いで読み切ってしまった。
 
東洋哲学を語る上で仏教は避けて通れない。
本書では、ブッダが悟りを開いた時の情景がおもしろおかしく書かれている。
 
イケメンのブッダは断食の修行をして死にかけていた。
そこへ通りがかったのが、地元ギャルのスジャータ。
死にかけのイケメンにお粥を差し出す。
お粥を食べて元気になったブッダが瞑想していると、この世の真理に到達してしまった。
その真理は、『自分とか、ない』。
仏教で言うところの無我の境地である。
 
これを読んだ時、私はハッとした。
『もしかして、私はあの時、ブッダと同じことをしようとしていた……?』
 
皆様、すみません。
世界三大宗教のひとつを生み出したお釈迦さまと自分を重ねるなんて、大変おこがましい。
恐縮至極を通り越している。
でも、そうとしか思えなかった。
 
断食をして空っぽになったら、自分の心の中がバーっと浮き彫りになった。
それも書いて手放してしまったら、本当に自分とか、なかった。
何もない。
でもそれは全くつらいことではなかった。
何もない自分を感じたとき心は驚くほど安らかで、見るものは美しく食べるものは美味しかった。
 
空っぽの自分から始まった2024年は、本当に実り豊かな1年だったと思う。
いろんな場所に出かけて、たくさんの人と会って心に残る素敵な言葉をかけてもらった。
たくさん本を読んで思いっきり文章を書き、考えていることをさらけ出してみた。
その結果、今までの自分では気にも止めなかったようなことに目が向いて、視野がぐんぐん広がって生きるのが楽しくなってきた。
強い女になろうとこだわっていた時、周りが何も見えていなかったことに気がついた。
 
相対的に弱い人と一緒にいることで自分を強く見せるのは、もうやめだ。
強いか弱いかで人をジャッジするのも、もうやめにする。
好条件を揃えて安心するのも、やめる。
私は最初から何も持っていないけれど、それで十分だった。
 
苦しいことも楽しいこともいちど全て捨てて、空っぽの自分になってみる。
そうしたら、なにもせずとも心地よく自分のなかが満ちていった。
『しんどいことがあっても、いつだって自分は空っぽになってやり直せる』
この気持ちが私を本当に強くしてくれるような気がする。
 
 
気づきを与えてくれたきっかけは断食だったし、実際にやってみてかなりメンタルに効果があるのを実感した。
でも同時にプロの指導のもとでやらないと危ないだろうということもわかったので、この記事を読んだみなさんはどうか真似をしないように。
プチ断食は良いけれど、数日間に渡るものは必ず専門的な指導のもと行うようにしていただきたい。
 
2024年ももうすぐ終わる。
さすがに断食はもうしないけれど、今年のモヤモヤは全て断捨離して空っぽな気持ちで新年を迎えたい。
さぁ、来年はどんな1年になるのだろうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール

愛知県生まれ。滋賀県在住。 2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。お風呂で本を読むのが好き。 好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。

 
 

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院カフェSHIBUYA

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸二丁目18-17
ENOTOKI 2F
TEL:04-6652-7387
営業時間:平日10:00~18:00(LO17:30)/土日祝10:00~19:00(LO18:30)


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
 Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00



2024-12-30 | Posted in 週刊READING LIFE vol.292

関連記事