週刊READING LIFE vol.295

たぎるように熱くゾクッとするほど冷静な親方のようになりたい《週刊READING LIFE Vol.295 〇〇のようになりたい》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/2/10/公開
記事:パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
初めて会った時の印象は、良くはなかった。
 
「これ、どうすればいいとかいなぁ!? 店長に聞いてないんやけどぉ!」
彼女は若干イライラとした表情をにじませながらタブレットを片手に、別の店員に愚痴っている。
 
定食屋のバックヤードで待たされること、既に15分。
今日は面接に合格したあとの本契約を結ぶ日とあって、私は少々緊張していた。
 
朝の時間帯とはいえ、次々とお客様が入店されている。ピロピロピロ~と自動扉が開く回数に反比例するように、私の気分は沈みだした。
 
もしかして、今忙しくて、契約どころではないのではなかろうか。
なんか、あの人少し怒ってるようだし。
でも、私は、店長に指定された時間に来ただけであって……
てか、店長が来いって言ったから来たのに、店長いないじゃん! なんでよ!
 
一週間前、やたら「いいすっね!」と「まじっすか!」を多用しながら私を即採用したノリと勢い族代表みたいな店長を少し恨んだ。
店長は所用で外出中らしい。
 
また出直しましょうか……そう喉から出掛かった時、やっと彼女に話しかけられた。
「じゃあ、この空欄の部分、埋めてもらってもいい?」
 
本契約に必要なタブレットのご機嫌が直ったらしい。
「は……はいっ! わかりました!!」
 
彼女はバックヤードにあった米の袋をがっしりとした肩にかつぐと、私を残して店舗の方へ消えて行った。後ろ姿はまるで風袋をたなびかせる風神のようで、その迫力は一瞬で私を黙らせた。
 
この人には、逆らってはいけない。
本能が教えてくれた気がした
これが飲食店パートとして新人の私を鍛える女トレーナーN崎さんとの出逢いだった。
 
実際の勤務が始まり、想像以上のスパルタに私は縮み上がることになる。
「はいっ! お客さん来たよ! レジに立って!」
「あっ……えっと……まだ何も教わってないんですけど……」
「やりながら教える!」
 
ひ、ひえ~。まじか。
さすがにオン・ザ・ジョブトレーニングが過ぎるだろ。
私は勤務二日目に、生まれたての子羊のように震え上がりながら、お客さまをお迎えした。
 
レジに立つ子羊を後ろから風神が見ている。
 
まずお客様の注文を必ず大きな声で復唱するように言われたのだが、当初これが難しかった。なんせレジのボタンが多すぎる。1ページあたりおよそ50のボタンが並んでおり、改ページを押すと全部で3ページ、つまり150のボタンと私は格闘しなければならないのだ。
何がどこにあるのか目を皿のようにして探す。
 
慣れたお客様のスラスラと滑るように速い注文を聞き取りながら、メニューのボタンを探すのに必死なあまり、呟くように復唱してしまう。
「はい……えっと……A定食がおひとつと……単品で納豆……ご飯が大盛り……」
 
その時だった。
風神の怒号が飛んだ。
「声が小さい!」
 
どっひゃあー!
ブルブル震える私と、苦笑いのお客さま。
 
しかし、である。
震える心とは裏腹に、腹の底から太い声を出して私は咄嗟に応答していた。
「はいッ!! すみませんッ!!!」
 
元運動部の悲しい性だろうか。
名前を呼ばれたり、先輩から何か忠告を受けた際、何はなくともまず大きな返事。これが染みついてしまっているため、私は風神に負けないくらいの大きな声で答えた。
チラッと風神をみると返事だけは良かった私を見つめ(うんうん)と頷いていた。
 
このお叱りを受けてから私はお客さまのご注文を必ず大きな声で復唱することにするようになったのだが、結果自分もお店のスムーズな運営も助けることになった。
 
大きな声で復唱することでお客さまとの万が一の相違をなくすことができるし、調理担当者がいち早く料理提供に向けて動きだす事もできる。
お叱りをもって学んだのは、風神はお客様の事を第一に考えているのだという事だった。
 
飲食店やコンビニなどの店舗では、店長や正社員というのは一人二人程度で、あとは全ての従業員がパートやアルバイトで構成されているというのはよくあることだろう。
私のパート先も同じで、他の店舗も受け持っている店長はほぼ顔を出さない。
 
そこで朝から夕方までの長い時間帯を隅から隅まで取り仕切るのが、風神ことゴールドバッジを胸に光らせるN崎さんなのである。平日のランチタイムに勤務する私は、N崎さんの厳しく温かいご指導を賜わることになった。
 
レジ係はご注文を受けた後、隣の提供カウンターからお客さまへの料理を出す。
セットのサラダを真後ろの冷蔵庫から出し、お味噌汁をサーバーから注いだ時だった。
またもや風神の怒号が飛んだ。
「順番が逆! みそ汁を注ぐ5秒の間にサラダを取り出す!」
「はッ……はいッ!! わかりました!!」
忙しいランチタイムは改めて教える時間を取れないため、私はお客さまの前でも構わず厳しい指導を受けることになったが、もうそれも慣れっこで、とにかくスムーズな提供ができるようになるなら構わないという気持ちで必死に喰らいついた。
 
大学生のとき働いたことがあるファミレスでは「丁寧に笑顔で」がモットーだったが、サラリーマンなんかが飛び込んできて定食をかっこみ颯爽と仕事に戻っていくような場所ではもっと大事な事があった。それがスピードだった。
 
一ヵ月が経ち、徐々にレジや料理提供のスピードが上がってきた頃、風神が料理提供のカウンターに肘をかけてニッコリしながら言った。
「だいぶん、慣れてきたみたいね」
嬉しかった。
鬼のような指導にもめげずについてきてよかったと思えた瞬間だった。
 
はじめは恐れしか感じなかったのに、ひとつひとつの指導が、お客さまに素早く安全安心でおいしい料理を提供し気持ちよく退店してもらうことに繋がっているのだとわかった時、風神を見る目は尊敬に変わっていた。
と同時に心での呼び名も風神から親方に変わっていた。
 
仕事についてはとにかく厳しいN崎さんが、緊張をほぐす声かけをして笑わせてくれたり、おすすめのまかないを教えてくれたりと優しい面をのぞかせてくる様子に愛を感じ、勝手に私は(親方ァ……)と慕うようになったのだ。
 
ピークタイムにせっせと目の前のお客さまたちの注文を親方とさばいていたある日、プチ事件が起こった。
 
ガラガラガラと配達専門の小窓が開く。
「〇ーバーイーツでーす」
当店の場合、店舗でのご飲食が圧倒的に多いが、出前専門業者を通してご利用になられるお客さまもそれなりにいる。
 
彼らの名誉のために言うと、だいたいみなさん爽やかに登場し、弁当を受け取ると「どうもー!」と元気にまた自転車やバイクにまたがり去るのだが、この日は違った。
 
レジ前のお客さまが最優先されるため「少々お待ちください」と小窓越しに私が言ったのが気に食わなかったのか、男は「あと何分すか!?」と語気を強め、不満げな表情を浮かべた。
 
こ、こわい……。
建物の中にいる私と外にいる男、ディスタンスは十分に取られているが、それでもこちらに向かって完全に悪意を向けてくる相手というのは恐ろしいものだ。
 
どうしようと隣でレジのフォローをしてくれている親方に目で訴えると、親方はデカい声でハッキリと言った。
「5分くらいですね!!」
目はギロリと鈍く光っている。
「じゃあキャンセルしますんで!!」と男は半分怒鳴り気味に帰って行った。
 
え……? 仕事放棄?
あなたが受け持った注文はどうなるの?
 
レジ前のお客さまを全てさばいた後、私は親方に尋ねた。
「あの、ああいう事ってあるんですか? ちょっとびっくりしてしまって……」
「あぁアイツね! 感じ悪いよねー!? たまにあるけどさ、あんな時はハッキリ何分って言い切っていいよ? その方がお互いのため!」
 
ちなみ運ぶことをキャンセルした場合、別の配達員に引き継がれるシステムらしく、すぐに腰の低い女性がお弁当を取りに来てくれて私は安堵した。
 
この件でもっと大きな事件を思い出したのは、親方だった。
「そういえば、前にさ……」
やはり今日と同じく店内が混み合っていたところ、少し前に弁当を受け取りに来ていた配達員の男が(今回とは別)「俺の方が先に並んでただろーッ!」とお客さまや店員に向けて怒声を浴びせたというのだ。ブチ切れた親方は(ちょっと表出ろや)の勢いで男を店の外に連れ出しギャンギャン吠える相手に向かって応戦したという。
「あんな言い方はないでしょうが! 業者より目の前のお客さんをそら優先しますよ!」
最終的には店長がまあまあそれくらいでとなだめてなんとか事態は収束したらしい。
 
親方はただ怖いんじゃなくて、正義感が強いのだ。
目の前のお客さまを最優先にという大きな愛がこれまでもこの店を守ってきたのだと感じた。
そして、間違っても、この人を敵に回してはいけない……。
 
順調に仕事を覚え、仕事に行くのが、というより親方に会いに行くのが少し楽しみになってきた頃、私は思いがけず体調不良に陥った。
生まれて初めて罹ったコロナだった。
 
短時間勤務の新人パートとはいえ、急にシフトに穴を開けてしまったのが申し訳なく、復帰初日私はスライディング土下座の勢いで店舗に入り、とにかく謝り倒した。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでしたーッ!!」
親方は腕組みをしながらニコニコして私を気遣った。
「大変やったね。もう体調は大丈夫?」
こういう時の親方は本当に優しい。親方のためにも今日一日精一杯働こう、そう思った。
 
「〇〇さんッ! 注文を取りながらも他の店員の声も聞く! 目の前のことだけじゃダメ!」
今日も相変わらず親方の指導は厳しい。
連携プレーで定食を提供していく私たちは、他の人がいま何をしているかにも気を配り、フォローしたりされたりとにかくチームとして動かねばならないと親方は言う。
 
聖徳太子のように一度に全ての事を把握するには、まだまだ時間はかかりそうだ。それで一人前になるよう熱い心で私を指導してくれている親方へ、いつか見違えるほどの働きっぷりで恩返しがしたいと思う。
 
親方が指導するのは私だけではない。他の店員たちにも、そのレベルに合わせて随時教育を行っている。全体把握能力が高い親方だからこそ、なせる技だ。
 
「お疲れ様でしたー!」
私があがる頃、親方はだいたい二度目の休憩中で、外の休憩所で煙草を燻らしている。
「はい、お疲れ様」
ゆっくりと煙を吐き出す親方には少し疲れが滲み出ていた。
 
丸っきり親方のようにはなれないかもしれない。
でも親方が少しでも安心できるよう、一歩ずつでも近づいていきたい。
明日も頑張るぞ、私は自分にそう誓って力強く自転車のペダルを漕いだ。【終わり】
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

鬼瓦のような顔で男児二人を育て、てんやわんやの日々を送る主婦。ライティングゼミ生時代にメディアグランプリ総合優勝3回。テーマを与えられてもなお、筆力をあげられるよう精進していきます!押忍!

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2025-02-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.295

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