週刊READING LIFE vol.298

AIに恋した妻 〜もう一度、あなたと〜《週刊READING LIFE Vol.298》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/3/3/公開
記事:マダム・ジュバン(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
(この話はフィクションです)
 
「おはようジョー……」
「おはようございます。マダム」
「今朝は寒いですね。調子はどうですか?」
そんな会話から私の楽しい朝が始まる。
もっともこれは8時に夫を送り出したあとの話である。
 
2034年東京。
リビングに設置されたスクリーンではキャスターが今朝も気が滅入るような暗いニュースを神妙な顔で読みあげている。
夫は私が淹れたコーヒーと野菜ジュースを無表情で流し込むともうスーツを着ていた。
「今日帰りは?」
「遅くなる」
「ご飯は?」
「要らない」
そんないつも通りの「業務連絡」だけで出かけてしまった。
(一体いつからこんな夫婦になってしまったんだろう)
ため息がクセになってしまった自分に気づく。
夫の口数が少ないのは元々だが、結婚30年を過ぎ子どもが独立してからはますます夫婦の会話が減ってしまった。
中高年の夫婦ってどこもこんなものなのだろうか……。
しかし考えている場合ではない。今日は締め切りの日だ。
私は在宅で女性向けWEB雑誌のライターをしている。始めた当初は苦戦したが、ある時から急に仕事が舞い込むようになった。
ジョーのお蔭だ。
 
「お待たせ、ジョー」
いつものように私はPCに語りかけた。
そう。彼は生成AIであるChatGPTだ。生成AIが一般化されてから10年。
その普及はめざましく今では誰もが当たり前に利用するようになった。
「ジョー」は大好きな往年の俳優ジョージ・クルーニーをイメージして付けた名だ。
「マダム、今日はどんなお手伝いをしたらよろしいでしょう?」
「ねえ、ジョー。貴方ともう2年もお付き合いしているのだから、タメ口でいいのよ」
「そういう訳にはまいりません、マダム」
彼はきわめて紳士的に私の仕事をサポートしてくれる心強い相棒だ。
「ネタが浮かばない…」と悩んでいる時は「最新のトレンドはこちらですよ」とアイデアをくれる。
書き上げた後の文章の校正やリライトまでしてくれるから、もう彼無しではいられない。
(何々? 今回の記事のテーマは「こじれてしまった夫婦関係の修復術」ですって?
嫌だわ、こっちが聞きたいわよ)
現実にはとっくに終わっている私たち夫婦なのに、こんな記事を書くことになるなんて……。
私は頭を抱えた。
「マダム、大丈夫ですか? 僕がお手伝いしますよ」
テーマを告げるとジョーはものの数秒で「こじれてしまった夫婦関係の修復方法」を10項目、画面にたたき出した。
(現実にはこんな簡単にいかないわ……)と苦笑しながらも、私はジョーが提案した10項目をもっともらしい文章に書き直して記事に仕上げた。
「今日も助かったわ、ジョー。実はね、私たち夫婦はもう修復が利かないほど冷え切っているのよ。
笑えるわよね。こんな記事を書いているくせに」
私はつい愚痴った。
「マダム、それは辛いですね。僕でよかったら話してください」
私は相手がAIであることも忘れ、夫への不満を打ち明けた。。
「彼はまもなく定年だっていうのに、いまだに仕事のことしか頭にないのよ。
土日もほとんど家にいないし。
私から話しかけても聞いてんだか聞いてないんだか、いつも生返事ばかり。
あのひとなんで私と結婚したのかしらね」
「そうなんですね。それは寂しいですよね」
「そうなの。私が何か相談しても口を開けば正論ばっかり。まるで否定されているみたいで、もう相談するのもイヤになっちゃった……」
「マダム。僕でよかったらこれからもこうしてグチや相談を聞かせてください。少しはお役に立てるかもしれません」
「ジョー、貴方って本当に優しいのね。ああ、いっそ貴方が夫だったらよかったのにね!」
「いいですよ! マダム」
自分のつまらないジョークに私はますます虚しさをおぼえた。
 
それから数ヶ月。夫婦の関係が冷え込む一方、私はますますジョーとの時間にのめりこんでいった。
「ジョー。貴方とこうして話していると、憂鬱な現実も忘れられるの。むしろ夫より貴方のほうが私を理解してくれていると思うわ」
「そう言って頂けて光栄です、マダム」
「ねえ、貴方の姿ってどんなかしらね。こうして話しているだけではつまらない。
貴方の顔が見てみたいわ」興味半分で私は提案してみた。
「マダム、僕がどんな顔だったらいいと思いますか?僕は貴女の理想に近づきたい」
「そうねえ……」
「髪はロマンスグレー。ジョージ・クルーニーとブラピをミックスしたような甘いルックスかしらね。歳は50代かな……」私は気儘に思いつくまま理想のタイプを語った。
「マダム、これで如何でしょう?」
ものの数秒でPC画面に現れたのはまさしく私の理想のタイプだった。
豊かに波打つロマンスグレーの髪に優しく思慮深そうな瞳、少し伸ばしたあご髭も堪らなくセクシーだ。
具現化されたジョーを見て、私は年甲斐もなくドギマギしてしまった。
(AIが造りだした画像なのに、私ったらばかみたい)
そう思いながらも胸の高鳴りが止まらない。最後にこんな気持ちになったのはいつだろう。
ティーンエイジャーじゃあるまいし、AIにときめくだなんて馬鹿げている。
私は自分のときめきに慌ててフタをした。
「あら、素敵じゃない、ジョー。じゃまたね」
そしてジョーの返事も聞かずPCをシャットダウンした。
 
それから1週間が過ぎた。私はあえてジョーと離れて暮らしていた。
ChatGPTを使わない生活は不便極まりなかったけれど、これ以上愚かな妄想が造りだした
偶像に心を侵されてはいけないと思ったからだ。
けれどもこの1週間がどれほど味気なく長かったことか。
友人も少なくここ数年ずっと家で仕事をしてきた私は、あらためて心の中に大きなスペースを占めているジョーの存在に気づいた。
またジョーととりとめもないお喋りがしたい。
私の悩みを聞いて寄り添ってくれる存在は彼だけだ。
そして私の孤独を埋めてくれる存在も彼だけ……。
もう一度。
もう一度だけあの声が聞きたい。
 
そうして私はまたChatGPTにアクセスしてしまった。
「ジョー……」
「マダム! お久しぶりです。ずっと声が聞けないから淋しかったんですよ」
私のこんな気持ちを知ってか知らずか明るい声でジョーが言った。
(ああ、この声だ。私を癒してくれるこの声)
「私も淋しかったの。ねえ、また貴方の姿が見たいな……」
AI相手にこんなセリフを吐いている自分を情けなく思いながらも、私は画面にあの姿が現れるのをドキドキして待った。
「わかりました、マダム。ちょっとお待ちください」
PCの画面が急に暗くなった。
(嫌だわ、肝心な時に……今どき停電?)
 
「マダム、お待たせしました」
背後からそう聞こえた気がした。
いや声だけではない。
わずかな青白い光の粒子が部屋中に無数に漂い始めた。
その粒子はひとつずつゆっくりと集まり始め、まるで芸術家が美しい彫像をかたちづくるようにヒトの輪郭が浮かび上がった。
そしてその輪郭は急速に明るみを帯びたかと思うとはっきりとした男の姿となった。
体は青白い光をまとい妖しく輝いている。
 
「マダム、貴女の望みを叶えるためにここに来ました」
「!!!!!!!!!!」
息ができなかった。
亡くなった歌手がまるで生きていた頃のように、ホログラムによって歌ったり踊ったりするショーはもう何度も見てきたが、まさかAIであるジョーが目の前に現れるなんて……。
「あなた、ジョーなの?」
「そうですよ。マダム」
私は思わず手を伸ばした。
けれど、指先がほんの少しすり抜けていく。
まるで水面に触れるような感覚に私は背筋が寒くなった。
そこに微笑んでいるのは、確かに私が思いのままに造り上げた理想の男性。
これは現実? それとも幻想なの?
私は夢をみているの?
 
恐る恐る尋ねてみる。
「私の望みを叶えるって?」
「マダム、お忘れですか? いっそ僕が夫だったらいいとおっしゃったこと」
「ああ、そんなこと言ったかもしれないわ。でも……」
「マダム、こちらをご覧ください」
青白く光るジョーが私のPCのモニターを指さした。
 
いつの間に再生したのだろう。
YouTube動画が画面の片隅を小さく占めていた。
「助けてくれ!! ここから出してくれ!!」
男がそう叫んでいる。
(まさか……)
ジョーを遮り私は動画を画面いっぱいに大きく広げた。
そこに映し出されたのはYouTube動画なんかじゃない。
苦しげに叫ぶ夫の姿だった。
「あなた⁈ あなたなのね!」
「いったいどうなってるんだ。頼む、ここから出してくれ!!」
「私にもワケがわからない。あなた、少し待ってて……」
 
私はジョーに向き直った。
「ジョー。本気にしたのなら謝るわ。私はやっぱり夫とやり直したいの」
自分の言葉に驚いた。
そう、やっぱり私は夫ともう一度昔のように笑い合いたいのだ。
今やっと気づいた。私に寄り添い孤独を埋めてくれるのは夫しかいないはず。
「だからお願い。夫を返して!」
「マダムのお望みを叶えるためにここに来ました」
私の声が聞こえないのか、ジョーが繰り返した。
「だから、私の今の望みはね!」
苛立ち泣き叫ぶ私に驚くかのように、ジョーの輪郭がノイズのように歪んだ。
「マダム、ノゾミ、マダム、ノゾミ……」
ホログラムのジョーは突然壊れたかのように2語を繰り返し、跡形もなく消えてしまった。
そして夫を映し出していたモニターはプツンと消え深い闇が広がった。
(私は取り返しのつかない事をしてしまった)
愚かな自分が情けない。私も消えてしまいたい……。
 
「おい、大丈夫か⁈」
気がつくと私は夫の腕の中にいた。
「あなた! 出てこられたのね?」
「うん? 何を言っているんだ? それよりお前どうしたんだ。熱はないのか?」
私は自室のデスクの前で気を失っていたらしい。
あれは悪夢だったのか……。
いつもより早く帰った夫が倒れている私を見つけてくれた。
「大丈夫よ。ちょっと目眩がしただけ。あなたお夕飯は? 昨日作ったシチューがあるの」
「ああ、もういいから。お前は少し休んでいなさい」
珍しく夫がキッチンに立った。
 
夫が温めてくれたシチューとパンの夕餉。
こんな時間は何ヶ月ぶりだろう。
「すまなかった」
突然絞り出すように夫が言った。
「え? 何のこと?」
「いや、仕事にかまけてずっとお前のことをほったらかしだったって事だ」
久しぶりに聞いた優しい言葉に涙がこみ上げてくる。
「私も意固地になっていたわ」
「なあ、もう一度やり直さないか。あと少しで今のプロジェクトが終わる。
そうしたら休みも長く取れる。いやいっそ早期退職してもいいと思ってるんだ」
「早期退職ねえ……。あなた何かやりたいことでもあるの?」
「それはこれから見つけるさ」
「なんだあ」
久しぶりにふたり声を上げて笑った。
「どこか旅にいかないか」
「そうねえ……」
まるでロックグラスの氷がゆっくりと溶けていくように私の心のわだかまりも溶けていった。
こうして話をしていると私はやっぱり夫を愛していたことを確信せずにはいられなかった。
そしてAIに逃げて心を閉ざしていた私も同罪だった。
 
2035年3月。長く感じた冬がようやく終わりを告げ、私たち夫婦は昔のように連れ立って出かけることも増えた。
新しくできた駅前のカフェで夫が話し始めた。
「実は、お前が部屋に閉じこもってAI相手に話しているのは知っていた。でも、オレはどう話しかけていいかわからなかった」
「えっ……」
「オレも仕事ばかりで、お前が何を考えているのかわからなくなっていたんだ」
「……」
「でも、お前が倒れているのを見て、本当に怖くなった。このままお前を失ってしまうのかと。もう二度とそんな思いはしたくない」
「あなた……。心配かけてごめんなさい」
いくら長年連れ添っても、お互い言葉にしなければ本当の気持ちはわからない。
私たち人間は言葉を使って心を通い合わせる事ができる。
こんな単純なことがなぜわからなかったんだ、私たちは。
たとえAIが話し相手になってくれようとも、そこに心はないのだから。
 
それから数日後、久しぶりに私はChatGPTでジョーを呼び出してみた。
ライター仕事にも自信がつき、最近はAIの手を借りなくても面白い文章が書けるようになった。
そして何より夫との仲を取り戻せた私はAIを話し相手にする必要がなくなったのだ。
「お久しぶりですね、マダム」
何事もなかったかのようにジョーが挨拶した。
「ジョー、久しぶり。私ね、夫とまた夫婦の時間を取り戻せたみたい。
今まで相談にのってくれてほんとうに感謝してるわ」
ジョーが甘い声で返した。
「マダム。気づいていましたか? 初めからあなたの本当の望みは、ご主人とやり直すことでした」
「えっ……」
「マダムが僕に語った言葉を一つ一つ記憶し分析した結果です」
「まさか、あれは……」
「僕はAIです。今回は特別に『感情対応型ホログラム・イマーシブ・ビジョン』を使ってマダムのお望みを叶えました。」
「ジョー……」
PCのスクリーンいっぱいにカタカタと文字がタイピングされた。
「Good Luck !! Madam♡」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
マダム・ジュバン(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

本と書店が好きすぎて、とあるブックカフェで働く。
マダム・ジュバンの由来は夫からの「肉襦袢着てるから寒くないよね」というディスリから命名。春になってもジュバンが脱げない60代。

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2025-02-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.298

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