週間READING LIFE vol.3

リアルに恋をしたいのなら、この本は読まないで欲しい《週刊READING LIFE vol.3「とにかくこの本を読んでくれ」》


 

記事:相澤綾子

 

「うぅ」
自分の喉から出た声に驚いて、我に返った。顔を上げると、運転中の夫とバックミラー越しに一瞬目が合う。気を散らせてしまったことを謝りたいけれど、既に泣きそうで声にならない。すぐに夫は、高速道路の前方に視線を戻した。子どもたちは、助手席と、私の両側に二人、程よい振動ですっかり寝入っている。窓の外には、分厚い雲が空をどっしりと覆っている。今日は日曜日で、久しぶりに遠出した帰り道だった。
私はしおりを挟んでページを閉じ、本を膝の上に置く。大きくゆっくりと息を吸い込み、そして細く長く吐いてみる。その程度じゃ、この気持ちは落ち着けられない。静かに涙を流すとか、もう、そんな感じじゃない。できることなら、肩を震わせながら、声をあげて、泣いてみたいくらいだった。
この本には、私のことが書かれているわけじゃない。似ている部分があるとかでもない。落ち着いて考えてみれば、私の高校時代はこんなじゃなかった。
それは分かっている。
でも、それなのに、体育館とか、ドアで仕切られた倉庫とか、水飲み場とか、校舎の3階の窓とか、そういう言葉でスイッチが入って、私の記憶の中に踏み込んでくる。そして、その場所はいつの間にか、私が卒業した高校そのものになっていることに気付く。
女子グループでのあれこれ、付き合っているカップルへの羨望、自分自身の報われない恋……高校生にありがちな、色んな気持ちが、物語の中のエピソードと少しでも重なると、ひきよせられて、自分自身がからめとられていく。気付けばどっぷりとその中に浸かっていた。もう私が本の中に入っているのか、本の中の世界が私の記憶の中に入り込んできたのか、分からなくなりそうなくらいだ。
私はまんまとこの本の企みにひっかかっている。あちこちに仕掛けられた罠の一つ一つにはまっている。分かっている。でもそれでも構わない。
私は少しだけ自分の気持ちが落ち着いたのを確認してから、目を開けて、再びページを開く。読み始めれば再び、心が揺さぶられて、すり傷だらけになることも分かっていたけれど、でもやっぱり読み続けてしまう。

翌朝、いつも通り5時半に起きる。身支度を済ませ、夫と自分の弁当、朝食を並行して作る。大方準備を終えた6時過ぎに子どもたちを起こし、着替えさせ、朝食を食べさせる。子どもたちが起きると一気に慌ただしくなる。合間に自分も朝食を食べて、途中まで片付けをし、残りの後片付けと洗濯は6時半過ぎに起きてきた夫にバトンタッチする。
7時過ぎには家を出て、子どもたちを保育所に送り届け、職場に向かう。
そして夕方になれば、5時過ぎには仕事を切り上げ、保育所から子どもたちを迎え、家に着いたら急いで夕食の支度をして、食べさせて、風呂に入れ、寝かしつけ……。夫はいつも仕事の帰りが遅いので、そこまで一人でやり、疲れ切って自分も寝てしまうか、こっそり起き出して趣味に充てるか、そんな毎日だ。
子育てに泣いたり笑ったり、怒ったり嬉しくなったりする。仕事でも、悔しい思いをしたり、喜びを感じたり、平坦な毎日というわけではない。でも総じて穏やかな日々だった。それが当たり前だと思っていたし、幸せなことだと考えていた。

でもあの本を読み終えてから、少し変わってしまった。私の生活の中に、決定的に足りなくなっていたものがあったことに、気付いてしまった。

朝、目が覚めた時に、心の中がざわざわする。何だろう、この感じは。すごく落ち着かない。歩きなれた場所をただ歩いている時に、またざわざわし始める。食器の後片付けをしながら、ハミガキをしながら、タマネギのみじん切りをしながら、ぼんやりすると、そのすき間にあのざわざわが入り込んでくる。
このざわざわを落ち着かせてくれるのは、あの本のことを考えることだけだった。私は、あの本のことを考えたいのだ。
私の中にあの本が入ってきたことで、私は、自分の生活の中で唯一足りなくなっていたものを手に入れてしまった。
それは、心のスパイスというべきか、恋のようなものというべきか。
現実の恋なら、相手があることで、その相手との関係で、舞い上がるような幸せを覚えることができることもあれば、諦めざるを得なくなったり、どろどろしたところに落ち込んでいったりしてしまうこともある。でもこのざわざわは違う。
ただ、あの本を読みさえすれば、満たされる。
二度目であっても、先を知りたくて急ぎ過ぎてしまったせいで、気付かなかったあんなことやこんなことが、再び刺激を与えてくれる。一度じっくり読んだから、特に新しい気付きはないかもしれないと思いながら読んでも、また驚かされる。
あの本を読みさえすれば、いつでも私は心のスパイスを手に入れられる。それは甘いわけでもなく、うまみがあるわけでもない。恋の一番純粋なところだけが凝縮されている。恋といっても、男女のどうこうということだけでなく、誰かが、他の誰かに対して抱く一番真ん中の気持ちというべきだろうか。晴れやかな気持ちになるわけでも、温かい気持ちになるわけでもない。どちらかといえば、かなり切ない。心を丸裸にされて、すり傷だらけにされる感じだ。恋の一番真ん中に気付くためには、とことん苦しまなければいけないのだ。
でもそこにたどり着ければ、自分自身の気持ちに正直になることは、悪いことじゃない、大切なことだということを思い出させてくれる。どんなに大変なことがあったとしても、やりなおせるという気持ちにさせてくれる。そして、今日を、明日をひたむきに生きようという気持ちにさせてくれるのだ。あの本は、こういう気持ちを、リアルに傷つくことなくして、自分の中にインストールしてくれる。
この本があれば、時々この本に帰ることができれば、当たり前になっていたこの穏やかな毎日をもっと大切にしたいと思うし、わずかな変化にも敏感になれる気がするのだ。

だからこそ、もしリアルに恋をしたいという気持ちを持っているのなら、どうかこの本は読まないで欲しい。誰かとの出会いを求めているのなら、今日を、明日をひたむきに生きようという気持ちを、この本で満たしてしまわないで欲しいのだ。それはやはりリアルに手に入れなければいけないものだと思う。いつになればうまくいくのだろうか、本当に自分にも恋ができるのだろうか、と心配になることもあるかもしれない。でも、もし本当にリアルな恋を望んでいるのならば、焦らずに、静かにアンテナを張りつつ、周りの人との関係を大切にして、その中にある特別な出会いにちゃんと気付いて、そしてそれを大切に育てていけば、穏やかで幸せな未来にすることができると思うのだ。
もし仮に、恋に破れたばかりとか、なかなかリアルな恋に踏み出す勇気がないのだとしたら、この本で気持ちを立て直すのも悪くない気もする。でもいつまでも頼ってばかりいないで、やがてちゃんと卒業して欲しい。
そして、穏やかで幸せな未来に落ち着いたところで、ちょっとまた心のスパイスが欲しくなったとしたら、この本を手に取るのも悪くないと思う。そうすることで、家族との関係を、もっともっと大事にしたいという気持ちになれるかもしれない。

 

紹介した本:辻村深月『太陽の坐る場所』

❏ライタープロフィール
相澤綾子(Ayako Aizawa)
1976年千葉県市原市生まれ。地方公務員。3児の母。
2017年8月に受講を開始した天狼院ライティングゼミをきっかけにライターを目指す。

 

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2018-10-22 | Posted in 週間READING LIFE vol.3

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