誰も認めてくれなくていい。いけないことだとわかっているけれど、やめられないことがあったっていいのだ。《週刊READING LIFE Vol.300 いけないことだとわかっているけれど》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/3/17/公開
記事:松本萌(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
いけないことだとわかっているけれど、やめられないことはいっぱいある。
ぎゅうぎゅうの満員列車から開放され、朝なのにくたびれた状態で会社に到着次第飲む缶コーヒー。ブラックを嗜まない私はミルク入りを飲むのだが、成分表を見てビックリ。コーヒーなのにまずは牛乳、砂糖と記載されていて、コーヒーの文字は後ろの方。朝から糖分の多量摂取確定だ。
金曜日の夜、一週間頑張った自分にお疲れさまの意味を込めて、21時を過ぎているにも関わらずホイップクリーム増量で楽しむスタバのカフェモカ。丸ビルの5階にあるスタバから眺める、ライトアップされたレンガ作りの東京駅は最高だ。
お風呂から上がってポカポカ状態で楽しむハーゲンダッツのクッキー&クリーム。常温で少し溶かしてから食べると最高に美味しいとわかりつつ、待ちきれなくてカチカチのアイスにスプーンを立てて食べる。カップに記載されたカロリーは見ないと決めている。
早く寝た方がよいとわかっているものの、自分の興味をそそる写真や動画が流れてきて止められない深夜のインスタ。本当によくわかっている。私が動物好きなのを察知して、これでもかと犬や猫、そして自然界でたくましく生きる動物たちの存在を教えてくれる。保護犬や保護猫が、今では人に愛されて過ごしている姿はホッコリするし、冬は北海道在住のアマチュアカメラマンたちが撮影するエゾモモンガの愛くるしい姿に癒やされている。
何時まで寝ていても許される週末の朝、YouTubeから流れてくる音楽を聴きながらまどろむ時間。インスタ同様私の好みを知り尽くしたYouTubeが、いつまでも聞いていられる音楽たちを勢揃いさせて、布団から出させてくれない。困ったものだ。
「いけないことだとわかっているけれど」なことって、止めなきゃいけないとわかっているのに、なかなか止められない、ちょっとした中毒性のあるものだ。意思の弱さに「ダメだなぁ、自分……」と思いつつ、止められない。そしてそんな話を家族や友人にすると「あー…… それよくわかる」と賛同してもらえるものばかりだ。そうなると「ダメだな」という思いが「なんだ、自分だけじゃないんだ。じゃあいいか! だってみんなもそうみたいだし」と、なぜだが肯定的な思いに変わる。
大概がそうなのだ。だが唯一、私の中の「いけないことだとわかっているけれど」リストで賛同を得られないものがある。姉からは「なんでそんなことをするの?」と非難され、友人からは「なるほどね!」と笑ってもらえるものの賛同を得られたことはない。
なにかというと、私の読書スタイルだ。
まず最初から読み始め、中盤頃に差し掛かると最後の章にとんで結末を読み、それから当初読み進めていたところまで戻って読み直すということをしている。
読書好きの姉からは作者への冒涜行為だと非難され、友人からは「そんな読み方をする人、初めて聞いた」と笑われる。
自分だってよくない読み方だとわかっているし、結末を知ってから読んでいたところまで戻って読んでも、流し読みになってしまい良くないということはわかっている。でも止められないのだ。
本好きの母のもと、幼いころはよく本を読んでもらった。母は私に色々な本を読み聞かせようとしてくれたが、私はお気に入りの本ができると、毎夜同じ本をリクエストしていた。父も週末は部屋に引きこもって読書をして過ごす人で、両親の影響からか姉も読書好きで、外出する際は電車で読むための本を鞄に忍ばせるタイプだ。私はというと、いつのころからか本を読まなくなった。本から学ぶより実体験から学ぶことの方が多いと考え、週末もほぼ家で過ごすことなく、出掛けてばかりの大人になった。
そんな私が本を読むようになったのは、東日本大震災がきっかけだ。震災直後の週末は家で過ごすことが多く、外に出掛けるのは散歩くらいになった。ある日、散歩がてら図書館に行くという姉に付いて行くことにした。姉が借りる本を探している間、本棚の間をウロウロしながら時間を潰すことにした。ふと目に止まった本があった。三浦しをんさんの「風が強く吹いている」だ。山口晃さんの装画にも惹かれ、借りることにした。
面白かった。
登場する10人の若者たちの心情に心が打たれた。メインの登場人物は2人だが、他の8人も魅力的なキャラクターだった。それぞれの思いや葛藤を抱えながら箱根駅伝を目指す10人全員に感情移入し、そしてあたかも自分も箱根路を走っているかのように感じさせる描写に引き込まれた。
それ以降読書が好きになった。
以前は「本を持って行くなんて、荷物が重くなるだけじゃん」と思っていたが、隙あらば読もうと、本を持って出掛けるようになった。ファンタジー、ミステリー、歴史小説、エッセイ、詩集、その時々気になる様々なジャンルの本を読んだ。
「現実ではそんなことは起こらないよ」とツッコミながら恋愛ものを読んだり、今の世界情勢では到底訪れることのできない国への旅行記を読んで思いを馳せたり、食通の書く料理の描写に舌鼓を打ちながら食のエッセイを楽しんだ。
そのうち、楽しかったはずの読書が徐々に苦しくなってきた。
読んでいると面白くて止まらないのだ。ミステリーやサスペンスでは犯人が誰なのか、どんなトリックを使われたのかが気になってしかたがない。恋愛ものでは果たしてハッピーエンドになるのか、それとも二人は別れてしまうのかと気が気でしかたがない。区切りのよいところで一旦止めよう、章が終わるところで読むのを止めようと思っても本を閉じることができず、気がついたら窓の外が白み始め、鳥のさえずりが聞こえる、というのを何度も繰り返すようになった。
次の日が休みならまだしも、仕事とわかっていても止められず、重たいまぶたを必死に持ち上げながら出社することもあった。
これでは読書が苦行になってしまう。
どうしたものかと考えて編み出したのが、「結末が気になりだしたら最終章まで飛んで確認し、それから読み進めていたところに戻って読む直す」という読書法だ。この読書法にしたら、夜更かしをして翌日が辛いということがなくなった。読んでいる途中で「この後どうなるんだろう!?」とソワソワすることなく、心を落ち着かせて本に向き合えるようになった。
自分としてはなかなか良い方法を編み出したと満足していたのだが、姉からは「結末に至るまでのドキドキワクワクが楽しいんじゃないの? 結果を知ってから読み直して、面白いの?」といぶかしがられ、友人からは「ユニークな発想だね。なかなか思いつかないよ」と笑われた。
中盤あたりでソワソワして最終章まで飛んで読むのは自分に合ったスタイルではあるものの、ただ単に堪え性がないだけじゃないかと、自分に呆れていた時もある。
読書だけに限らず、映画やドラマにおいても同じことをしてしまう。気になる映画を観て帰ってきた姉に「どんな内容だった? 結末は?」と聞き、「それで? それで?」と確認しようとすると「今聞いちゃったら観るとき楽しめなくなるけどいいの?」と言われる。
確かにそうだ。それでも私は聞きたくなってしまう。ソワソワしたままでいたくないのだ。
ソワソワやワクワクを楽しめない自分って、つまらない人間だなと思いながら長年過ごしていたのだが、最近になって考えが変わった。
「自己受容」という言葉を知ったことがきっかけだ。
自己受容とはありのままの自分を受け入れるということだ。得意なことや秀でているところは勿論、不得意なことや、友人や同僚が難なくこなせるのに自分にはできないことも全てひっくるめて「そんな自分でOK」と思うことだ。自分にまるっとOKを出せたら、「自分はなんて駄目な人間なんだろう」とか「こんなことができない自分は恥ずかしい」という思いがなくなる。他者や周囲と比較するから苦しいのだ。世の中にはたくさんの人がいて、それぞれ個性があり、違いがあるから面白いのだ。全員が隣の誰かさんのそっくりさんになってしまったら、画一的な世界になってしまう。
なんて味気ない世界だろう。
ドキドキワクワクすることもなく、事件もドラマも起こる余地のない中、生き甲斐もなく何十年も淡々と生きて死んでいく世界になってしまう。
できない自分ができる自分になったら、その過程はストーリーになり、一つのドラマになる。監督業や俳優業をしていなくたって、ドラマを作り出せてしまうのだ。
できない自分がいるからこそ、できる誰かさんに人生最大のスポットライトが当たるかもしれない。そう考えると、できないままでいることもある意味いい仕事をしていると言える。
「ストーリーのワクワクドキドキを楽しめない自分もOK」と思えるようになったら、なぜ自分が一時、本から離れてしまったのかを思い出すことができた。
子供の時、本を開いて読んでいるときは楽しくて楽しくてしかたがなかった。本の中で繰り広げられる冒険への高揚感、悪者を懲らしめる爽快感…… あたかも自分が主人公になった気分でストーリーに入り込んでいる中、エンディングまで来て余韻に浸りながら本を閉じた後「これは本の中のことなのだ」と認識した途端、スッと楽しさが消えて行くことが寂しくてしかたなかった。私の生活にはドラマも冒険もないのだと思うと、本を読むのが辛くなった。自分の容姿に自信が無く、引っ込み思案だった子供の頃の私は、自己受容できていなかったのだろう。
「そんなこともあったなぁ」と思い出したとき、幼い時の自分のコンプレックスを癒やすことができたたような気がした。
自己受容できるようになった今でも、「結末が気になりだしたら最終章まで飛んで確認し、それから読み進めていたところに戻って読む直す」読書法は変わらない。誰からも「その方法いいね」とは言われないけれど、全く気にならない。
なぜなら風変わりな方法で読書を楽しむ自分だってOKだからだ。
□ライターズプロフィール
松本萌(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
兵庫県生まれ。東京都在住。
2023年6月より天狼院書店のライティング講座を受講中。
「行きたいところに行く・会いたい人に会いに行く・食べたいものを食べる」がモットー。平日は会社勤めをし、休日は高校の頃から続けている弓道で息抜きをする日々。
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