すべてどんぶり勘定、すべてカン。けれど幸せを生むビジネスがありました《週刊READING LIFE Vol.301 良いビジネスとは》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/3/24/公開
記事:かたせひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
まさか。
私の思い過ごしだ。
絶対、そんなことない。
……でも。
さっきから変な胸騒ぎがする。
嫌な汗が出てくる。
私は小走りに急いで、今来た道を戻った。
良かった、まだいる。
業者の人達は、作業を続けていた。
「あ、あの!」
私は乱れた息を落ちつかせながら、一人の男性に声をかけた。
「お店をやめるって、ここのご主人、入院でもしたんですか?」
お願い。そうだと言ってください。
数秒経って、その男性は言った。
「亡くなったんだよ」
亡くなった?
ウソでしょ……。
その瞬間、何かで胸を突かれたような衝撃が走った。
言葉が出てこない。
嫌な予感が的中してしまった。
カズノリ兄が死んだ。
あのカズノリ兄が……。
どうして……。
カズノリ兄(カズノリアニ)は、通勤途中にある植木屋の主人だった。
私は彼の本名も何も知らない。
ただ、カズノリ兄は、私の幼馴染のカズノリに似ていた。
だから、勝手に彼のことを心の中で「カズノリ兄」と呼ぶようになった。
カズノリ兄は、見た感じ私の5歳くらい上だった。
長い髪を後ろに束ね、無精ひげを生やしていて、はっきり言うと清潔感のかけらもなかった。
店に出るならもう少し小綺麗な恰好をした方がいいよ……と思うような、良く言えばナチュラル、そのままに言えばだらしなかった。
いかにも、今起きてきました! というような、ヨレヨレのTシャツにスウェットとツッカケがカズノリ兄の定番だった。
そんなカズノリ兄の店らしく、店内にオシャレさは全くなかった。
自宅兼店舗という店構えで、古い民家の前にびっしりと商品の植木鉢が並べられていた。
それはまるですし詰めの満員電車のようだった。
ディスプレイもへったくれもない。
仕入れてきた順に並べましたよね? というのがわかるレイアウト。
種類別に並べているわけでもなく、季節商品を前面に押し出すでもない。
客に「もっと上手くやれるんじゃ……」と思わせてしまうような店だった。
しかし、そんな雑多な店構えのせいか、気軽に入れる気安さがあった。
オシャレ過ぎると、入るのに気後れしてしまう店もある。
そういう店とは対極にあった。
戦略ではなくてただの偶然と思うが。
そして、もっと気安いのは、価格だった。
ほとんど持ってけドロボー的な価格設定だった。
値付けの面でも「もっと上手くやれるんじゃ……」と思わずにはいられなかった。
とにかく何でも安くて、小さ目の鉢植えは1個100円だった。
安すぎるでしょ!
今時ジュースだって100円じゃ買えないっていうのに。
私はバラの鉢植えを買ったときにカズノリ兄に聞いてみた。(ちなみに280円だった)
「こんなに安く売っちゃっていいんですか?」
「え? 安いかな?」
ちょっと待ってよ。
安いことにも気づいていないの?
私は、近所のホームセンターや、お洒落を売りにしているフラワーショップでは、このサイズならこれくらいの金額で売られているんですよ!
滅茶苦茶安いです! とした。
カズノリ兄は「そっかー。だから儲からないんだな。まあ、食えなくなったら店閉めるよ。アハハ」と笑っていた。
お金儲けのことは全く考えていないようだった。
そして、私が植木の育て方を質問すると、口角泡を飛ばす勢いで、とても熱心に説明してくれた。
さっきの価格設定の話の時は、すごくあっさりした態度だったのに。
「わからないことや、バラの様子がおかしいと思ったら、いつでも聞きに来て」と、カズノリ兄は微笑んでいた。
そして、せっせと草花に肥料を足したり、剪定をしたりしながら、楽しそうに作業を続けていた。
この人は、お金よりずっと草花が好きなんだな。
商売として草花を売っているんじゃない。
草花を愛していて、好きだから売っている。
それだけなんだと思った。
お店には若い女子は一人も来なかったが、近所のおじさんおばさんが絶え間なく訪れていた。
商品を買うわけでもなく、ダラダラとカズノリ兄とおしゃべりをする人が大勢いた。
そんなお客を「お金にならないから」と適当にあしらうこともなく、カズノリ兄は楽しそうに話していた。
店は、近所の人達のちょっとしたサロンのようだった。
ときにはビールケースをひっくり返したにわか椅子を並べて、お客さんと宴会をしていた。
1ミリもオシャレじゃないけれど、ふらっと立ち寄りたくなる。
そんな雰囲気がある店だった。
ある時期、私は仕事が辛くてたまらなかった。
テレビから流れてくるKiroroの歌にポロリと涙があふれる……。
普段なら気にも留めないような優しいメロディーが、なぜか妙に心に染み入る。
ああ、私、相当弱ってるんだなぁと自覚した。
上司は仕事に対する要求レベルが高かった。
質も量もスピードも、とにかく「上」を求めてくる。
上司自身は優秀な人だったから、本人はたいした要求をしているつもりはないのかもしれない。
けれど、凡人の私は、それについていくだけで精一杯だった。
その日も、なんだかんだで気づいたら夜9時を回っていた。
そろそろ帰ろうと思っていたところ、まるで嫌がらせか? と思うようなタイミングで、上司が新たな仕事を振ってきた。
「い、いつまでですか?」と聞くと「なるはやで」という一番聞きたくない返事が返ってきた。
彼が言う「なるはや」は、イコール「今すぐ」だった……。
当時の私は「またまた~、御冗談を~」といなすテクニックもなければ、「今日は閉店です!」ときっぱり断る勇気もなかった。
結局、言われるがまま、すぐ仕事に取り掛かった。
なるはやで仕事を終え、精も根も尽き果てて、抜け殻のように帰り道をとぼとぼ歩いた。
しばらく歩くと、カズノリ兄の店に灯りがついているのに気づいた。
すでに22時を回っていた。
店の前で、私に気づいたカズノリ兄が「あれ? こんな時間まで仕事?」と声をかけてきた。
「はい、モタモタしていたらこんな時間になっちゃって」
答えながら、カズノリ兄を見ると、彼は水道のホースを片手にジョウロや鉢を洗っていた。
3月の夜に、さぞかし水仕事は手が冷たいことだろう。
「こんな時間まで大変ですね」
私がそう言うと、「貧乏暇なしだよ」と、鼻歌を歌いながらカズノリ兄は作業を続けていた。
「私もですよ。一緒ですね」
そんな他愛もないやり取りに、気持ちがふっと軽くなった。
ねぇ、カズノリ兄、私に切り花活性剤でも注入した?
それもプロ仕様の即効性タイプを。
さっきまで萎れていた気持ちが、じわじわと元気を取り戻し始めた。
真っ暗に沈んで見えていた夜空も、またたく星が自分を応援してくれているように見えてくる。
私は「こんなことでへこたれるもんか―! ファイトー、いっぱーつ!」と、夜空に向かって叫び……たくなったけど、人目があるので踏みとどまった。
そしてファイト一発の栄養ドリンクをコンビニで買って、明日から頑張ろう! と、家路についた。(単純ってステキ)
仕事の行き帰りにカズノリ兄の姿を見ると、なんだかホッとした。
朝の通勤時、まだ早い時間から植木に水をやったり、倉庫と店を行ったり来たりしながらせわしなく動き回っているカズノリ兄。
帰り道、自転車の荷台に大きな植木鉢を積んで、ふらふらしながら運んでいるカズノリ兄。
彼が頑張っている姿を見ると、自分も頑張ろう、誠実に生きようと思えた。
カズノリ兄は、私のいわば同志だった。
いつもこの店にカズノリ兄はいて、私は朝晩その店の前を通って、ときおりカズノリ兄の姿を見かける。
そんな毎日がしばらく続くと思っていた。
いや、思うことさえなかった。
あまりにも当たり前の日常だったから。
それなのに。
数日前、仕事帰りにカズノリ兄の店の前を通ると、いつもと様子が違っていた。
業者らしき人達が、植木鉢を片づけていた。
あれ? カズノリ兄は?
なんで片づけているの?
私は業者の人達に思い切って声をかけてみた。
「あのー、植木なんで片づけているんですか?」
「この店、閉店したんですよ」
え! ついこの間まで営業していたのに?
こんな急に?
なんで?
でも、業者の人が事情を知るはずもない。
私はお礼を述べて、その場を立ち去った。
そうか、お店閉めるんだ。残念だな……。
そう思いながら歩いていて、急に胸騒ぎを覚えた。
歩みを進めるほどに、その胸騒ぎが大きくなっていく。
打ち消しても、打ち消しても胸が嫌な騒ぎ方をする。
私は居ても立っても居られなくなり、カズノリ兄の店まで戻ることにした。
お願い、私の思い過ごしであって、と祈りながら。
再び現れた私を見て、業者の人は怪訝な表情を見せた。
そして。
私が一番望まなかった現実がそこにはあった。
カズノリ兄は亡くなっていた。
一人で暮らしていたこの家でひっそりと。
カズノリ兄、なんで?
そういえば、この間見かけたとき、少し痩せたように見えた。
具合が悪かったら医者に行けば良かったのに。
年は知らないけど、私とそう変わらないよね?
まだ50代だよね?
死ぬような年じゃないじゃん……。
早すぎるよ……。
私は、カズノリ兄が死んだ事実を信じられない思いで、店を眺めた。
今にもカズノリ兄が、裏の倉庫から植木をエッチラオッチラ運んで来そうな気がしてならない。
いつも通りのボサボサ頭に、ヨレヨレのTシャツとスウェット姿で。
でも、彼はもうここにいない。
私は彼のことを何も知らないし、カズノリ兄も私のことは何も知らない。
たまに顔を合わせたときに挨拶するか、二言三言言葉を交わすだけだ。
でも、カズノリ兄の店に行けば、必ずカズノリ兄がそこにいる。
いつもの店に行けば、いつものあの人がいる。
特別に親しいわけでもない、ただの顔見知り。
そんな曖昧な関係性の中にも安らぎが存在し、それがどれほど尊いものだったのかを初めて知った。
同時に、カズノリ兄の存在が、私が思う以上に、私に元気や励ましを与えていてくれたことに気づいた。
カズノリ兄は決してビジネスは上手ではなかったと思う。
むしろ下手だ。(ごめん、カズノリ兄)
ビジネス書に書いてあるようなビジネスモデルなんてないし、バランスシートとか損益分岐点、前年度比なんて、きっと頭の片隅にもなかっただろう。
KPI? なにそれ? 食べられるの?
MP? MVPのこと? そんなところだろう。
私だって似たようなものだもの。
すべてどんぶり勘定、すべてカン。
ビジネスモデルとしては決して洗練されていないけれど、人と人とのつながりを大切にしたカズノリ兄のビジネスは長く人々の心に残るだろう。
単なる利益の追求ではなく、人々の心に残ることがどれほど価値のあることか。
それって、誰にでもできることじゃないし、やろうとしてもできるものじゃない。
そんな記憶に残るビジネスを成し遂げたカズノリ兄を思うと、私は悲しみの中に温かさが込み上げてくるのだった。
カズノリ兄、ありがとう。
私はあなたのビジネスが好きだったよ。
無骨で全く洗練されていなくてスマートでもなくて非効率だったけど、良いビジネスだった。
あなたの暖かさは、皆を幸せにした。
みんなの心に肥料と水を与えてくれた。
あなたに関わったお客さんはきっと私と同じようにあなたのことを記憶に残していくと思うよ。
あなたが愛情を注いで育て、タダ同然で売った草木は、今頃誰かの庭で根を張り、花を咲かせているかもしれない。
それを見て、ときにはあなたを思い出すよ。
今までありがとう。
どうか天国で、大好きな木や草花に囲まれて、笑って過ごせますように。
合掌。
あ、私と同じように手を合わせている人がいる。
カズノリ兄を記憶に残したい人は、他にもたくさんいるみたいだよ。
□ライターズプロフィール
かたせ ひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
2024年6月よりライターズゼミに参加。
ありふれた半径3メートルの日常を書けたらいいな、と日々精進中。
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