週刊READING LIFE vol.307

メンドクサイ人ほど、言語化の技を磨いていこう《週刊READING LIFE Vol.307 そんなつもりじゃなかったのに。》

thumbnail


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/5/5/公開
記事:かたせひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
そんなつもりじゃなかったのに……。
なんじゃこりゃあ!
いかん、いかん、つい『太陽にほえろ』のジーパン刑事、松田優作になってしまった。
 
でも、なってしまうのも仕方ない。
なんなんだ、この量は?
今日はパーティーでもあるんですか?
いや、なにもないですよね?
 
私は、大皿に盛りつけられた刺身を見て、言葉を失っていた。
四人前? いや五人前はありそうだ。
 
うちは、二人家族だ。
今夜、お客さんが来る予定もない。
この量、いったい誰が食べるのよ……。
 
 
 
この大皿を目にする数時間前、出かけていた夫から電話が入った。
「今日の晩御飯って決まってる?」
私がノープランだと答えると、夫はこう提案してきた。
「だったら、今夜は刺身にしない? いつもの魚屋さんで買ってくよ」
 
刺身は、私の強い味方だ。
皿に移して出すだけ。
なんてシンプル。
世界で一番簡単な料理だ。(料理とは言えないかもしれないけれど)
夫の提案を断る理由なんてあるはずもなく、私は迷うことなく「お願い!」と、頼んだ。
 
そうして夫が買ってきたのが、この大皿に入った刺身の盛り合わせだった。
サーモン、マグロ、中トロ、鯛、ハマチ、ホタテなど、様々な刺身が鎮座していた。
そしてどれも量が多い。
 
うん、お刺身、頼んだよ。
確かに頼みました。
でも、こんなに大量に買ってきてとは頼んでいない!
これ五人前はあるよ? なんでよ?
 
二人家族なんだから、言わなくてもそれくらいは察してほしい。
長年夫婦をやっているんだもの、一から十まで言わなくてもわかるよね?
 
それなのに、ああそれなのに。
今夜は、刺身祭りでもやるつもりですか?
 
「うちは二人家族だから、二人分のお刺身にしてね。
他のおかずもあるから、そんなにたくさんじゃなくていいよ。
そうね、出来れば千円くらいで」
そこまでいちいち言わないとダメですか?
 
私の複雑な表情に夫は全く気づく様子もなく、無邪気だった。
「ほらー! 美味そうでしょー?
妻の好きなホタテも入れてもらったよ!
この中トロ、絶対美味いよ」
 
確かに美味しそうだ。
グルメじゃない私でもあの魚屋の刺身は、スーパーで売られているものとは別格だとわかる。
あそこの刺身を食べたら、もうスーパーの刺身は食べられない。
しかも、スーパーより安い。
 
ただ、この量はいただけない……。
 
夫はきっと、私が「美味しそう!  わーい!」と喜ぶのを期待していたのだと思う。
それくらいつきあってあげればいいものを……私の器は、とっても小さい。
女優になって夫の望むリアクションをすれば、家庭内の平和が保たれるとわかってる。
でも、やっぱりウソがつけない。
 
「う、うん……」と、期待したリアクションとは程遠い私の返事に、夫の表情が曇った。
「どうした? ウニも入れれば良かった?」と夫。
そうね、ウニもいいよね……って、ちがーーう! そこじゃないって!
 
私は正直に「ちょっと多すぎない?  二人じゃ食べきれないよ」と言った。
その瞬間、夫のテンションはストンと落ちた。
不満げな顔で、「なんだよー。せっかく買ってきたのにさ……。
嫌なら、残せばいいだろ」と言って、部屋を出ていってしまった。
 
あーあー。
またこの展開だ。
本当は、美味しい刺身をつまみながら、二人で楽しくおしゃべりするはずだった。
週末の夜を、お酒でも飲みながら、和やかに過ごすつもりだった。
 
それなのに、こうして余計な衝突を生んでいる。
こんな不穏な空気を作るつもりはなかった。
お互い、良かれと思って動いているのに、どうしてこうすれ違いが生まれるのか。
 
それはきっと、「言わなくてもわかるはず」という甘えが原因なのだ。
きちんと言葉にして伝えないから、こういうすれ違いが起きるのだ。
 
たとえば今回の刺身事件(と名付けよう)では、そもそもお互いがイメージする「刺身」にズレがあった。
私は、サーモン+αで二人前、千円ちょっとくらいをイメージしていた。
一方、夫は、サーモンはもちろんのこと、その他盛りだくさんのパーティレベルをイメージしていて、多少高くてもいいと考えていた。
 
かろうじて一致したのは「サーモン」だけで、あとはものの見事にズレている。
お互いが自分のイメージを言語化して相手に伝えなかったせいだ。
 
私が「お刺身お願い」と言ったときに、「二人分でいいよ」「千円くらいでね」「ネタは〇〇がいいな」と、たった三十秒ほどの情報を足していたら、違った結果になっていたはずだ。
 
でも、その時は「言わなくてもわかるだろう」と思っていたし、私の意を察して、うまくやってくれるだろうと期待していた。
 
だけど、相手はエスパーじゃない。
いくら長年連れ添った夫婦といえども、私の頭の中を夫が完全にわかるなんて無理だ。
 
夫は夫で、私に「喜んでほしい」「たくさん食べて欲しい(食べ盛りの子供ではないんだが)」と思っていた。
その思いを言葉ではなく、刺身の種類と量で表現したに過ぎない。
 
さらに、後から聞いた話では、夫は個人商店の魚屋さんを応援する意味も込めて、多めに買ったということが分かった。
最初にそのことも話してくれていたら、私の印象も違っていただろう。
あの時は何も知らなかったから、夫をただの食いしん坊野郎にしか思えなかった……。
 
だから、これはお互いさまなんだ。
自分の思いを相手は理解してくれるという期待を捨て、きちんと言語化して相手に伝える。そうすれば、この手のすれ違いはだいぶ減らせるだろう。
 
私はふと、「言語化スキルが高いと人間関係が良くなる」という話を思い出した。
人間は、主に言葉でコミュニケーションを図る。
伝える内容がずれていたり、伝えるべき情報が洩れていたりすると、誤解を招きかねない。
結果として、お互い不快な思いをしたり、無駄なトラブルが増えたりする。
言語力スキルが高まれば、コミュニケーションの行き違いが減り、より良い人間関係を作りやすくなる、という話だった。
 
言語化スキルが人間関係に影響するなんて、思いもしなかった。
これまでは、言語化スキルは主に仕事で活かされるものだと思っていた。
上司や同僚へ適切な報・連・相ができるようになる。
プレゼンが上手にできる。
効果的な交渉や営業ができるようになる。
 
他には、ブログやSNSで自分の意見を発信する力を高めることができるとか、知人へのメールをスラスラ書けるようになるとか。
人間関係とは別物だと考えていた。
 
しかし、言語化スキルが人間関係に影響するというのも、今回の刺身事件を思えば納得できる。
刺身事件に限らず、言語化しないことで、私たち夫婦は色々な場面で行き違いを生んできたのだろう。
 
言葉は、一見的確なようで、案外曖昧だ。
「寂しい」と言っても、人によって捉え方は千差万別だ。
孤独でたまらなくて一人取り残されたような寂しさもあれば、祭りの後のような切ない寂しさもある。
私が思う「寂しい」と、夫が思う「寂しい」が完全に一致することはまずないだろう。
でも、言葉を尽くすことで、より近づけることは可能だ。
だから、言語化して伝え合うことが大切なのだ。
 
とはいえ、自分の考えていることを言語化するのは、そう簡単なことではない。
頭の中で思い描いたことを、上手く言葉で表現できないことはしょっちゅうだ。
 
本当に伝えたかったことが伝わらず、別の部分が強調されて伝わってしまうこともよくある。
あれー? 私が本当に伝えたかったのはこっちなんだけどな……ということは数知れない。
 
特に、口頭で伝えるのは文章より難しい。
文章なら言葉を選ぶ時間的余裕もあり、一度言語化したものを見直すこともできる。
しかし、口頭では文章を書くときほどゆっくり考える時間はなく、瞬時に考えを言語化しなければならない。
文章以上に瞬発力が求められる。
 
 
 
先日、エレベーターで高齢の女性二人組と一緒になった。
会話が耳に入ってくる。
「アレがアレなもんだからさー、私も困ってんのよ」
「ってことはアレかしら?」
 
アレアレ詐欺?(詐欺じゃないだろうが)
お互い話は通じているのだろうか……。
長年のつきあいで、「アレ」だけでわかり合える仲なのかもしれない。
そして、高齢で言葉が出て来ないというのもあるのだろう。
 
頭の中でイメージは出来ている。
でも、うまく言語化出来ない。
自分の考えと言葉がうまくつながらないもどかしさ。
だから、咄嗟に「アレ」に置き替えてしまうのだと思う。
 
私も彼女たちと同様に、瞬時に適切な言葉が出てこないことは、いくらでもある。
「うまく言えないんだけど」という枕言葉を何度使ってきたことか。
 
「打てば響く」「ツーと言えばカー」が理想だが、現実は、打たれても響かず、「ツー」と言われても「カー」どころか「はぁ?」と聞き返すのがやっとなのだ。
頭に描いたイメージや自分の思いを的確に言語化してくれるアプリが、早く登場してほしいものだ。
それまでは、自分で言語化のスキルを磨いていくしかない。
 
私は今、ライティングを学んでいる。
言語化スキルを鍛えるつもりで始めたわけではない。
けれど書くことを続けるうちに、「あ、これって言語化の練習になってるんだな」と気づいた。
 
文章を書くというのは、頭に浮かんだイメージを文字に起こす作業だ。
どうすれば、そのイメージを損なわずに読み手にそのまま伝えられるか。
いつもそれを考えながら書いている。
 
頭の中にあるものをうまく文章にできず、もがくことがしばしばある。
でも、その「もがき」こそが、文章力だけでなく言語化スキルの向上に役立つのかもしれない。
 
自分の中では「アレがアレで」でわかることも、他人にはまったく伝わらない。
だからこそ、アレが何で、アレがどうしたのかを、他人に伝わるような文章にしようと、試行錯誤する。
そうやって繰り返し言葉を探していくうちに、少しずつ適切な表現を見つけられるようになっていく。
その積み重ねが、文章だけでなく、会話のやり取りにおいても、誤解や行き違いを防ぎ、より良いコミュニケーションへとつながっていくのだろう。
 
「刺身買ってきて」だけでは誤解が生まれるのも当然だと、今ならわかる。
私の中のイメージを、ちっとも言葉にしていなかった。
何人前なのか、ネタは何がいいか、金額はいくらくらいか。
 
これくらいの言語化であれば、そう難しいことではない。
相手を説得するとか、自分の感情の深い部分をわかってもらうといった、自分でもうまく言葉にできないような複雑な思いを伝えるのとは違う。
今回必要だったのは、単純にお互いの意見のすり合わせだった。
それさえも面倒くさがって怠っていたから、「刺身事件」が起きてしまったのだ。
 
言語化って大事だ。
これからは、ちゃんと言語化して伝える努力をしていこう。
夫、刺身事件のときは、ごめんね。
 
と、心の中でつぶやいたところで、夫が帰ってきた。
「ただいまー」
ん? 手にピンクのバラを持っている。
 
「はい、これ、プレゼント! ピンク好きでしょ? 花屋の前で見かけたから買ってきたんだー」
あ、ありがとう……。
買ってきてくれた気持ちは、とっても嬉しいし、ありがたい。
 
ただ……。
私の好きなのは、こういうピンクじゃないんだよね。
 
夫に伝えると、「はぁ? こういうピンクって、どういうピンクだよ? ピンクはみんなピンクじゃないの? めんどくせーなぁ」
 
はい、ごもっともです。
おっしゃる通りです。
世界中の誰が見てもこれはピンクです。
 
ただ、ちょっと違うんだよ。私が好きなピンクは。
ピンク界の重鎮、林家パー子師匠なら、このメンドクサさをわかってくれるだろう。
しかし、ピンクに造詣が深くない夫にわかるはずもない。(深い人なんて滅多にいないだろうが)
どういう色合いのピンクが好きかを言語化して伝えていなかった私のミスだ。
 
私は強く強――く思った。
私のようなメンドクサくて誤解を招きやすい人間ほど、相手にわかってもらうために、言語化の手間を惜しんではいけないと。
 
言語化の旅は続く!
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
かたせ ひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
2024年6月よりライターズゼミに参加。
ありふれた半径3メートルの日常を書けたらいいな、と日々精進中。

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院カフェSHIBUYA

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸二丁目18-17
ENOTOKI 2F
TEL:04-6652-7387
営業時間:平日10:00~18:00(LO17:30)/土日祝10:00~19:00(LO18:30)


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00



2025-04-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.307

関連記事