週刊READING LIFE vol.308

母が笑った、最後の朝《週刊READING LIFE Vol.308 夜明け》

*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/5/12/公開
記事:パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
七月の半ば、見上げればパキッとした青空が目に眩しい。
これでもかと言わんばかりの、明るい太陽が私を余計に絶望させる。
 
母が死んだ。
 
なのに、目の前には信じられない風景が広がっていた。
ターミナル駅に隣接するバスセンターには、次々と大型のバスが飲み込まれていく。駅前の広い歩道にはコーヒーを片手に颯爽と歩くビジネスマンや、コロコロと笑い転げながら目の前を過ぎ去る花のような女の子たち。混み合う車たちは、スピードを落としながらもそれぞれがどこか確実な目的地に向かって走り去っていった。
 
私の人生を揺るがすほどの出来事があったというのに、世界は何も変わっていない。
そこにいる全員がいつもの朝を迎えて、いつも通りの日常を運んでいた。
本当のことはわからない、でも、私にはそう見えた。
 
朝方4時頃、家族に見守られながら、母は静かに息を引き取った。
看取りという残酷な作業は、手を震わせ、動悸と吐き気が一気に襲ってきたが、覚悟のうえ臨んだこともあり、家族の誰もが取り乱すことはなかった。
闘病という辛い時間からはもう解放されるのだという安堵が大きかったのかもしれない。
 
完全に夜が明けてから、葬式に参列する父方の伯母を迎えにきた私は、ひとり駅のベンチに腰かけていた。目の前を行き交う大量の人や車、喧騒のなかにいるはずの私の頭には静寂が広がっていた。
 
本当に母は死んだの?
もう会えないの? これからずっと? なんだかちっとも信じられないや。
看取りで寝てない体と心をフワフワさせながら、そんな事を思った。
 
そして、母が亡くなる前に見た病院での忘れられないワンシーンを思い出していた。
 
母が入院していた病棟は産婦人科で、大きな総合病院だったため、母のように治療で入院する人もいれば、赤ちゃんを産むために妊婦さんが入院してくることもあった。
 
強い痛みを軽減させるため、モルヒネを使用して眠ることが増えた母だったが、目が覚めて気分がよい時は車いすに乗って院内を散歩したいと言うこともあった。でも、それは、とても珍しいことだった。気分がよい日というものがほとんど存在しなくなってきていたからだ。
 
起きていても薬の副作用の関係でボーっとしてしまい、会話もままならなくなってきた母が、ある朝言った。
「車いすにのせて」
 
到底自力で歩くことが出来なくなっていた母は、私と姉に抱えられるようにして車いすに腰をおろした。散歩といっても屋上などに出るわけではなく、底が尽きそうな体力で行ける範囲にとどまった。つまり、入院している個室があるフロアをグルっと一周するだけだ。
 
体に痛みが走らないように、とにかくゆっくり、壊れ物を運ぶような気持ちで車いすを押す。
「あらぁ、お散歩? いいですねぇ」
フロアの看護師さんが母を見つけて声をかけてくれる。だが、母の反応は薄い。
たくさんの病室の前をゆっくり踏みしめるように通り過ぎ、もう食べることも出来なくなった母に唯一私たちがしてあげられるこの散歩というものを噛みしめた。
 
そんな時だった。
不意に、なりふり構わず激しく泣く声が聞こえた。赤ちゃんだった。
白いおくるみに包まれたホヤホヤの赤ちゃんが看護師に抱かれて、廊下をすれ違う。
どうやら生まれたばかりらしい。
 
「お母さん! 赤ちゃんやねぇ! 可愛いねぇ!」
思わず大きい声で話し掛けた私に、母はハッとした表情で応えた。
「……あかちゃん」
声はか細く、もうほとんど発声することも難しくなってきていたが、この瞬間、母は確かに「あかちゃん」と言って微かに笑みを浮かべた。
 
とても不思議な気分だった。
もうすぐ終わりを迎える命と、今まさに輝き始めた命。その二つが同じ場所で交差している。
死期が近いことをきっと理解していたであろう母へ、突然降り注いだギフトのようだった。
直接ではないにしても、受け継がれる命がここにあると知ることは少なからず希望になった。
この出来事を忘れたくない。私はそう思った。
 
「お待たせしたね、お迎えありがとう」
思いを巡らせていると、遠方から電車を乗り継いできた伯母が立っていた。
「大変やったね……」
気遣ってくれる伯母に私は何と返していいのかわからず
「あ、うん、まあね」と言って中途半端に笑った。
こんな時みんな何て言うのだろう、当時27才の私にはわからなかった。
 
 
 
 
 
同じ病棟、同じ時間に、終わりゆく命と始まった命が交差したあの日から数年が経ち、今度は私がその「はじまり」を担うことになった。
初めての出産だ。
 
もちろん、母の死を短期間ですんなり受け入れられたわけではなく、さめざめと泣いたり、嗚咽したり、とにかく私のなかの悲しい成分を全て吐き出さなければ話は始まらなかった。
 
50代の若さで亡くなった母のことを気遣って、優しい言葉をかけてくれる人たちはたくさんいたが、自分の言葉で母のことについて話すのはきついことだった。もう大丈夫だと思っていても、話をしようとするとなぜか心臓のあたりがブルブル震えたりして、体がいうことを聞かない。身近な人の死を受け入れるのには、時間がかかる。
 
そうしながらも、同じ境遇の姉と慰め合ったり励まし合ったり、時に旅行に出かけ外の空気を吸ったり、静かに母との記憶を思い出したりしながら、時が来るのを待った。
 
7年の年月が大丈夫にしてくれた頃、私は念願の母になった。
 
自分のお腹にちいさな命が宿ってどんどん膨らむ様子は尊く感じたし、まるで私の体が分裂するみたいに赤ん坊がこの世に誕生するのかと思うと、生命って面白いなあと思っていた。
そう、生まれるまでは!
 
ギャン泣きの連続で全然眠らない赤ちゃんをみて、内心こう叫んだ。
朝も夜もあったもんじゃねーーーーーーーー!!
 
生命って面白いなどと語り、感受性を爆発させていた詩人気取りの妊婦を待っていたのは、過酷過ぎる現実だった。五感が鋭すぎた長男は、少しの物音、風、温度、湿度、とにかく色々な事を不快に感じるようで、笑ったり黙ってポヤンとしている時間がほぼ無かった。
 
また、私のおっぱいの調子が軌道に乗らず、張りすぎて痛いし、赤ちゃんは飲めないしで苦労の連続だった。スレンダーということくらいしか自慢できない微乳、すなわちペチャパイだった私のおっぱいはまさかのドッジボール級にパンッパンに腫れあがった。
 
「おい! そのポテンシャルがあるならどうにかなるだろ!」と発破をかけてはみたものの、スムーズな授乳に到達するまでに相当な時間を要してしまい、心身ともにヘロヘロになった。
 
寝ないで泣き叫ぶ赤ちゃん、うまくいかない授乳、全然取れない睡眠……たったのカード三枚で、産後に落ち込むと言われているメンタルを崩壊させるには十分だった。
 
ある時は、やっと腕のなかで静かに眠った赤ちゃんを見ながら、意味もなく涙がツーっと流れたことがあった。きっと、ギリギリのところだったのだと思う。
きちんとお別れできたと思っていた母の事が急に悔やまれて「なんでこんなに大変な時にいないの!? なんで死んじゃったんだよー!! バカ―!!!!!」と叫びたい日もあった。
 
ある夜、泣き疲れてそのまま眠ってしまった子供を抱いたまま、ベッドで寝落ちしかけた。
お願い、どうか、このまま静かな夜が続きますように……。
私は祈った。あの頃、朝が始まるのが怖かったのだ。
また同じ一日を繰り返さなければいけないのかと思うと気分が塞いだ。
 
それでも、遠方の姉に話を聞いてもらったり、夫に育児を手伝ってもらったり、義理の母にお世話になったりしながら、どうにかこうにか日々を耐えた。
 
こんな一日をただ繰り返すことに何の意味があるんだろう。
まったくもって育児に前向きになれない時間が続いていたが、それでも少しずつ変化は生じた。
 
まず授乳が軌道に乗り始め、親子ともども快適なおっぱいライフがやってきた。
必要な育児グッズを後から後から買いそろえて少しでも楽になれるよう工夫したり、息子も眠るのがちょっぴり上手になったりした。
 
右も左もわからなかった育児の、右がほんの少し見えた瞬間だった。
息子はもうじき1歳になろうとしていた。
ずっと暗闇のトンネルにいた私は、ようやく出口の光を感じた。夜が明けて、苦手と思っていた朝の光を受け入れる準備が出来たのかもしれなかった。
 
さらにその3年後、次男が生まれた時、それはそれはもう楽勝だった。
長男のときに苦労した経験や、産後の自分の体質がわかっていたので事前に準備がたくさんできたことも大きかった。
 
すぐに軌道に乗ったおっぱいライフのおかげで、二人でお布団にゴロゴロしたまま、起き上がりもせず、泣けば泣くだけ授乳した。
沐浴も慣れたもので鼻歌まじりでお茶の子さいさいといった感じだった。
経験は未来の自分に渡せる教科書なのだと、心底幸せな気持ちで育児をした。
これも苦労させてくれた長男のおかげなのだと思うと、長男がより可愛く思えた。
きっと、急にこの明るい場所に産み落とされて彼も不安だったのかもしれないな。
 
もう朝が来るのは怖くなくなった。
長男と次男がたくさんの経験をさせてくれたからだ。
 
お母さん。
今の私、どうかな? ちゃんと母親やれているかな?
 
うん、わかってる。
いつもいつもはっきりした夜明けばかりじゃないんだってこと。
どんよりした夜も、ロマンチックな夜も、嘘みたいに体が重い朝も、気分爽快な朝も。
全部の夜と朝がごちゃ混ぜになって、それでもずっと生活はつづいていくんだよね。
 
だからすべてを受け入れてみようかと踏ん張ったり、我慢できないで泣いたり、でもたまに差し込む朝の光に希望を見いだしたりしてさ。
 
完全には諦めないで、そうやって人生をすすめていこうと思うよ。
それが多分お母さんに教わったことだからね。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
鬼瓦のような顔で男児二人を育て、てんやわんやの日々を送る主婦。ライティングゼミ生時代にメディアグランプリ総合優勝3回。テーマを与えられてもなお、筆力をあげられるよう精進していきます! 押忍!

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2025-05-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.308

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