週刊READING LIFE vol.308

狐がくれた夜明け― ダメ浪人生が見つけた、ほんとの目標《週刊READING LIFE Vol.308 夜明け》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/5/12/公開
記事:マダム・ジュバン(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
(この記事はフィクションです)
 
「じいちゃん、おはよう」
「おうタケシ、今日は朝練か?」
リビングでじいちゃんが食事を終え新聞を広げていた。
オレは浪人1年目。
じいちゃんは去年の秋、軽度の認知症と診断された。きっとオレがまだ高校生だと思い込んでいる。
「いや、じいちゃんオレはね……」
言いかけてやめた。じいちゃんはオレが高校の陸上部で走っていたあの姿が一番誇らしいって、よく言ってたもの。さすが、俺の孫だって。
オレはいつもと同じように顔を洗い、出された朝メシを食い、予備校へ行く支度をした。
つまらない。
まったくもってつまらない。
家が代々医者だとか、イケメンで女の子にめちゃくちゃモテるとか、そんな男だったら人生楽しいんだろうけど、オレはごく普通のサラリーマン家庭に生まれて育った、どう見ても十人並みの男だ。
いちおう予備校には通っているけど偏差値はどう頑張ったって50止まり。
このまま勉強を続けても第一志望の東都大学に入れる見通しは暗い。
頭の良し悪しで人生が決まることは薄々わかっていたけれど、いまになって思う。
なんで小学生のうちから真面目に勉強してこなかったのか。
いや勉強癖をつけてこなかったのか。
オレについた癖といえば、怠け癖、サボり癖、居眠り癖、頑固な寝癖……。
自慢できるものなど何ひとつない。
予備校へ行ったところでタカが知れているんだ、オレの場合。
 
坂本健(タケシ)18歳。
東都大学を目指して目下浪人1年目。
中肉中背。ニキビが目立つ顔はまだどこかあどけない。
女性との交際経験なし。
高校時代は陸上部に所属するがとくに目立った活躍はしていない。
 
オレは予備校帰りいつも立ち寄る場所がある。
白狐(びゃっこ)神社だ。
と言っても小さなさびれた神社なんだけど、ほらいわゆる「神頼み」ってやつ。
「東都大に受かりますように」そう毎日祈っている。
今日もオレはいつもと同じように5円玉を賽銭箱に入れ、ガランガランと鈴を鳴らした。
「ケチ」
どこかで声が聞こえた気がする。気のせいか。
「ドケチ。今どき5円かい。あきれたねえ」
今度ははっきり聞こえた。オレの頭の上から聞こえたのは若い女の声だった。
「5円で合格祈願されたって神様が聞いてくれるわけないだろ? まったく図々しい」
今度ははっきり後ろから聞こえた。
「き、君は……」
そこにいたのはオレと同じ歳くらいの小柄な女の子だった。
長い黒髪をこれでもかというほど高くポニーテールに結い上げているせいか、一重の大きな目はつり上がっている。ツンと上を向いた鼻に小さな唇。
白いジャージ上下に薄く真っ赤なパーカーを羽織っている。
「君は誰?」
「私? 私は山本こよみ。この神社に住んでるんだ。アンタのこと前から気になっていたんだけど……」
(おいおい、オレにコクる気か? ま、可愛いからいいけど……)
「アンタね、いつも東都大に受かりますようにって言ってるけど、ちゃんと勉強してんの? 毎日こんな所に来る暇があったら、英単語のひとつでも覚えなさいよ!」
「……」
あまりの迫力にオレは言葉を失った。
「いい? 私は塾講師のバイトもしているから言うけどね、これだけはやっときなさいよ」
「はあ……」
こよみは肩に背負っていたリュックから、2冊の英語と数学の問題集を出した。
「これ、やっときゃ間違いないから。いい? 死ぬ気で仕上げるんだよ!!」
「でもオレ予備校の宿題も……」
「ツベコベ言わない!」
 
まったくなんて女だ。ちょっと可愛いからって。
でもモノは試しだ。やってみるか。
不思議とオレの中でめったに入らない「やる気スイッチ」が入り、ゲームもせずに問題集2冊をやり終えることができた。
予備校での模試の日。
2冊の問題集を3日で仕上げた達成感がオレに自信をくれたのか、いつもよりスラスラと問題が解けるのが不思議だった。
結果。模試の成績は全体で30点もアップし、東都大の合格可能性が初めてE判定からB判定になった。
 
オレは彼女にお礼が言いたくてまたあの神社に行ってみた。
まるでオレの来るのを待ち構えていたように、こよみは石の狐にもたれかかって立っていた。
また同じ白のジャージに赤のパーカー姿だ。
「この前はありがとう! オレ、初めてB判定になったよ」
オレは模試の結果が書かれた紙を見せた。
彼女はそれに一瞥もせず言った。
「ほらね、本気出せばできるじゃないの。この『よく出る』シリーズは絶対にやっておいて損はないから、続けることね。
ところでね、アンタは大学に受かるだけで満足なの? なりたいものはないの?」
「いや大学入ってから、じっくり自分が何に向いてるか考えようと……」
「ばっかじゃないの?」
「え?」
「順番が違うでしょ。まず自分のなりたいものを決めて、それに合った大学に行かないと。
せっかく親に出してもらった授業料が無駄になるよ」
「はあ……」
B判定になったことを一緒に喜んでくれるかと思ったのは甘かった。
なりたいものか……。
小さな頃はプロ野球選手とか憧れていたけれど、実際自分が就く職業のことを真剣に考えたことがなかった。
 
オレはふと、ウチのじいちゃんのことを思った。
この前デイケアに付き添って行った時のことだ。
「はい坂本さん、こっち並んで並んで! みんなと一緒に歌おうね」
介護士の女性が大きな声でまるで幼児に話しかけるように、じいちゃんに声をかけた。
「そんな大きな声を出さんでも聞こえとるわ。幼稚園じゃあるまいし一緒に歌なんて歌えるか!」
じいちゃんはいきり立っていた。
「まあまあ元気がいいこと」介護士は少しもひるまない。
その態度にはオレも腹が立ってしかたなかった。
今でこそ少し認知がはいっているが、じいちゃんは昔パイロットをしていた男だ。
それなりのプライドってもんがあるのに、まるで幼児相手みたいな声かけはどうなんだ。
ほかの老人たちはまるで魂を抜かれたみたいに、おとなしく歌を歌ったり折り紙をしたりしていた。
哀しすぎる……。
いくら認知症の老人だからって、昭和の高度成長のころ空を飛んでたじいちゃんがまるで子ども扱いされるのがたまらなく悔しかった。
結局、ベテランの看護師が機転を利かせて「坂本さん、パイロットだったんですって?
お話聞かせてくださいな」とうまく機嫌をとってくれ場は丸く収まった。
「タケシ、お前はいつも優しいな、迷惑かけて悪いな」
トイレや風呂の介助をする度に、じいちゃんはそう言ってくれるけど当たり前のことだ。これまでさんざん働いてきたんだから、大威張りでいてほしいとオレは思う。
 
オレはその晩、眠れなかった。
じいちゃんのこと。あのデイケアで見た老人たちのこと。
その人らしい生き方を支える介護がきっとあるはずだ。
それが何かはわからないけれど。
オレは大きな宿題をもらったような気がした。
 
「て、ワケでさ……オレ介護の道に進もうかと思う」
二晩悩み続けて、オレはこよみに報告した。
「ま、いいんじゃない? 本気ならね」
「うん、本気だ」
オレは拳を握りしめた。
 
「それでさ、もうひとつ相談があるんだけど……」
「えーっ!! アンタ女の子と付き合ったことないの⁈」
ヒソヒソ話で相談をしたのに、こよみはいきなり大声を出した。
「それで? 好きな子ってどんな子よ?」
「同じ予備校に通っている子なんだ。めちゃくちゃ美人」
「ふうん。それでどうしたいのさ」
「もちろん、今は大切な時期だから告白とかしない。でも受験が終わったら……」
「へえ。でもアンタ鏡見たことあんの?」
「あのさ、いくら何でもちょっと失礼じゃないか」
オレは憤慨した。
でも確かに容姿にはコンプレックスしかない。
髪は強いくせ毛、ド近眼だから眼鏡。ニキビでいつも悩んでいるし、背が高い方でもない。返す言葉を探していると、こよりが言った。
「アンタねえ、女の子が綺麗でいるために、どれほど努力しているか知らないでしょう?
みんなスキンケアをして化粧して、毎日お風呂に入って磨いてんの。
鼻くそほども努力しないアンタが容姿に嘆くのは100万年早いってことよ」
はあ~出た。オレもだんだんM気が出てきたのか、この悪態を心待ちにしていた気がする。
「ここ! 行ってきな」
彼女は1枚のショップカードを差し出した。
「ヘアサロン アンジュール」と書いてある。
これまで理髪店しか行ったことがないオレだが、最近Instagramで、美容師の力で見事にイケメンになる男性の動画を何度も見て関心はあった。
「美容院かあ」
「アンタね、身なりを整えることは心も整えることなの。覚えておきなさい!」
結局オレはその日のうちに初めて美容院で髪を切ることになった。
担当はちょっと年上のスタイリスト、由実さんだった。
母親以外の女性に髪を触られるのも初めてでオレは緊張した。
そして1時間後。
「いかがですか?」シャンプー、カット、ブローと全ての工程が終わって見た鏡の中のオレはまるで別人だった。
伸ばしっぱなしで鬱陶しく伸びていたくせ毛は、見事に短く刈り揃えられている。
「お客様、私の思ってたとおり! すごく素敵ですよ」
それは単なる社交辞令じゃなく、オレ自身をちゃんと見てくれた気がした。
あらためて由実さんの顔を鏡越しに見る。
今どきの美人じゃないけど、柔らかい笑顔が可愛いかった。
 
「いいじゃない! うん、めっちゃ男前になった。これなら憧れの女子も一目置いてくれるよ。自信持って!」こよりはオレに会うなり太鼓判を押した。
「う、うん」
翌日オレは思い切って憧れのあの子に「おはよう」と声をかけてみた。
「あ、ああ……」
返ってきたのは気のない曖昧な声と、素っ気ない目線だった。
(ああ、そうか)
オレは胸の奥で静かに理解した。
好きだったのは、彼女の外見だけだったんだな、と。
 
やがてオレの中で何かが変わった。
髪を切ったついでに眼鏡をコンタクトレンズに変えて身なりを整えたら、鏡に映るオレはもう“できる男”になった気がして、なんだか行動まで変わったんだ。
できる男の朝は早い。軽くジョギングしてシャワーを浴びてから勉強だ。
朝のうちは頭も冴えて問題集がすらすら進んだ。
予備校、じいちゃんのヘルプ、時々神社のルーティンは変わっていないけど、なんかメリハリがついてきた感じだ。
オレはペースを崩すことなく勉強を続けた。
新しい目標は武蔵野福祉大だ。
 
翌年。共通テストまであと1週間、オレは朝5時に目が覚め、思い立って神社に行ってみた。
「久しぶり」
まるでオレの来るのをわかってたみたいに、暗闇の中からこよりが現れて驚いた。
「こより! びっくりした~」
ポニーテールを揺らしながらこよりはゲラゲラ笑った。
「これまでありがとな」
「何言ってんの。これからだよ、アンタが本領発揮するのは」
「そうだな……」
「アンタ、変わったよ。うん、よく頑張った」
「なんかキモいな、お前に褒められんの」
「本気で言ってんの。アンタはもう大丈夫。自分を信じて行けばいいんだからね」
「そうだな、そうだといいな」
「やっと夜明けだね」
ほんとだ。東の空が、そっと明るみはじめている。
「こよみ、寒くないか?」
そう言って振り返った時、そこに彼女の姿は無かった。
 
「はい、髙橋さん、いいですよ~。その調子! もう少し頑張れるかな?」
オレは明るく声をかけながら80代の男性入所者がゆっくり立ち上がるのを見守った。
あれから4年が経った。ここは特別養護老人ホーム「憩いの森」だ。
オレは福祉系の大学を卒業し、介護福祉士として今年の春からこの施設で働いている。
ここでは新入りだが、少しずつ「その人らしい生き方を支える介護」ができるように目指して頑張っている。
「よう、新入り!」
後ろから肩をたたかれた。
「じいちゃん……」
年末に階段から落ちて車椅子生活となってしまったじいちゃんは、オレより一足早くこの施設に入所した。
認知症はゆっくり進んではいるが、こうして時々オレの顔を見ることが何より嬉しそうだ。
 
「今夜会える?」
休憩時間、スマホを見ると由実からのLINEが届いていた。
美容師の由実と付き合うようになって1年。
素直で優しい彼女との時間は何よりオレを癒やしてくれる。
「もちろん!」
オレは顔がゆるむのを止められず、ドカンとサムズアップのスタンプを押した

ふと、オレはあの神社の夜明けを思い出す。
背中を押してくれた狐目のこより。
あの空の向こうで、今日もポニーテールを揺らして笑ってる──そんな気がする。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
マダム・ジュバン(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
本と書店が好きすぎて、とあるブックカフェで働く。
マダム・ジュバンの由来は夫からの「肉襦袢着てるから寒くないよね」というディスリから命名。春になってもジュバンが脱げない60代。

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2025-05-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.308

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