「見えすぎ」で苦しくなるくらいなら、老眼くらいの「見えにくさ」がちょうどいい《週刊READING LIFE Vol.309 現代ならでは》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/6/5/公開
記事:志村幸枝(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
老眼鏡が見当たらない朝は、大抵ろくなことがない。出勤前にスマホで天気予報を見ようとして、「晴れ」か「曇り」か、文字がぼやけて判別できず、結局ベランダに出て空を見る。結果は、曇りのち晴れ。スマホが教えてくれなかった“風の匂い”や“空気の重さ”まで、肌が先に感じとっていた。
四十を過ぎたころからだっただろうか。手元の文字が、じわじわと遠くなっていった。最初は疲れ目かと思っていたけれど、あれよあれよという間に百均で買った老眼鏡が、家のあちこちに常駐するようになった。リビング、キッチン、寝室、玄関。百均のものだからぞんざいな扱いになってしまい、しょっちゅう行方不明になる。朝はしばしば「メガネ捜索タイム」から始まる。そのひとつをやっと見つけて、ほっとした。
毎日の通勤は乗り換えなし。電車に乗っている時間は1時間。往復ならたっぷり2時間はある。格好の読書タイムになり得るとワクワクしていたが、車中で老眼鏡を取り出しかけるのが「ええ、まぁ、ワタクシ、そんなお歳でございますのよ」と、自ら周囲にバラしているような気がして、はばかられる。自意識過剰も甚だしいが、ちょっと言い訳させてほしい。ほんの5年くらい前は、ポッコリお腹のせいで妊婦に間違ってもらった(間違ってくれてありがとうの気持ちを込めて)経験のあるものとしては、複雑な乙女心なのだ。いろいろな感情、事情がまぜこぜになった結果、今は「耳コンテンツ」に落ち着いている。
「老眼」
なんとまあ、ストレートなネーミングだろう。ああ、ついに「老」の領域に足を踏み入れたのかと思うと、一瞬へこむ。だけど、「見えすぎた目」が少し休みに入った、そんな感じに思うようにしている。何でもかんでもクリアに、瞬時に判別できていたころと違って、今は「よく見えない」ものを見ようとする。その過程に、妙に落ち着くことがある。見えないことで、立ち止まり、焦らず、観察する時間が生まれる。これはこれで、悪くない。
というのも、現代はあまりにも「見えすぎる」社会だ。
スマホひとつで、誰が何を食べたか、誰がどこへ行ったか、誰と付き合っているか、丸見えである。情報が過多すぎて、目に入ったものをいちいち受け止めていたら、心がもたない。便利になったぶん、「見えすぎて疲れる」ことが増えた。
たとえばSNS。軽い気持ちで開いたつもりが、誰かの充実した(ように見える)投稿を見て、気持ちがざわつく。もう誰かに追い越されている。そんな焦燥が胸を刺す。見なければよかったのに、見てしまった。見えすぎると、心のピントがぼけてしまう。どんどん自分が置いてきぼりになっていく。
画像の解像度の高さと言ったら、恐ろしいほどでもある。
片手で、いや、わずか指2本で拡大すれば、毛穴が見えそうなほどだ。一昔前なら、ボヤ~とした画像でお茶を濁して、「なんとなくかわいい」とか、雰囲気への言及で事足りていたのが、今や逃げ場がないほど。やれやれ、困ったものだ。
「見えなくていいものまで見えてしまう」のは画像だけではない。
人の本音、裏の顔、嘘。本来なら時間をかけて見極めていたものが、可視化されすぎてしまった。恋愛でも仕事でも、何となく「わかってしまう」のが早すぎる。
「見えすぎる」ことの弊害について、以前、近所の眼鏡屋さんがこんな話をしてくれた。
「メガネをかけると、目を凝らす必要がなくなる。だから、全身を緩めることにも繋がる。だけど、度数をキッチリ合わせてはっきり見えるほどいいというものでは無い。見えすぎもまた緊張に繋がる。ウチはそれを意識してメガネを調整している。メガネで身体全体がラクになるように」と。
目からの情報は脳で処理され「見える」状態になる。情報が多いほど、解像度が上がるほど、脳はその情報処理で疲れ果てる。見えすぎることで、身体に緊張がはしる。近視の友人が「街に出かけるときはメガネをかけない。視界がぼやーっとしている方が疲れないから」と、言っていたのを思い出した。
先日、美術館でモネ展を観た。
≪睡蓮≫がよく知られているが、私はそこで≪日本の橋≫という作品に初めて出会った。晩年に繰り返し描かれたその作品群は、かつての繊細なタッチは影を潜め、混濁した色彩がキャンバス全体に広がっていた。
モネ自身、晩年は白内障に悩まされていたという。
水晶体が濁り、世界が黄色っぽく見える。青の再現が難しくなり、逆に赤やオレンジの彩度が強く感じられるようになる。しかも、彼は手術も受けている。が、手術後、視力が戻ったにもかかわらず、今までと違う色が見えることに戸惑い、絵を描くことそのものに苦しみを覚えたという。世界が「見えすぎる」ことに悩んだのだ。「見えない」苦しみの次に、「見えすぎる」苦しみが来るとはせつない話だ。
ふと、思う。
もしかしたら、見えないからこそ、見えないなりに、別の何かがそこを補って成立していたこともあったのだろう。想像力や、文字通り「脳裏に焼き付いた」何か。緩やかに進行していく白内障に寄り添いながらもモネ自身が適応していったような何かが。歩幅をあわせて進むからこそ受け入れられたのに、手術による大きな変化はそのグラデーションを作らないから「見えすぎる」ことを受け入れられなかったのかもしれない。
私は少し距離を取って、絵をじっと観た。近づきすぎると、ただの色の集合にしか見えない。けれど、ほんの一歩引いて見るだけで、≪日本の橋≫がぼんやりと浮かび上がってきた。
「見えない」からこそ、守られるものもある。
たとえば、夫の髪の毛の薄さとか、友人の加齢による変化(あ、自分もか)とか。
昔なら気づいてしまった細かなアラを、今はぼやけて見えてちょうどいい。老眼は、優しさのフィルターにもなるのだ。そういえば、「若さ」の感じ方が変わってきた。以前なら、毛穴とかたるみとかシワとかシミとか。接写レンズのようにディテールで感じ取っていたものが、今は見えなくなった分、全体像、特に姿勢で感じ取ることが多い。美容家IKKOさんは「遠距離美」と表現していた。「遠くから見たときに美しいかどうか」を示す言葉で、姿勢はもちろん、歩き方や、座るときの仕草、所作も含まれているらしい。この考え方はとっても素敵だ。「老眼」と紐付いていないことにも、IKKOさんの乙女心を感じる。
老眼鏡をかけるたびに思う。何を見るかよりも、何を見ようとするかのほうが、大切なんじゃないかと。メガネなんか無くてもスッキリ見えていた頃は、情報が向こうから勝手に飛び込んで来ていた気がする。今はどうか。こちらから「見よう」「見たい」と思って、自分から情報を得ようとする。いわば能動的な行動だ。目から得る情報は全体の80%とよく言うが、それを自分で選んでいるとも言える。見えすぎる世界に疲れた目には、見えないことの静けさが、ひどく優しい。
便利さやスピードに押されて、私たちは「わかること」に夢中になってきた。でも、本当は、「わからないまま」のものを、じっと見つめる時間も必要なのだろう。たとえば、言葉にならない感情とか、明確にできない不安とか。目に見えないものこそ、人の心を動かしてきた。「見えない」ことがもたらす想像力や、関係の余白。その価値は、今も昔も変わらない。むしろ、現代においてこそ、その静けさが必要とされているように思う。
最近、ニュースサイトの見出しを追うのがしんどくなってきた。明るいニュースよりも、誰かを批判する言葉や、不安を煽る言葉の方が目立つからだ。見えすぎる社会では、「何を見ないか」を選ぶ力が必要だ。情報の洪水のなかで、自分がどこに目を向けるか。それは、自分がどんな世界を生きたいかという、静かな選択でもある。老眼になって、少しほっとしている自分がいる。見えなくなったからこそ、自分にとって本当に必要なものに目を向けられるようになったような気がしている。
見えすぎて、見えない。
これは、ただの視力の話ではない。情報も、感情も、人間関係も、視野に入りすぎると、本当に見たいものが見えにくくなる。老眼鏡のレンズ越しに、そんな距離感を学んでいる気分だ。この「引く距離感」こそが、今の私にはしっくりくる。人との関係も、情報との付き合い方も、目の前のものを無理にクリアにするのではなく、ぼんやりと、けれど確かに受け止める。そんな見方の方が、心がざわつかない。
もうすぐしたら、ちゃんとした老眼鏡を買おう。
「見える」けど「見えすぎない」
心と身体がほどよく緩む、ちょうどいいものを。
□ライターズプロフィール
志村幸枝:しむらゆきえ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
京都在住の道産子。卯年生まれ、水瓶座のB型、七赤金星、青い手赤い地球。いわずもがなの占い好き。27年勤めた漢方相談店を退職し、次の展開をどうしようかと考えていたタイミングで天狼院書店と出会う。2025年1月より、ライティング・ゼミに参加。16週間で13作品がメディアグランプリに掲載される。家族を巻き込み、友人知人、SNSのフォロワーさんたちに助けられながらも、天狼院メディアグランプリ66th Season第8戦の総合優勝も果たす。2025年5月より、ライターズ倶楽部へ。今は神戸で漢方相談に携わる。わかりやすいたとえ話で「伝わる漢方相談」をするのがモットー。
お問い合わせ
■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム
■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
■天狼院カフェSHIBUYA
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00
■天狼院書店「湘南天狼院」
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸二丁目18-17
ENOTOKI 2F
TEL:04-6652-7387
営業時間:平日10:00~18:00(LO17:30)/土日祝10:00~19:00(LO18:30)
■天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00
■天狼院書店「名古屋天狼院」
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00
■天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00