週刊READING LIFE vol.311

午前3時の沈黙があってこその自分軸の人生《週刊READING LIFE Vol.311 あの日の沈黙》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/6/19/公開
記事:松本萌(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「だんまり」は私の十八番だった。

子供時代、事あるごとに口をへの字にして黙り込んでしまう私に、家族は手を焼いていた。何歳頃の記憶か定かではないが、気に入らないことがありだんまりを続ける私に、手のつけようがないと諦めた母がため息を一つつき、夕食を作るために台所に行ってしまった。見かねた姉が「どうしたの?」と側に来てくれた。姉に気に掛けてもらえたことが嬉しい反面、それでも自分の思いを口に出すことができず黙り込んでいる私の側に姉は座り、本を読み始めた。それ以上問い詰めることなく、ただ側にいてくれることが嬉しかった。
言葉にしなければ相手に伝わらないということは既に認識できていた年齢であり、黙っているのはよくないと分かっていたものの、当時の私は口をつぐんでしまうことが多かった。何も考えていなかった訳ではない。思うことや言いたいことはたくさんあった。ただそれをどう言葉にすればよいのか分からず、だんまりをしていた。

有り難かったのは、そんな私のこと「あー…… またいつものだんまりが始まった」と呆れつつも、「黙っていないでちゃんと話しなさい!」と怒る人が家族の中にだれもいなかったことだ。「何でさっきは何も話さなかったの?」と親から問い詰められたことはなかった。側にいてくれた姉は、何ごともなかったかのように話しかけてくれた。松本家の末っ子として、「しょうがないなぁ」と甘やかしてくれていたのだろう。

 

歳を重ねるとともに、話し好きとは言えないものの、だんまりになることはなくなった。中学生になる頃には弁が立つようになり、親に注意されれば「そんなことは分かってるよ!」と生意気に言い返し、自分の意思を言葉にすることに抵抗はなくなった。何も言わず、眉をひそめて黙り込む方がよくないと思うようになり、意見があれば口にするようになった。

そんな中、過去一番の沈黙合戦を21歳の春に父とすることになった。事の発端は就職活動だ。

私が就活をしていた時期は、就職氷河期と呼ばれていた。大学3年生の秋頃から様々な就職セミナーに参加した。学内のセミナーでは企業分析や自己分析が重要と言われ、友人と他己分析をしたりした。
春休みは毎日のように慣れないリクルートスーツに身を包み、必死に地図を見ながら「午前中はA社のセミナーに参加して、午後はB社の面接を受けに行って……」と、都心のビル街を歩き回った。
春休み明け、久しぶりに会った同じ学科の友人から「一社から内定もらったけど、行きたい会社がまだあるから就活を続けているよ」と話を聞き、まだ一つも内定をもらえていない自分が情けなくなり落ち込んだ。

2年生の時に参加した語学研修で仲良くなった友人と話していたとき、「この会社、学校推薦っていう制度をやっているんだよ。私受けてみようと思うんだ」と聞かされた。とある金融グループが特定の大学に対し、一般の募集期間よりも先に面接を行っているというものだった。推薦と言っても内定の約束はされていないが、内定が出れば必ずその企業に就職するという約束付きのものだった。一般の募集であれば4,5回面接に赴かなければいけないが、推薦であれば筆記試験をパスした後、一日の内に複数名の面接官と面接すれば結果が出るというものだった。別れ際、友人が「明日が申込期限だよ」と教えてくれた。
そういえば学内のセミナーで学校推薦の話を聞いた記憶があるなと思いつつ、まったく金融業界に興味のなかった私には縁のない話と思いながら家路に着いた。

そろそろ寝ようかと思ったとき、テレビを見ている父に向かって何とはなしに「学校推薦っていうのがあるらしい」と話したところ、大概私の話を聞いているのかいないのか分からないような雰囲気で「ふーん……」としか言わない父が反応した。
「学校推薦を受けなさい」
父が私に対しはっきりと「こうしなさい」と言うことは希なことで驚いた。
「学校推薦って言っても内定が約束されているわけじゃないよ。そもそも金融業界に勤めたいと思ったことはないし、面接で動機を聞かれても答えられないよ」
「だからお前はだめなんだ。考えが甘い」
「就職できたらどこでもいいってものじゃないでしょ。この会社で働きたいとか、この業界で仕事をしてみたいという思いが大切なんじゃないの」
「そんなことを言っているから内定がもらえないんじゃないか。このまま就職先が見つからなかったらどうするんだ」

働きたいと思ったことのない業界の会社に、ただ推薦制度があるからという理由で受けるのはおかしいという私と、「その考えが甘い」という父との攻防戦が始まった。
母と姉は既に寝ていたので、話し始めたのは夜の11時過ぎくらいだろうか。12時、1時、2時と刻々と夜が更けていっても状況は変わらない。
翌日は父は仕事、私は就活で早く寝なければいけないのに、一向に決着しない。

いつもの父であれば「勝手にしろ」で終わるのだが、どうやら今回は折れないらしい。
母の翻訳によると、父の「勝手にしろ」という言葉は、「自分のしたいようにすればいい。ただし、その結果には自分で責任を持つこと」という意味を含むらしい。当時の就職事情の厳しさは社会に出て働いている父は痛いほど分かっていたのだろう。父の気持ちは察することはできるものの、「お前の考えは甘い」ばかり言われると私も意固地になり、「とにかく何でもいいから受ける」ことの方が考えなしではないかと言い返した。

時計を見たら夜中の3時だ。
父と私の意見は真っ向から衝突したままで、時が過ぎるばかりだ。眠気と一日の疲れで朦朧とし、父も私も黙った。

正直なところ、「この仕事じゃなきゃ嫌だ」とか「どうしてもあの会社で働きたい」という強い思いは持っていなかった。ただ「社会に出て働きたい」「自分でお金を稼ぎ、自立して生きていきたい」という思いは強く持っていた。
「金融では絶対働きたくない」と思っていたわけではない。だからといって親に勧められたからという理由で、今まで興味を持っていなかった金融業界を就職先にすることに対し、素直に「はい」とは言えなかった。

沈黙の間、考えた。
学校推薦を受けることにしたとして、その理由を「親に言われたから」ではなく、自分にもその意思があると言い切れるか。就職することは約束されていないものの、もし内定が出たら私はそこで働こうと思えるのか。
父自身の口では語られないものの「結果に対し自分で責任を持つ」という考えは、私の中にも染みついている。「あの時、ああしなければよかった……」と自分の下した判断に後悔をしたり、ましてや誰かの責任にはしたくない。そのためにも、自分の意思で金融業界を志望すると言い切れるかを、自分に問う時間が必要だった。

午前3時過ぎ、私は決めた。「明日学校推薦の申し込みをしてくるよ」

翌日、学校推薦のことを教えてくれた友人に、自分も挑戦することを告げた。友人には「受けると思っていたよ」と笑いながら言われた。

 

その後推薦で受けた企業から内定をもらい、新卒で就職して以来転職をすることもなく、今に至る。

勤め始めて20数年を振り返ってみてどうだったかというと、22歳までの私にとって不得意だったことを、苦とせずにできるようになった。
知らない人に話しかけるのが嫌で接客業のアルバイトを選ばなかった私が、就職したら毎日「いらっしゃいませ」「お待たせしました」「ありがとうございました」と言わなければいけない環境に身を置くことで、初対面の人と話すことが苦にならなくなった。そこまでの関係では無い人との会話が億劫なため無口になりがちだったが、初対面の人とでも1、2時間くらいであれば他愛も無い会話を楽しめるスキルを身につけた。サービスを提供する上で、相対するお客さまが何を考えているのか、何を求めているのかを考える習慣がついたことで、プライベートでも相手が何を思っているのか、何に悩んでいるのかと思いを馳せるようになった。

もちろんいいことばかりではない。嫌な気持ちになったり、苦しかったり、辛い思いをしたこともある。辞めようと思ったことも幾度もある。
そんなときは「これは私が決めた道だよ。このまま続けるか、辞めるかも私が決めていいんだよ。今、私はどうしたい?」と自分に問うようにしている。

午前3時の沈黙の間、自分なりに考えて出した結果だからこそ、自分軸で考えることができている。

 

数ヶ月前、私に学校推薦のことを教えてくれた友人に再会した。会社の食堂で昼食を取った後、見覚えのある顔を見つけ声を掛けた。最後に会ったのは友人の結婚式以来だから15年以上は経っている。

最初友人は私のことが分からなかったようだ。「大人っぽくなったね。でも話したらすぐ分かったわ。変わってないね」と笑いながら言われた。
友人は子育てが落ち着き、今後のキャリアを考え社内でのステップアップに挑戦し見事合格し、異動待ちとのことだった。相変わらずしっかり考えて行動している。

久しぶりに会ったが、学生時代の楽しかったこと、社会人になってからのこと、プライベートのことと、話が尽きなかった。お互い役職者になり、苦労も経験している。「それなりのポジションになると、周りに何でも話せるわけじゃないから、孤独と仲良しになるね。でもさ、こうやってお互いの苦労話を笑って話せる相手がいるっていいよね」
同じ会社にいるからこそまた会うことができた。こういう嬉しい再会ができたことも、午前3時の沈黙のおかげだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松本萌(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
兵庫県生まれ。東京都在住。
2023年6月より天狼院書店のライティング講座を受講中。
「行きたいところに行く・会いたい人に会いに行く・食べたいものを食べる」がモットー。平日は会社勤めをし、休日は高校の頃から続けている弓道で息抜きをする日々。

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2025-06-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.311

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