週刊READING LIFE vol.312

今や食べることが出来ない幻の蕎麦(そば)とは《週刊READING LIFE Vol.312 あなたにこれを食べてほしい》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/6/26/公開
記事:山田THX将治(天狼院・ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
 
 
『幻の』と冠を付けると、何か特別感が有るものだ。
麺類を製造する工場を営んでいた私にも、今と為っては幻と謂っても過言ではない製品を世に出した経験が有る。
 
尤も、幻と為って仕舞った訳は、私が製麺工場を廃業したからだ。
他の工場で作ることは可能なのだが、レシピが私の頭の中にしか残って居ないので、再現することは不可能なのだ。
しかも、幻の製品を納品していた店舗(一か所のみ)は、当時の経営者が手放して仕舞ったので、私の工場よりも先に無く為って居た。
 
 
私が、幻の製品を設計・提案した背景には、経営者としての向上心と、人間としての下心が在った。
発注して頂いた店のオーナーは、バブル期に数々の事業を成功させ、時代の寵児と呼ばれた方だった。
現在では故在って、名前を出すことを憚(はばか)られる存在だ。何しろ、多くの人に特定されて仕舞うからだ。
 
仮にそのオーナーを、O氏と呼ばせて頂く。
 
私と同世代(確か、三学年歳下)のO氏は、数々の事業を展開されていたが、その傘下に買収した介護事業が有った。
製麺業を営んでいた私は常々、今後の市場として高齢者介護施設が収益の源に為ると目論んでいた。何しろ、日本人は誰しも年齢を重ねるとサッパリした(脂分が少ない)食事を好む傾向が有るからだ。
そう丁度、うどんや蕎麦といった和の麺類は、高齢者の好みに合ったものだ。
 
然し乍ら、高齢者に限って麺類を啜(すす)ることが難しく為って来るらしく、敬遠される向きも有ると聞く。
私は折角広がっている市場を、黙って放置する度胸が無く、日夜考えあぐねて居た。
或る時私は、
 
『麺を短くすれば、高齢者でも楽に啜れるのではないか』
 
と、気が付いた。
業界の方でない限り、この発想に‘ハッと’膝を叩くことは無いだろう。
麺を製造する際、麺の長さを短くすることは大変難しい事だからだ。
何しろ、短い麺は‘不良品’の烙印を押される恐れも有り、製麺業者の頭の中は、常に如何にして麺を長くするかの考えに占領されているのだ。
その考えが進むと遂には、麺の長さで技術を誇る様に為ってくる始末だ。
依って、機械設備も全て、麺を長くする仕様なので、簡単に麺を短くすることが出来兼ねるのだ。
 
或る時私は、麺をカットする回転刃の制御を、変える様に麺機屋さん相談した。答えは、あっさり導き出された。刃を回すモーターの制御に、幅を持たせるだけだった。
高齢者用の製品が製造可能と為った私は、次は市場開拓と頭を切り替えていた。
 
そんな折に、O氏の関連会社から、介護事業とは別の事業の引き合いだったが、兎にも角にも問い合わせが入ったのだ。21世紀に入ったばかりの事だった。
当初、求められたのは、傘下に在る一般的な居酒屋さん用の蕎麦だった。御酒を召し上がった後の、いわゆる“締めの蕎麦”だ。
私は試作品を作った。勿論、通常の長さの蕎麦を。
そして気合を入れて、見積書を作成した。
それ等を手に、私は勢い込んで商談に臨んだ。
 
何しろ、O氏が率いる介護事業所というブルーオーシャンが広がっているのだ。
 
 
「はい。こちらで宜しいでしょう」
「いつから、納品可能でしょうか」
 
商談の場に現れた担当バイヤーは、あっさりと見積もりを受け入れて下さった。
しかし私は、少しの焦りを感じていた。
何故なら、私に印象が残らず、この先O氏迄、話が通るのに時間が掛かると思ったからだ。
そこで私は、
 
「メニューには、何と表記される予定ですか」
 
と、訊ねてみた。
担当者さんは、
 
「そうですね。特に決めて居りませんが、御蕎麦のページを追加すると思います」
 
と、答えて下さった。
すかさず私は、
 
「昔の料亭に『腹固め』と締めを表記したものが有ったそうです」
「『腹固め』と表記して、御茶漬けやおにぎりと一緒の欄に入れてみては如何でしょう」
 
と、提案してみた。
担当者の眼が、キラリと光ったのは言う迄もない。
私発案の『腹固め』は、直ぐに採用された。
 
この『腹固め』は、直ぐにO氏が知るところと為り、関心を頂戴したそうだ。
 
 
O氏の関連居酒屋さんとの取引が始まり、半年程経った時、同じ担当者さんから連絡が入った。
尚早で、面談願いたいとのことだった。
しかも、
 
「弊社のOが、例のメニューを大変気に入って居り、新規の案件は是非共、御社に振る様にと直々に命じられました」
 
と、嬉しいことを告げて下さった。
私はと謂うと、受話器を片手にもう一方の拳を、思わず力一杯引き付けていた。
腹の中では、
 
『ヨシッ! キターーー!!!』
 
と、叫んでいた。
何しろ、O氏に近付くことが出来たのだ。
ブルーオーシャンは、目の前だと思ったのだ。
 
 
既知のバイヤーさんとの面談は、以前と同じ面談室で行われた。
多くの事業を展開し、高収益を上げ、上場迄果たしているO氏の会社は、六本木ヒルズの高層階に居を構えていた。面談室も同じフロアに在った。
 
目の前に現れた担当バイヤーは、驚くべき製品開発を依頼して来たのだ。
それは、O氏が主にプライベートの御客さんを招待する、会員制の超高級居酒屋を始められるとのことだった。
その店の『腹固め』を、私に依頼して来たのだ。しかも、価格は問わない。とにかく、驚く様なコンセプトの製品を出して貰いたいとのことだった。
 
私はイメージが掴めなかったので、御店の完成予想図を見せて貰うことにした。
担当者さんから渡されたファイルには、店内の壁という壁が金色の、文字通りキラキラした派手な店構えの予想図が入っていた。
私は瞬時に、麺で最も派手な色は何だろうと考えた。何しろ、蕎麦の色は地味だからだ。
 
「金色の蕎麦でしたら、O社長は喜んで下さいますでしょうか」
 
と、担当バイヤーに訊ねてみた。
 
「勿論ですよ!」
 
と、力強い返答が帰って来た。
私は、
 
「では、その蕎麦を『黄金蕎麦』と名付けましょう」
「これから社に戻り、設計に入ります」
 
と、告げた。
担当バイヤーは、満面の咲顔で私を送り出した。
 
「期待してますよ!」
 
と、激励の言葉と共に。
 
 
金色の蕎麦等、見たことも聞いたことも無いだろう。
有る訳無い。
金色の蕎麦等、この世に存在してはいないのだ。
 
但し私には、ほんの少しだけ光明が有った。
 
それは、‘黄色味’を帯びた蕎麦なら存在するからだ。
問題は、黄色い蕎麦を如何にして金色に見せるかだった。
勿論、食べるに堪え得る物として。
 
 
『韃靼(ダッタン)蕎麦』という固有名詞を、御聞きに為ったことが有るかも知れない。
アルカリ成分が強い中国の土壌で栽培される、黄色味を帯びた蕎麦だ。
麺として見掛けることは滅多に無いが、ペットボトル飲料として販売されている“蕎麦茶”で使われている蕎麦が『韃靼蕎麦』だ。
なので、“蕎麦茶”は蕎麦独特の色ではなく、黄色に近い色をしているのだ。
 
その日の帰り道、私の頭の中は、如何にして『韃靼蕎麦』を金色に近付けるかで占められていた。
 
答えのヒントは、目の前に転がって居た。
 
私は、『韃靼蕎麦』のサンプルを作る際、‘かんすい’で練ってみた。
‘かんすい’とは、通常はラーメンに使う炭酸化合物(強アルカリ性)の事だ。
かんすいに依って、ラーメンは黄色味を持ち、腰が強い麺と生長するのだ。
 
私は、かんすいの濃度を調整し『韃靼蕎麦』を金色に輝かせる試行錯誤を繰り返してみた。
ほんの少しだけ、ラーメンで使用する天然色素も加えてみた。
 
数10回のサンプル製作で、私は何とか納得出来る色、即ち金色に近付けた『韃靼蕎麦』を作ることが出来た。
‘かんすい’を使用することで、『韃靼蕎麦』独特のエグ味も、幾らか低減されたのも幸いだった。
私は、担当バイヤーに連絡を入れ、見積書の作成に取り掛かった。
 
価格は問わないとのことだったので、通常の蕎麦の約4倍の単価を見積書に書き入れた。
サンプルは合格し、見積書は苦も無く通った。
 
『黄金蕎麦』と名付けられた『韃靼蕎麦』は、O氏にも気に入って頂いた。
私はその後数年間、『韃靼蕎麦』に依って、ぼろい商いをさせて頂いた。
 
 
しかし、僅か数年後、O氏は傘下の介護事業が不正申告をした責任を取り、経営者の座を降りられてしまった。
 
O氏肝入りの介護事業や飲食事業は、あっと謂う間に撤退の憂き目に遭った。
 
 
同時に『黄金蕎麦』も、この世から姿を消すことと為った。
 
誠に残念なことに。
 
 
黄金に輝く幻の『韃靼蕎麦』。
 
 
出来ることなら、一度皆さんに提供したいものだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を45年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion

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2025-06-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.312

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