週刊READING LIFE vol.312

食べることは、信じること。《週刊READING LIFE Vol.312 あなたにこれを食べてほしい》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2025/6/26/公開
記事:志村幸枝(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
 
 
食べるって、けっこう勇気がいる行為だ。目の前のものが「安全」で「おいしい」とわかるまで、私たちは本能的に警戒する。「これ絶対うまいやつ」と思えるまで、「これホンマに食べてええやつ?」を経由している。
 
 
 
ある日、届いたキャベツに黒い粒々がまとわりついていた。もしやと思い、そろりと葉をめくる。小さないも虫を発見した。かつての私なら「ひゃー」と悲鳴を上げていただろう。でも、息子に散々せがまれて読んだ『ファーブル昆虫記』の絵本のおかげで、気づけば、親近感すら湧いていた。
 
その日は思わず「おぉ、これはようこそ!」、なんてくらいに思えた。ガラス容器にキャベツの葉を数枚。いも虫を一緒に入れて、そっと見守ることにした。
 
この見守り、想像以上にエモい。
何も起きていないように見える日もあったけれど、ある朝、ガラス容器の中でキャベツの葉に混じり、小さな黒い粒々が落ちているのを見つけた。つまりはうんこさん。「あ、食べてくれたんだ」と、じんわり胸があたたかくなった。食べて、出して、生きてる。心の中で小さくガッツポーズをした。
 
 
 
娘が離乳食を始めたばかりのころ。
私は完全に「食べてもらえない」沼にはまっていた。10倍がゆを用意しても、口をぎゅっと閉じる。スプーンを差し出しても、じっと見つめたまま固まる。スプーンを持っている手がだるくなる。ため息が出る。一口でも食べてくれたらいいのに。ただ、それだけなのに。でも、娘の目には「いやこれ、ほんまに食べてええやつ?」「なにこれ、怪しい」と眉間のしわに書いてある。内心で審査しているような表情。食べるという行為は、自分の中に“自分以外”を取り入れる行為。生存戦略的には、慎重になって当然だ。
 
ならばと、私はまるで毒味係を仰せつかった気分で、自分が先におかゆを一口食べた。目を見開きオーバー気味に「姫、こちらは美味しく、安全でござる!」のアピールをした。きっとその時、「どや」という気持ちで、鼻の穴も膨らんでいたと思う。そうしたら、少しだけ口を開けて、ちゅっと吸い込むように、ひとくち食べてくれた。ほんの、ほんの少し。けれど、その「ひとくち」は、信頼のカタマリのように思えた。それとも私の顔芸につられたのか? そのとき思ったのは、子どもは、食べ物そのものだけじゃなく、食事を提供する側から発せられるノンバーバルな情報も感じ取り食べるのだということ。つまり、眼差し、声のトーン、スプーンを持つ背中の緊張具合まで、全部を感じ取っている。そしてこれは、子どもだけじゃない。大人もまた、同じだ。
 
 
 
以前、がんを患っていたお父様のために、漢方薬をゼリーにして飲ませていたという娘さんがいた。当時はまだ、服薬ゼリーが世の中に出回っていない頃。市販のゼリーじゃ味が合わない、ジュースもダメ、プリンもダメ、最後にたどりついたのが、「寒天ゼリー」だったそうだ。寒天をふやかし、そこに粉薬を溶かして固める。お父様は「ちょっと変な味だなあ」と言いながら、毎回完食されたという。毎回、そのゼリーを差し出す娘さんのまなざしには、私がいも虫を見守るときのような、娘に10倍がゆを差し出すような「祈り」があったと思う。お父様も、その期待に応えて食べてくれたのだろう。
 
 
 
私は20年以上、漢方相談をしている。
相談がメインではあるが職業区分的には小売業。いうならば「粉や粒をすすめる仕事」で、ちょっと大袈裟にいうと「すすめたものを、飲んでもらえるように祈る仕事」だ。
 
漢方薬は、自然から得た素材を、人の体質や心の状態に合わせて組み合わせるものだ。たとえば、胃腸が弱っている人には、やさしく温めるもの。ストレスで眠れない人には、心を落ち着かせるもの。ひとつひとつ、まるでその人の“身体のことば”を聞きながら選んでいく。けれど、どんなに丁寧に選んでも、「飲んでみよう」と思ってもらえなければ、それは“効かない”。逆に、はじめは半信半疑だった方が、「ほんなら、試してみます」と、ふと肩の力を抜いて飲んでくれたとき、こちらの想像以上に症状が軽くなることもある。プラセボ効果もあるのかもしれないが、それだけではなく、身体が素直に受け入れてくれると、自然の力はスッと身体の中に届くのだと感じる。
 
 
 
私はいつも思う。これはまるで、あの離乳食の「ひとくち」と同じだ、と。
口を開けて、何かを体の中に入れる。それは、ただ食べること、飲むこと以上の意味を持っている。信じてくれた証拠。自分の身体を託してくれた証拠。
 
 
 
歴史を振り返れば、食べることに命をかけていた時代があった。王や将軍が口にする前に、先に料理を口にする「毒味係」の存在。食卓は、栄養を摂る場であると同時に、敵の策略が仕込まれた危険な場所でもあった。
 
古今東西、権力のある者の食卓には、必ずといっていいほど“毒”の影がつきまとっていた。中世ヨーロッパの王宮、中国の皇帝の膳、あるいは戦国武将たちの宴席。どこにも「最初に口にする者」がいた。つまり、命をかけて信頼を証明する人。
 
毒味係は、誰よりも先に、その料理が“安全かどうか”を体で証明する。それは単に毒が入っていないかを確認するだけではなく、「誰が作ったか」「誰の手が加わったか」「それが王や主君にふさわしいものかどうか」までを判断する“信頼のフィルター”だった。
 
言い換えれば、毒味係とは、“信頼”を先に飲み込む存在とも言える。
この役目は、仕える相手への忠誠心の証であり、その家に仕える者としての誇りでもあった。けれど、もし食事に毒が盛られていたとすれば——。毒味係の運命は、その日で終わる。だからこそ、料理人や厨房の誰よりも、毒味係は真剣だったに違いない。命がけで食材を見て、香りを嗅ぎ、味を確かめ、その“意味”を受け止めた。
 
食べるという行為が、こんなにも重い意味を持っていた時代。現代の私たちは、あまりにも簡単に、食べ物を口にしていないだろうか。
 
 
 
現代の「毒味係」は、誰?
ふと思う。いま、私たちのまわりに「毒味係」はいるのだろうか。
 
 
 
たとえば、子どもにごはんを作る親。真っ先に味見をして「ちょっと薄いかな」と塩を加えるその行為も、現代版の毒味係かもしれない。「これは大丈夫」と胸を張って出せるものを、子どもに食べてもらいたいから。安全であるだけでなく、「おいしい」と思ってもらえるかどうかに、心を砕いている。
 
あるいは、商品を開発する食品メーカーの研究者。何十回と試作を重ね、安全基準を満たし、社内の試食会をくぐり抜けた末に、ようやく店頭に並ぶ。彼らの“毒味”の精度が、私たちの安心を支えている。
 
 
 
そして私たち、漢方相談をする者もまた、小さな毒味係なのかもしれない。
 
この薬が合うのか、この味に身体はどう反応するか。ときには、自分でも試してみることがある。もちろん漢方薬に毒は入っていない。けれど「その人に合うかどうか」を見極める精度を高めるには、自分の舌、自分の身体、自分の経験をもって「味見」することも大切だ。そして、それが“信じるに値するもの”だと確認できたとき、ようやく「どうぞ」と差し出せる。
 
 
 
食べることは、信じること。
自分の中に、自分以外の何かを迎え入れるって、怖いことだ。生き残るためには、毒かもしれないものを避けるのが本能。それでも、「これ、食べてみようかな」と思える瞬間は、誰かを、何かを信じたときだ。
 
だからこそ、私が漢方薬をすすめたとき、お客様が、得体の知れない茶色い液体や、クセ強めの香りのする漢方薬を前にして、ぽつりと一言。「……これ、飲んでみます」と言ってくださる瞬間は、毎回とてつもなく嬉しい。
 
見た目も匂いも、なんだかよくわからないものを、信じて、一歩を踏み出してくれたその勇気に、こちらが励まされるのだ。
 
この薬が、その人のからだのどこか深いところに届いて、ちゃんと効きますように。少しでも楽になりますように。そんな祈るような気持ちで、私はそっと見送る。
 
信じるって、すごいことだと思う。
 
「信じてくれて、ありがとうございます」
 
毎回、口には出さないけれど、
その言葉を、いつも胸の中で、そっと手渡している。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
志村幸枝:しむらゆきえ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
京都在住の道産子。27年勤めた漢方相談店を退職し、2025年1月より、ライティング・ゼミに参加。16週間で13作品が天狼院メディアグランプリに掲載され、66th Season総合優勝を果たす。2025年5月より、ライターズ倶楽部へ。今は神戸で漢方相談に携わる。わかりやすいたとえ話で「伝わる漢方相談」をするのがモットー。

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2025-06-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.312

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