週刊READING LIFE vol.315

これは、アイツと俺に於いて普通の事さ《週刊READING LIFE Vol.315 『普通』って何だろう?》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/7/17/公開
記事:山田THX将治(天狼院・ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
 
 
仲の良い男同士は、往々にして粗野な言動に走ったりする。
関係が長かった場合等、それが酷い形で露呈したりする。
でもそれは、至って普通の事なのだ。
当人同士にとっては。
 
私にも思い当たる節が有る。
60年以上の友人Mと、こんなことが有った。
 
 
「手前ぇ! 俺に黙って入院するとは、如何謂った了見だ!」
 
と、私は場所柄もわきまえずに感情的な言葉を口走った。
何しろそこは、Mが腎臓疾患で入院していた病院のカフェテラスだったのだ。
 
行き成り怒鳴られたMは、入院患者の立場にも拘らず、
 
「っせぇーな! 御前(山田)が知ったら、片方の腎臓を外して持って来るかも知れ無ぇーじゃねぇーか!!」
 
と、病人とは思えぬ声量で怒鳴り返して来た。
しかし、共に表情は笑顔だった。
何故なら、互いに知り尽くした仲ならではの、信頼が有るからだ。
 
そう。
仲の良い男同士は、どうしても“テレ”が先立ってしまうのだ。
それでわざと、乱暴な言葉遣いに為ったりするのだ。
多分私は、誰よりもMの事を心配しているし、Mだって私の事を一番理解している筈だ。
要するに、Mはただ、大袈裟に騒ぎ立て易い私の性格を読み切って居る訳なのだ。
 
だからこの会話自体は、我々にとって極普通の事でも有るのだ。
 
 
Mとの出逢いはもう、60年以上前の互いに12歳だった時だ。
 
『イケ好かない奴だな』
 
言葉を交わす前に、目線を合わせて仕舞ったMと私は、互いにそう感じていた。
12歳とはいえ私立校だったので、通勤する大人と一緒の電車で学校へ通うことに為って居た私達は、当時の中学一年生にしては、少しマセていたと思う。
従って上記の感想も、文字通りの喧嘩腰では無く、何処か“同志感”が有っての事だった。
 
これは後日判明するのだが、Mと私は家庭環境が似ていたのだ。
親が過干渉気味で、家族との折り合いが極端に悪かったのだ。
 
そう。
12歳にして、親の眼が届く地元を離れ、暫しの自由な行動をしたかった同志なのだ。
 
 
私立の中学校で同じクラスと為ったMと私は、性格は似通っていたものの、行動は一致して居なかった。
多分、当時から御互いを一端の人間として見ていたのだろう。
 
12歳にして、大人並の体格(身長170cm近く)をしていたMと、下町育ちで向こうっ気だけは強かった私は、何となく互いを喧嘩してはいけない存在と認めていた。
それは一種の、大人な対応と謂った処だったのだろう。
 
兎に角、私とMは、それからの6年間(中高一貫校だった)、特に仲が良かった訳では無かったが、一目置く存在として過ごしていた。
 
 
二人に転機が訪れたのは、出逢いから15年程経った頃だった。
20代も半ばを過ぎたMと私は、久々に同級会で再会した。
二人共既に社会に出ていて、結婚もしていた。
私はMから、
 
「結婚したんだって? いつ?」
 
と、訊ねられた。
 
「もう直ぐ2年に為るよ」
 
と、私は答えた。
Mは、
 
「子供は?」
 
と、続けて訊ねて来た。
現代では、ハラスメントと取られそうなこうした質問は、1980年代では平気でまかり通って居た。普通の事だった。
私は、少し機嫌を損ねながら、
 
「いや、未だ居ないよ」
 
と、冷淡に答えた。本音では、訊いて欲しくないことだった。
特に、Mからは。
 
普段なら、冗談めいた返しで滑稽に振舞う私だった。Mは、長年の付き合いからか、私の小さな異変を察した様だった。
Mは、和ませようとしてか、
 
「子供、欲しくないんだろぅ? もしかして」
 
と、万真ん中を突く質問をして来た。
私は、少しニヤケて、
 
「どうして解った?」
 
と、返答した。
Mは、
 
「やっぱ、図星か」
 
と、返して来た。
 
「御見通しとは、恐れ入ったよ」
 
と、私は素直に言った。
 
「長い付き合いだからね。御前の表情で読み取れるさ」
「ま、俺も結婚してもう直ぐ1年が経つけど、子供には恵まれていない」
「でもな、俺も御前と同じで、然程、子供が欲しい訳じゃない」
「それに、全く焦っちゃ居ない」
「極々、普通の人生と思って居る」
 
と、立て続けに言葉を発して来た。発してくれた。
家族との折り合いの悪さを、直感してくれたのだろう。
 
私は、何も言わずと本心を読み解いてくれたMの気持ちが嬉しくなった。
この件から、Mとの仲は一層深まった。
と、思って居る。
 
 
先の一件が有ってから数年後、Mと私は仕事で繁忙する年頃と為った。
極たまに連絡をすることが有ったが、定期的に逢うことは無かった。
男同士の付き合いは、普通にそんなものだ。
大切なのは、気を遣わずとも気を配ることだ。
それと、肝心な時だけは、真っ先に相談することだ。
そして、取る物も取り敢えず、駆け付けることだ。
 
しかしMに限っては、重要な時に沈黙したことが有る。
それも、私にだけ。
冒頭の怒鳴り合いがそれだ。
 
互いが50に手が届きそうな時だった。
私は仕事で、共通(Mと)の友人と会う機会が有った。暫しの雑談の後、帰ろうとした私にその友人が口を滑らせた。友人の表情が、マズいと語っていた。
 
Mが、以前から患っていた腎臓の悪化により、大学病院に入院したというのだ。
その情報を知らなかった私は、何でそんな大事なことを、私にだけ伝えなかったのか不思議で為らなかった。
半分、怒り始めていた私に友人は、
 
「皆、知っているよ。だけどMが、山田にだけは伝えるなって、口止めしたんだ」
 
と、言って来た。
その言葉に、余計に感が走った私は、
 
「伝えるなと言われても、教えろよ! そんな、大事な事を」
 
と、やや怒鳴り声をあげた。
 
友人は言い訳とも何とも付かないことを言い続けた。
私は仕方なく、病院と病室を訊いて帰った。
 
 
その翌日、私は御見舞い用の熨斗袋に御金を包み、取り敢えずMが入院する大学病院へ向かった。内臓疾患なので、食べ物や花は、見舞いに相応しくなかった。
 
私は友人から訊いた病室へ、真っ先に向かった。そして、肝を冷やした。
何故なら病室に、Mの姿が無かったからだ。
私は、“まさか!”と思いつつ、ナースステーションでMの居所を訊ねた。
若いナースは、
 
「ああ、Mさんでしたら、先程、御親戚の方が御見えに為られて、一階のカフェテラスに行かれましたよ」
 
と、焦り気味の表情であろう私に、笑顔で教えてくれた。
反社的に私は、
 
「カフェテラスに行かれると謂うことは、状態は悪くないのですね?」
 
と、訊ねた。
若いナースは、咲顔で頷いてくれた。
私は礼を言うと、踵を返して病院の一階へ向かった。
 
 
カフェテラスに到着すると、Mは丁度、親戚を見送るところだった。
私は思いの外元気そうなMの様子を見て、安堵しながら、荒い言葉を発して仕舞った。
Mの奥さんは、目を丸くして驚く御親戚に対し、
 
「喧嘩じゃ有りませんから。普通の会話ですから」
 
と、焦って説明していた。
一般的には、とても普通の間柄とは、思えなかったのだろう。
 
MはMで、入院姿だったにも拘らず、
 
「煩せぇや! 御前が知ったら、必要以上に心配するだろうが!」
 
と、言い返して来た。
Mの図星な反応に、私は心が緩み、
 
「腎臓を外して、持って来たら迷惑なのか?」
 
と、言って遣った。
Mは、間髪を入れず、
 
「おぉ、そうだとも。そうなりゃ、腎臓を片方無くした御前が、闇金に追われた時に困るだろうによ」
 
と、憎たらしいことを言って来た。
私等の普通の会話だった。
互いの笑顔を確認した後、
 
「ま、思ったより元気で良かったよ」
「でもな、本当に腎臓が要る時は、真っ先に言えよ」
 
と、私はMに伝えた。
同じ様にデカい図体だったので、私の腎臓なら容量がピッタリとも思って居た。
 
Mと私は、暫しの歓談後、握手して咲顔で別れた。
これも、いつもの普通な事だった。
 
 
この一件には、実は今迄、Mに対して伝えていないことが有る。
二人にしては、普通では無かったからだ。
 
Mを見舞ったその日の夕食時、私はカミさんにこう提案してみた。
 
「Mに腎臓を提供したいと言ったら、止めるかい?」
 
と。
カミさんは、少し考え、
 
「止めはしないけど、止(よ)した方が良いと思う」
「普段から水分を多く摂って居るから、腎臓に負荷が掛かっている筈だよ」
「移植してもらうのは構わないけど、その腎臓が不良品だったりしたら、一生悔やむよ」
 
と、言ってくれた。
私は、素直に従った。
 
そして、これは後日談なのだが、私の父が癌で亡くなった。
初発だったのは、腎臓癌だった。
癌は遺伝するとも謂われて居る。すると、もし私がMに腎臓提供を申し出て居たりしたら、癌の遺伝子を持って居たかもしれない腎臓をMの体内に入れて仕舞うところだったのだ。
 
私は、カミさんの賢明な判断に感謝すると共に、M対しての沈黙を続けている。
 
 
更に、父の死に関して、私は共通の友人を介して伝え聞いたことが有る。
 
私は、学校時代の友人に対し、父の葬儀に関する情報を流さなかった。
家業を営んでおり、父の意向に伴い社葬として執り行うからだ。
従って、列席者は相当な数に為ると思われ、私の個人的な知り合いには、御遠慮頂きたかったのだ。正確には、仕事で止む無く関わっていた友人4名だけには、
葬儀日程を知らせ、列席願った。
 
案の定、社葬には300名を超える参列者に来て頂いた。何しろ、読経が終わっても、焼香の列が切れ無かった位だ。
私の友人だけでも、御遠慮願って正解だった。黙っていて、佳かったと心底思った。
 
しかし、私のこの沈黙には、本音が隠れていた。
古くからの友人、特にMの様な者には、父親の葬儀に来て欲しくなかったのだ。
必ず、私と家族の折り合いの悪さを見透かされると思って居たからだ。
それに社葬なら、表面だけを繕って置けば、何も気にせず済むと思って居た。
親の死に際し、涙一つ流さない(実際、そうだった)冷淡な私を、真の友人には見せたくなかったのだ。
 
そう。
家族に前の私は、飽くまで仮の姿で、友人達の前が、私の真の姿なのだから。
 
 
当然のことながら、父親の死を友人達は時を待たずして知ることと為った。
中には、家族の葬儀に私が参列した友人も居た。
 
電話で叱って来る分には未だ佳かった。
友人の内数人は、四十九日を待たずして、父の遺骨が未だ自宅にある内に焼香に来る者迄現れた。
中には、
 
「いい加減にしろ! 義理を欠いて仕舞うじゃないか」
 
と、怒りながら帰る者も居た。
私は、丁重に詫びを入れ、御引き取り願った。
 
 
その中でMだけは、何の連絡も無く、勿論、焼香に来ることも無かった。
 
数か月後、カミさんへMの奥さんから電話が入った。
不義理を詫びた上、Mの様子を伝えてくれた。
 
父親の死を知ったMは、奥さんに、
 
「俺(M)が怒ることを解っていて知らせないのだから、山田には山田なりの考えや想いが有るのだろう」
 
と、見解を伝えたそうだ。
私は、この沈黙に対するMの解釈に、只々、感謝する事しか出来なかった。
 
しかしこれも、二人には普通の事だった。
 
 
“遠い(私の場合は感情だが)親戚より、近くの他人”とは、よく謂ったものだ。
『刎頚之友(ふんけいのとも)』とは、言い得て妙なものだ。
 
出逢ってから半世紀を経過したMは、文字通り友人を通り越した同志だと思った。
だって、至って普通の間柄を築いてくれたのだから。
 
 
Mと私にも、いつか必ず永遠の別れを余儀なくされる時が来る。
 
どちらが先かは解からない。
 
 
しかしMだけには、私の感謝を伝えたいし理解して欲しい。
 
 
多分、大丈夫と私は思って居る。
 
 
何故なら、長年の誼(よしみ)で、互いに稀な普通を理解出来た同志なのだから。
 
Mと私に限っては。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を45年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院カフェSHIBUYA

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸二丁目18-17
ENOTOKI 2F
TEL:04-6652-7387
営業時間:平日10:00~18:00(LO17:30)/土日祝10:00~19:00(LO18:30)


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00



2025-07-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.315

関連記事