週刊READING LIFE vol.315

「普通」をすりあわせて夫婦は育っていく《週刊READING LIFE Vol.315 『普通』って何だろう?》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2025/7/17/公開
記事:志村幸枝(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
 
 
朝の1分は、夜の10分に匹敵する。
そんなふうに感じるのは、きっと私だけではないだろう。朝は、ただでさえ時間が詰まっている。お湯を沸かす。コーヒーを淹れる。パンを焼く。卵を焼く。大したことのない動作の連続なのに、そのひとつひとつがリズムを持っていて、そのリズムが少しでも狂うと、たまらなく嫌だと感じてしまう。
 
その朝、ドリッパーがいつもの場所になかった。流れるように動きたい朝の時間に、ほんの少しひっかかりが生まれただけで無性に苛立つ。無駄な感情だとわかっていても湧き上がるからどうしようもない。そういえば、昨日は夫が後片付けをしてくれた。ありがたいことだ。だけど、「どこに何を置くのが普通か」という、私にとっての見えないルールが、彼には伝わっていなかった。そしてそれは、日常の至るところで、静かに顔を出す。
 
たとえば、洗濯物。ハンガーの型を付けたくないセーターやカットソーは「竿干し」するものだと思っていた。けれど彼はそんなことは気にしない。歯ブラシを立てて収納する私に対して、彼は寝かせて置く。どちらが正解というわけでもない。けれど、日常のほんの些細な場面に、自分の「普通」が通じないという感覚が、じわじわと積み重なる。
 
そのたびに思う。「普通って、なんなんだろう?」と。育った家庭、地域、文化、時代。それぞれが織りなした“思い込みの集合体”のようなもの。アインシュタインがいうあれだ。「常識とは18歳までに身に着けた偏見のコレクションである」と。まさに、私たちはそれぞれ違う「コレクション」を持っていて、結婚生活とは、それを隣り合わせに並べる試みのように思う。
 
異なる「普通」同士が共同生活を送るというのは、ある種の文化摩擦の連続だ。生活のあらゆる局面に「違い」が顔を出す。最初のうちは、それを見つけるたびに衝突し、なんとかすり合わせようと努力する。しかし、やがて気づく。「そもそも、完璧に一致することなど無理ではないか」と。相手の「普通」と自分の「普通」が異なるのは当たり前であり、むしろそうであって自然である。だからこそ、その違いを認め、受け入れる方が、よほど楽なのである。家庭内でその認識に至ることができれば、生活は格段に心地よくなる。
 
とはいえ、「違って当たり前」が通じにくい場所もある。おそらく、職場がそうだろう。
私はかつて、ある店舗で店長をしていた。そこには20代から60代まで、幅広い年齢層のスタッフが揃っていた。そして皆、なかなかに個性派揃い。人数は少なくても、そこは紛れもなく社会の縮図だった。何をとっても「普通」が違った。
 
たとえば、掃除のやり方。
掃き掃除と拭き掃除、どちらが先か。雑巾はどれくらい絞るのか。バケツの水はたっぷりか、ちょっとだけか。トイレの雑巾は使い捨てのものか、否か。細かい話だけれど、これがまあ、言い出すとキリが無い。
 
こんな時、自分の「普通」を他人にぶつけてしまえば、それはもう“提案”や“共有”ではなく、“支配”に変わってしまう。もちろん本人にそのつもりがなくても、だ。「私はこうしてる」だけなら単なる個人の習慣に過ぎないのに、「これが普通」と口にした瞬間、空気が変わる。相手のやり方が、にわかに「異常」や「非常識」へとすり替わってしまうのだ。
 
特に、年齢を重ねた人の「普通」というのは、厄介だ。
その「普通」には、長い年月で積み重ねた経験がある。歴史があるぶんだけ、根が深く、そして分厚い。言い換えれば「こだわりが強い」。さらには、“誇り”や“信念”をまとっていたりもする。だから、一度それに火がつくと、議論というより一方的なやりとりになってしまう。
 
ちなみに、私が勤めていた店舗では幸い、そうした“押しつけ”や“説教”のようなことはほとんどなかった。皆それぞれにクセは強いが、お互いの違いを面白がれる空気があったからだと思う。でも、世の中にはそううまくいかない場面は多々ある。たとえば「嫁姑問題」などは、その最たる例ではないだろうか。味噌汁の具材からふきんの干し方まで、どちらも「正しい」と信じているからこそ、衝突が起きる。「そのやり方はちょっと…」の裏には、それぞれの「普通」が山のように積み上がっているのだ。
 
だからといって、衝突を避けるがあまり、すべてを「まぁいっか」で流してしまえばいいという話ではない。お互いを理解しようとする時、それぞれの「普通」を並べてみることは必要だと感じる。並べて、眺める。その「普通」が絶対ではないと気づくプロセスは、争いの火種をひとつ減らすことになるからだ。相手のやり方にイラッとしたときに、心の中でそっとつぶやいてみる。ひろゆき風に「それはあなたの感想ですよね」でもいいが、「これはこの人のコレクションなんでしょうね」と言ってみる方が、脳内がエレガントになる。大人の対応ができそうな気分にさえなる。
 
主張をすること自体が悪いわけではない。大事なのは、その主張を「みんなの普通」に仕立て上げようとしないこと。意見が分かれたとき、まずは黙って様子を見る。それが、第一の知恵だ。誰かが「いや、それは非常識でしょ」と言ってきたとしても、すぐさま感情で反論せず、静かに一言返せばいい。「理由があるなら、聞かせてもらえますか」と。
 
「感情」は一端横に置く。「合理性」の軸をもって、互いにチューニングしあう。それができれば、無用な衝突は避けられる。「なんとなく嫌だから」「昔からこうしてるから」だけでは、他人の「普通」は動かせない。ましてや、世代も価値観も背景も異なる人々が同じ空間で過ごすなら、それぞれの“正しさ”が並んで存在するのは当然のことだ。それらをすり合わせながらやっていくことが求められる。
 
 
 
さて、我が家は。
夫は、食べ終わったアイスの棒をちょこんとテーブルに置く。キッチンでもなく、ゴミ箱に捨てるでもなく、でも「ベタベタしないように」の気持ちなのか、ご丁寧にアイスの袋の上に置く。おいおいおい。そこまでするのになぜ捨てない? 疑問符に怒りを込める。 
 
でも、一呼吸おいて、彼なりの合理性や配慮に目を向ける。
「アイスの棒の置き方には気遣いが感じられるやん?」「小さなゴミを捨てるのは苦手でも、大きなゴミ袋は3~4つ抱えて捨てに行ってくれるやん?」と。いや、正確には「そう言い聞かせている」。
 
お互いが、自分の「普通」の100%を押しつけず、60%ずつくらいで妥協しあう。たぶん、そういう「ちょっと許せてないけど、黙ってること」の積み重ねが大事だ。「結婚してからは片目を閉じよ」なんて言われるくらいだから、50%でも良いのかもしれない。気をつけておきたいのは、黙り過ぎないこと。そうしないとマグマのような「怒りの煮えたぎり」が閾値を超え、突然爆発してしまう。いわゆる熟年離婚というのはそんな風に起こるのだろう。だから、時々(いや頻繁に?)言わせてもらう。「小出し」にする方が健全な関係が保たれるような気がして。
 
そうやって夫婦ですり合わせてきた「普通」が、それなりに熟してきた気がする。いや、熟成というより、干からびかけた諦めかもしれないのだけれど。それでも、夫が置き去りにしたアイスの棒に、愛おしさを感じてしまう時もある。ならば、かろうじて腐敗せず、うまく発酵しかけた愛情ということにしておこう。いつでも心のどこかに、そんな風に思える余白を持っておきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
志村幸枝:しむらゆきえ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
京都在住の道産子。27年勤めた漢方相談店を退職し、2025年1月より、ライティング・ゼミに参加。16週間で13作品が天狼院メディアグランプリに掲載され、66th Season総合優勝を果たす。2025年5月より、ライターズ倶楽部へ。今は神戸で漢方相談に携わる。わかりやすいたとえ話で「伝わる漢方相談」をするのがモットー。

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2025-07-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.315

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