“もう一度”の力——作業療法士として、私は最強になる《週刊READING LIFE Vol.316 私は最強》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2025/7/24/公開
記事:内山遼太(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
「この手で、またご飯を食べたいの」
祖母がそう言ったとき、私の人生は大きく変わった。脳梗塞で右半身に麻痺が残り、リハビリ病院のベッドで小さくなった祖母の姿を見ていると、胸が締め付けられるような思いがした。これまで当たり前にできていたことが、突然できなくなる。そんな現実を目の当たりにした私は、初めて「誰かの力になりたい」という強い気持ちを抱いた。
その時の私はまだ、作業療法士という職業があることすら知らなかった。しかし、祖母のリハビリに寄り添う中で出会ったセラピストの方々の姿を見て、私は確信した。これが私の歩むべき道だと。
祖母は私にとって特別な存在だった。両親が共働きで忙しい中、放課後はいつも祖母の家で過ごした。祖母の作る温かい手料理を一緒に食べながら、学校であったことを話すのが日課だった。祖母は私の話を最後まで聞いてくれて、時には厳しく、時には優しく励ましてくれた。
「人は一人では生きていけない。だからこそ、お互いに支え合うことが大切なのよ」
祖母がよく言っていた言葉だった。当時の私にはその意味がよくわからなかったが、今思えば、これが私の人生観の基盤となっている。
そんな祖母が倒れたのは、私が高校三年生の春だった。突然の出来事に家族全員が動揺し、私もどうしていいかわからなかった。意識を取り戻した祖母は、右手が動かなくなっていた。これまで器用に箸を使って料理を作っていた祖母が、スプーンを持つことすら困難になっていた。
「もう料理は作れないのかしら」
祖母の涙を見たとき、私は自分の無力さを痛感した。大好きな祖母の力になりたいのに、何もできない自分がもどかしくて仕方なかった。
祖母のリハビリが始まって数週間後、私は初めて作業療法士の先生と出会った。田中先生という女性で、祖母に対して丁寧に接しながら、様々な訓練を指導してくれた。
「今日は箸を使って豆を移す練習をしましょう」
田中先生は祖母に声をかけながら、根気強く付き添った。最初は豆を一つも移すことができなかった祖母が、数日後には数個の豆を移せるようになった。その瞬間の祖母の笑顔を見て、私は胸が熱くなった。
「作業療法士は、日常生活の動作を取り戻すお手伝いをする仕事なんですよ」
田中先生が教えてくれた言葉は、私の進路を決定づけた。人の「できない」を「できる」に変える仕事。それは、まさに私が求めていたものだった。
作業療法士になるという目標を決めた私は、医療大学への進学を決意した。しかし、実際に学び始めてみると、思っていた以上に厳しい現実が待っていた。
解剖学、生理学、病理学など、覚えることは山ほどあった。実習では、理論と実践のギャップに悩まされた。特に初めての臨床実習では、自分の知識不足と経験不足を痛感し、患者さんに対して十分な支援ができない自分に落ち込んだ。
「本当に私にこの仕事が務まるのだろうか」
何度もそんな不安に襲われた。同期の仲間たちと比べても、自分が劣っているように感じることが多かった。特に、コミュニケーション能力に自信がなく、患者さんとうまく関係性を築けずに悩んだ時期もあった。
医療大学三年生の時の実習で、私は大きな挫折を経験した。担当していた高齢の男性患者さんが、私の指導に対して「君では頼りない」と言われたのだ。その時の悔しさと情けなさは、今でも忘れることができない。
指導者の先生からも「患者さんとの信頼関係を築くことができていない」と厳しい指摘を受けた。自分では一生懸命やっているつもりだったが、それが相手に伝わっていなかった。
「私には向いていないのかもしれない」
そんな思いが頭をよぎった。しかし、そのときに祖母の言葉を思い出した。
「諦めるのは簡単だけど、続けることの方が難しい。でも、続けた先にしか見えない景色があるのよ」
祖母がリハビリを続けながら言った言葉だった。私は改めて、なぜ作業療法士になりたいと思ったのかを考え直した。
資格を取得し、新人作業療法士として働き始めて半年が経った頃、私は運命的な出会いを経験した。80歳の女性患者さん、佐藤さん(仮名)との出会いだった。
佐藤さんは脳梗塞の後遺症で左手に麻痺があり、これまで楽しんでいた編み物ができなくなっていた。初めてお会いしたとき、佐藤さんは諦めたような表情を浮かべていた。
「もう編み物はできないでしょうね。孫に帽子を編んであげたかったのですが」
その言葉を聞いたとき、私は祖母の顔が浮かんだ。「もう一度、ご飯が食べたい」と言った祖母と、同じような気持ちなのだと感じた。
私は佐藤さんと一緒に、編み物ができるようになるための訓練プログラムを考えた。まず、カナダ作業遂行測定(COPM)という評価表を用いて、佐藤さんが最も重要視する作業活動を明確にした。そこから段階的なアプローチを組み立てた。最初は指の動きを改善する基本的な運動から始め、編み針を持ちやすくするためのグリップの工夫、そして左手の動きを補うための特殊な編み針の導入など、一つひとつ丁寧に進めた。
三ヶ月間の訓練の末、その日はやってきた。
「先生、見てください」
佐藤さんの声に振り返ると、佐藤さんの左手が編み針を器用に動かしていた。一目、また一目。震える指先で、ゆっくりと、しかし確実に編み進めている。
私は思わず息を止めた。佐藤さんの表情は集中そのもので、眉間に小さな皺を寄せながら、針先に視線を注いでいる。カチカチと編み針の音だけが、静かな訓練室に響いていた。
そして——編めた。
佐藤さんがゆっくりと顔を上げた。その瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「先生、ありがとう。また孫に帽子を編んであげることができます」
佐藤さんの涙を見たとき、私も思わず涙が溢れた。これまでの努力が報われた瞬間だった。そして、私は改めて作業療法士という仕事の意味を実感した。
それから数週間後、佐藤さんは孫さんのために編んだ帽子を持参してくださった。小さな水色の帽子は、決して完璧ではなかったが、愛情がたっぷりと込められていた。
「孫がとても喜んでくれました。『おばあちゃんが編んでくれたの?』って、何度も聞くんですよ。そして『今度は僕も一緒に編みたい』って言うんです」
佐藤さんの嬉しそうな顔を見て、私は確信した。これが私の天職だと。一人の患者さんの「できた」が、家族全体に波紋のように広がっていく。それこそが、作業療法士の仕事の真の価値なのだと。
そんな充実した日々を送っていた矢先、祖母の容態が急変した。長い間リハビリを続けてきた祖母だったが、持病が悪化し、入院することになった。
病室で祖母と最後に話したとき、祖母は私にこう言った。
「あなたが作業療法士になって、本当に良かった。きっと多くの人の力になれるわ。私も、あなたに支えられて、最後まで自分らしく生きることができた」
祖母は穏やかな表情で、私の手を握ってくれた。その手は以前より細くなっていたが、温かかった。
「人は一人では生きていけない。だからこそ、お互いに支え合うことが大切なのよ」
祖母が最後に言った言葉は、昔から変わらないものだった。そして、私はその言葉の真の意味を理解することができた。
作業療法士として働き始めて五年が経った。これまで多くの患者さんと出会い、それぞれの「できない」を「できる」に変えるお手伝いをしてきた。
脳梗塞で手が動かなくなった画家の方が、再び絵を描けるようになったとき。交通事故で歩行が困難になった主婦の方が、再び家族のために料理を作れるようになったとき。認知症の進行で日常生活に支障をきたしていた方が、工夫された環境の中で自分らしく生活できるようになったとき。
そんな瞬間に立ち会えることが、私にとって何よりの喜びとなっている。
もちろん、すべてが順調にいくわけではない。思うような結果が得られず、悔しい思いをすることもある。しかし、そんなときこそ、祖母の言葉を思い出す。
「諦めるのは簡単だけど、続けることの方が難しい。でも、続けた先にしか見えない景色があるのよ」
「私は最強だ」
そう言い切ることができるのは、決して傲慢さからではない。それは、人の「できない」に寄り添い、「できた」という奇跡を共に創り上げることができる仕事に携わっているからだ。
人生において、誰もが困難に直面する。病気、事故、加齢によって、これまでできていたことができなくなる。そんなとき、多くの人が絶望し、諦めてしまう。
しかし、私は違う。私は「できない」の先にある可能性を見つけることができる。適切な評価と分析を行い、個人に合わせた訓練プログラムを立案し、継続的な支援を提供することで、多くの人の人生を変えることができる。
これは、単なる技術や知識だけでは成し得ない。患者さんの気持ちに寄り添い、信頼関係を築き、共に歩むことで初めて可能になる。そして、その結果として生まれる笑顔や感謝の言葉は、私にとって何よりも価値あるものとなっている。
祖母が「もう一度、ご飯が食べたい」と言ったあの日から、私の人生は大きく変わった。作業療法士という職業に出会い、多くの人々との出会いを通じて、私自身も成長することができた。
今、私は胸を張って言える。人の「できない」を「できる」に変える。人の人生に寄り添い、共に歩む。そんな仕事を続けていられる私は、静かに誇りを持って言い切ることができる。
——私は最強だ。
それは、一人ひとりの患者さんの人生に深く関わり、その人らしい生活を取り戻すお手伝いができるからだ。そして、その過程で私自身も、人として大きく成長させてもらっているからだ。
祖母が教えてくれた「支え合うことの大切さ」を胸に、これからも多くの人の力になっていきたい。
もしかしたら、あなたの身近にも「もう一度、○○がしたい」と願っている人がいるかもしれない。そのとき、私たちのような職業があることを思い出してほしい。誰かの”もう一度”に寄り添いたい——そう願うすべての人へ。私たちは、きっと最強になれる。
□ライターズプロフィール
内山遼太(READING LIFE ライターズ倶楽部)
千葉県香取市出身。現在は東京都八王子市在住。
小学生の頃、鹿島アントラーズの選手たちの不屈のプレーに心を打たれ、「自分もこんなふうに誰かの力になれる人になりたい」と思うように。高校時代には、表舞台を支える仕事に魅力を感じ、作業療法士の道を志す。
大学卒業後は、終末期医療の現場で神経難病の方々のリハビリに携わり、現在はデイサービスにて、生活期高齢者への予防的リハビリを提供。作業療法士としての実践に加え、終末期上級ケア専門士・認知症ケア専門士としての知識も活かしながら、「その人らしい生き方」を支える支援に取り組んでいる。
また、新人療法士向けのセミナー講師としての活動や、日々の現場で出会う「もう一度◯◯したい」という願いを形にするための執筆活動にも力を注いでいる。
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