漢方相談は実のところ世界平和だ。だから私は今日もまた世界を救っている《週間READING LIFE テーマ ‘国際社会’》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2025/7/31/公開
記事:志村幸枝(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
朝は空気がピリピリしている。娘はまだ寝ている。いや寝たふりかもしれない。息子はリビングでスマホ。私は、「畳んでー!」「運んでー!」とキッチンから指令を送る。声に苛立ちがのっているのは自覚済み。でも言わずにはいられない。夫はこの道30年の爆弾処理班。爆発寸前の私の扱いには慣れたものだ。地雷がどこに忍ばせてあるかもよくわかっていて、踏みつけずにうまいこと避ける。誰も怒鳴ったりはしないけれど、朝は緊張感が漂っている。
そんな中、夫が言った。
「俺、今日も世界救ってくるわ」
は?である。なにを唐突に。思わず「はい?」と素で返した。そもそもあなた、毎日そんな高尚な仕事してましたっけ? まったくもって、なにを言ってるんだか。なのに、そのあと、この言葉がじわじわ効いてきた。出がけにふと放たれたそのひと言を反芻する。トゲトゲした朝の空気に、あの場違いなセリフ。けれども、場違いだからこそ、空気がほんの少し緩んだ気もした。夫のあの一言は、冗談に見せかけた小さな仕掛けのようにも思えた。朝のピリピリを、言葉一つで割って出ていった男の背中に、私はちょっとだけやられた。悔しいけど、夫はそういう男だ。やるじゃないか。
そして気づく。「……それ、私やん……!」と。
そんなことがあってから、いつからか私は、「お母さん、今日も世界救ってくるわ」と言うようになった。半分ネタで、半分本気で。子どもたちは毎回「ハイハイ」とあしらっていたけれど、それでも私は、本気でそう思っていた。今日も誰かの体調を整えて、気分を軽くして、その人の周りの空気をちょっとだけ小マシにしてくる。それを“世界を救う”と呼ばずして何と言うのか。
そうだ。私は、世界を救っている。
そう思わせるのは漢方相談の仕事をしているからだ。もう20年以上、毎日いろんな人の「なんとなく不調」と向き合っている。肩こり、冷え、頭痛、胃の重さ──その多くは、実はメンタル由来であることがほとんどだ。漢方の世界ではそれを“気の巡りの不調”とするが、つまりはココロの状態がカラダに出ているという話。「病は気から」は、わりと本質的な言葉だ。
相談者の多くは、いつも見えない敵と戦っている。戦闘態勢がこびりつきすぎて、力の抜き方がわからなくなっている人、それを通り越して、力が入らなくなってしまった人など。けれども、こちらがじっくりと話を聞いて、カラダに合った漢方を提案して、数日後。「最近ちょっとラクかも」「あれ、寝られるようになってきました」──そんな小さな変化の報告を聞くたび、私は内心ガッツポーズしている。なぜなら、その人がちょっとご機嫌になるだけで、その人のまわりの空気も変わると知っているからだ。
数年前、娘は反抗期真っ只中の中学生だった。今でこそ落ち着いたけれど、その頃は殺気立つテロリストのようだった。「話しかけるな」のオーラ全開。すべてのリアクションが敵意100%。あんなにお父さん子だったのに、夫と目も合わさなくなった。
中学生になって部活が始まり、塾にも行くようになった。きっと疲れていたんだろうと思う。大人も子どもも、疲れたら機嫌が悪くなるものだ。ちょうどその頃、近視であることがわかり、それならば「しっかり整えて欲しい」と、娘に漢方薬を飲んでもらった。しばらく続けると、機嫌がすっかり戻った。なんと驚いたことに、夫と目を合わせて笑うようになった。これはかなりの想定外の出来事だった。その時だ。「漢方って、世界平和やん」と思ったのは。小さな世界がひとつ救われた瞬間だった。
家庭の空気は、ひとりのご機嫌で驚くほど変わる。たったひとりの変化が、家全体を変える。その逆もしかり。不機嫌な人間が一人いるだけで、空気はずっと重くなる。ここで重要なのは、「ご機嫌は連鎖する」ということ。なぜなら、ご機嫌というのは、「場をつくる力」でもあるからだ。
人の機嫌は伝染する。しかも、不機嫌のほうが伝染スピードは早い。職場に一人ピリピリした人がいるだけで、その場の空気が全体的にトゲトゲしくなる。全員が「地雷を踏まないように」と慎重になり、自然な会話が消えていく。気づかないうちに、空気は縮こまり、人間関係の通気性が悪くなる。
一方で、ご機嫌な人がひとりいるだけで場が和らぐ。ありがとうが言える、相槌が打てる、ちょっとした冗談を笑って返せる。そういう人が場にいると、「あ、話しかけても大丈夫かも」と思えるようになる。つまり、ご機嫌はその場の“安全性”をつくる。ユーモアが許される空気、挑戦しても大丈夫な余白。それはすべて、誰かの“機嫌”から始まっている。
この連鎖は、同心円のように広がっていく。自分、家族、職場、地域、社会──そして世界へ。そんなの理想論だ、と思う人もいるだろう。でも考えてみてほしい。戦争の始まりは、誤解や怒りや恐れから始まる。不機嫌な人に、対話はできない。不安定な人に、他者の痛みを想像する余裕はない。だからまず、自分を整える。それが一番最初の、世界平和への入口だと私は思っている。
正直に言ってしまえば、世界のどこかで起きている戦争や争いを、私は完全に“自分ごと”にはできていない。ニュースで見れば心は痛む。でも、すぐに生活の雑事に押し流されてしまう。SNSで誰かが怒っていても、どこかで“画面の向こうの話”として処理してしまう。
でも、ふと思う。
あの争いのきっかけも、最初は誰かの“不機嫌”だったんじゃないか。
誤解、怯え、疲労、怒り……それらが積もり積もって、暴力になっただけでは? だったら理解、共感、余裕、笑顔。それが積み重なれば、平和の種になるんじゃないか、と。
もちろん、私ひとりが笑ったところで、地球の裏側の紛争が止まるわけじゃない。でも、少なくとも「誰かに八つ当たりして、その人がまた誰かに当たり散らす」という負の連鎖を、私は一つ止められるかもしれない。それは、誤差のように小さいことだけど、“ゼロ”ではない。
今日も、ご機嫌なひとりが、半径数メートルの空気を救う。そしてそれが誰かに伝わり、さらにその誰かが、また別の誰かにやさしくなれる。そういう“同心円的なご機嫌”の波が、国境も文化も超えて、やがて国際社会にも影響する──そう信じている。
「お母さん、今日も世界救ってくるわ」と言うと、子どもたちは今でも「ハイハイ」と言う。でも、私は本気でそう思っている。目の前の誰かが笑えるようになるだけで、世界はたしかに少し救われる。そんな、小さいけれどゼロではないエネルギーの渦巻きを、漢方相談の現場から放っているつもりだ。
□ライターズプロフィール
志村幸枝:しむらゆきえ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
京都在住の道産子。27年勤めた漢方相談店を退職し、2025年1月より、ライティング・ゼミに参加。16週間で13作品が天狼院メディアグランプリに掲載され、66th Season総合優勝を果たす。2025年5月より、ライターズ倶楽部へ。今は神戸で漢方相談に携わる。わかりやすいたとえ話で「伝わる漢方相談」をするのがモットー。
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