週刊READING LIFE vol.318

恥ずかしいのは始まりの合図~四十女の飲食店パート日記~≪週刊READING LIFE「恥ずかしい人」≫


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2025/8/7/公開

記事:パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

  
  

もしかしたら選択を間違ってしまったのかもしれない。

50代の女トレーナーの厳しい……いや、厳しすぎる指導を受けながら私は肩を落とした。

 

初出勤からわずか3日め、私はまだろくに習ってもいないレジに立たされていた。

「ほら! お客さん、来たよ!!」

透明の扉越しにドンドンお客さんが店内に入ってくる様子が見える。
 

きっ、来た……こっ、怖いよーーーー!!

私は生まれたての小鹿のようにブルブルしながら、トレーナーに訴える。

「あっ……あのっ! まだレジのやり方を教わっていません!!」
 

モーニングタイムとはいえ、少しお客さんで混雑してきた店内で「そうだっけ? ならいいや」となるはずもなく、トレーナーはきっぱりとした声で言った。

「やりながら教える!」
 

え~~~、そんなぁ~……。

とりあえずお客さんに入店の挨拶をしなければならない。私は気を取り直して

「おっ、おはようございまぁ~す……」と言ってみた。
 

言い終わらないうちにトレーナーの怒声が飛んできた。

「声が小さい!!!!!」

「はっ、はい!! すみません!!」
 

ひーっ! 怖いよ~!

とりあえず返事だけはしたものの、レジ後ろにある厨房で仁王立ちしているトレーナーの存在が怖いし、このあと無事に接客を終えられるのかも怖い。
 

目の前で叱られる四十越えのおばさんはやはり痛々しいのだろうか。レジの向かい側に立つ男性のお客さんが苦笑いしている。
 

あぁ恥ずかしい。お願い、こっち見ないで。

私はジトッとしたあまり気持ちのよくない汗を額ににじませながら、言われる通りになんとかレジ作業を終えた。

ホッと一息つくも、まだ熱き指導は終わらない。
 

レジ作業が終わり、今度はトレイに商品をお出しする。

「順番が逆! みそ汁を注ぐ間にサラダを出す!!」

ボタン一つでみそ汁を注いでくれるサーバーのボタンを押す、みそ汁がお椀に注がれる約3秒を利用してセットのサラダをトレイに並べる。

とにかくスピードが重視、サラダを先に取ろうとした私に、お客さんを少しでもお待たせするな、というのである。
 

アスリートでも育ててんのかよ! という驚きもなくはなかったが、右も左もわからないド新人にとってトレーナーの言うことは絶対! ということで私はこの流れを頭に叩き込んだ。
 

次男を産んでからというのも約5年、私は「専業主婦」という安定の座を譲る気はなかった……というより、何か新しいことを始める気がサラサラなかった。それぐらい毎日を送るのに精いっぱいで疲労していたのだ。
 

しかし、どうだろう。

長男も次男も少しずつ成長していくうち、珍事が発生しまくるロールプレイングゲームのような日常は段々と落ち着きを取り戻してきていた。それに伴い、常時HPゼロのヘロヘロな母から回復しつつあった。
 

「そうだ、仕事しよう」

急なひらめきとも言える感じで、お仕事アプリで探した定食屋さんに応募した。

学生時代に経験のあるバイトはどれも飲食店。それなりの忙しさのなかでお客さんたちのお食事タイムをせっせとお手伝いする、私はあの飲食店の活気ある雰囲気が好きだ。
 

経験のある飲食店で、しかも家から超近い勤務先。チャリで行けば3分の距離だ。

ノリと勢いしかないようなザ・飲食店の店長に面接をしていただき、私は即採用された。

「まずはホールの仕事を覚えていただきますが、ゆくゆくは調理もやってもらいます」

この店は全員が全ての業務をこなせるように教育されるシステムだ。
 

店長のノリと勢いが移ったのか「まあ何とかなるっしょ!」と簡単に考えていた私を待っていたのは、体育系の部活を思わせるほどの気合いとスピードと体力の世界だった。

そもそも私が学生時代に飲食店でバイトをしていたのは、もう20年以上も前の話である。勤めていたファミレスでホールのスタッフをしていた私が特に求められたものは『笑顔』だった。
 

もちろんスムーズなお給仕というのが大前提ではあるものの、本社から監査が入る時、ホールが唯一加点してもらえるのは『笑顔』だけだったからだ。白衣に白い帽子をかぶった無言のおじさんが、ワンピースのスカートをヒラリと揺らしながら優雅に動き回るホールスタッフの姿をじっと観察している。
 

お客様をお迎えする時、ご注文を取る時、お辞儀の角度、食べ終わったお皿をお下げする時、たかがファミレスといえどもお客様へのお作法に関してはきちんと設けられた教育期間、マンツーマンで教えてもらっている。
 

大阪出身の店長が「もっと! もっと笑顔で! 泣き顔になるくらいの笑顔でちょうどいいで!!」とうるさく言うものだから、私たちは泣いているのか笑っているのかわからない顔でとりあえず目尻を最大限にさげてみたり、頬骨が異常を唱えるほどに口角をあげてみたりした。
 

何度か出くわした白ずくめのおじさんから、唯一の加点をゲットできたのかどうか、もう20年以上も前のことで覚えてもいない。それでも若かりし頃に鍛えてもらった笑顔はなかなかの破壊力だったようで、常連の老夫妻に「とても感じがよいね」と褒められたりした。
 

正直、この「笑顔で感じよく接客ができる」というカードに自信を持っている自分がいた。

その後、20年以上の時を経て、定食屋でのパート勤務が決まった時、私はこう思っていた。
 

「ブランクはありますけど! 自分イケます!! 笑顔イケます!! 笑顔なら任せてください!!!!!」
 

その自信が音を立てて崩れていったのは、勤務しだしてすぐの事だった。

20年前のファミレスで優雅にレモンスカッシュを手作りしていたのとはワケが違った。グラスにカランと氷を入れてレモンスカッシュを注ぎ、仕上げにレモンの輪切りと可愛らしいチェリーを飾る。トレイ片手に颯爽とお客様のテーブルに現れ、音がしないようにグラスをゆっくり置く。

「ごゆっくり、どうぞ」

微笑みながらお辞儀をして、テーブルを去るまで約5分以内。

片や、定食屋ではレジで先に精算をしながら厨房に向かって「〇〇いっちょう~!!」と叫ぶ。それと同時に厨房ではアスリートの速さで調理が行われ、サラダやみそ汁などのサイド商品を準備し、提供カウンターにてお客さんに商品をお渡しする。メニューによっては1分とかからない。店員はなんだかみんなずっと小走りだし、提供に必要なものを揃えていくときの忍者のような素早い動き! 同じ飲食店といえども全然違う! 趣が180度違うのだ。

最強の武器の笑顔、使う暇ないですや~ん……私はがっかりした。
 

「もっと大きい声で!」

「ボーっとしない! その間に〇〇を準備する!!」

「レジの合間に、商品の提供もして!!」

「ほらっ! 次のお客さんのご注文も聞いて!!」
 

慣れないうちは、内心でいちいち(ひ~~っ)と悲鳴をあげた。

(そんな急に言われても出来ないよぉ~)ピークを過ぎて死にゆく脳細胞に抗うように、私は必死にメモを取った。
 

たった4時間ほどのゆるい勤務だったが、それでも自宅に帰るとどっと疲れが押し寄せ、子供たちの帰宅まで、ソファで泥のように眠った。
 

実は、もう一人、厳しい指導を受けている人物がいた。

50代のおじさん、Kさんだった。
 

50代の女トレーナーに、40代のおばさん(私)と50代のおじさんが容赦なく叱られる姿を想像してみてほしい。さすがにシュール過ぎる。
 

自分が叱られる時はまだ必死で気づかなかったが、Kさんがトレーナーにギャンギャンに言われている時は、さすがに目を覆いたくなった。いや、もう、見てらんないってば……。
 

二人して報連相が滞ってしまった時は、「そんなことじゃいけません!」とまるで子供が叱られるようだった。ひょえー、また怒られたよ~、恥ずかしいよ~……。

「はいッ! 申し訳ありません!!」
 

それでも昭和の時代に生まれたおじさんとおばさんは、立場が上の人に対して礼節を欠くわけにはいかず、失敗を真摯に詫びながら、次はなんとか頑張ろうと必死に業務を覚えていった。
 

勤務から3ヶ月が経った頃だろうか。

レジでお客さんの精算が終わり滞りなく商品が提供できるようになってきていた。

「ごゆっくり、どうぞ~!」

お客さんが去った瞬間、女トレーナーは提供台に肩肘をおいてニヤリと笑った。

「だいぶん慣れてきたみたいね」
 

パァーっと心に一輪の花が咲いた私は「ありがとうございますっ!」とお礼を言った。

気付けば私も、他の店員みたいにシュパパパッと反応できるようになっており、素早い商品提供する姿はもしかしたら「くノ一」のように映るかもしれない。
 

トレーナーは、言い方こそ厳しいが、決して私をイジメたいわけではなく、一人前になるように熱意を持って育ててくれているのだ。
 

次に待っていた試練は料理提供のフォローだった。

「唐揚げ、揚げて!」 「はいっ!」

「カレーのルー入れて!」 「はいっ!」

「鮭、あっためて!」 「はいっ!」

「豚汁一杯!」 「はいっ!」
 

まるで千本ノックのように矢継ぎ早に飛んでくる指示をひとつひとつ全力でこなしていく。2~3個の指示を同時進行ですすめていくので、ちょっと気を抜くと自分がいま何をしているかわからなくなる。
 

それでも必死にくらいついて何とかできるようになってきた頃、トレーナーは語り出した。

「最初はさ、この人大丈夫かなって思ってたんよね(笑)声も小さかったしね。でも、今はそう思わない。多分向いてるよ、この仕事」
 

強豪校の部活の顧問みたいに、あれだけ厳しく私を指導してきた人が言う言葉だからこそ、かなりの重みがあった。羽があったら、多分飛んで行ってしまったと思う。

「ありがとうございます、がんばります」

私は嚙みしめるようにお礼を言った。
 

レジでお客さんに苦笑いされた時、私は確かに「恥ずかしい人」だった。

でも、これじゃいけないとまず大きな声を出すようになった時、風向きは少しずつ変わっていった。成長の起点にあるものは「見られたくない自分」なのかもしれない。
 

「優先順位がちがーうっ!」

それでもまだおじさんと一緒に叱られながら、業務を覚える日々だ。

でも、もう私は入社した頃の私とは違う。ひと山乗り越えた私が次に向かうのは、トレーナーの右腕として輝きを放てる場所かもしれない。
 
 
 

□ライターズプロフィール

パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

鬼瓦のような顔で男児二人を育て、てんやわんやの日々を送る主婦。ライティングゼミ生時代にメディアグランプリ総合優勝3回。テーマを与えられてもなお、筆力をあげられるよう精進していきます! 押忍!!

 

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2025-08-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.318

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