44歳の将来設計図《週刊READING LIFE Vol.32「人生の計画を立てる」》
記事:西後 知春(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
私は地方公務員だ。
でも今、私は切実に困っている。転職、若しくは副業が必要だからだ。
なぜなら、定年退職までこの仕事をしていると、確実に定年した時食べられなくなるからだ。
私は東京都で中学校の教員をしている。そう言うと、公務員だから定年してもちょっとは安心だよね。そう思う方が多いだろう。
だがしかし! 困ることは目に見えている。
私には生涯働き続けられる仕事が必要なのだ。
働けなくなった時が死ぬ時である、そう覚悟を決めている。そのくらい、切実なのだ。
からくりはこうだ。
北海道の私立高校に5年勤めた。私立高校の教員は会社員と同じ扱いになる。5年働いたと言うことで、退職金はもらった。100万くらい。けれども、そのお金はあっという間に使い尽くした。健康保険のお金、年金、住民税などなど。それでも半分くらいは残る。
次の職はすぐに見つかった。またしても同じ教員。でも、今度は公立の高校。移動距離は300キロくらいだ。引越し費用も出た。でも、足りなかった。そのお金を退職金から出し。北海道は車がなければダメだ。生きていけないレベルになる。車の初期費用、引越しで色々と買い足したものなど。それで退職金はなくなった。
でも、5年勤めたんだから。実家から通っていたんだから、かなり貯めていたんじゃない? そう思われる方は多いだろう。
だがしかし。私は貯蓄が得意ではない。
その頃、300万くらい持っていたはずだ。でも、私は電化製品に弱い。いいものを見つけるとすぐに買ってしまう。だから、今使っているMacBook Proを買い、iPhoneを買い。iPadを買い。電子レンジを買い。照明器具を買い。電化製品を買いまくって。演劇が好きだから東京に演劇を観に行って。などをしまくっていた結果、貯蓄はなくなった。
私でも、私の行動力には困ることがある。仕事を辞める決断をすると、止まらないのだ。
演劇とともに生きる。そう思っていたもんだから、演劇ができる環境でないと。今の環境は演劇をやりにくい環境だと思ったらあっという間に校長に退職をする予定の話をしに行ってしまうのだ。何度となく、止めてくれた。でも、辞めたいと思ったら止められないのだ。
そして、正規の地方公務員である教員を辞め、青森県に移った。もちろん、演劇をやるため。
青森県に移ったら、しばらくはアルバイト生活だと思っていた。稽古場から近いところ。知り合いが見つけてくれた。繁華街の中のアパート、と言えるのだろうか? という部屋だった。ボロボロ、なのはいいのだが、部屋が分断されている。ふた部屋あるけれども、真ん中に廊下がある。だから、居間は暖かいが、寝室はめちゃくちゃ寒い。北海道と違って、窓が二重にはなっているが、頼りない感じ。寝心地はあまり良くない。ベッドが、ではなく環境が。深夜を過ぎると、繁華街なせいか下手くそなカラオケが毎日聞こえてくる。部屋の目の前にある駐車場は向かいにある炭火焼のお店の客が停めてしまっている。何度となく苦情をこちらが言わなければならない。そもそもあまり苦情を言うことが得意ではなかった。
そして、青森最大のお祭りであるねぶた祭り。あの時期は最悪だ。ねぶたというのは、車両通行止めにして、3メートルくらいある張子でできた人型のものが車道を通るのだ。
ラッセラー、ラッセラー、ラッセラッセラッセラー。
そういいながら、はねとと呼ばれる祭り参加者が跳ね回る。参加するのは、楽しい。でも、生活環境の近くをねぶたが通ると最悪だ。テレビが聞こえないくらいの騒音になる。
それでも、青森県に行ってすぐに常勤講師という名の先生をすることができた。
常勤講師だから、一年で異動になったとしても文句は言えない。だって、演劇をやるために大学生以来の青森県に戻ってきたんだから。でも、教員試験は落ち続けた。
コネがないとさ、無理なんじゃない? という人。
コネがなくても受かったよ。という人。
それでも私は受からない。合計で9年受け続けた。それでも受からない。その頃、青森で入っていた劇団とうまくいかなくなっていた。
東京も受けたみようかな? そう思ったのは、劇団が東京公演を行うところだったからだ。
いつも同じところしか行かないけれども。知らない土地でもないし。そして、東京都は社会人枠という扱いで3年目に受かった。
ここまで読んでいただいた方にはわかるかもしれないが、一箇所で働いていないのだ。色々と変わっているのだ。北海道に勤めていた時は退職金が出た。でも、車の支払いが残っていたのを支払ったらなくなった。青森に移るのに、引越し代がかなりかかった。これは出してもらえなかった。勤務が決まってからの移動ではなかったからだ。
30代後半で受け取ったねんきん定期便。それを見て驚愕した。
今の段階で定年後に受け取れる年金額が10万を切っていたからだ。
ん? 年間? 10万ももらえないの! …月1万円ももらえない。
そうわかっていた。でも、東京で教員になる道を選んだ。
とりあえず、選択肢を増やすためだ。東京に行けば、何か増やせることがあるかもしれない。
だから、東京に来た。
東京都の中学校の教員の離職率は3割くらいだ。この数値は高いそうだ。
それもそうだ。高校よりもものすごく時間がない。あっという間に4時近くになっている。なんとか時間のやりくりして5時くらいには上がるようにしている。遅くまで残ってしまうとその次の日の仕事がはかどらなくなるからだ。やる気までもなくなっていく。それは避けたい。でも、同僚は遅くまで残って仕事をしている。高校で勤めていた時よりも空き時間がない。教材研究の時間もない。
5分。教科書を眺める。よし! 教室に向かう。そうでもなければ、夜8時くらいまで教材研究しても間に合わない。ただ、助かるのは、タブレットに電子教科書が入っている。だから、答えを覚えていかないといけないという必要性はなくなった。
不良だ。教員として。そう思う。
でも、あの頃の生活はもうできない。
教員をし始めた当初はそのくらいまで残ってやっていた。青森県に移った時は、残業を調べる調査を月々に行っていた。少なくとも月40時間。多い時は130時間超えていた。
けれども、今は年齢が違う。疲れる。それに、仕事以外でもやりたいことはある。だから、そんなに残っていられない。
私には副業、もしくは転職が必要なのだ。勉強が必要だ。職を得るために。勉強効率を考えていかないと、時間があっという間に過ぎてしまう。
メンタリストDaiGoさんの本によると、教員の勉強の仕方を教えるのはものすごく効率が悪いそうだ。確かに。いまだに中学生に英単語を何回も書かせることをやっている。
私は勉強し続けることによって、生徒たちにもアドバイスができる。今のところ、その方法で生徒にアドバイスをしている。やる気が出ない。そんな時にも。
教員をしながらできる副業はなんだろうか?
不動産。残念ながら、持っていない。あまり頭に浮かばない。
あ、本。本なら教員をしながら出している人は多いはずだ。
奇しくも最近、天狼院書店でライティングゼミを受けた。ものすごく面白かった。勉強だけれど、勉強ではなかった。じゃあ、書くことが仕事にできたらいいな。そうおもって、今ライターズ倶楽部にいる。でも、不安が残る。
その他にも何かできるものがないだろうか? そう考えるようになった。
もしかしたら、教員という仕事が邪魔になる日が来るかもしれない。
私のことだ。辞めたいと思ったらすぐに言ってしまう。校長に。そうなる前にその他にもできる仕事を探さなければならない。
せっかくだから、やりたいことを職業にしたい。
教員はやりたいことじゃないかといえば、なんとなく妥協があってのやりたいことだった。
数学を教えている。高校までの数学は好きだった。だから大学は理学部数学科に行った。
でも、世界が違った。違い過ぎた。
なんだこれ。思っていたのと違う。全然わからなさすぎる。
1年の頃にそう思い始めた。そうしてその当時入っていた演劇部にのめり込んでいく。私には演劇しかない! そう錯覚するくらいに。
今やりたいと感じていることは、映画に携わること。
映画を作ってみたい。映画をプロとしてやっている人たちと一緒に仕事をしてみたいと思った。けれども、自分に何ができるかわからない。だから、今認知はされていないが、専門学校に通っている。
写真の仕事をしてみたい。天狼院書店には奇しくも写真の講座がある面白いところだ。
面白いことは大好きだ。だから、茜塾と呼ばれる松本茜先生のところと青山ゼミと呼ばれる青山裕企さんの講座を取った。すっごく面白い。
残念なのは、映画の学校の方の役割が長引いたせいで、まともに写真に向き合えない期間があった。でも、改めて写真を撮ることは面白い。かっこいい写真は撮れない。でも、みんながみんなかっこいい写真を撮らなくても良いのでは? ということを学んだ。
これからは私が撮りたいと思うもので、ちょっとでも誰かの気に留められるものを撮っていきた。
これらの中から何ができるのだろう? 考える。でも、止まる。映画の学校の課題に戻る。今はそれが精一杯だ。課題のダメ出しをされる。へこむ。もう、私、ダメかも。いや、まだまだ! そんな狭間を何度となく。でも、楽しい。こんな人生になるなんて考えていなかった。
中学生の頃、自分の将来を考えていた。
中学校卒業したら、仕事をしよう。勉強は嫌いだし。高校に行かなくてもいいんじゃない?
ハタチくらいで結婚して、24歳くらいまでには子どもが一人いて。ま、20代で人生終わっちゃってもいいかな? 生き延びられたらそれはそれでいいし。子どもを育てるのにおわれてるんだろうな〜。女に生まれたんなら一度は結婚してみたいし、子供も産んでみたい。
繰り返される日常、そして平坦な暮らし。それを思い描いていた。
現在のわたし。それと遠い、果てしなく遠い暮らしをしている。
残念ながら、結婚をしていない。子どももいない。
繰り返される毎日なんかない。同じ日なんか来ない。
嫌いだと思っていた勉強をし続けている。なんでこんなことになったんだろう? そう思いながら。
楽しい。毎日、なんだかんだと楽しい。もちろん、ストレスはある。ブラックと言われている、教員だし。でも、楽しいのだ。
多分、中学生の頃思い描いていた将来の生活は楽しくなかっただろうと思う。
この生活はわたしの飽き性からきているものだと思う。だから、辞めようと思ったらあっという間に言ってしまうのだ。辞めます、と。
この仕事、辞めます! といえない職業。
今から就いても60歳で定年にならない職業。
今度はそれに就いてみたい。だから今ものすごく苦しい時もある。
でも、苦しい日々は過ぎてしまうと面白いのだ。話のネタになる。
「辞めさせないで〜!」
そう言える職業を探して就くため、日々奮闘している。
❏ライタープロフィール
西後 知春(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
北海道生まれ。
大学卒業後、数学の教員になる。
私立の高校から始まり、北海道の教員、青森県の常勤講師。
そして40歳を過ぎてからの上京。そして教員生活を続けている。
現在は、映像関係と文章を書くことについて勉強中。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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