週刊READING LIFE vol.323

母のためにみんながついた嘘はキラキラの宝石箱になった 《週刊READING LIFE Vol.323「今日だけは、嘘をつこうと思った」》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/9/11/公開

 

記事:パナ子(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

 

 

母が病室でしょっちゅう泣くようになったのは、造影剤を入れた際にアナフィラキシーショックを起こしてしまってからだった。

 

「まな板の上の鯉やからね」「おまかせするしかないもんね」

そう言っては笑い泣きする母に、姉は「まーた泣いてる」と笑った。

「その日」が近づいていることを、二人は知っていたのだ。

 

勤めている会社に父から電話が入ったというだけで肝を冷やすのに、電話口の父は錯乱状態を無理矢理押さえつけたような冷静な声だった。

「病院から、連絡が来て、ちょっと、お母さんが、危ないらしい」

「え? え? どういう事??」

アナフィラキシーショック状態であることを聞いた私は上司にすぐ報告し、制服と室内履きのまま会社を飛び出した。幸い会社と病院は徒歩圏内の近さで、私は十分程度走り続け息を切らしたまま案内された集中治療室に入った。

 

よかった……まだ……生きてる……。

管がつながれた母は意識がなかったが、先生たちの処置が早かったおかげで一命を取り留めた。はぁはぁはぁ……それでもしばらく胸の激しい鼓動が落ち着いてはくれなかった。

 

その後、無事に意識も回復し家族を心底ホッとさせたのだが、だからといって病状が軽くなるわけでもない。もしかしたら母は一度死の淵を彷徨ったことで、意識せざるを得なくなったのかもしれなかった。

 

診断がついて初めての手術が決まった日、母は気丈に振る舞い、友人たちに次々と連絡しては「私ね、入院して手術してくるからね!」と明るい声で言った。

きっと電話の向こうで友人が泣いているのだろう。

「やーだ、何であなたが泣くのよ。ね! 大丈夫だから!」とどちらが病人かわからない程だ。

友人たちへ告知したあの日から、三年が過ぎようとしていた。

 

免れることのできなかった転移や再発を家族全員で受け止めながら、それでもなんとか明るいゴールに向かって走るのだ! と楽観視していたのはどうやら私だけだったのかもしれない。

闘病が始まった最初の頃、本気でこう思っていた。

手術すれば治るんだよね!? それでまた元気に家で暮らせるんでしょ?? 

闘病が始まった頃、悲観して泣きじゃくる姉を見て「そんな泣かんでも」と思っていた私の考えがまるで浅かったのだと気づくのは、二回目の手術が終わってからだった。

 

十時間を超えるかもしれないと言われて始まった開腹手術が、一時間やそこらで終わりを告げた時、家族はその奇妙な展開に胸をざわつかせた。

すぐに医師に呼ばれる。床も壁も白くてまるで味気のない部屋に通された父と姉と私は、机をはさんで先生と向き合って座った。

「開腹したところ、実は、多くの部分に転移していることがわかり、手術では取り切れないのでまたお腹を閉じることになりました」

 

事実上の終了宣言だった。

もう医療として何も処置することはないという。

 

私自身は思いも寄らない展開過ぎて、一瞬言葉を失った。

シーンとした時間が流れる。

「これからは、できるだけご本人の痛みを和らげる形で過ごしていくことになります」

 

処置や説明が的確で家族が信頼を置いていた先生が、冷静に話をすすめていったおかげか、私たちはようやく事実を受け入れ始めていた。いや、正確に言えば、もう受け入れるしか他に方法がなかった。辛くてもそうしなければいけない現実が目の前に迫っていた。

 

ようやく姉が開く。

「先生、母はあとどれくらいもつのでしょうか?」

「うーーーん、どうですかね、出来れば一年くらいもってくれたらいいなと……思います」

普段の淡々とした物言いをする先生の迷いを私たちは見逃さなかった。例え傷つくことになってもいい。母に残された明確な時間を教えてほしい。覚悟はもうできている。

「先生、私たち大丈夫ですので、はっきりと教えて頂きたいです」

「……おそらく、三か月くらいかと」

この日を境に母と私たちの最期の時間が流れ始めた。

 

結婚したばかりの専業主婦でまだ子供もおらず時間がたっぷりあった姉は、昼間に母のもとを訪れ、母がリクエストしたものを買ってきたり、何気ない会話をして過ごした。

仕事をしていた私と父は、勤務が終わるとなるべく病室に顔を出すようにした。

 

鎮痛剤を常用するまではないがあちらこちらに痛みが出だした母は、それでも私が顔を出すと「あら~忙しいのに来てくれたの?」と笑顔を見せた。

「ちゃんとご飯食べてる?」「夜はしっかり寝なさいね」「きつかったら病院は来なくても大丈夫だからね」

 

自分のことより娘を心配する姿は、どこからどう見ても母でしかなく、どれだけ弱っても母の力は偉大なのだということを見せつけられた。「あと三か月」と言われたあの日から、私は絶望のギリギリのところを歩いているというのに、母は知ってか知らずかニッコリと微笑んだ。

「おかあさーん! 行かないで!!」と母に泣きつきたいのはやまやまだったが、そんなことをすれば母には言っていない余命がバレてしまう。

 

病室ではアホみたいなことを言って母を笑わせたり、看護師さん直伝のリンパマッサージをしてあげたりした。

「気持ちがいいね~」

トロンとした目で母が言うと、その分少しだけ心が晴れた。今まで十分頑張ってきたのだ。もう一秒でも痛い思いをしてほしくない。

 

母と笑顔でバイバイして病棟のエレベーターに乗り込むと我慢した分急激な悲しみに襲われた。まだ泣いたらダメだ。唇を嚙みしめてなんとか堪え、夜間通用口から外に出る。

絶対に死んでほしくないのに、もうすぐお母さんが死んじゃう! どうしよう!

外の暗闇に紛れながら、私は駅までの道を嗚咽しながら歩いた。

 

相変わらず、たっぷりと時間をかけて会える姉の前では泣いている母だったが、姉はいつでも笑って言った。

「気が済むまで泣いたらいいわ」

 

姉はのちに、この時の事を「多分もう自分でもわかっていて、お母さん覚悟決める狭間にいたんやと思うわ」と振り返った。

病気がわかった頃あんなに泣きじゃくっていた姉が、母の前だけはもう泣かなくなって、その強さがもしかしたら母に最後の勇気を与えたのかもしれない。

 

「あと三か月」が「あと一週間」に変わるまでに、私は母を看取るために仕事を辞めた。姉と私が一日ずつ交代して母の病室に泊まり込む。その頃は強い鎮痛剤でほぼ眠らされているか、目が覚めて痛みを訴えるかのどちらかだった。

 

明るく元気でユーモアにあふれていた頃の母の面影はまったく残っていなかったが、それでもまだ心臓は動いている母を囲んで最後に写真を撮ったりした。自分の力ではもう何もできなくなってただベッドに横たわっているだけでも、母であることには変わりなく、その体温を少しでも覚えておこうとたくさん頬ずりしたり手を握ったりハグをしたりした。

私たちが小さい頃、いや大きくなってもずっとしてくれていた事だった。

 

何の反応も無かったが、それでもよかった。息をしてくれているだけでよかった。

逆転しちゃったね。今のお母さん、なんだか赤ちゃんみたいだよ。

 

「看護師さんが、ご家族呼んでくださいって」

ついさっき病室でバトンタッチしたばかりの姉から電話が入ったとき、父と私はちょうど自宅に着いたところだった。え……さっきはまだ病状が落ち着ていたのに。

 

いよいよその時が来てしまった。

あれだけ覚悟を決めていたはずなのに、そんなのは全然意味がなかったとでも言うように胸がドクドクと音を立てて鳴り響き出した。手にはじっとり汗をかいている。

 

病院に到着してみたら、母はドラマでよく見かけるようなピコンピコンと線を描く心電図の機械のそばで人口呼吸器をつけられ「ハッ……ハッ……」と短い呼吸を繰り返していた。もちろん目は瞑ったままだ。

 

病室の外はもう真っ暗で、都会ならではの輝かしいネオンがむこうのほうに見える。看護師さんたちが様子を見に入れ替わり立ち替わり出入りする他は、しんとしていてこの病室だけ時間が止まっているようだった。もう今さら何かを語り合ったりすることもない。家族はかわりばんこに母のベッドのそばに立ち、母の姿を見つめたり、手を握って温度を確認したりした。

 

これでもう本当にバイバイなの? お母さんがこの世から去るなんて考えられないや。

そんな事を思っていたら、急に目の前がグワンをまわり、吐き気がしてきて慌てて横にあったパイプ椅子に腰をおろした。

 

嫌だ、これで終わりなんて信じたくないという気持ちと、じゃあきちんとバイバイしないでいいわけ? 一生後悔するよ? という気持ちが入り混じる。

 

数時間が経過した頃、いよいよ看護師さんたちの動きが慌ただしくなり、ついには「先生を呼んできます」と言った。

 

最後は信頼していた先生にも一緒に見届けてほしい、右手と左手をギュッと痛くなるほど握りしめて先生を待つ。先生が入室してすぐ、母は最後にハッと息を吐きだした。

 

「4時23分です」

先生が静かにそれだけ言って頭を下げた。私たちも深く頭を下げた。

母の54年間に渡る人生が静かに終わった瞬間だった。

 

母の泣きごとに姉が「まーた泣いてる」と笑って流したこと、私が母の前では泣かずに病院を出てから嗚咽したこと、先生が家族に希望を持たせるために「余命一年」と言ったこと。

 

すべては、相手のことを思うからこそ、また相手のために自分が強くいられるようついた嘘だったのだと思う。相手を思ってつく嘘にはその人の精一杯の美学が潜んでいる。

私たちは母を早く亡くしたけれど、その分優しさや美学にたくさん触れ、大きなギフトを受け取る事ができた。

母のために力を合わせて過ごした三年間を思い出すと、どの場面を切り取っても結局は泣いてしまったりするのだけれど、それはもう悲しみの涙ではなく、自分たちだけの宝物のような涙だ。

 

キラキラの宝石箱を開けると、そこには笑顔の母がいて、私たちはいつでも会いにいくことができる。

 

 

❑ライターズプロフィール

パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

鬼瓦のような顔で男児二人を育て、てんやわんやの日々を送る主婦。ライティングゼミ生時代にメディアグランプリ総合優勝3回。テーマを与えられてもなお、筆力をあげられるよう精進していきます! 押忍!

 

 

 

 

 

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2025-09-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol.323

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