週刊READING LIFE vol.323

たまに別人になってみたい。小さな嘘は自己解放装置だと思うから。 《週刊READING LIFE Vol.323「今日だけは、嘘をつこうと思った」》

thumbnail


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/9/11/公開

 

記事:志村 幸枝(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

 

 

今日だけは、嘘をつこうと思った。

ぎこちない手で、ドキドキしながら文字を書き入れた。まるで誰かに告白でもするかのようなテンションで。このささやかな嘘が気分を高揚させた。心臓がいつもより高鳴っている。それでいて身体がふっと軽くなる魔法のようだった。

 

 

 

嘘はダメ。正直であること。それが正義。正直にすべてを晒すのは正しいことだと教育されてきたし、正直者は信頼されると思い込んできた。でも実際はどうだ。正直者は空気を読めない。場を壊す。誰も聞きたくない「本音」を言って相手を傷つける。正直者の誠実さは、往々にして他人にとって暴力になってしまうこともある。だから私は思うのだ。正直でいるよりも、嘘をついたほうがよっぽど人間関係はうまくいく。嘘は「裏切り」より「潤滑油」になることの方が多いくらいだ。

 

先日、友人と立ち飲み屋へ行った。カウンターで飲んでいると、スーツ姿の男性2人が「これから仕事です」と言って去っていった。夜の7時過ぎにこれから仕事なんて、と不思議がっていると、店主が「あれは医療機器メーカーとかじゃないかな」と言った。根拠があるような、無いような。でも妙に説得力があり、つい頷いてしまった。私も接客業だからわかる。お客の職業を当てる癖がつくのだろう。でもこの店主、ただの癖にとどまらない観察眼を持っていた。私の友人をまじまじと見つめ、「カラコンしてますよね」と言うや否や、すぐさま着色直径(カラコンの黒目部分の大きさ:デカ目度)まで言い当てたのだ。ビックリして一瞬、酔いが醒めた。どうしてそんなことまでわかるのか。すると彼は飄々と「僕も休日は使ってますから」と答えた。仕事柄顔が割れていて、外では別人として過ごしたいらしい。芸能人の変装と同じ理屈だろう。だから彼にとってカラコンは自己解放。別人になるための小さな嘘。彼は「嘘をつく」ことで自由を得るのだな、なんて思った。

 

それに比べてスマホはどうだ。スマホは嘘を許さない。検索履歴も購買履歴も位置情報もすべて残され、「あなたはこういう人です」と勝手に決めつけてくる。昨日眺めたワンピースを広告で延々と出し続け、「これが欲しいんでしょ」と言わんばかりに迫ってくる。ありがたいどころか気持ち悪い。監視カメラみたいだ。スマホを使えば使うほど、アルゴリズムは持ち主のニーズに寄せてくるけれど、その「寄せられる」感じが私は嫌で仕方がない。昨日の自分を無限に再生させられているようで、新しい発想を奪われる。嘘をつく余地がなくなるのだ。

 

スマホは「正直さ」の強要装置だ。あなたが何に興味を持ち、何を買い、誰と連絡を取って、どの時間にどんな気分でスクロールしているか。すべて記録し、分析し、分類し、ラベルを貼る。つまり「あなたはこういう人間ですよ」と、いちいち押しつけてくる。勝手に人格を固定化してくる。しかもそれはやたらと親切な顔をしているから余計にタチが悪い。「昨日は赤ワインを調べていましたから、今日もワインが好きなあなたにコレをおすすめです!」とかなんとか。いや、昨日はたまたま検索しただけだ。今日の私はビール党かもしれない。昨日の私と今日の私は違うのに、スマホはそれを認めてくれない。まるで「お前は一生、昨日の延長線上の人間でいろ」と脅されているようだ。

 

だから私は意図的に検索履歴を汚したくなる。興味なんかないことを闇雲に検索してやりたくなる。ただアルゴリズムを混乱させたいだけだ。スマホが「この人は一体誰なんだ」とパニックを起こすのを期待している。私は毎日少しずつ違う人間でありたい。昨日と同じ私でいたくない。けれどスマホは「正直な私」を固定して提示してくる。ならば私は嘘を混ぜ込むしかない。正直さを強要してくるこの小さな板に、ノイズを投げ込むしかない。

 

「レンタル家族」という商売がある。赤の他人を母親役や父親役、恋人役にして時間単位で借りる。それを「寂しい人の最後の逃げ場」という人もいるが、私は自己解放の一つになり得ると思っている。家族だって所詮はレッテルだ。「◯◯さんの奥さん」「◯◯ちゃんのお母さん」と呼ばれ続けて疲れ果てた人が、たとえ1時間だけでも「何者でもない」自分に戻れる。それは贅沢な遊びのようにも思えるし、切実な救済のようにも感じる。私だってやってみたい。レンタル家族を借りる人も、演じる側も、結局は「嘘の中にしか自由がない」と気づいているのだ。だからこそ、小さな嘘をつきたいのだ。

 

そう思ったのは、こんな話を聞いたからだ。

ある女性が富士山の麓のユースホステルに、一人で泊まりに行くことがあるという。あえて「誰かの妻」でも「誰かの母」でもなく、「◯◯会社の◯◯さん」でもない、ただの「わたし」として。ラベルを全部外して、何者でもない自分になって、雄大な景色を眺めるのが至福なのだという。その言葉を聞いたとき、妙に羨ましくなった。素の自分。私は「誰かであること」から解放され「何者でもない」状態になったらどうなるだろう。

 

妄想する。もし私がそのユースホステルに泊まるとしたら。「何者でもない自分」になるとしたら。きっとそこに小さな嘘を混ぜ込見たいと思う。ほんの少し嘘をつくだけで、空気が変わる。スパイスで味変するみたいにしたい。人は面白がり、私は普段よりさらに自由になれる。「何者でもない自分」でも楽しいだろうけれど、私にはきっと「何者にでもなれる嘘」の方が伸びしろがあって、もっと楽しいのではないかと感じる。「私はこういう人間だ」というラベルが外れたとき、思いがけない言葉が自分の口から出てきそうだ。自分の中の深層心理のようなもの。そしてそれが案外、嘘ではなく「本音」に近かったりするんだろう。そういうことにも気づきたい。きっとどちらも、解放なのだ。

 

 

 

そんな妄想を遮るように「1名でお待ちの鈴木さまぁぁあ」という声がした。

私は本当は「鈴木」ではないのに、自分が呼ばれたような顔をして小さく「はい」といった。私がついた嘘は、飲食店の順番待ちリストに書いた名前だ。こんな些細な嘘で感じられる浮遊感。まだ一滴も飲んでいないというのにフワフワしている。これから頂く餃子とビールは絶対美味しいに違いない。次は「綾小路」と書いてみようか。中二病丸出しのセレクトは想像しただけで羞恥と高揚で三倍酔えそうだ。こんなささやかな嘘はあっていい。嘘は自己解放装置だと思うから。

 

 

 

❏ライタープロフィール

志村幸枝:しむらゆきえ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

京都在住の道産子。27年勤めた漢方相談店を退職し、2025年1月より、ライティング・ゼミに参加。16週間で13作品が天狼院メディアグランプリに掲載され、66th Season総合優勝を果たす。2025年5月より、ライターズ倶楽部へ。今は神戸で漢方相談に携わる。わかりやすいたとえ話で「伝わる漢方相談」をするのがモットー。

 

 

 

 

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院カフェSHIBUYA

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸二丁目18-17
ENOTOKI 2F
TEL:04-6652-7387
営業時間:平日10:00~18:00(LO17:30)/土日祝10:00~19:00(LO18:30)


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00



2025-09-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol.323

関連記事