週刊READING LIFE vol.324

容易き道をやめ、「伝える」という道を選んだ私の決断―その一歩が誰かの未来を変えると信じて―《週刊READING LIFE Vol.324「容易き道か正しき道か」》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/9/18/公開

 

記事:内山 遼太(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

 

「容易き道と正しき道、あなたならどちらを選びますか?」

 

深夜のリビング。家族が寝静まった中、私はパソコンの前に座っていました。画面に映るのは、真っ白なワード文書。カーソルが規則正しく点滅を繰り返しています。時計の針が午前2時を指しているのに、私はまだ一文字も打てずにいました。

 

作業療法士としての経験や想いを社会に発信する連載を始めるかどうか――。

 

「このまま現場に専念していれば、安定した生活が続く。なぜわざわざリスクを冒す必要があるのだろう」と心の中でつぶやきながら、私はマウスを握る手に力を込めていました。でも同時に、「このままでいいのだろうか」という別の声も聞こえてくるのです。一つは、今まで通り現場に専念し、目の前の患者さんと向き合い続ける道。もう一つは、リスクを承知で発信を始め、作業療法士という職業の価値を多くの人に知ってもらう道。

 

前者は確実に安全でした。今の生活を続けていれば、批判を受けることもないし、失敗して恥をかくこともない。でも後者は違います。時間を割かなければならないし、もしかしたら誰にも読まれないかもしれない。専門外のことを書いて専門家から批判を受けるかもしれない。

 

「なぜわざわざ大変な道を選ぶ必要があるのだろう」

 

そんな弱気な自分が顔を出す瞬間が、何度もありました。楽な方に逃げたいという気持ちは、きっと誰もが抱く自然な感情でしょう。でも今、私がこの文章を書いているということは、最終的に「正しき道」を選んだということです。

 

その決断に至るまでには、一人の患者さんとの出会いがありました。

 

 

 

作業療法士を志したきっかけは、高校生の頃に祖母が脳梗塞で倒れたことでした。病院での見学で、作業療法士さんが祖母と一緒に箸を使って食事をする練習をしている場面を目にしたのです。「当たり前にできていたことができなくなる」ということの重みを感じると同時に、患者さんに寄り添い、希望を与える作業療法士の姿に深く感動しました。

 

大学を卒業し、作業療法士として働き始めてから7年。私は主に終末期医療や神経難病の分野で、多くの患者さんと向き合ってきました。病気や怪我によって、それまでの生活が一変してしまった人たちです。

 

ある日は、30代で脳出血を患い、言葉を失った会社員の男性と一緒に、文字盤を使ったコミュニケーションの練習をしました。またある日は、パーキンソン病で手の震えが止まらなくなった主婦の方と、安全に料理ができる方法を考えました。ALS(筋萎縮性側索硬化症)で徐々に体の自由が奪われていく患者さんには、わずかに残った指の動きでパソコンを操作できるよう環境を整えました。

 

どの患者さんにも共通していたのは、病気になる前の「当たり前の生活」を失った喪失感でした。朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、朝食を作って食べる。仕事に行って、同僚と話して、家族と過ごす。そんな何気ない日常が、突然手の届かないものになってしまう。

 

私たち作業療法士の役割は、そうした患者さんが再び「自分らしい生活」を取り戻すお手伝いをすることです。完全に元通りにはならなくても、新しい方法で、新しい形で、その人らしい暮らしを築いていく。私はそこに深いやりがいを感じていました。

 

しかし、世間での作業療法士の認知度は決して高くありません。

 

「理学療法士さんとは違うんですね」

 

脳出血で失語症になった患者さんのご家族が、私との初回面談でこう言われたことがあります。理学療法士が歩行訓練をしている隣で、私が文字盤を使ったコミュニケーション練習をしていると、「何をしているのかよくわからない」という表情をされることもしばしばです。

 

なぜなら、理学療法士が「歩く」「立つ」といった基本的な動作の回復を目指すのに対し、作業療法士は「日常生活に必要な全ての動作」の回復を目指すため、一見すると何をしているのかわかりにくいからです。だからこそ、その価値を伝える必要があると感じていました。

 

パーキンソン病で手の震えが止まらなくなった主婦の方は、退院時にこう話してくださいました。

 

「先生がいなかったら、もう料理は諦めていました。でも、包丁の持ち方を変えるだけで、こんなに安全に切れるなんて」

 

その言葉を聞いた時、私は改めて作業療法士という職業の意義を実感しました。作業療法士が関わることで、絶望の淵にいた人が再び希望を見つけ、新しい人生を歩み始める。そんな瞬間を何度も目の当たりにしてきた私には、この職業の価値を多くの人に知ってもらいたいという強い想いがあったのです。

 

 

 

そんな私自身が「患者」の立場になったのは、4年前の春のことでした。

 

最初は右肩の軽い痛みでした。「きっと仕事のし過ぎだろう」と思い、湿布を貼って様子を見ていました。しかし、痛みは日に日に強くなり、やがて右腕全体にしびれが広がるようになりました。ペンを持つのが辛くなり、患者さんの介助をする際にも力が入らなくなりました。

 

整形外科を受診した結果、診断は「胸郭出口症候群」。首から腕にかけての神経や血管が圧迫されることで起こる疾患でした。治療は長期間にわたる保存療法が必要で、重い物を持つことや長時間の同じ姿勢を避けなければなりませんでした。

 

作業療法士として働く私にとって、これは致命的でした。患者さんの移乗介助ができない。カルテを書く手が痛くて仕方がない。治療道具を準備するだけで腕がしびれてくる。

 

「自分は一体何をしているのだろう」

 

患者さんの前に立ちながら、そんな想いが頭をよぎります。治療をする側なのに、自分自身が治療を必要としている。人の人生の再起動を支援する仕事をしているのに、自分の体は思うように動かない。

 

この状態を、私は「停電状態」と呼ぶようになりました。

 

電気が止まった家のように、これまで当たり前に機能していたものが突然使えなくなる。明かりがつかない、エアコンが動かない、冷蔵庫の中身が傷んでいく。そんな不安と焦りに似た感情が、毎日私を襲いました。

 

朝起きても、「今日も痛いのだろうか」という憂鬱さが先に立ちます。職場に向かう電車の中で、「今日は患者さんにどんな顔で接すればいいのだろう」と考え込みます。家に帰っても、痛みのことばかり気になって、家族との会話に集中できませんでした。

 

作業療法士として、私は多くの患者さんの「停電状態」を見てきたつもりでした。でも、実際に自分がその立場になってみて初めて、その孤独感や無力感の深さを本当に理解することができました。

 

それでも、患者さんからの「ありがとう」の言葉が、暗闇の中の小さな明かりになってくれた日もありました。自分の体が思うように動かなくても、誰かの役に立てているという実感が、完全に心が折れてしまうことを防いでくれていたのです。

 

幸い、適切な治療とリハビリテーションによって、私の症状は徐々に改善していきました。痛みが和らぎ、しびれが軽くなり、再び患者さんと向き合えるようになったのです。しかし、この経験は私の中に大きな変化をもたらしていました。

 

 

 

現場に復帰してからも、心の中のモヤモヤは続いていました。

 

停電状態を経験した私には、患者さんの気持ちがより深く理解できるようになっていました。でも同時に、「この経験や学びを、もっと多くの人に伝えられるのではないか」という想いも強くなっていたのです。

 

そんな時、「あなたの得意で連載を書いてみませんか」という募集を見つけました。

 

現場に専念すれば、安定した生活が約束されていました。患者さんとの向き合い方には自信がありましたし、職場での評価も決して悪くありません。家族との時間も確保できるし、趣味に使える時間もある。何より、失敗や批判を恐れる必要がありません。これが「容易き道」でした。

 

一方で、連載を始めるということは多くのリスクを伴います。仕事の合間を縫って執筆しなければならないため、プライベートの時間は確実に削られます。書いた内容が専門家から批判される可能性もあります。そもそも、誰にも読まれずに終わってしまうかもしれません。医療従事者が一般向けに発信することへの風当たりも覚悟しなければなりません。これが「正しき道」でした。

 

夜、ベッドに横になりながら、私は何度もこの選択について考えました。

 

「なぜわざわざ大変な道を選ぶ必要があるのだろう」

「今の生活で十分幸せじゃないか」

「失敗したら恥ずかしい思いをするだけだ」

 

そんな弱気な声が、心の奥から聞こえてきます。楽な道を選びたいという気持ちは、人として自然なものです。誰だって、わざわざ困難な道を歩みたくはありません。

 

でも、その一方で、別の声も聞こえていました。

 

「この経験を埋もれさせてしまっていいのか」

「作業療法士の価値を知らずに苦しんでいる人がいるのではないか」

「自分にしか伝えられないことがあるのではないか」

 

この葛藤が続いていたある日、私は一人の患者さんとの出会いを通じて、決断の糸口を見つけることになったのです。

 

 

 

 

Tさんは54歳の会社員で、中間管理職として多くの部下を抱える課長でした。責任感が強く、仕事に対して真摯に取り組む方でしたが、定期健康診断で膵臓がんが見つかり、既に末期の状態でした。

 

「余命は長くて半年」

 

医師からの告知を受けた後、Tさんは完全に「停電状態」に陥りました。それまで精力的に働いていた姿は影を潜め、自宅の寝室にこもって過ごすことが多くなりました。奥様によると、食事もほとんど摂らず、テレビを見ることもなく、ただ天井を見つめている時間が長くなったといいます。

 

初回の面談で、Tさんは私にこう言いました。

 

「もう何をする意味もないんです。どうせ死ぬんだから、何をしても無駄じゃありませんか」

 

その言葉には、深い絶望と諦めが込められていました。仕事への誇り、家族への責任感、将来への希望――それらすべてが、がんの告知とともに消えてしまったのです。

 

私は、Tさんの言葉を否定しませんでした。その代わり、こう提案しました。

 

「では、まず歯磨きの時に片足立ちをしてみませんか。たった30秒でいいんです」

 

Tさんは困惑した表情を浮かべました。

 

「歯磨きの時に片足立ち?それに何の意味があるんですか?」

 

「意味は後からついてきます。まずは、体が『できた』という小さな成功体験を思い出すことから始めましょう」

 

半信半疑ながらも、Tさんはその提案を受け入れてくれました。最初の数日は、10秒も持たずにふらついてしまいました。でも、1週間、2週間と続けているうちに、だんだんと30秒間片足で立っていられるようになりました。

 

「先生、できるようになりました」

 

Tさんがそう報告してくれた時、その目には小さな涙が浮かんでいました。初回の面談時とは明らかに違う表情――そこには、失いかけていた自信の光が戻っていたのです。

 

片足立ちができるようになったTさんに、私は次の提案をしました。朝の洗顔の後に顔を上げて鏡の中の自分に挨拶をすること。食事の前に「いただきます」を声に出して言うこと。どれも些細なことばかりでしたが、Tさんは一つひとつを丁寧に実践してくれました。

 

3ヶ月後、Tさんは職場に顔を出すようになりました。体調の良い日には部下と面談をし、引き継ぎの準備を始めました。家族との食事の時間も増え、奥様は「主人らしさが戻ってきた」と喜んでくださいました。

 

Tさんは私にこう話してくれました。

 

「最初は片足立ちなんて馬鹿らしいと思いました。でも、続けているうちに、自分でも何かできるんだという気持ちが湧いてきたんです。そしたら、他のこともやってみたくなって。気づいたら、また生きている実感が戻ってきていました」

 

Tさんの変化は、まさに「停電状態からの再起動」でした。小さな一歩が次の一歩を生み、やがて人生を前向きに歩む力を取り戻していく。その過程を間近で見ていた私は、改めて作業療法の可能性を感じずにはいられませんでした。

 

 

 

Tさんとの関わりを通じて、私は自分自身の停電状態体験と重ね合わせて考えるようになりました。

 

私が胸郭出口症候群で苦しんでいた時、小さなきっかけで症状が改善し始めました。それは、毎朝のストレッチという些細な習慣でした。最初は効果を疑っていましたが、続けているうちに少しずつ痛みが和らぎ、仕事への意欲も戻ってきました。

 

Tさんの片足立ちと私の朝のストレッチ。どちらも、それ自体は取るに足らない小さな行動です。でも、その小さな一歩が、やがて人生を大きく変える力を持っていることを、私たちは身をもって体験していたのです。

 

「この小さな一歩の力を、もっと多くの人に届けたい」

 

Tさんの変化を見つめながら、私の心の中でこの想いが確信に変わっていきました。作業療法士として現場で関われる人数には限りがあります。でも、発信を通じて届けられる人の数は、その何倍、何十倍にもなるかもしれません。

 

もちろん、リスクはあります。時間も労力もかかります。批判を受けることもあるでしょう。でも、Tさんが片足立ちという小さな挑戦から始めて人生を取り戻したように、私も小さな一歩から始めれば、きっと何かが変わるはずです。

 

連載開始を決断した瞬間、私の心は不思議と軽やかになりました。容易き道への誘惑はまだ完全に消えたわけではありませんが、「正しいと思うことをやってみよう」という気持ちの方が強くなっていました。

 

私が描く未来は、作業療法士という職業がもっと広く認知され、理解される社会です。病気や怪我で絶望している人が、「作業療法士に相談してみよう」と自然に思える社会です。そして、Tさんのような小さな一歩から人生を再起動する人が、一人でも多く生まれる社会です。

 

挑戦には失敗がつきものですが、挑戦しなければ何も変わりません。私は、Tさんから教わった「小さな一歩の勇気」を胸に、この道を歩んでいこうと決めたのです。

 

 

 

「容易き道と正しき道、あなたはどちらを選びますか?」

 

冒頭で投げかけたこの問いに、今の私なら迷わず答えることができます。正しいと思う道を選ぶべきだと。たとえそれが困難で、リスクを伴う道であったとしても。

 

もしあなたが今、何かの「停電状態」にあるとしたら、まずは小さな一歩から始めてみてください。Tさんの片足立ちのように、一見意味のないような些細なことでも構いません。大切なのは、「自分でもできる」という感覚を取り戻すことです。

 

そして、その小さな一歩を踏み出した時、あなたの未来は確実に変わり始めます。それは私が、作業療法士として、そして一人の人間として確信していることです。

 

容易き道には安全があります。でも、正しき道にはそれ以上の価値があります。あなたらしい人生を取り戻し、誰かの役に立ち、社会をより良い場所にしていく可能性です。

 

私にとっての小さな一歩は、この連載を書くことでした。そして今、あなたにこの想いを届けることができています。

 

さあ、あなたの小さな一歩は何でしょうか。

 

 

❏ライタープロフィール

内山遼太(READING LIFE公認ライター)

千葉県香取市出身。現在は東京都八王子市在住。

作業療法士。終末期ケア病院・デイサービス・訪問リハビリで「その人らしい生き方」に寄り添う支援を続けている。

終末期上級ケア専門士・認知症ケア専門士。新人療法士向けのセミナー講師としても活動中。

現場で出会う「もう一度◯◯したい」という声を言葉にするライター。

2025年8月より『週刊READING LIFE』にて《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》連載開始。

 

 

 

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院カフェSHIBUYA

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸二丁目18-17
ENOTOKI 2F
TEL:04-6652-7387
営業時間:平日10:00~18:00(LO17:30)/土日祝10:00~19:00(LO18:30)


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00



2025-09-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.324

関連記事