人生の荒波を超えていく、最低最悪な子供時代から最高のアンカーへ ≪週刊READING LIFE Vol.328「アンカー」≫
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2025/10/23公開
記事 : 藤原 宏輝 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
やっぱりさあ、もう一度よく考えて「、結婚式はまた延期に
しようか」
ご新郎様のその言葉に、ご新婦様は首を振った。
「え、絶対に嫌。ずっと無理して我慢してきたもん。延期なんて二度とイヤ! 今回は絶対に結婚式やりたいっ! もうこれ以上、先にしたくない」
その声は震えていたが、彼女の目は真っすぐで、まるで凪いだ海の奥に光が差すようだった。
コロナ感染拡大で世界中が震撼した、あの頃。
2020年4月。
日本全国に‘緊急事態宣言’が発令された。
誰もが「この先、いったいどうなってしまうのだろう?」と不安が広がった。
それでも、人生の節目を迎える‘結婚式’を諦めきれなかった人たちがいた。
ご新郎・ご新婦様たちと、私たちブライダル・スタッフだ。
延期という試練。それから、1年。
2021年4月。
もうこれ以上、延期は絶対したくない。
全員がコロナ陰性である事が絶対条件。
挙式中も花婿さんと花嫁さん以外の牧師さん、聖歌隊、オルガニスト、会場スタッフ、もちろん私たちプロデューサーもプランナーも、全員がマスク姿だ。
ブーケトスもフラワーシャワーも禁止。静々と挙式後は、ご披露宴へ。
ゲストは透明の衝立に隔てられたテーブルで会話を禁止され、友人の余興もなく黙々と食事を進める。
司会者の言葉とともにご披露宴の時間は、淡々とながれていった。
お写真撮影は制限時間ありで、写真を撮る時もゲストのマスクは必須。
それでも、結婚式をこれ以上延期したくなかったお2人の大切な1日は滞りなく、幸せな時間として、お2人にもゲストの皆様の心に刻まれたのだろう。
司会者の締めの言葉。
「世の中はコロナ禍ではありますが、今日がおふたりにとって“特別な日”です。どうか、お2人を最高の笑顔でお見送りください」
送り出しの拍手は小さく、声出し禁止だ。
この言葉を聞くたび、切なくて胸の奥が苦しく感じた。
誰かと目を合わせ、声を出して笑い合う。それが、どれほど尊い事か。
あの時期、私たちは痛いほど知った。
緊急事態宣言発令から3年。
2023年4月。
あの静かな時間が嘘のように、結婚式の会場に笑顔と拍手がすっかり戻ってきた。
この間に何組ものご新郎・ご新婦様が何度も涙を飲み、悔しい思いをしていた。
だんだん戻ってきたとはいえ、現場に立つと感じる。
結婚式を挙げるカップルの数は少しずつ減り、披露宴の規模も人数が減りコンパクトになった。主賓の席がない時も多い。
主賓のご挨拶がなく、乾杯のご発声は、親しいお友達。
ご親族も少なめで、ご友人とご家族だけで囲む披露宴。
それもまた“新しい形”として定着しつつある。
けれど、私は思う。
規模が変わっても、内容が変わっても“想い”は変わらない。
人が人を想い、未来を願う気持ちがある限り、結婚式の意味は失われない。
「やっとだね、やっと今日が来たね」
と嬉しそうに幸せそうな笑顔で向かい合う、ご新郎・ご新婦様と御両家様。
お2人は、3度の結婚式延期を乗り越えた。
そして4度目、ようやく結婚式を迎えることになったのだ。
ご新郎様は38歳、ご新婦様は32歳。
大手自動車メーカー勤務で、同じ部署で働いている。
出会いは、共通の趣味である釣りサークルだった。
自然の中で、言葉よりも静かな時間が流れ、ふたりはゆっくり惹かれ合った。
釣りの最中、糸を垂らして並んで座る。言葉は何もいらなかった。
ただ、並んで見上げた空の色や、水面に映る風の音が、二人の心をつなげていった。
「釣りって、待つ時間の方が長いですよね」
彼女の言葉に、彼は少し笑って答えた。
「でも、ちゃんと待てる人って、強い人だと思う」
これが、お2人の恋の始まりだった。
その言葉の意味を、後になって私も痛感することになる。
お2人の結婚式は、まさに“待つ”ことの連続だった。
ご新郎様は35歳、ご新婦様は29歳。
お付き合いが始まった3年の記念日、ご新婦様が30歳になる前に結婚式を挙げるはずだった。
しかし、コロナ禍の緊急事態宣言や世の中の状況から、会社の方針で結婚式を良しとはしなかったので、泣く泣くキャンセルと延期を繰り返しながら、それでも、ふたりは手を離さなかった。
その姿は、私にとっても勇気の象徴だった。
ブライダル・プロデューサーとして、何度も現実に押し戻される中、彼らのまっすぐな想いが、私たちスタッフ全員を支えてくれた。
そして、そんな中でやっと迎えた、結婚式ご披露宴当日。
澄み渡る春空の下、ようやく咲いた桜が祝福の花びらを風に乗せていた。
結婚式のリハーサルを終え、控室でご新郎様がつぶやいた。
「部長、今日どんなスピーチするんだろうな」
主賓は、ご新郎様とご新婦様の直属の上司であり、同じ釣りサークルの部長。
控室にお顔を出してくださった時でも、原稿を片手に
「おめでとう! しかし、緊張するな」と照れ笑いをしていた。
久しぶりに主賓の祝辞があるという事で、私は会場の後方で静かに息を整えた。
主賓は紹介されてマイクの前に立つと、とても穏やかな声で突然!
「皆さんは“アンカー”という言葉をご存じでしょうか。」
祝辞は、その言葉から始まった。
すると、会場に静かなざわめきが走った。
会場に響いたその一言は、柔らかかった。がしかし、確かな重みを持っていた。
「本来“アンカー”とは、船を波の中で留めておくための“錨(いかり)”を意味します。
リレーで最後を走る人のことも指しますが、語源をたどると「曲がった」という意味の古い言葉 ank にたどり着くそうです。
海底にしっかりと引っかかる“曲がった形”こそが、船を揺るがないように支えているのです」
と続いた。
私は‘リレー’という言葉を聞いた時、一瞬固まった。がそれは、さておき。
さらに、
「船が嵐に流されないように留めておくためのもので、人の生き方にも“錨”が必要だと思うんです。
新郎新婦は、コロナ禍の中、何度も結婚式延期を経験しました。それでも、お互いを信じ、未来を信じて、結婚式をあきらめなかった。
私は、その姿を見て“ああ、この二人は、お互いのアンカーなんだな”と思いました」
その言葉にご新婦様が、そっと涙をぬぐった。
ご新郎様の拳も、テーブルの下で小さく震えていた。
‘アンカー’とは、船を留める錨であり、建設材料としても繋ぎ止める役割を持ち、チームの最後を託される走者。
そして、人生の中では“心をつなぐ”存在なのだと、私は強く感じた。
さらに照れ笑いしながら、祝辞は
「思えば、うちも妻とそうですが、結婚とはまさに!
ふたりが出会い、互いを信じ合い、人生という航海をともに進む事です。
時には波が荒れることもある。けれど、錨を降ろす場所がある限り、船は流されない。
“夫、妻、家族”という存在が、相手の人生を支える錨になる」
と、こう続いた。
会場全体が静まりかえり。それぞれが手を止めて、主賓の祝辞に夢中になった。
こうしてゆっくりと、1人1人へ届いていった。
そして最後にこう締めくくられた。
「どうか、旦那様がこれからの人生でご家族を支える“錨”となり、また時には奥さんがその錨となって、お互いに支え合ってください。」
主賓の祝辞が終わり、会場には温かな拍手が広がった。
私は進行表を見つめながら「‘アンカー’って、いい言葉だな」と胸の奥で静かに呟いた。
きっとこの祝辞は一生、お2人の心に刻まれ残るだろう……。
そして披露宴の終盤、ご新婦様が
「何度も諦めかけたけれど、彼がいつも“絶対に大丈夫”と言ってくれました。
その言葉が、私の錨になってくれました」
幸せいっぱいの涙を流しながら、‘花嫁の手紙’を読み上げた。
ふたりは、まさに“勇気”で結ばれたアンカーだった。
私は後方から、こうしてお2人が見つけた“心のアンカー”をそっと見届けていた
“アンカー”
その言葉がスーッと、自分に染み込んできた。
次の瞬間。祝辞の時‘リレー’という言葉で少し巻き戻った感覚が、明らかに自分の中で湧き上がり、何かが静かに揺れた。
‘リレー’と‘アンカー’その言葉には、私自身の小さな物語がある。
小学3年生の運動会。
私は、リレーのメンバーに選ばれてしまった。
4人で走る、チームリレー。
正直なところ、走るのは嫌いだし、苦手だった。
「できることなら、他の種目にしてもらいたい。でも、どうしてもリレーということなら2番目か3番目で、目立たずにそっと走って終わりたい」
走る順番を決める時。
そんな願いも虚しく、ジャンケンで負けてしまい、私は“アンカー”になった。
‘アンカー’最後の走者。
責任重大、みんなの期待と注目が集まり勝負が決まる、カッコいいポジション。
けれど、私にとってはプレッシャーで、苦痛でしかなかった。
幼い頃は病気がちで、体育の授業を休むことも多かった。
ようやく体調が良くなった頃には、よく食べる健康優良児のように……。
つまりは“ぽっちゃり体型”になっていた。
走ることが何よりも大嫌いで太っちょな子供で、もともと運動が苦手な私には、あまりに‘リレーのアンカー’は、荷が重かった。
運動会当日。
私は、スタート前から逃げ出したかった。いよいよ始まり、スタートラインに立つだけで心臓がバクバクした。
そして、バトンを受け取った瞬間、足がもつれ、思いきり転んだ。
「やっぱり……」
悔しさが沸々と湧いてきた。
砂まみれになったが、すぐに立ち上がり、涙をこらえながら思い切り走り、ゴールへ向かった。
もう、自分に対しての腹立たしさしかなかった。
応援席から聞こえる声援は、やけに遠く感じた。
結果は、5チーム中4位。
後ろから迫る足音、前に逃げていく背中。ゴールテープに触れたとき、歓声はなかった。
ビリは避けられたし、クラスの仲間たちに
「ドンマイ。ケガは大丈夫?」
と言われても顔を上げられず、終わってからも、みんなが優しく
「よく頑張ったね。こけたのに、ビリじゃなかったし凄いよ」
と言ってくれたけれど、私はその場から逃げ出したくて、今にも泣きそうだった。
その日から、私は“アンカー”という言葉が大嫌いになった。
負けの象徴。恥ずかしい記憶。
心のどこかに小さな棘のように、いつまでも刺さり続けた。
さらにそれから数年後、中学に入学した春。
両親が買ってくれた英和辞典の表紙に、私は目を疑った。
「ANCHOR ― アンカー英和辞典」
思わず、呟いた。
「またアンカー……。」
辞典を開いてみると、そこにはこう書かれていた。
anchor:錨(いかり)、支え、よりどころ、(リレーの)最終走者。
その瞬間、胸の奥で半分だけ何かがほどけた。
“アンカー”とは、ただ最後に走る人ではなく、仲間の想いを受け取ってゴールへと導く“支え”の象徴だったのだ。
あのバトンをつないでくれた3人の想いを、最後まで受け取っていられただろうか?
たとえ転んでも、遅くても、それは“繋がり”の一部だったのだ。
あのときの“失敗の象徴”が、“支え”や“よりどころ”という意味を持つなんて。
私の中で、アンカーという言葉が、ゆっくりとイメージを変えていった。
リレーで転んだ私は、逃げることばかり考えていた。
でも本当は、あの時の私にこそ「支える強さ」を教えてあげたい。たとえ転んでも、誰かの声援がある限り、立ち上がれる。
いつかこの経験が、やがて誰かを支える力になる。
いよいよご披露宴のクライマックスから、おひらき。
ご新郎・ご新婦様が退場する扉を私は、そっと押し開けた。
背中越しに、会場が大きな拍手に包まれるのを感じ、私は胸の奥に静かに温かいものを感じていた。
‘アンカー’という言葉は、いつの間にか、私自身の生き方の象徴になっていた。
人生は、海だ。結婚式は、お2人が人生の航海に出る日。
波が高くなる日もある。突然風向きが変わり、進む方向が見えなくなる日もある。
どんな風が吹いても、お2人の絆をつなぎ留める“心の錨”がある。
それが、「愛」や「信頼」という目に見えない‘アンカー’であり、それは家族であり、友人であり、仕事への情熱だ。そして、過去の自分自身だ。
これまで数えきれないほどのご新郎・ご新婦様を見送り、数えきれないほどの“想いのリレー”を見てきた。
ご両親様、お祖父母様、ご友人、恩師や先生など。
たくさんの人たちが走ってきた人生のバトンを、お2人で受け取り、次の未来へと繋いでいく。
ブライダルの現場は、華やかさの裏に、数えきれない努力と涙がある。
それぞれの“錨”を胸に、嵐の中でも船を留めようとしている。
人は皆、まっすぐな存在ではない。どこかに“曲がり”や“ゆらぎ”を持っている。
でも、それこそが、人を人らしく支える形なのだと思う。
「完璧ではない“曲がった形”だからこそ、自分や相手や大切なものをしっかりと支えられる」
結婚とは、誰かの人生を“支える”覚悟を持つこと。
支え合いながら、同じ船に乗り続けること。人生の航海は長い。
お互いのゆらぎを認め合い、時に支え合いながら、それでも「この人と生きていこう」と舵を切る。風は気まぐれに吹き、波はときに荒れる。
けれど、ふたりでおろした錨がある限り、その船は決して流されない。
そして、人それぞれに人生の中にも、降ろすべき錨がある。
それを見つけた時、人生の航路は、静かに輝き始める。
人生、速く進むことだけが正解ではない。
ときには立ち止まり、寄り添い、信じる場所に錨を下ろすこと。
本気で自分と向き合い、相手と向き合う事こそが、本来の愛であり強さなのだと思う。
❒ライタープロフィール
藤原宏輝(ふじわら こうき)『READING LIFE 編集部 ライターズ俱楽部』
愛知県名古屋市在住、岐阜県出身。ブライダル・プロデュース業に25年携わり、2200組以上の花婿花嫁さんの人生のスタートに関わりました。
さらに、大好きな旅行を業務として20年。思い立ったら、世界中どこまでも行く。知らない事は、どんどん知ってみたい。
と、好奇心旺盛で即行動をする。とにかく何があっても、切り替えが早い。
ブライダル業務の経験を活かして、次の世代に何を繋げていけるのか?
をいつも模索しています。
2024年より天狼院で学び、日々の出来事から書く事に真摯に向き合い、楽しみながら精進しております。
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