未だ未だ有るよ、長嶋茂雄さんの逸話と記憶《週刊READING LIFE 「フリーテーマ」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2025/11/20 公開
記事 : 山田THX将治 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「長嶋さんって、選手時代はどれだけ凄かったのですか?」
今年6月3日に長嶋茂雄氏が逝去された直後、平成生まれの若者から真顔で訊ねられた。
それもその筈、若い人達にとって長嶋茂雄氏と謂えば、‘監督’のイメージしかないことだろう。特に平成生まれの方々には、“読売巨人軍・終身名誉監督”と謂う、長嶋氏しか付けられなかった肩書が印象強いことだろう。
何しろ、長嶋茂雄選手が現役を引退したのは1974(昭和49)年、監督を務めたのは1975年から1980年と、1993(平成5)年から2001年なのだから。
長嶋氏の現役時代を、確りと記憶しているのは現代では60代以上となる訳だ。
しかも、近しい世代にホームラン世界記録保持者(868本)の王貞治氏と、日本プロ野球(NPB)で唯一の3,000本安打を放った張本勲氏が居たので、長嶋氏の記録は目立たないのだろう。
それでも長嶋茂雄氏は、歴代15位の444本塁打と大学卒では2,000本超が初と為る2,471安打を記録している。
しかも、現役生活が伸びた現代野球とは違い、僅か17年間での記録なのだ。
よく、
『記録より記憶に残る選手』
と、呼ばれた長嶋茂雄選手だが、充分に記録にだって残って居るのだ。
長嶋茂雄氏の逝去に伴い、数多くの報道で氏の逸話と謂うかエピソードが紹介された。
しかし“記憶の長嶋”を語る上で、長嶋氏の現役時代を知る者として、未だ出て来ない逸話が有ることが気に為って居る。
それは、アニメ『巨人の星』でも描かれたシーンなので、私に記憶に間違いは無い。
ONを主軸として躍進する巨人が、四連覇目と為る1968年の9月18日、甲子園球場でその事件は起こった。
巨人リードで迎えた四回表、3番打者の王選手に対して、阪神の助っ人ジーン・バッキー投手が、二球続けて王選手の頭付近を通過する投球をした。
普段から危険球に対して怒ったことが無い王選手が、珍しくマウンドに詰め寄った。但し、喧嘩を売りに行ったのではなくあくまで注意を促すつもりだった。
しかし、慣れない行動を取った王選手は、バットを持ったままマウンドに向かっていた。
“これはマズい”と感じた両軍の選手は、一斉にピーッチャース・マウンド付近で揉み合いと為った。
中でも、王選手を育て上げた荒川博コーチは、バッキー投手を蹴り上げて来た。
バッキー投手は、荒川コーチに殴り掛かり、利き手である右手の親指を骨折して仕舞った。
荒川コーチとバッキー投手は、その場で退場処分を言い渡された。
バッキー投手の骨折には裏が有り、どうやら荒川コーチの策略だったらしいのだ。
元々、合気道の有段者だった荒川コーチは、殴り掛かって来るバッキー投手を見越し、拳が当たる寸前に身を屈めたと謂うのだ。只でさえ、身長190cm超(佐々木朗希投手・ドジャース・並みと思って下さい)のバッキー投手が、163cmと当時としても小柄な荒川コーチに殴り掛かったので、彼の右拳(利き手です)は振り下ろす形と為らざるを得ない。そこを更に身を屈まれたのだから、バッキー投手の拳は勢いよく荒川コーチの前頭部を直撃したのだ。
前頭部の頭蓋骨は、人骨の中でも一番硬い。比較的弱い指の骨が、折れる方が道理だ。
実際、荒川コーチは、後日談として、
「バッキーの手が当たった途端、“ボキ”って音がしたんだ」
「俺は、『あ、折れたな』と直感したよ」
「でもな、相手のエース級を潰したのだから、殴られた甲斐も有ったものだ」
と、事件の顛末を話している。
ただ、そればかりではない。
バッキー投手と荒川コーチは後翌日、所轄の甲子園警察署で事情聴取されたのだ。公衆の面前、それもテレビ放送迄されて居た試合だ。ファンへの影響を考慮されてのことだろう。
両名には、25,000円の罰金刑という略式命令が下された。
バッキー投手は、この骨折によりシーズン終了と為ったばかりか、これ(親指骨折)が起因と為り、現役生活を終えることと為ったのだ。
話を甲子園に戻そう。
乱闘の結果、当然のこととして、満員の甲子園球場(大半が阪神ファン)は、異常な雰囲気に包まれていた。
そこに、新たな事件が発生した。
バッキー投手に替わり急遽マウンドに上がった左腕リリーバーの投球が、今度は本当に王選手の頭部を直撃したのだった。
倒れ込んだ王選手は、ピクリとも動かなかった。一本足打法の構えの儘、右足を宙に浮かせて固まっている様だった。
テレビで観ていた、当時小学4年生だった私には、大変ショックな光景だった。
再び騒然となった場内に、担架が運び込まれ王選手を乗せて移動させた。
王選手の意識は無い様に見受けられた。
後年、このデッドボールにより打者のヘルメットに耳当てが付けられる様に為った。
そして、真打登場である。
ランナー一・二塁の状況で、打席に入ったのは四番打者の長嶋茂雄選手。
甲子園球場のざわめきが収まり切らない中、長嶋選手は初球を物の見事にレフト・スタンドに運んだのだ。
スタンドのざわめきは、一瞬にして静まり、長嶋選手がベースを廻り始めると、多数の阪神ファンの悲鳴と、少数の巨人ファンの歓声と変化したのだ。
ベールを廻る長嶋選手は一人、実に冷静な表情だったと記憶している。
信頼する同僚の王選手が倒され、自軍コーチと相手助っ人が退場と為り、両軍選手・監督・コーチ、そして観客迄もが騒然となる中、長嶋選手は冷静に集中力を高めていたのだ。
私は今でも、長嶋茂雄選手の記憶と問われると、真っ先にこのシーンを思い浮かべるのだ。
長嶋茂雄氏の現役生活を知らない若い方達には、冒頭の様な疑問を持たれても仕方はない。
付け加えるとすれば、長嶋氏の記録は、38歳で引退したものであることを挙げて置きたい。
更に、長嶋選手の現役を観て記憶している者として、これも伝えて置きたい。
王貞治選手の本塁打世界記録は、その大半が前後(王選手の)に長嶋選手が居たからこそ達成出来たものと思うことだ。
長嶋選手の存在で、王選手と勝負せざるを得なかったのだ。
なので、私は今でもこう思って居る。
王選手が放った868本の本塁打は、もし、長嶋茂雄選手の存在が無ければ、かなり減って居たと思えて仕方が無いのだ。
そしてもう一つ、語られていないエピソードが有る。
長嶋茂雄氏の訃報報道の中で、天覧試合(1959年6月25日)のサヨナラ本塁打のシーンが多用されていた。
しかし唯一人、これに異を唱えた人が居たことを御存知だろうか。
その人とは、本塁打を打たれた阪神の村山実投手だ。
長嶋氏の一学年下の村山氏は、1998年に61歳の若さで亡くなって居る。
現代でも、天覧試合・サヨナラ本塁打に関して、村山氏のコメント動画が残って居る。
村山氏に依ると、あのサヨナラ本塁打は、明らかにファールだったと言うのだ。
その意見を聞いた後に、改めて天覧試合のサヨナラシーンを観ると、打球の落下地点を明確に映し出しているものが無いのだ。
レフトポール際に打球が飛んだ映像は在るものの、直ぐにカットが切り替わり、腕を回しながら喜んでベースを一周する長嶋選手が映るのだ。
それと、三塁を廻った長嶋選手の直ぐ前を、帽子をあみだに被り諦めた態度の村山投手が横切るのだ。
本来ならば、打者が確りと本塁を踏む迄、投手はマウンド上で確認するものだ。
然し当日は、天皇陛下の前だ。しかも、陛下の予定時間はあと数分の状況だった。
試合の勝敗が着く前に、御帰り頂くのは心苦しい。
微妙な状況だが、本塁打で決着した方が、収まりも良いしコンセンサスも取り易い。
それに、通常なら審判に監督が抗議しそうなものだが、陛下の前でそんな無礼は許されまい。何せ、終戦から14年しか経って居ない時代だし、史上初の天覧試合なのだし。
更に、本塁打を打ったのが、スーパースターに上り詰めつつある長嶋茂雄選手だったし。
多分、村山実投手は、その辺りを一瞬で判断し、せめても抗議を示そうと長嶋選手の前を‘わざと’横切ったのでは無いだろうか。
実際、1998年に村山実投手が亡くなった際、辞世の言葉は、
『あれは、ファールだった』
と、実しやかに伝えられて居るのだ。
30年程早く天国に着いて居た村山実氏は、やっと到着したライバルに、
「チョーさん、あんたの処からは如何見えた?」
と、今頃訊ねているのではないだろうか。
あの打球が、本塁打かファールか確認して。
そして、当の長嶋茂雄氏は、御馴染みの甲高い声色で、
「うーん、如何でしょう。陛下の御時間も在りましたから、ホームランでしょう」
「それに、打った瞬間に一塁に向けて走り出したので、打球の行方は見ていなかったのですよ」
なんて答えている気がして為らない。
私にこんな想像をさせる辺りこそ、長嶋茂雄氏の“記憶に残る”そのものなのではないだろうか。
今年の6月3日、長嶋茂雄氏の訃報を私はテレビの速報で知った。
正直な処、驚きと謂うより、
『えッ! 話が違うじゃん』
と、私は思って仕舞った。
89歳という年齢からも、20年以上も脳梗塞の後遺症と闘って居られたことからも、いつ訃報が届いても不思議が無い状況であったことは確かだ。
しかし私は、1996年の誕生日(2月20日)に長嶋氏が発した一言に感動し、更に思い込んだことで、私は話が違うのではと感じて仕舞ったのだ。
その、長嶋氏の発言とは。
長嶋氏の誕生日(2月20日)は、現役時代からキャンプ中だったことも有り、マスメディアに取り上げられることが多かった。
1996年は、長嶋氏が60歳(還暦)を迎える誕生日だった。
マスコミの記者達は、嫌がる長嶋監督に無理矢理、還暦の象徴でもある‘赤いチャンチャンコ’を着せようとした。着せてカメラに収め様としたのだ。
巨人軍のユニフォーム、それも永久欠番の“背番号3”の上に。
照れながら、赤いチャンチャンコに袖を通した長嶋監督は、カメラに向かい、
「今日、“初めて”還暦を迎えるにあたり……」
と、コメントを始めたのだ。
私もそうだが、世間は一斉に、
『還暦は一生に一度のことなので、初めてなのは当然』
と、囃し立てた。
長嶋氏と謂えば、解説者・監督時代を通じて、奇妙で一風変わった言い回しをすることで有名だった。
その際も、“初めての還暦”が、長嶋氏独特の天然発言として捉えられていたのだ。
しかし私は、暫し考え調べ始めた。
当時、使われ始めたばかりのPCのキーボードを叩き、“還暦”を検索してみたのだ。
すると、
『還暦とは、60歳を迎える長寿の祝い。60年で干支が一巡し、生まれ年の干支に戻ることから、元の暦に還ることから言われる様に為った』
と、結果が出て来た。
続いて、“120歳の祝い”を検索してみた。
PCのモニターには、
『120歳(二度目の還暦)のことを、大還暦という』
と、結果が表示された。
私は思わず、
『長嶋茂雄氏は120歳迄生き抜くことを見越して、自らの60歳を“初めて”の還暦と言ったのだ』
と、私は思って仕舞ったのだ。
思い込んで仕舞ったのだ。
長嶋茂雄氏の発言はプレー同様、私の記憶に深く残って居たのだ。
それで、
『120歳迄、生きるって思って居たのに、話が違うでしょ』
と、思わず口を吐く様な思いが、頭を過ったのだ。
多くの想い出と、記憶に深く刻まれたプレーを、長嶋茂雄氏は残して下さった。
私はこの先の人生で、悩んだり落ち込んだ時等、長嶋茂雄氏の“記憶”で勇気付けられることだろう。
それが、現役時代の長嶋茂雄選手を、リアルタイムで観戦出来た者の特権なのだから。
〈著者プロフィール〉
山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を45年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
お問い合わせ
■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム
■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
■天狼院カフェSHIBUYA
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00
■天狼院書店「湘南天狼院」
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸二丁目18-17
ENOTOKI 2F
TEL:04-6652-7387
営業時間:平日10:00~18:00(LO17:30)/土日祝10:00~19:00(LO18:30)
■天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00
■天狼院書店「名古屋天狼院」
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00
■天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00






