週刊READING LIFE vol.336

クリスマス それは僕が、胸張って主役と為る日《週刊READING LIFE Vol.336「クリスマスの思い出」》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/12/18 公開

記事 :山田THX将治 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

子供の頃から人一倍御喋りで、人前でウケを取ることが大好きだった。

しかし幼少の頃より、学芸会が嫌いだった。

 

理由は子供心にも明白だった。

それは、大人数の前で一人話し(発表とか)たりして注目されることが好きでも、集団で舞台に立ち観客を前にするのとでは、事情が違っていたからだ。

一人だと注目され感心されることが多いが、集団だと観客の笑いの対象に為ると感じられたからだ。

そう謂えば、学芸会を見に来る父兄達は、意味なく笑って居たものだ。これは勿論、動画を撮る機器が一般的では無かった昭和の話だ。

 

そんな理由で私は、秋に為ると心の何処かにモヤモヤとした感覚を常に持って居た。

“笑い=嘲笑”と思って居たからだろう。

それと同時に、私が父兄の笑い物と為る学芸会を企画する教員達のことも、快くは思って居なかった。

 

 

似た様なことが、クリスマス時期にも有った。

これは結構、大人に為る迄続いて居た。

 

一番の理由は、私が若い頃、全くモテなかったことに起因する。

クリスマスは、カップルで過ごす友人達に放って置かれて、誘って貰える機会を失っていたからだ。

 

それともう一つ、家業を営んでいた実家では、両親の機嫌が悪くなる時期だったからだ。

私の家業は製麺屋で、年末、それも大晦日が一年で一番の書き入れ時だったからだ。

因果な物である。私は何度も、

 

『年越し蕎麦なんて慣習は、一体誰が始めたんだ!』

 

と、恨んでいたものだ。

何しろ、年越し蕎麦の製造と販売で、両親の機嫌はクリスマス直前、極限に達する。

幼い私は、人気(ひとけ)を消すのに必死だった。そこに居るだけで、意味なく叱られると思い込んでいたからだ。

二学期の成績が悪かったりすると、それこそ最悪な気分の歳末と為ったものだ。

 

後年、私が家業を手伝うことが可能に為ると、当然の様に手伝いをさせられた。

両親の機嫌は少し良くなったが、私は一つ、大きな想い出を作ることが出来なかった。

 

それは、スキーをしたことが無いことだ。

スキーをしたことが無いと謂うことは、スキー場での出逢いが無かったと謂うことだ。映画『私をスキーに連れてって』の世界や、松任谷由実さんのウインターソングの世界とは無縁だった。

勿論、ユーミンの苗場ライブ何ぞには、行ったことも無かった。

 

私がスキーを出来ない最大の原因は、年越し蕎麦なのだ。

東京で育った者は、大概の場合、冬休みのスキー教室で習い始めるのが通例だ。中には、スキー好きの両親に連れられて、もっと早くから始めた者だっている。

 

ところが私は、そのどちらにも当てはまらなかったのだ。

両親は冬休みには忙しく、私が成長した後も、スキー教室に行かせることも無く、手伝いをさせることが当然と考えていたからだ。

 

 

大学生に為ってやっと、普段からのバイトの御蔭で少しは金銭的に余裕が出来、

人並みにクリスマス時、遊びに出ることが出来る様に為った。12月24日(クリスマスイブ)だけだったが。

 

ところがである。

時代は、バブルのはしりに入って居り、今度は東京中のレストランやホテルの予約が取り辛く為って来たのだ。

 

私の人生、何ともタイミングの悪い巡り合わせだったのだ。

 

 

そんな私の人生で、たった一年だけ、胸張って主役を務めたクリスマスが有った。

勿論、最も印象に残るクリスマスだった。

 

 

私は、キリスト教会の幼稚園に通っていた。

プロテスタント系だったので、クリスマスに対する教育は熱心だった。

クリスマスとは、如何なる日なのか。神の子・主イエス・キリストは、如何にして誕生した(教会では“降誕”と教えられた)のか。

12月に入ると、連日園長先生(牧師)の講話が続いた。

 

それと同時に、年長組の園児、それも少数の選ばれた園児は、連日の稽古が課せられた。

 

稽古とは、幼稚園と教会の日曜学校が共同で開催するクリスマス会で、キリスト誕生(降誕)の物語を芝居仕立てにした“生誕劇(降誕劇)”を演じるからだ。

園児が演じる劇なので、登場人物は絞られ、極少数が選ばれた。

台詞を覚えることが出来、来場者の前でもちゃんと演じることが出来る園児だ。

 

元々、御喋りが得意で目立つ存在だった僕は、いの一番に選抜された。

 

「しょうちゃん、どの役を遣りたい」

 

と、担当の先生は特別に僕だけ役を選ばせてくれた。

僕は二つ返事で、

 

「博士! それも、先頭で黄金を持つ人」

 

と、元気よく答えた。

 

 

少しだけ説明を加える。

幼稚園で行われる生誕劇は、登場人物がキリストの両親(マリアとヨセフ)・三賢人(博士)、そして数人の羊飼いだけだった。

物語は先生のナレーションで進められ、台詞は少な目だった。

 

生誕劇では、主役と謂う存在は無い。何しろ、イエス・キリストの誕生を扱うのだから、主人公はキリストなのだ。

では、目立つ役柄はと謂うと、マリアでもヨセフでもない。彼等には台詞が無いのだ。

幼かった僕は、一番目立つ台詞、

 

「おぉ、あれはベツレヘムの星」

 

と、上空を指差して言う、三賢人の先頭を歩く博士を演じたかったのだ。

ベツレヘムの星とは、三賢者にキリスト誕生を知らせる星のことだ。

別名をクリスマスの星と言い、クリスマスツリーの頂上に付けられる星がそれだ。

ベツレヘムの星が輝いたことで、三賢者は救いの神(キリスト)生誕を知り、礼拝の為にエルサレムに向かうのだ。

 

その時、僕が思ったのは、錦糸で舞台衣装を作って貰い、黄金を持って現れる賢者が、最も恰好良く劇の中心だと謂うことだった。

何故、黄金や錦糸かと謂うと答えは簡単だ。

 

僕が生誕劇に参加したのは、1964(昭和39)年12月24日のことだ。

その年の秋、アジア初のオリンピックが東京で開催され、僕等は大変感動し影響を受けていたのだ。

その結果、金メダルに通じる‘金色’は、無い色にも勝る特別な色だったのだ。

 

希望通り、先頭の博士を演じることに為った僕は、副園長先生(牧師の奥様)に錦糸の衣装をリクエストし了承を得た。

 

 

クリスマスイブ当日、先生のナレーションで生誕劇が始まった。

暫くして、金色の衣装の僕は、頭上に黄金(勿論、レプリカ)を掲げ讃美歌を唄いながら、客席の通路を歩み出した。

来場者の視線は、金ピカの僕に集中した。勿論、無言で感心して。

注目を浴びた僕の気分は最高だった。

 

そして僕は、他の賢者と共に舞台に上がると、

 

「おぉ、あればベツレヘムの星」

 

と、園児初の台詞を言ったのだ。言えたのだ。

しかも、堂々と。

 

僕の気分は最高だった。

何しろ、機嫌の悪い両親から離れ、笑い物にも為らずに主役を張ることが出来たのだから。

 

 

生誕劇の幕が下りると、場内から拍手が起こった。かなり長い間。

そして再び、幕が上がると、予定されて居ないナレーションが入った。

 

「皆様、壇上の園児にもう一度拍手してあげて下さい」

 

僕等はもう一度、深く会釈した。

 

拍手が鳴り止むと、ナレーション担当の先生が、

 

「では、しょうちゃん、頂いた拍手の御礼を言って下さい」

 

と、突然の指名をしてくれた。

僕はもう一度胸を張り、黄金を再び頭上に掲げると、

 

「ありがとうございます!」

 

と、元気よく御礼を言った。言うことが出来た。

 

 

舞台を降りると、副園長とナレーションの先生が、

 

「しょうちゃん、立派に御礼が言えましたね」

「しょうちゃんなら、出来ると思って居ましたよ」

 

と、僕を褒めてくれた。

実に晴れがましい気分だった。

 

 

その後、サンタクロースに扮した園長先生から、クリスマスプレゼントが配られた。園長先生は、

 

「御名前を呼ばれたら、プレゼントを取りに来て下さい」

「では先ず、やまだしょうじくん!」

 

と、先頭で僕の名を呼んでくれた。

 

「はい!!」

 

と、元気よく右手を挙げ返事した僕は、錦糸の衣装姿で園長先生の元へ駆け寄った。

園長先生は、

 

「生誕劇で一番頑張ったしょう坊には、一番大きなプレゼントを挙げよう」

 

と、大きな包みをサンタさん袋からとし出して、僕に渡してくれた。

 

「何、貰ったの?」

 

と、友達に訊ねられたが、その場で包みを開けることはしなかった。

羨ましがられそうだったからだ。

 

帰宅後、プレゼントの包みを開けてみた。

中には、僕が欲しかった新幹線のプラレールが入っていた。

何しろ、数か月前に運転を開始したばかりの新幹線だ。

嬉しさの余り、僕は夜が更ける迄遊んでいた。

 

 

1964年12月24日のクリスマスイブ。

 

60年以上経った今想い返しても、最も嬉しかったクリスマスだった。

 

 

何しろ、親から叱られることも無く、

誰からも、笑い物にされず、人前で目立つことが出来たのだから。

 

 

そう、

胸張って主役と為った日なのだから。

 

 

 

 

 

〈著者プロフィール〉

山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役

幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余

映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を45年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る

これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿

ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている

本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」

映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり

Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載

続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載

加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する

更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている

天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion

 

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2025-12-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.336

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