葬式でみんなを笑わせたい《 週刊READING LIFE Vol.337 「フリーテーマ」 》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2025/12/25 公開
記事 : パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
父の変な気遣いが、やっぱり今回も出た。
大変だろうから、じいちゃんの葬式に来なくてもいいという。
いやいやいやいや。
何をおっしゃる。
じいちゃんには孫が4人いるけど、孫のなかでは私が一番なかよしだ。
だって大晦日にダウンタウンの「笑ってはいけない」を観て、爆笑する祖父と孫のコンビはこの世に何組存在するだろうか。
じいちゃんは、100歳と8カ月という年齢でこの世に幕を閉じた。
大往生だ。
子供を連れてくるのも大変だろうし無理そうだったら来なくてもいいよ、という父に対し私はこう返した。
「ちゃんと最後のお別れがしたい。おそらく私が一番近い孫なので、お気遣いは不要です」
じいちゃんは今年の初めから老人ホームにお世話になっていたが、転倒して骨折したのをきっかけに病院に移り、誤嚥性の肺炎などもあって食事がゼロの点滴生活になった。そのあたりで医者に「弱ってきている。そろそろかもしれない」という説明を父は受けていた。
じいちゃんは少しずつ意識が薄れ、何か痛みを訴えることもなく安らかな最期を迎えたらしい。
父をはじめ、まわりの人間も「受け入れられない! 辛い! 寂しい!」というよりは「長生きだったね、おつかれさま」という心持ちであった。
さあ! 葬式に行こう!!
と張り切ったのも束の間、葬儀参列の準備はやっぱり忙しかった。
まずは、毎日ギリギリの人数でまわしている飲食店パートにお休みの申し出をして、代わりの人員を確保してもらった。パートの身分とはいえ、急なお休みというのは気が引けるものだ。
次に子供たちの小学校へ連絡を入れる。
時期的に個人面談ウィークだったため、こちらもスケジュールの調整が必要となった。
習い事や歯医者の定期健診、こんな時に限っていつもの倍、予定が詰まっている。
ひとつひとつ抜けや漏れがないよう、紙に書き出したリストを横線で消していく。
香典を包むために現金をおろしに行ったり、宿泊の準備をしたり。
そうだ、以前子供たちに着せた黒っぽい服はもうサイズアウトしているはずだ。途中、ユニクロでも寄って新しい服を調達するか。
そういえば、前回法要に出席するために帰省したのに肝心な喪服を忘れたことがあったんだ。あの時は伯母が持っていた黒い服でなんとか全身を覆った。今回はそんな失敗がないようにしなければ。運転するのにスニーカーを履くから、黒いパンプスも忘れずに……。
ただでさえ、キャパの小さい私の脳みそがパンクしそうだ。
なんとか準備を済ませ、子供たちを車に乗せる。
「いい? 今から高速に乗ったらお母さんあんたたちのお世話できないから、なんかあったら二人で協力してね」
二時間以上、車を走らせ、葬儀場に着いた時には、もう既に疲れていた。
心配した父が暗くなりかけた葬儀場の外で私たちを待っていた。
「おう、よく来たな。そろそろ通夜が始まるぞ。着替えてこい」
「じいちゃん、きたよ」
じいちゃんの顔を見に行ったら、歯が無くなってしわくちゃになっていた口元には綺麗に綿を詰めてもらったそうで、おだやかで、でもいつもより少しキリっとしたかっこいい顔をしていた。思い出した。じいちゃんって若い頃、彫りが深くてイケメンだったんだよな。
じいちゃんの頬を指でなでたら、もちろんひんやりと冷たかった。でもしっとりした肌が亡骸とはいえ、ここにまだ体があることを強く感じさせてくれた。
「さわってみたいけど、こわい」
6才の次男がそう言うので、私は言った。
「大丈夫だよ、触ってあげな。じいちゃん喜ぶよ」
抱っこして棺を覗かせると、次男は人差し指でちょんと遠慮がちにおでこを触った。
いよいよ通夜が始まり、現れたご住職がやけに若いなと思ったら、なんと今春大学を卒業したばかりの三代目であった。通夜のあとには仏教の教えを絡めたご法話というものがあるが、少し拙いながらも熱心に考えてきてくれたであろう話しぶりには好感が持てた。
「自分は四年間、仏教というものについて学びましたし、毎日お経を唱えています。それでもまだ難しくてわからない部分があります」
自分から何かをみなさんに教えるというのはおこがましいが、この場で何を共有できるか一緒に考えたい。ご住職はそう言った。
じいちゃんの戒名には「暁」という字が使われた。
暁は太陽の昇る前のほの暗いことを言うが、これは仏教でも同じ意味だそうだ。要は夜明けの時間を指す。
「太陽はいつでも同じ場所で私たちを照らしてくださいます。暗いと感じる時、それはご自身の煩悩が雲のように邪魔をしているのです。『すべてうまくいく』と言うのは、そういう意味です。本当はすべてが明るくて、うまくいっているのです。どう受け取るのかは自分の在り方次第なのです」
途中、言葉に詰まって無言になったり、「すいません」と言ってペコリとしたり、ご住職の一生懸命さがとても伝わってきて心のなかで(頑張れー!)と応援した。
通夜が終わって9才の長男が「俺いい事聞いたわ。なんか嬉しかった」と言った時、この場でしか聞けない話を聞かせてあげられたことをありがたく思った。
私たちはそのまま葬儀場の寝室に泊まらせてもらうことになり、慣れない場所を不安がった次男が「こわい、オバケとかでないよね?」と聞くので(まあ、じいちゃんが半分オバケみたいなもんやけどな)と一瞬頭に浮かんだが、不謹慎なので言わずにおくことにした。
実は、父から大役を仰せつかっていた。
葬儀の最後に親族代表で「お別れの言葉」というのがあるので、それをやってほしいという。ばあちゃんの時もお別れの言葉を言ったのだが、関係性も手伝ってどうやらその役回りは私らしい。
母は私がまだ20代の時に亡くなった。54才という若さだった。
その少し前に姉が嫁いでいたこともあり、急に二人ぼっちになった父と私は、暇があればじいちゃんばあちゃんの家で時を過ごすようになった。
仕事終わりの父と私が帰ると、必ずばあちゃんがお手製の料理で迎えてくれた。
ビールで乾杯し、近況を報告する。じいちゃんは私の仕事内容も熱心に聞いてくれ「今は総務部で給与の計算とかしてるよ」というと、元経理マンだったじいちゃんは若かりし頃の苦労話などを聞かせてくれた。パソコンなんてない時代の経理の話は想像を絶する大変さで、面白かった。
孫のなかで一番若かった私は、結婚も最後で、その分じいちゃんやばあちゃんと過ごす時間を多く積み重ねることができた。
ばあちゃんの時のお別れは、とても辛いものだった。
夏休みに子供たちを連れて帰省して、庭でした花火を「綺麗かねぇ」と笑っていたばあちゃんはその後体調が急変し、弱る自分を知られたくない勝ち気なばあちゃんに口止めされていた父は私に何も教えなかった。
そろそろまた子供たちを連れて顔を見せに行こうかなと考えていた矢先、父から「実はもう随分悪い。医者からあと一週間くらいと言われている」と初めて電話がかかって来たのだ。
私はショックで嗚咽した。
しかも次の日の朝、荷物をまとめて帰省の準備をしている最中に「いま、亡くなった」と電話がかかってきて、私はスーツケースを前に呆然と立ち尽くすしかなかった。
今回はばあちゃんの時とは、少しばかり様相が違っていた。
100才を超える大往生だったことと死期がゆっくり訪れた事をみんなが知っていたため、とても落ち着いた雰囲気で、お別れの言葉を依頼してきた父の様子もかなりカジュアルだった。
「もう大往生だから悲しい感じじゃなくていいからさ、明るくてちょっと笑える感じでもいいよ」
家族葬という形式を取ったため、弔問客も気心が知れた身内しかいない。
オッケー、そういうことでしたらお任せください!
じいちゃんと私の間にはコミカル要素のエピソードが満載ですから!
私は二つ返事で了解した。
なんか楽しくなってきたな。
明日の葬儀でじいちゃんをはじめ、みんなを笑かしてやろう。
子供が寝たあと、ベッドの脇でスマホのライトを頼りに、出来る限りのエピソードをルーズリーフに書き出していった。
小さい頃に庭で遊んでいた私が、たまたまみつけた障子の切れ目をペロッと指でめくったら和室にいたじいちゃんと目が合ってしまい、「なんばしよっとか!」と裸足で庭に降りてきたじいちゃんに鬼の形相で追い掛けられたということがあった。
若い頃のじいちゃんはとても勢いがよくて怖かったのだ。
それに冒頭にも書いた通り、ある年の大晦日は「笑ってはいけない」でじいちゃんが涙を流してヒーヒー笑い転げだして、それを見ていた私も笑いが止まらなくなり、二人で泣き笑いしたということがあった。その時私のスマホで撮った二人のツーショットは、頬が上気してとてもいい笑顔をしていた。
またある時は、「パナ子ちゃん、ちょっと」と言っておもむろに財布を取り出したので「え、なになに、おじいちゃん、まさかお小遣い!?」とワクワクしていたら、じいちゃんは財布の中から達筆で「令和元年」とだけ書いたただのメモ紙をニヤニヤしながら渡してきたことがあった。
「じいちゃんが書いたけん、これをあげよう」「いらんわ!」というやりとりをしたことも記憶に新しい。
他にもできるだけ詳細にじいちゃんの面白い人柄がわかるようにと、色々書き綴っていたらものすごく長くなってしまって、ちょっと焦った。
いよいよ葬儀が始まり、私が笑ったエピソードの数々が、果たして同じ熱量で会場のみんなに伝わるだろうかという心配をしていた。
ご住職がお経を唱えて退場し、司会の方に紹介され、私はスタンドマイクの前に立った。
列席者に向けて一礼をする。
今度はじいちゃんの大きい写真が飾ってある祭壇に向かって、大きく息を吐いた。
手紙には、最初に「おじいちゃん」と書いてある。
じいちゃんに向かって呼び掛けてから手紙を読み始めるんだ、私はそう思っていた。
しかし、その「おじいちゃん」という第一声が出ない。あれ? なんで? おかしいな。
気づいたら手紙を持つ手はプルプル震え出して、私は泣いていた。
え? うそでしょ? 今からじいちゃんの面白エピソードをみんなに披露するんだけど?
本当は祭壇に向き直ったあたりで、じいちゃんの大きな写真がバーンと目に飛び込んできてもうダメだったのだ。
じいちゃん! 本当に死んだんやね!
じいちゃん、この後、火葬場で焼かれたら、もうこの体も無くなっちゃうんやね!
じいちゃん、これで本当に最後やね……。
そんな思いが胸に急に溢れてきて、私は戸惑った。
ばあちゃんの時とは違って、心の準備はもう十分なはずだったのに。
しばらく落ち着くまで時間をもらい、私はやっとのことで手紙を読み始めた。
自分で書いた手紙を読みながら、その時その時のじいちゃんの顔が鮮明に浮かんでくる。
クソがつくほど頑固な部分もあったけど、じいちゃんは私のことを可愛がってくれていた。愛情をたくさんくれていた。きれいごとでなく、実感を伴って響いてきた。
ありがとう、じいちゃん。
お疲れ様、じいちゃん。
会場からは想定していた笑いは起きず、代わりにすすり泣く声が聞こえてきていた。
読み終わって、席に戻ると、二人の子供たちが想像以上にポロポロと泣いていて驚いた。
じいちゃんとのお別れがちゃんとできてよかったね。
葬儀場って、乾物屋みたいだ。
乾物を水で戻してあげたら柔らかくフヨフヨになって、カラカラだった状態がウソみたいになる。葬儀場に着くまでは「大往生ですし」と高を括っていたのに、じいちゃんの顔を見て肌に触れたら、亡くなったという実感がダイレクトに胸に来て私もカラカラではいられなくなった。
火葬場で拾ったお骨を骨壺に入れ終わったら、次男が「おじいちゃん、あんなに大きかったのに、小さくなっちゃたね」と神妙な顔をしていた。
大丈夫だよ。
体はもうなくなっちゃったけど、みんなのことずっと見守ってくれるよ。
じいちゃんバイバイ! またね!!
外に出ると、火葬場の空は、どこまでも晴れ渡る綺麗なブルーだった。
❑ライターズプロフィール
パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
鬼瓦のような顔で男児二人を育て、てんやわんやの日々を送る主婦。ライティングゼミ生時代にメディアグランプリ総合優勝3回。テーマを与えられてもなお、筆力をあげられるよう精進していきます! 押忍!!
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