週刊READING LIFE vol.337

2025年12月25日で丁度、満100年 〈副題〉それは、親鸞聖人の教えに近いらしい 《 週刊READING LIFE Vol.337 「フリーテーマ」 》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/12/25 公開

記事 : 山田THX将治 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

248も有る日本の元号。

よくクイズ番組等で問われる最も長かった元号は、64年続いた昭和だ。

今年(2025年)は、昭和が始まって100年と謂うことで、マスメディアでは多くの“昭和100年”の特集が組まれてきた。

 

ところが、意外と取り上げられて居ないことが有る。

昭和は、元年(一年)から64年迄続いたのだが、正味は62年と二週間と謂うことだ。

記憶に新しい、と謂っても36年も前の話だが、昭和が終わった日、即ち、昭和天皇が崩御召されたのは、新年の松が明けぬ1989年1月7日のことだった。

従って昭和64年は、僅か一週間しかなかった訳だ。

 

対して、昭和元年(1926)、即ち、大正天皇が崩御召されたのは、1926年12月25日(奇しくもクリスマス)だった。

従って昭和元年も、僅か一週間しか無かったのだ。

当時を知る方は、数える程しか御存命では無いことだろう。何せ、昭和が始まった日の記憶を残している方は、100歳を優に超えしかも、或る程度明晰な記憶(頭脳)を維持されている稀有な存在だろうから。

 

 

私は今年、自分なりに昭和を回顧し続けた。

昭和を30年超、生きた者として。

そして一つ、奇遇な巡り合わせを発見した。

 

 

丁度、昭和が始まった日、昭和を代表する一人のエンターテイナーが誕生していた。

その名は、植木等。

昭和を生きた経験が有る方なら、日本でお笑いバンドの元祖『ハナ肇とクレージーキャッツ』のメンバーと即答出来るだろう。全盛期、植木氏の認知度を現代で例えると、タモリ氏か明石家さんま氏に近かったと記憶している。

いや、音楽が出来て映画等でも演技が出来ることから、現代なら差し詰め、コミカルにした福山雅治氏と謂った処だった。

いずれにしても、昭和3・40年代では、植木等の名を知らぬ日本人は、滅多に居なかった筈だ。

 

 

そんな、植木等氏が所属するハナ肇とクレージーキャッツは、テレビでバラエティ番組の黎明期、ブラウン管(テレビ画面を昭和ではこう称した)で観ない日は無かった。

クレージーキャッツの中でも植木等氏の人気は頭抜けていて、テレビ・バラエティの他に、映画にも出演していた。

月―土(昭和です。月―金では有りません)の帯番組(しかも、生放送!!)に出演し、週一のレギュラー(これも生!)が数本。更に年に数本の映画出演だったので、その忙しさと謂ったら現代では例え様が無い程だ。

 

実際、植木等氏は、激務が原因で入院したことが有った。

その折でも、クレージーキャッツが出演するレギュラー番組は、放映され続けた。生放送だったので当然、植木氏以外のメンバーでの放映だった。

植木氏目当ての視聴者の中には、彼の未出演を知った途端に、合わせていた

チャンネルを変えてしまったと謂う、最早、都市伝説に近い話が残って居る。

何しろ、植木等氏が未出演だった放送回の視聴率が、極端に落ちたそうだ。

 

 

私にとって植木等氏は、特別な存在だった。

何故なら、入学した小学校で一・二年生時代のクラス担任が、何処となく植木等氏に似た風貌だったからだ。

植木氏よりも少し歳上だった担任は、戦時中に海軍へ入隊経験が有り、興が乗ると授業中にハモニカで『軍艦行進曲』を演奏してくれるのが常だった。

僕等は陰で、担任のことを“スーダラ先生”と渾名(あだな)で呼んでいた。

 

しかしその反面、私が小学校低学年の頃は、大人の前で唄うと叱られる歌が有った。

何を隠そうそれは、植木等氏の歌だった。彼が唄うのは主に、自身が主演した映画の主題歌だ。

代表的な曲として挙げると、『スーダラ節』『無責任一代男』がそれだ。

小学生だった僕等は、唄うと叱られる曲名を、植木氏に似た担任の渾名にして楽しんでいた訳だ。

 

植木氏の歌は、映画(コメディ)主題歌だけあって明るく・楽しく・(子供にも)覚え易かった。

しかし、映画の主人公(植木氏・演)の、ノリがよく・調子よく・いい加減なキャラが仇(あだ)と為り、当時の親世代や大人達には安易に受け入れられなかったのだ。

そして、御調子者の主人公が唄う主題歌を、子供達(僕等)が唄うことを、佳しとしなかった迄だ。

 

然し乍ら、‘三つ子の魂’何とやらで、私は今でも、興に乗ってカラオケに繰り出すと『植木等メドレー』をたまに唄ったりする。

勿論、歌詞を見ずに全て唄うことが出来るのが自慢だ。

 

 

昭和初日に生まれた植木等氏は、これが芸名ではなく本名であると聞くと驚くばかりだ。

この名は、浄土真宗大谷派の僧侶である植木氏の父・徹誠(てつじょう、本名は徹之助)が、信念である“人間は皆平等”を表している。

又、徹誠僧侶は、自らの立場を鑑みず社会派運動、特に差別反対運動に参画していた。

植木徹誠氏の思想は、とても深かったそうだ。後年、日本共産党に入党したことからも、垣間見ることが出来る

その思想の為、戦前には治安維持法違反で4年間投獄された経験も有った。

 

実は、その投獄が、植木等氏が僧侶には為らずバンドマンの道を歩んだ基に為って居るらしい。

これは、黒柳徹子さんの長寿インタビュー番組で植木氏が紹介したエピソードに依る。

 

僧侶である父親が投獄されていた期間、実家の浄土真宗大谷派常念寺(三重県)の檀家は、葬儀や御盆、そして彼岸の期間に御経を上げて貰えず困っていた。

仕方なく、檀家の代表が、当時未だ中学生だった等少年に、御参りを頼んで来たそうだ。

戒律が若干緩い浄土真宗では有ったが、等少年も多少躊躇した。

然し、困り顔の大人達を見て、已むに已まれず父親の僧衣を纏い、門前の小僧で知った御経を上げに出掛けたそうだ。

 

修行経験も無いことから、少年仮僧侶の読経は短かった。

それでも家族の方々は、深々と頭を下げ、納めた御布施には父親の時と同額が包まれて居たそうだ。

そればかりではない。

読経しに行った家の前を通り掛かった際に、家族の方から、

 

「若住職さん」

 

と、声を掛けられたそうだ。

 

植木等氏はそれ以降、仏教の戒律に疑問が生じ、仏門以外の道へ進もうと心に決めたそうだ。

大学に進学後、バンドボーイのアルバイトをすることや、父親には内緒でレコード会社のオーディションを受けたこと、遂には芸能活動を始めることに躊躇は無かったそうだ。

 

 

とは謂え植木等氏は、クレージーキャッツで人気絶頂の頃でも、父親の徹誠氏には、芸能活動の報告はし辛かったらしい。

戒律が緩い宗派とは謂え、一応は僧侶である父に対し、多少の引け目は感じていたのだろう。

 

中々、芸能活動の話を父親に対し出来なかった植木等氏は、1961(昭和36)年、帰省した際に意を決して、レコーディング前の歌詞を父親に見せた。

新進気鋭の作詞家が書いた詞が、余りにふざけ過ぎて居ると感じたからだ。こんな歌を、人気があるとは謂え、僧侶の息子である自分が唄っても良いのだろうかとの疑問も在ったのだろう。

 

父親に見せた歌詞とは、後に大ヒットする『スーダラ節』。作詞を担当したのは、後年、国会議員や東京都知事を勤めた青島幸男氏だ。

『スーダラ節』の歌詞は、無責任極まるいい加減な男が、調子佳く世渡りし、それを笑い飛ばす内容だ。

中でも植木等氏が気に為ったのは、いけない事(呑む・打つ・買う)と知りつつも簡単に止められないとの下りだった。

 

恐る恐る徹誠氏に『スーダラ節』の歌詞を見せたところ、意外な言葉が返って来た。

 

「この歌詞は、御前(等氏)が書いたのか?」

 

と、謂う質問だった。

等氏は、即座に、

 

「いえ、違います」

 

と、否定した。

 

「では、誰が書いたのだ?」

 

と、更に訊いて来る父親に対し、激怒されると思いながら、

 

「青島君と謂う、僕より6歳下の放送作家だけど」

 

と、言い訳がましく告げた。

次の瞬間、徹誠氏は、

 

「この歌詞は、素晴らしい! これは、人間の矛盾を突いた真理だ」

 

と、褒め上げた。

更に、

 

「歌詞に在る心理は、親鸞聖人(浄土真宗の開祖)の教えに通じる」

 

と、僧侶らしい発言をして来た。

 

父親の発言に背中を押された植木等氏は、自信を持って『スーダラ節』の録音に臨んだ。

 

『スーダラ節』は大ヒットし、植木等氏の代表曲と為った。

 

 

昭和100年を考えた時、私は一人、そんな知恵を得た。

 

 

『スーダラ節』は、親鸞聖人の教えに近いと。

 

 

 

 

 

〈著者プロフィール〉

山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役

幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余

映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を45年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る

これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿

ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている

本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」

映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり

Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載

続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載

加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する

更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている

天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion

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2025-12-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.337

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