週刊READING LIFE Vol.34

われ、戦国時代に学ぶべきビジネスの種ありと発見す。《週刊READING LIFE Vol.34「歴史に学ぶ仕事術」》


記事:加藤智康(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

ビジネスは戦争と同じだ。食うか食われるか。
現代は戦国時代のように、生き残りをかけた厳しい戦いだ。
シェアという陣取り合戦を行い、価格競争で攻撃をしかけたりする。それぞれに独自の武器を開発して、強みを活かして敵を倒す。そんな時代だ。
 
そんな命がけの戦いは過去にもあった。そう、戦国時代だ。
戦国時代のなかでも、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康から学ぶことが多い。ビジネスにももちろん役に立つ。
 
この3人を対比することで、ビジネスに使えるノウハウがわかるのである。
例えば、織田信長は、ある程度戦国時代を統一し始めていた。他の武将に先んじて時代を先取りしたアイディアを出し、鉄砲を取り入れ、それまでとは違う戦術を駆使していた。当時のあたりまえを疑い、直感に閃く斬新な発想をするのが得意だったのである。しかし、志半ばで味方の裏切りで命を落とす。
 
大きな視野で見れば、織田信長のやろうとしていたことを引き継いだのが、豊臣秀吉である。秀吉は築城と土木の天才であった。それに加え、とても家臣とのコミュニケーションがうまかったともいわれている。つまり、専門家でありスペシャリストでありながら人の心をつかむのうまかったのである。そこが信長との違いであろう。ただ、秀吉が築城した大阪城は、信長の安土城をお手本にしていた。また、信長が進めた沿道や伊勢の関所を廃止した流れを引継、秀吉は徹底した関所撤廃政策をとった。そして自由な商業活動を助長したのだ。他にもいくつも信長のやっていたことをお手本にしたことがある。つまり、とんがった会社経営をした信長の後を引き継いだ2代目堅実派秀吉といってもいいだろう。
 
つまり2人を見ただけでも、学ぶ所は多い。というより学びたくなる。一番の理由は、命をかけた戦いを繰り広げていたこと。このインパクトは強い。多くの部下の一人一人にも生まれてからの人生があっただろう。いくら戦国時代とは言え、命を惜しくない人間はいないはずだ。つまり無駄死を憎み、お国のためになるとか、家を守るとか、織田信長に惚れ込むとか、戦に行くのにも理由と目的があったはずである。その上で、その多種多様な目的をもった家臣、部下たちをまとめあげて道を示すことが信長たちには必要だったと思う。
 
とすれば、リーダーシップの発揮の方法や目的の共有をどのようにしていたかを知ることは、今のビジネスや仕事にも十分使えるはずである。
 
特に私のお気に入りは信長だ。歴史書では変わり者のように書かれていることが多いが、結果的には秀吉にも家康にも影響を与えている。つまりとんがったベンチャー企業の社長といったところだろうか。通常、そんな上司に対しては好き嫌いがはっきり分かれると思う。今でこそ変化が重要だと思う時代でも、成功するかしないか不透明なビジネスを語る人には懐疑的ではないだろうか。当時は命がかかっている。しかし、領土を広げながら天下統一の少し手前までは進んだのは事実である。多くの人がついてきていたのだ。どんな人心把握術を使っていたのだろうか。どんなことを考えていたのだろうか。考えると興味が尽きない。
 
印象に残るのは「長篠の戦い」だ。信長は武田軍との激突を予測する設楽原の連吾川一帯に馬防柵を巡らし、銃撃戦で粉砕しようという作戦を立てた。それまでは信玄仕込みで騎馬隊による突撃こそが最強の武力だと武田は信じていたし、事実強かった。鉄砲を使用した戦いが一般的ではなかったのに、信長はそれにかけたのである。一方で、織田と徳川合わせて3万8千の大軍で戦うなら、広い地形での戦いの方が戦いやすいと歴史家は言う。それは通常の見方で、信長はそれに反して特徴ある作戦を実行したのだ。しかも、おそらく、雨などの事態も想定して、鉄砲を使えないケースも考えていたのだろうと予測される。さすがに鉄砲抜きで、当時最強といわれる武田の騎馬隊と戦いやすい広い場所で戦えば、結果は保証されない。
 
つまり、信長は、リスクも想定した作戦、強みを活かすための戦略、などを駆使している。それに従う3万を超える兵士たちがいた。お互いに負ける為に戦うわけではない。勝つことを信じているから、戦うのだろう。命のやりとりのなかで、新しい作戦を実行する判断ができるのか。戦国武将にはそれだけの人を惹きつける何かがあったと思う。
 
私は、自分で起業しているわけではないが、戦国時代の信長、秀吉、家康の戦いの方法、考え方などを、ほとんど企業経営と同じじゃないかと本で読むたびに興奮する。それに、従業員目線から見た理想とする上司像も考えてしまう。
 
上司が信長だったら、ついていくだろうか? 少なくとも、全国制覇という夢に向かってつきすすむ姿には心奪われるであろう。どこまで夢を兵士に語っていたかはわからないが、桶狭間の戦いを見ると、その決断力には自分の夢も託したくなる。戦争には家臣の命を犠牲にするリスクがともなうだけに、例え生き残りのためとはいえ、リーダーの決断には重い責任があったはずだ。それを、反対する家臣らの評議に対し、ひとり出撃を主張して奇襲に成功したことには畏敬の念を抱くしかない。
 
リーダーは、運は待っているだけでは開かれないことを理解すべきである。勝つためには何をすべきか、なにを犠牲にするかで苦しみ、トップにしか出来ない決断を迅速に下さなければならないのである。信長は、その点では家臣の意見にも左右されず、自分の信念をもち、すぐれた判断をし続けたのである。
 
信長のアイディアを開花させたのは秀吉であり、謙虚な心で歴史や先人の教訓に学び、信長や秀吉の良策を継いだ家康が265年続く江戸時代の基礎を作ったのはいうまでもない。
 
私は、信長、秀吉、家康の3人の生き様を読むと、現代の仕事術として使えるものが多いと思わずにはいられない。彼らは本当の命をかけた経営をしてきたと思う。どんなリーダーであるべきか。本当に役立つことが多い。先行き不透明な戦国時代のような日本経済の現状のなか、命をかけて戦う仕事術が戦国時代にはある。歴史は学ぶべき仕事術の宝箱だ。
 
 
 


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2019-05-27 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.34

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