週刊READING LIFE Vol.34

居心地の良い職場はボトムアップで作れるのか?〜三成にもらったヒント〜《週刊READING LIFE Vol.34「歴史に学ぶ仕事術」》


記事:相澤綾子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「嘘でしょ?」
私は心の中でつぶやいた。女子社員がほかの社員のためにお茶淹れをしているのを見かけたけれど、それは、パート社員なのかと思っていた。でも違った。私は女性の先輩から、昼になったら社員のためにお茶を入れるように言われた。もちろん彼女もそれを当然と思っていたわけではない。
「昔はね、10時、3時にも入れていたのよ」
私が最初に配属された職場は、40人規模だった。2人体制でやっても、お茶いれに10分、片づけに10分はかかる。どうしてもほかの用事でできない時以外は、当然のことながら新入りの私は必ず入る。たかが毎日20分、されど20分。2人なので。1日あたりのべ40分、一週間で3時間20分、1か月で11時間20分が、社員のためのお茶淹れのために費やされていたわけだ。
まあ100歩譲って、お茶淹れを誰かがやるのは効率化できると考えられなくもない。お昼の時に一斉にお茶を飲もうとボットのところに群がれば、非効率だ。誰かがまとめてやるのも悪くはない。でも中には飲まない人もいるわけで、自分は飲まないから、と湯呑を片付けておいてくれればいいのだけれど、そういう配慮もない。まったく口をつけられていない湯呑を回収することもあった。
採用されて20年近く経った今の私なら、
「いつも飲まないようですから、淹れなくても大丈夫でしょうか?」
なんてさらっと言えるだろうけれど、当時はそういうこともなかった。遠慮しているというよりは、お茶淹れをしなければいけない苛立ちの方が先に立って、どうしようもなかった。たぶんもし言ったとしたら、かなりトゲトゲとした雰囲気になってしまっただろう。しかもお茶淹れをするのは女性だけ。若い男性職員は当然のように淹れてもらう側にいたことも納得できなかった。
この1か月11時間20分をもっと有効なことに使うべきじゃないかと、私は思っていた。というか、なぜ女性だけがやらなければいけないのか。さらに言えば、新人とはいえ、徐々に仕事を覚え始めていたし、この時間を普通の仕事に費やせれば、もっと貢献できるのではないかという自負もあった。生意気なところがあったのは認めるけれど、それでも、今振り返っても、社員のためのお茶淹れなんてしているべきじゃなかったと思う。
1日のうちのごくわずかな時間のことではあったのに、そのせいで、職場に対するイメージは全体的に悪くなっていた。
 
結果として、このお茶淹れの習慣は、その後数年で無くなった。まずお茶を配るまでせず、共有テーブルの上にお茶を入れたお湯呑をお盆ごと置くようになり、各自でとることになった。それから空の湯呑の並べられたお湯呑とお茶の入った急須が置かれ、各自でお茶を急須から湯呑に入れるようになった。申し合わせたわけではなかったけれど、各職場の女性たちが少しずつお茶淹れをフェードアウトさせていった。そして、どの職場でもいつの間にか社員のためのお茶淹れはしないようになった。
でも私自身は、この衝撃はいつまでも引きずっていて、折に触れ、悔しい気持ちを思い出すことになった。
だから、石田三成が幼少のころ、鷹狩の休憩に寺に立ち寄った羽柴秀吉にお茶を淹れて、気に入られ、小姓となったあの三杯の茶のエピソードは好きになれなかった。お茶淹れなんかじゃなくて、もっとまともなことで優秀さをPRしたエピソードだったとしたら、納得できたけれど、そうではない。まさにお茶淹れを工夫したという話なのだ。
最初の一杯はのどの渇きをいやすために大きな湯呑にぬるめのお茶をたっぷり、次はそれよりは少し熱めのお茶を、最後は熱いお茶をごく少量、小さな湯呑に入れて出したという話である。
もともと、偉い人にゴマをする嫌な話というイメージだったけれど、お茶淹れで出世しようとするなんて恥ずかしいとまで思った。
 
けれど、今の私にとっては、そんな風に悪いイメージではない。世間ずれして、偉い人に取り入るのは悪いことじゃないという感覚が染みついてきてしまったのかもしれないとも思う。でもそれだけじゃない。仕事に対する考え方を変えざるを得なくなってきたのだ。
職場に入ったばかりの頃は、みんなに指導してもらってはいたものの、自分の仕事は自分で片づけているという自負があった。責任を持ってこなしていた。遅れそうになれば残業してやることもできたし、急な体調不良で先輩たちに迷惑をかけることがあっても、代わりに何かを手伝って埋め合わせをできるくらいの気持ちがあった。
でも今は違う。子供を育てながらの仕事は、いつ誰に迷惑をかけてしまうことになるかわからない。だからこそ、いろいろ準備をするのだけれど、自分ひとりで仕事をしているわけではないという意識が常にある。育休復帰の直後は仕事を少なめにされていたけれど、翌年からはそうでもなくなって、以前と同じくらいの量をこなしたりもしてきた。それでも力を入れるところ、手を抜くところのメリハリをつけて、どうにか保育所のお迎えに間に合うようにすることができた。子どもが具合が悪いときは夫にも休んでもらったり病児保育を利用したりしたけれど、いつも預けられるとは限らないし、かなり体調が悪そうなときなどはやはり自分で看病したいと思う。そうすると、急に休むことになってしまう。昨年など、自分が担当している事業の出張を休むことになり、代理をお願いしたこともあった。
 
そうなると、自分ひとりで仕事をしているという感覚は全くなく、周りにサポートしてもらいやすいようにしておくことが、自分の仕事の責任を全うすることだという考えになってきた。周りの状況や立場を考えながら、何かあった時には誰にお願いすればいいか、とか、考えるようになった。
そういう感覚でいなければいけない状況の中で、石田三成のお茶の話も違う形で見えてくるようになった。
羽柴秀吉という大事なお客様が寺に来た時に、三成は、自分が気に入られようとしたのではなく、お寺の住職に恥をかかせないように、寺そのものに良い印象を持ってもらえるように、という気持ちのほうが強かったのではないか。また、お茶を所望されたとき、ただそれを言葉通りに受け取ったのではない。その裏に何が求められているか、相手の状況から判断して、今どういう状態か、どうすれば一番おいしいと感じてもらえるお茶を淹れることができるか、ということを自分の中で考えたのだ。
 
お茶淹れを嫌がっていたころの私は、仕事に対しても、その仕事によって何を目指しているのかということを見ようとする発想がなかった。やるべきことの形だけを考えて、それを作れれば問題ないと思った。例えば何かのPRの仕事だったら、ポスターを作ってウェブページをアップしていればいいと思っていた。
でも本当のその仕事の目的は、PRしたいターゲットにいかに目に触れるか、興味を持ってもらうかということが一番大切なことになる。だから、ポスターでよいのか、ウェブでよいのか、貼る場所はどこが良いのか、SNSの方が良いのではないか、他の人の仕事と絡めたほうが効果的じゃないか、とかいろんなことを考えなければいけない。でも考えることはただ時間をかけてしまうことになるとは限らない。ターゲットはSNS世代だから、わざわざ手間と予算をかけてポスターを作るのはやめよう、ということにして、効率化が図れるかもしれない。あるいは、他の人が担当している事業の参加者が興味を持ちそうなことだから、そこで知らせれば一気に広まるかもしれないから、協力をお願いした方がいいかもしれない。その人にとっても、事業の参加者に有用な情報提供ができるから、悪いことじゃないかもしれない。
そんな風に考えていくと、一つ一つの仕事の目的にこだわるのじゃなくて。全体を見て、チームとして何をやっていくべきかということの方が大事な気がしてくる。
組織の中にいると、自分ひとりではできないような大きなこともできるから、すごくありがたいことだ。自分の仕事の中に、自分のやりたいことと重なる部分があれば、なおうれしい。組織を大切にしつつ、自分のやりたいことも混ぜ込みながら、実現させていきたいと思う。
上司に取り入るわけじゃないけれど、どういう考えでいるのか、今何を一番気にしているのかを意識しておくのも大切だと思う。そうすれば自分がこうだと思ったことを説得しやすかったりするし、受け入れてもらいやすいタイミングでお願いしようとか作戦を練ることもできる。会議室までの間や、出張の移動時間も貴重だ。この隙間時間にも提案をしたり、上司の考えを知ることができる。同僚ともお互いの仕事の状況を何となく把握しておくことは重要だ。どうしても私が何かをお願いすることが多くなってしまうけれど、時には私のこれまでの経験を活かした助言ができることもある。
こんな風に考えていくと、職場のお茶淹れくらい、もっと気持ちよくやってもよかったのかもしれないとも思ったりもする。とはいえ一日20分はちょっと厳しい。特に今のように常に時間を意識しながら仕事しなければいけないワーママ状態だと死活問題だ。だからせめて今はお昼の少し前にポットのお湯が無くなりそうかどうか確認して、必要なら追加するとか、それくらいのことで貢献したい。他にも誰かが大変そうな時には声をかけて手伝ったりもできるだけしようと思っている。
居心地のよい職場は上司が準備してくれるというものでもない。平社員でも、ボトムアップで何か貢献できることもあるはずだと思う。

 
 
 

❏ライタープロフィール
相澤綾子(Ayako Aizawa)

1976年千葉県市原市生まれ。地方公務員。3児の母。
2017年8月に受講を開始した天狼院ライティングゼミをきっかけにライターを目指す。
 


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2019-05-27 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.34

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