週刊READING LIFE Vol.34

田中正造の背中が問いかけてくるもの《週刊READING LIFE Vol.34「歴史に学ぶ仕事術」》


記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 

ふと目を開けると、そこにあるのは駅の天井だった。
あたりは暗くて、非常灯だけが夜の空気に溶け込むように灯っている。
 
下宿の天井と違う風景にぼんやりと思い出す。そうだ、今晩は駅寝をしていたんだ。隣に寝袋で寝ていた、サークルの仲間が寝返りをうった拍子に、その気配で起きてしまったようだ。
 
サークル活動できた、山奥の無人駅。ここは、わたらせ渓谷鉄道、終着の間藤駅だ。
 
大学時代に生物同好会というサークルに入っていた。そのサークルで私は鳥班に所属していた。鳥班はその名の通り、鳥をみる活動をしていた。いわゆるバードウォッチングである。
鳥は早朝にみることが多い。サークルで遠征に行くときも、前泊で入って、早朝から鳥をみたりする活動が多かった。
 
山に鳥を見に行くときは、夜の内に、山奥の駅までたどり着いて、そして、その駅で朝まで仮眠をとる。もちろん宿に泊まればいいのだが、学生でお金がないので、仲間たちとよく駅寝をした。駅寝とは、文字どおり、駅で寝ることだ。
 
鳥班の活動で来た、足尾の山。
夕方もう、とっぷり日が暮れた頃にたどり着いた間藤駅。列車からは帰宅途中だろうか、少ない人数が降りて、暮れかけた中に消えていった。
 
駅の最終列車が帰っていくのを見送ってから駅寝の準備だ。ベンチをつかうのも一つの手だけれど、ベンチからは寝ている間に落ちる可能性があるので私は避けている。実際に私はとある駅のベンチで寝ていたときに、ベンチから転げ落ちて、コンクリートの床で身体をしたたかに打ちつけてから懲りたのだ。
 
キャンプで使う銀マットを敷いて、寝袋を準備すればOK。あとは早朝の日の出前まで寝るだけだ。
 
寝袋で寝るのは慣れていた。
夏休みの合宿は、テントも食料も全部担いで1週間の山岳縦走をしていた。しかし山登りでもなく、花の女子大生が、山奥の駅舎で駅寝をするのはどうかとも思うが、当時はそれが楽しかった。
 
間藤駅で寝ていたのは、翌早朝、足尾の山で鳥を観るのが目的だった。
でも私の中ではもう一つの目的があった。
 
翌朝の早朝。鳥を行く前に、先輩たちに一言言って、私は散歩に出た。夜が開け始めた中にホームに立つと、駅から先に錆びた線路が伸びているのが見えた。今はここまで列車は来ない。かつてはここから足尾本山に向けての貨物線が引かれていた跡だ。駅舎から山にむけて寂れた道を歩いていく。そこには足尾銅山の廃坑跡があった。
 
ここが、足尾銅山。あの、足尾銅山。
私がどうしても来たいと思った場所。
 
どうして私が足尾銅山に来たいと思ったか。
それは一冊の本を読んだことがきっかけだった。
 
林竹二著の『田中正造の生涯』
この本を読んだのは高校生の頃だった。図書館に並んでいた、講談社現代新書。その中で何の気なしに手にとった一冊だった。
 
田中正造について、それまで私が知っていたことといえば、歴史の教科書の中にあった足尾銅山の鉱毒事件で戦ったこと、鉱毒について、明治天皇に直訴して失敗したこと。その程度の認識だった。
 
林竹二の描く、史実に基づいた田中正造の生き様に一気に引き込まれた。大学に入って、神田の古本屋でこの本をみかけたときはすぐにこの本を買った。今でもこの本は私の本棚に特別な位置を占めて置いてある。
 
田中正造の父は、苗字帯刀を許された名主であった。地域の百姓からは慕われていたという。それをついだ正造は財産を大きくし、40歳前に政治を志す。そして足尾鉱毒事件に大きく関わっていく。
 
渡良瀬川は足尾の鉱毒が流されたことで被害が拡がった場所だ。当時の政府は、足尾鉱毒事件のさらなる被害を防ぐために、渡良瀬川に大きな遊水地をつくり、鉱毒が広がることを防ごうとした。その遊水地に沈む形で土地を強制的に取り上げられようとした村があった。それが谷中村だ。
 
詳しくは避けるけれども、その国の強制的なやり方に反して、買収に応ぜずとどまった人たちがいる。これを谷中の残留民と言った。今なら市民活動の草分けとも言えようか。本を読む限り、家を壊された跡も、雨ざらしの掘っ建て小屋に住み続け、声なき声を暮らし方で提示し続けた残留民の人たちの覚悟は簡単に市民活動とは言えないものがあると感じた。自分の生き方の提示。それを奪うものへの無言の抵抗。
 
『田中正造の生涯』の中で強烈に引き込まれた文章がある。
 
谷中の残留民たちの戦いについて、最初、田中正造にはその意味が見えていなかったのだという文章だ。田中正造は当初、彼らは庇護する対象だと考えていた。そこから何年もの時を経て、田中正造は彼らこそが戦う主体であることを知る。それは知識として知るというのではなく、暮らしを共にする中で、身体で理解していったのだ。
 
田中正造が谷中の残留民たちの、人生をかけた戦いの静かな覚悟を知ったときのことを、林竹二はこう書く。
 
「正造の場合は、一つのことを理解する、あるいは理解できるようになるのは、理解できなかった時の自分と別の人間になることであった。見えるということも同じで、見えなかったものが見えるようになったということは、見えなかった時の自分とは別のものに自分がなったことを意味していた」
 
彼は谷中の残留民を理解したあと、何かが見えたあと、彼はすべてを捨てて、谷中の残留民と共に生活をしていく。
以降田中正造の生涯になぜ引き込まれたのか。それは今でもわからない。でもその中の一番大きな要因は、彼が、鉱毒事件で家を終われた谷中村の残留民とともに生きようとした姿だ。
 
仕事をすることというのは、時に仕事、時にブライベートといともたやすく分けられる。この時代には仕事とプライベートを分けることこそが大事という風潮もある。しかし、田中正造にとっては政治も、足尾鉱毒事件の反対運動も、谷中の残留民と共に生きることも、その全ては生きることであり、仕事であった。
 
歴史といっても、手を伸ばせば届きそうな明治の時代。その中で生きた田中正造という人。
 
今仕事で司法書士の仕事をしている。司法書士は時に困窮の人や、生活のセーフティーネットからこぼれ落ちた人に出会う仕事だ。そこでふと振り返る。田中正造だったらどうするのだろうか、と。
もちろん、すべてを捨てて、彼らと生活を共にするような覚悟も気概も自分にはない。しかし、自分のできる範囲で大事にしたいことがある。
それは簡単にわかったつもりになるのだけはすまい、という思い。田中正造が訳知り顔にわかったことを言わなかったように。何年もかけて、その理解と、自分の見るものを身体の中に染み込ませていったように。
 
そこには自分の感覚を切り離さないという生き方がある。
 
その年の秋。私は渡良瀬川に向かった。
渡良瀬遊水地の脇にある、谷中村の跡地に行くためだった。足尾銅山を観た跡にどうしても、谷中村の跡地に立ってみたかった。
渡良瀬遊水地の中に設けてある、谷中村跡地は、散歩道とも言えないみちが申し訳程度に作られているだけ。あたりにはヨシやアシが生えている荒れ地だった。その奥に歩いていくと谷中村の墓地が残っていた。小さな墓石が、傾きながら草に埋もれている。その墓地の葦原の向こうに、ふと田中正造の背中が見えたような気がした。
 
ここにあった、掘っ立て小屋の中で、谷中の残留民と田中正造は肩を寄せ合って暮らしたのだろうかと思った。でもその想像ができないほど、人気のない、荒れ地だった。
 
田中正造のお墓は渡良瀬遊水地から少し離れたところにあるらしかった。道をゆく人たちに訪ね訪ね歩いていくと、1時間ほど歩いて小学校の校庭についた。校庭の片隅に田中正造のお墓があった。屋根がつけられたその墓は、田中正造を慕う人たちの願いで分骨を祀ったものらしかった。
 
墓石を見ながら思った。
田中正造はどこに向かっていたのだろう。なにが見えていたのだろう。
墓の前に立つと、どこかその墓は寂しそうに見えた。こんな立派な屋根をつけた中にいたくはないだろうと思った。あの葦原の中にあるいくつもの傾いた小さな谷中民のお墓。あの中に混じってこそ、田中正造は安らかに眠れるのではないかと思った。かつて田中正造が、谷中の残留民と共に生きようとしたように。
 
人は生きていく中で何を選んでいくのだろうか。
そこには正解も不正解もない。でも正直に生きることとは、自分の感覚に嘘をつかないことだ。わかっていないことにわかったつもりにならないことだ。これは簡単ではない。なぜなら、わかったつもり、見えているつもりで話したり生きていくことのほうがずっとずっと楽だから。
 
この生き方や仕事の仕方は、きっと今の時代時代遅れだ。もっとスマートに、もっと楽に生きることができるのかもしれない。でも私はいつもここから離れずに仕事をしていきたい。自分の感覚に嘘をつかず、自分がわかったふりをせず、見えないものを見えた風なことをいわず。
 
自分がわかったつもりになっているかもしれない、と思う時に、あの葦原の中の田中正造の背中を思い出す。そしてその背中は、その度に私に問いかけてくる。

 
 
 

❏ライタープロフィール
青木文子(あおきあやこ)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23nd season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。
 


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2019-05-28 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.34

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