夢は語らなければ、夢のまま実現しやしない《週刊READING LIFE Vol.342「夢物語」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2026/02/05 公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「日本が優勝を語るな」
こんな、少し衝撃走る台詞入りのCMが、最近流れている。
提供は、某ホテルチェーンだ。
登場し語って居るのは、サッカー日本代表監督の森保一(もりやすいち)氏だ。
実際の処、サッカー日本代表は、ワールドカップでベスト16が最高成績で、世界ランキングも19位(2026.01.20現在)でしかない。
ワールドカップで優勝し、国民栄誉賞迄受賞した女子日本代表とは、未だ、差が有るとの印象は拭えない処だ。
そんなサッカー日本代表監督が、優勝を語ったりしたら笑われるのがオチだ。
19位と謂うランキングだって、アジアでは最高ではあるが、上には18ものヨーロッパや南米の強豪国が居る証明でしかないのだ。
それに、世界ランキングが11位とサッカーより上位で、次のワールドカップでシード権迄得ているラグビー日本代表監督だって、優勝はおろか決勝進出すら発言はしていない。
因みに、ラグビー日本代表の最高成績は、ワールドカップのベスト8だ。
然し乍ら私は、
『これは、ひょっとすると』
と、今は夢物語としか思えないことを考え始めている。
理由としては、代表チームの中心選手が、ヨーロッパのトップチームで活躍して居るからだ。強豪国の強さを、日々体験出来る環境に居るのだ。
その上での監督の発言だ。
少しは、夢で終わらない可能性だって有っても不思議無い筈だ。
現に、サッカー日本代表は、この一年でワールドカップ優勝経験が有るドイツやブラジルに勝利している。
私の予感が当たっても、驚かないことだろう。
今年のサッカー・ワールドカップが楽しみだ。
70年前の1956(昭和31)年、同様の発言をした日本人が居た。
その方の名は、猪谷千春(いがやちはる)氏。日本初の冬季オリンピアンだ。
因みに猪谷千春氏は、1931(昭和6)年生まれの94歳。元気に御健在だ。
猪谷氏は、オリンピックを前にして、
「回転(アルペンスキー)種目で金メダルを狙う」
と、大胆な発言をした。
正に、夢物語だ。
1956年1月、イタリアのコルチナ・ダンペッツオで、冬季オリンピック大会が開催された。夏季のローマ大会が1960年開催なので、イタリア初のオリンピックだった。
当時の日本では、夏季(オリンピック)は兎も角、冬季は殆ど話題と為ることは無かった。
理由は簡単だ。
活躍出来る選手等、皆無だったからだ。
今年2月、同じ地で冬季オリンピックが開催される。
数多くのメダル候補が、日本には多く居たりする。
それに、70年前とは隔世の通信・報道環境が整っている。
ところが、70年前は全く状況が違っていた。
メダル候補の有力選手は、猪谷選手のみ。
報道も殆どされない。当然、国民の多数が、冬季オリンピックの存在すら知られて居なかった。
それどころか、冬季オリンピックの種目等、誰も知らない時代だった。
そんな時代の金メダル宣言だ。
当時は、如何なる発言と思われたのだろう。
多分、日本人選手の金メダル獲得等、夢にも思わなかったことだろう。
猪谷千春選手は、現・北方領土の国後島(くなしりとう)で生を受けた。
父は、日本スキー界の草分け的存在。母は、日本初の女性ジャンパー(スキージャンプ)といわれる方だ。
謂わば、当時としてはサラブレッド的血筋の家系だった。
猪谷選手は戦後、立教大学に進学しスキー競技を続けていた。
或る時、アメリカのスキー好きで知られる実業家を紹介される。実業家は、猪谷選手の才能を見抜き、アイビーリーグのダートマス大学への留学費用をスポンサードした。
そればかりではない。日本製で旧式(戦後直ぐのことです)のスキー用具で滑っていた猪谷選手に、最新式の合板製スキー板やスキーウエアも提供した。
アメリカ留学など、夢物語でしかなかった時代だ。
当の猪谷千春選手は、大いに喜び奮い立ったことだろう。
留学先の大学名を記したのは、訳が有ってのことだ。
ダートマス大学は、アメリカ東部の名門大学だ。単に、スキーだけをしていては卒業出来る大学ではない。
実際、猪谷選手は、独自の工夫をしながら学業とスキーを両立させた。
夢を夢で終わらせない為に。
大学を卒業した猪谷千春選手は、1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックの日本選手団に加わった。僅か10名の小所帯だった。
種目は、アルペンスキー。
当時、同競技は、滑降・回転・大回転の三種目で争われていた。
金メダルの大本命は、後に映画俳優としても活躍する、オーストリアのトニー・ザイラー選手。そればかりではなくザイラー選手は、三種目全ての金メダルを取るのではないかとの評価が上がっていた。
大会が近付くと更に、
『トニー・ザイラーの三冠は確実。問題は、誰が2位に入るか』
と、話題の主軸が移って行った。
これはどちらかと謂うと、オリンピックに於いて未だアルペンスキー競技で三冠を達成出来た選手が出て居なかったことも理由だった。
そうした風評に、猪谷選手のアスリート魂に火が点いた。
ザイラー選手の三冠を阻止すべく、
「僕が(得意の)回転で、ザイラー選手を止めて見せる」
と、夢の金メダル宣言と為ったのだ。
競技結果を先に記そう。
1956年第7回冬季オリンピック・コルチナ・ダンペッツオ大会、男子アルペンスキー競技は、三種目ともオーストリアのトニー・ザイラー選手が一位だった。
即ち、アルペン三冠は、ザイラー選手に依って為し遂げられたのだ。
因みにアルペン三冠は、この後1968年グルノーブル(フランス)大会で、地元のジャン・クロード・キリー選手が為し遂げた。
然し、三冠達成者はこの二人のみで、以降出現はしていない。
では、金メダルを狙っていた猪谷千春選手の結果は如何だったのだろう。
小柄な選手には有利とされて居た回転で、二位に入ったのだ。
即ち、銀メダルを獲得したのだった。
然し乍ら、猪谷選手の銀メダルは、歴史的に体験価値のあるものだった。
何しろ、日本の冬季オリンピック初のメダルだ。
しかも、猪谷選手以降現在に至るまで、日本にはアルペンスキー競技のメダル獲得は無いのだ。
更に、ヨーロッパ以外の選手に依る、アルペン競技初のメダル獲得だったのだ。
夢の金メダル以上の価値が有る銀メダルだった。
後年、猪谷千春氏は、夢の金メダル獲得宣言に付いて、こうコメントしている。
「オリンピックの舞台では、メダル獲得(三位以内)を目指しても、入賞(八位以内)が精々だ」
更に、
「金メダルを目指して、精一杯の鍛錬をすれば、何とか表彰台に乗る(三位以内)ことが出来る」
そして、
「オリンピックの夢舞台は、そんな処なのだ」
と、御自分のアスリートとしての夢物語を締め括られた。
猪谷千春氏の夢物語は、選手時代で留まることは無かった。
しかもそれは、現代の我々が不通に使用している事でも有るのだ。
猪谷千春氏は、ダートマス大学卒業後もアメリカに留まり、世話に為った実業家の導きで、保険会社に職を得た。
日本に帰国後、保険会社の日本支社に勤めることと為った。主に、傷害保険を売る仕事に就いた。
当時の日本では、戦前・戦中に傷害保険が機能しなかったことや、アメリカの会社に対する反感が残って居た。
猪谷氏の営業活動は、苦戦したのだ。
そこで猪谷氏は、アメリカの会社に日本の風習を取り入れたのだ。しかも、自分なりの工夫をして。
帰国した次年の夏、猪谷氏は翌年の自社カレンダーを発注した。
唯のカレンダーではない。
それまでに無い工夫をしたのだ。
その工夫とは、翌年のカレンダー表紙(一枚目)を、今年の12月カレンダーとしたのだ。
現代では、1月のカレンダーの前に、前年12月のカレンダーが付いて居るのが常識だ。これは、手帳等でもよく見掛けるものだ。
これを発案したのは、日本初のアルペンスキー・メダリストだったのだ。
見慣れないカレンダーを眼にして、訝しがる部下に猪谷氏(既に部長職)は、
「このカレンダーを、御歳暮として配って歩け」
そして、
「唯配るのでは無い。直ぐに、掛かっているカレンダーと掛け替えて貰うんだ」
更に、
「『これなら、今から使えますよ』と、言うのだ」
夢として、
「掛け替えて貰えたら、我が社の名が年内から出るのだ」
結果として、
「そう為ればきっと、君達の名も覚えて頂けるだろう」
と、部下に夢を抱かせた。
猪谷千春氏の営業手法は、徐々に浸透し契約者数を伸ばしていった。
それは、日本でモータリゼーションの始まりと相俟って、更に、日本初の外渉付き(事故の相手と交渉してくれる)保険としてヒットしたのだ。
当時私は子供だったので、この辺りの事を知る由も無かった。
しかし、スキー好きで、勿論、猪谷千春氏の事を知る父は、例のカレンダー欲しさに起業後直ぐに、営業車と自家用車の保険を猪谷氏の外資系保険会社のものに切り替えた。
私は家の壁に掛かったカレンダーを見る度に、
『何故、12月に入ったばかりなのに、新しいカレンダーに掛け替えるのだろう』
『カレンダーに入った、アルファベットの会社は何だろう』
と、不思議に思ったものだ。
こうして、猪谷千春氏の夢物語は、当時幼かった私にも効果的だったのだ。
アスリートもビジネスマンも、誰でも夢を見る。
夢物語を持つ。
両方の世界で、夢物語を現実のものとした猪谷千春氏は、誠に稀有な存在だろう。
然しそれは、彼の才能や恵まれた環境に依って為された訳ではない。
猪谷氏は、夢を堂々と語ることで、実現させたのだと思う。
私も、もう少しだけ、夢を語っていくことにしよう。
〈著者プロフィール〉
山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を45年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion
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