ヘイ、ゴッド《週刊READING LIFE Vol.344 「 涅槃」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2026/02/19公開
記事:西村友成(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
以前テレビで観たヒロミさんのコメントに衝撃を受けたことがあります。いままで信じて疑わなかったものが一瞬にして崩れ落ちました。四十数年の人生で初耳でしたので当然と言えば当然なのかもしれません。いやはや固定観念とは恐ろしいものです。人生の折り返しを過ぎたにもかかわらず、まだまだ自分勝手な思い込みが山ほどあるにちがいありません。世間知らずの若輩者だと身につまされる思いをしました。
失礼しました。思い出に浸るあまり、何のことか申し上げるのをすっかり忘れていました。もったいぶるほどのことでもないのでサッサと言います。ヒロミさん曰く、「カレーが苦手」。なんだそうです。
私は好きな食べ物ランキング、第1位がカレーで長年不動の地位を確立しています。誰と食事するにしても「いや、カレーはちょっと」なんて人、会ったことありません。大抵人に薦めたいカレー専門店の1軒や2軒があったり、お気に入りのレトルトカレーを常備してたりするもんです。「最後は隠し味にチョコレートを入れる」なんてレシピにこだわりを持つ人も多く、安定の味、安心の料理のド定番でしょう。好きの度合いに差はあれど、まさかキライな人がいるだなんて……。ヒロミさん、学生時代は給食に苦労されたこととお察しします。
そんなカレーが苦手な方には全くもって興味をそそらない話題だと思いますが、私はカレーの中でもとくに「スープカレー」が好きであり、強く推したい料理であります。
北海道のご当地料理であり、カレーを出汁で割ったスープにチキンレッグやたくさんの素揚げした野菜を盛り付けた栄養満点の一品。単品でも十分魅力的なカレーと日本人の食卓から欠かせない出汁が手を取り合った「出汁文化」の関西人には目のない一品、だと思うのですが……。現実はちょっとちがう。
関西へ上陸して二十年は経つであろうというのに、未だ存在感は希薄なままであります。「食べログ100名店」に選出されるのは年々攻勢を強めるスパイスカレーと、古参の欧風カレーばかり。スープカレーはちょこっと顔を出すだけで、箱根駅伝でいうところの学生連合の選手みたい。常にマイノリティーなのです。東京へは北海道の名店がいくつも出て来てるのに、関西にはやってこない。北海道の人は関西キライなんでしょうか。
しかし中には勇猛果敢に出店を試みるスープカレー店が存在します。その代表格が「マジックスパイス」。札幌スープカレーの火付け役、スープカレー界の草分け的存在です。
大阪なんば駅から徒歩15分と繁華街を離れた住宅地にあり、真っ赤な外観はまったく周囲に馴溶けこむ気がありません。玄関に縞模様がグルグル回る床屋のサインポールみたいなのが設置されており、飲食店はおろか理髪業界をも敵に回そうかという、挑戦的いで立ちなのです。入店するとやはり店内も赤をベースとしたサイケデリックな内装。アジアン雑貨や小物が無数に並び、ヴィレッジヴァンガードを彷彿とさせます。店内中央にはガネーシャ像が鎮座しており、その上には極めつけのミラーボール。「エキゾチック」ということばでは片づけられない混沌、雑然とした異空間となっています。
ここのスープカレー、他店とは一線を画し、下から覚醒・瞑想・悶絶・涅槃・極楽・天空・虚空と7段階で辛さが選べます。3番目で「悶絶」ですから、その上やいかにと思ってしまいますが、人気は涅槃。さすがに天空・虚空レベルは上級者でないと後悔します。しかし、辛さを上げるほど神に近づくとはなんともお手軽な修行だと思わないですか。
神仏について
先ほど「辛さをあげるほど神に近づく」と書いてしまいましたが、涅槃や極楽といったことばは仏教用語でした。「仏に近づく」と表記すべきところ、校正をかけずにそのまま表記したことお詫び申し上げます。
しかし、日本はたくさんお寺があってお坊さんもたくさんいるのに「仏」ということばをあまりつかいません。「神対応」だとか、「神ってる」だとか尋常じゃない現象を表すときはいつも神がでてきます。どうも仏だとワードとしてしっくりこないようで「ほとけってる」だと語呂悪いし、「ぶつってる」だと蕁麻疹みたいだし。
昔は仏壇がある家が珍しくなく、仏様は霊的存在を象徴する存在のように思うのですが、最近はお葬式のときくらいしか仏教を意識しなくなりました。
一方双璧をなす神道はどうでしょう。なにかとパワースポットして神社が取り上げられることが多く、陰陽師がブームになったのはごく最近のことです。「受験合格」「安産祈願」「商売繁盛」と人生の節目節目で神社のお世話になります。
面白いのは神道にお釈迦様やイエスキリストのような象徴的存在がいないこと。日本は「八百万の神の国」であり、あちらこちらに神様が宿っているという考え方が他の宗教と異なるところ。身近な存在である理由の1つと言えるのかも知れません。
「神様」や「宗教」といったワードに抵抗のある方、少なからずおられることでしょう。それもそのはず日本は無神論者が87%と世界トップクラスで高い割合を示しています。でもお寺で先祖の供養してもらうし、神社で厄払いしてもらうし、教会で結婚式を挙げる。なにかしらと神の存在を肯定しているのが一般的日本人の実情ではないでしょうか。
神様っているんでしょうか、いないんでしょうか
ここでようやく本題に入ります。あなたは有神論と無神論、どちらの立場を支持するでしょうか。
「神様」ときいてパッと連想するのは、「トイレの神様」。植村花奈さんの代表曲です。トイレには女神が居て、毎日きれいにするとベッピンになると歌っています。一方スピリチュアル界隈でトイレの神様といえば烏枢沙摩明王。不浄を炎で清め、運気や金運のご利益があるとされています。トイレは烏枢沙摩明王のお社なので常に清潔に保っておかねばならないとのコメントをYoutubeで何度も拝見しました。
何のひねりもありませんが、女神さまにしろ、烏枢沙摩明王にしろ「トイレはきれいにしておけよ」というのが結論です。トイレ掃除って手についたらヤだしできれば避けたいけど、臭いや汚れはすぐ溜まる。トイレ入って汚かったらイヤでしょ。日頃の心がけ、習慣形成が大事だよ、って神様を通して伝えてくれてんですね。
「夜中に口笛を吹くとヘビが来る」みたいにある種迷信として機能しているように思います。美人になろうがブスのままだろうが、お金を儲けようが借金にあえごうがトイレは綺麗であることに越したことはない。そう言ってしまうと身も蓋もないからトイレの神様が存在しているのだと解釈します。
ところも時代も変わって私が小学生の頃の話です。給食で食べ残したご飯を手洗い場で流し捨てた子がいました。先生に見つかり、「お米を粗末にしたら目が潰れる」とひどく叱られていたのですが、このエピソードは神の存在を感じませんか。おそらく今こんな叱り方する先生、いないでしょう。モンスターペアレントが黙っちゃなさそうです。根拠を示せ、と校長室に怒鳴り込んでくるでしょう。
しかし私なら先生を擁護したい。なんとかしてこの子にお米の大切さを教えたい、という思いから出たことばだと思うのです。40年前の出来事をいまだに覚えているというのはそれだけ胸を打つものがあったということ。風化させたくない教えです。
では、神様を抜きにして「お米を粗末にする」ということと「目が潰れる」という全く無関係な2つの出来事を結びつけることは可能でしょうか。
おこめの「め」は「目」だと言ったところで、じゃあ「こ」は何なんだ、ということになってしまいます。米粒と目は形が似ているじゃないか、と言ったとてウインナーやバナナなど形の似ているものがたくさんある中、なぜ米なんだという反論には敵いません。
ここは古人に見習い、「風が吹けば桶屋が儲かる」方式で論理を組み立ててみようと思います。
「食べ残したご飯を捨てる」⇒「流しがつまる」⇒「水道管修理を依頼する」⇒「業者が儲かる」⇒「配管工の給料が上がる」⇒「生活が豊かになる」⇒「外食が増える」⇒「美味しいものばかり食べる」⇒「やがて成人病になる」⇒「そのうち糖尿病になる」⇒「目が見えなくなる」
人間やればできるものです。1ミリの隙もない完璧なロジックが構築できました。しかし欲を言えば「お米を粗末にすると(配管工の)目が潰れる」となったのが難点でしょう。いくら強く叱ったところで「ぼくの目じゃないなら、いいよーだ」と子どもなら言いかねません。
やはり2つを結びつけるものとして「神様」は必要なのです。人智を超えた影響力をもつ者の存在こそが「お米を粗末にすると目が潰れる」に説得力を与える。逆に言えば子どもがこましゃくれた無神論者だった場合、何の効果もない指導となってしまうでしょう。
日本人の多数派、無神論の立場をとる人たちにとって神様はお願いする対象として存在しているのではないかと思っています。お賽銭やご祈祷料を払う代わりに、望みを成就させるのが神様の役割になっている。
ただ私が察するに、寺社仏閣にお金を払う=運を掴むと考える単細胞の人はいてもごくわずかでしょう。大抵の人はそんな単純にできていません。お賽銭を入れるのは神社に参拝するため、祈祷料を払うのは祈祷そのものを受けるため。おそらく参拝や祈祷といった行為そのものに価値を見出しているのではないでしょうか。簡単に成就しないことがわかっていても神頼みする。心の底から信じてる訳じゃないけどすがってみる。ってスタイルが日本人の神様との付き合い方じゃないかと思います。外国人からしたら奇妙に見えるのも当然といった感じがします。
私にとっての神様
有神論と無神論、どちらにあたるのかよくわからない説があります。私の心の中にもあなたの心の中にも皆んな神が宿っている。つまり私も神であなたも神。人間皆神であるという考え方です。
ひとりひとり生まれてきただけで奇跡的な存在なんだから互いに敬い尊重しましょう、と言われると否定しようがありません。全くその通りなのですが、あまりに神様が平凡な存在過ぎて腑に落ちないのです。結局それって無神論と何がちがうの、と突っかかりたくなってしまいます。
私もいち日本人として、望みがあれば神様にお願いするし、窮地に陥れば助けを求めます。ただそれは「あとは任せた」と結果をゆだねる行為です。目標や夢に向かい行った努力、積み重ねた苦労の上での神頼み。ときに競馬で当たってくれと願うことはありますが、ただただ祈願して成就するなんてことハナから当てにしてません。
努力した結果たとえ失敗に終わってもそれは神が判断したこと。長い目で見たときに「あのとき失敗しておいてよかった」という日が来るんだろうと思っています。
もうひとつ、「天知る、地知る、我知る、人知る」ということばがあるように、自分のことをいつも見ている存在として神様がいると思っています。悪事に手を出さず、真っ当に生きていくために神様は機能しています。
そんなわけで、私にとって神様とは人生を肯定的に生きるための存在、自分を戒めるための存在と言えます。つまり有神論者の立場をとっているのですが、これは神様でなくともたとえば両親や尊敬する人、ご先祖様といった存在でも置き換え可能だと思うのです。すべてをさらけ出し素直になれる圧倒的存在がいれば、対象は誰だっていいんじゃないでしょうか。
私は神様という存在がいつも自分を見ているという前提で生きているというだけのこと。本当にいる、いないは大した問題ではないということになります。長々と語ってきた有神論か無神論かの決着はどっちでもよい、という帰結を迎えました。
カレーの話題にはじまり華麗な終焉を迎えようとしていますが、神様問題とちがって国民食であるカレーを否定する人を私はまだ受け入れられません。まだまだ人間として未熟であり、発展途上だと反省します。
――神様、どうか私にカレー嫌いな人を赦す心を与えたまえ。いや、全人類をカレー好きにしたまえ。
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