週刊READING LIFE Vol.344

どうして、足の裏? ゲレンデを駆け抜け、黄金の静寂に沈む夜 《 週刊READING LIFE Vol.344 「 涅槃 」》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2026/02/19公開

記事: 藤原 宏輝 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

 

 

「そんな結婚式なんて、出来るわけないじゃないですか!」

 

スタッフは口々に、今回のオーダーブライダルを

出来るわけない!

出来るはずがない!

無理だから、断ってください!

 

と頭ごなしにみんな揃って、猛反対した。

 

それでも私は、ブライダルプロデュース業を、立ち上げて初めての依頼。

絶対に断りたくない、何がなんでもこの仕事を引き受けたかった。

 

確かに起業前の私は、ブライダル業界とはまったく縁のない場所にいた。

正直に言うと、私にブライダルプロデュースが出来るなんて、最初の頃は全く思っていなかった。

それでもご縁があって、ブライダルの世界に飛び込むことになった。

 

だから反対意見は、ごもっとも。

よほど、当社のスタッフのほうが結婚式場、ブライダルリングショップ、フラワーコーディネーター、司会として、これまでブライダル業界においての活躍は目覚ましい。

そんなプロ集団だ。

 

もともと私は、ブライダルに全く興味もなかったし、ウエディングプランナーやブライダルプロデュースが何たるか? もわからないまま、

結婚式の仕事に特別な憧れがあったわけでもなく、ただなんとなく足を踏み入れた。

 

‘お客様の夢を形にしたい’

ただその勢いだけで、走り出していた。

 

スタッフみんなが猛反対するのに、本当に出来るのか?

引き受けてはみたものの、ゲレンデでの結婚式は不安しかなかった。

 

「ご新郎・ご新婦様の思いを絶対に叶えたい。

他にはないオーダーブライダルだし、他社に出来ないから、うちにきたと思うんだよね。

これを成功させて、お客様の思いを形にしたいの」

 

と会社に与えられた役割りや思いをスタッフ1人1人に丁寧に伝え、外気温37°よりはるかに熱く語った。するとついに、

 

「社長が、そこまで言うなら」とみんな納得してくれた。

 

そんな初のブライダルプロデュースは、

‘119・スノーブライダル’

 

あらためて振り返れば、私は昔から

「無いものから、有るものを生み出す事や創り出す事」

が好きだった。

ひとつのヒントがあれば、次々とアイデアが浮かぶ。

そして、何より好きなのは、自宅の暖かいベッドの中で私の涅槃の世界へ滑り込む瞬間。

 

何もない雪山、何の設備もないところから結婚式を創り上げる。

生まれてから一度もスキー場に行った事もなければ、ブライダルプロデュースの仕事も初めてで、右も左も知らないからこそ、ワクワクした。

 

打ち合わせが始まると、ご新郎・ご新婦様は、

「2人で何十回も通った、思い出のゲレンデで結婚式をしたい」

ということだった。

詳しくヒアリングしていくと、

まず、タキシードとウエディングドレスで大好きなスノーボードでゲレンデを滑りながら、お写真や映像を撮りたい。

そのお写真と映像を、ご披露宴で使いたい。

一般のお客様が利用するクラブハウスの前で、ご家族や大切なご友人様の参列のもと、人前式を挙げたい。

その後、クラブハウスの一部を貸し切って、参加してくれた方々とウエディングパーティーをしたい。

などの様々なご要望が……。

 

会社としての経験も実績もないまま、私たちはとにかく走り続けた。

 

準備の混乱、段取りの変更、お2人のご要望の数々。

何度も壁にぶつかり、そのたびに当社のスタッフやスキー場の人や地元の人たちなど。

タキシードとウエディングドレスでスノーボードを滑りながらでも、寒くないように、足元で邪魔にならないように。

ブーケの花が直前まで凍らないように。

一般のお客様に邪魔にならないように。

スノーボードで滑りながら、写真撮影と映像撮影ができるカメラマンの手配。

結婚式直前まで、何度も試行錯誤を繰り返し、なんとか少しずつ形になって行った。

協力してくれた多くの仲間や、周囲の人にも助けられた。

私たちだけでは、何ひとつ出来なかった。

 

そして当日。

まだ誰も足を踏み入れていない一面の銀世界を太陽が照らし、昨夜のうちに降り積もった新しい雪が、キラキラと光っていた。

 

そんな青空の下。

ご新郎・ご新婦様のご準備もしっかりと整い、お2人はアテンドスタッフとカメラマン3人と一緒にリフトに乗り込み、山頂へ向かって行った。

6人の後ろ姿を見送りながら、少しホッとした。

私は真っ黒のパンツスーツにブーツという、スキー場に不似合いな薄着スタイルだったが、始まったばかりの1日に緊張していたせいか? 

全く寒さを感じていなかった。

 

ここでは、あちこちのスピーカーからノリのいい音楽が、大音量で流れていて、その音楽に乗って、老若男女問わず誰もが知っているラジオ番組が始まった。

このスキー場は都心部のラジオ局と繋がっていて、DJブースがあり番組中に中継でスキー場の様子やお天気が流れる仕組みだ。

 

「こんにちは! 皆さん、今日もご機嫌ですか。

実は今、頂上付近から今日ここで結婚式を挙げる、ご新郎・ご新婦様がクラブハウス前の挙式会場へ、ゲレンデからの入場です」

とアナウンスが入る。

 

ラジオの中継に、繋げてもらえるかも?

と聞いていたので、DJの声が聞こえてきた時。

あまり激しく驚きはしなかったが、まさか!

本当にラジオ番組の生放送に、目の前の状況がそのまま電波に乗るとは!

内心、嬉しかった。

 

その声を聞きつけた人たちが、少しずつクラブハウス前に集まってきた。

 

その頃ちょうど、当社からサプライズ企画として、スタッフが全員でお花を1輪ずつ、高く持ち上げて向き合って並び、フラワーアーチを作って、ご新郎・ご新婦様をお迎えする事にしていた。

 

周りを見ると、あっという間に

「雪の上の結婚式を一目見よう!」

あちこちから30名ほどの人が集まってきた。

 

そこで集まってきた皆様に、お花1輪ずつお持ちいただき、フラワーアーチの協力をお願いすると、突然の事なのに、快くフラワーアーチにみんなが協力してくれた。

お2人の事を全く知らない関係のない人たちも、とても楽しそうだ。

スタッフだけでは少し貧弱だった‘フラワーアーチ’が、

想像以上に、長く大きく美しい‘フラワートンネル’になった。

 

しばらくすると、お2人の姿が遥か遠くに見えてきた。

ご新郎様は、真っ黒なタキシードにマント。

ご新婦様は、膝丈にファーをあしらった、真っ白なウエディングドレス。

どこにいても、目立つ出たちで白銀のゲレンデを滑りおりてきた。

カメラマンさんとアテンドのスタッフの並走も見事だった。

 

そして、結婚式が始まった。

「おめでとう!」

笑顔、歓声、祝福の声。

ラジオ番組は、ずっとこの‘スノーウエディング119’の様子を中継で繋いだまま、リスナーにも届けてくれた。

 

119に拘ったのは、ご新郎様が消防士で、ご新婦さまが看護師だったから。

お2人は神戸と姫路にお住まいで、大好きなスノーボードをする為に、

シーズン中は毎週お休みを合わせて、片道300キロ以上の道のりを車で岐阜の山に通っていた。

お2人が愛を育み、思い出を重ねてきた、このスキー場で、

「1月19日平日水曜日。絶対になんとかして、結婚式を挙げたい!」

 

その思いを叶える事が出来た!

私は全てが無事に終わった瞬間、体の力が抜けた。

その夜は早々に寝落ち、涅槃の世界へ滑り込んで行った。

 

そういえば幼い頃、祖母と近くのお寺に毎週出かけていた。

‘涅槃へ、ようこそ’

という言葉が門のところに書いてあった。

涅槃という言葉の意味も、その読み方も分からなかったが、住職さんがある時、

「涅槃(ねはん)というのは、もともとはインドの古い言葉を漢字に写したもので、仏教の世界では‘悟りの完成’要するに‘火が吹き消された状態’

という意味があるんだ。

その火というのは、怒り、欲望、不安、執着、つまりは人の心を燃やし続ける、そんな苦しみの事なんだよ。

火が全部消える、心が全く揺れないことなんだよ。わかるか?」

と教えてくれた。

 

心が全く揺れない、それは寝落ちる瞬間。

 

さらに衝撃的だったのは、大学生の頃に初めて訪れたタイ・バンコク。

涅槃という心の静寂を、初めてその目で捉えた瞬間だった。

ワット・ポーの堂内いっぱいに横たわる、全長約46メートルもの巨大な黄金の仏像。

人の流れに押されるようにして辿り着いたその足元で、私は言葉を失った。

見上げるほどに巨大な足の裏。そこには、108個もの緻密な

吉祥文様(きっしょうもんよう)が、漆黒の中に真珠貝の輝きである螺鈿細工を放ちながら刻まれていた。

それは単なる装飾ではない。

仏教において、悟りを開いた者の身体に現れる32相の1つであり、そこにはこの世界の成り立ち、

すなわち‘宇宙の設計図’が凝縮されているのだという。 

 

なぜ、頭ではなく、足の裏なのか?

 

頭ではなく、足元。

上ではなく、下。

目立つ場所ではなく、支える場所。

 

かつて抱いたその疑問は、長い歳月を経て1つの確信に変わった。

仏教には、‘最も低い場所に、最も深い真理がある’

という教えがある。

 

光の当たらない足元にこそ、世界を支える根源的な力が宿っている。

華やかな成果や目立つ場所ではなく、泥にまみれ、地を這い、積み重ねてきた日々の中にこそ、本質的な価値が刻まれるのだと。 

 

それはまさに、私が歩んできたブライダルプロデュースという仕事そのものだった。

ご新郎・ご新婦様を光り輝かせるために、プランナーやプロデューサーである私たちは徹底して影になり、足元を支える、完全な裏方だ。

そして、決して目立たない。

祈るように準備を整え、万策を尽くして当日を迎える。

 

ご新郎・ご新婦様の思いを叶え、夢を形にする事が出来た!

全てが無事に終わった瞬間、

体の力が抜け、

「やり切った!」と感じる。

すべてを、やり遂げた夜。

泥のように眠りに落ちる瞬間、ふとあの黄金の足裏に刻まれた、静謐な宇宙が頭をよぎる。

激しく燃え盛る感情も、執着も、不安も。

すべてを出し切り、吹き消された後に訪れる‘空(くう)’の安らぎ。

走り続け、もがき、助けられ、ようやく辿り着いたその境地こそが、私にとっての小さな涅槃なのだ。 

 

足裏には宇宙観を表す装飾がびっしり施されているが、私は深い意味など知らなかった。

走り続け、もがき、助けられ、その先にある静かな満足。

そう、きっと。

最後にたどり着くのは、仕事をやり切った瞬間の安心感。

 

何もしなくていい静けさ、どこかあの涅槃像の静けさと重なっていた。

だからこそ、走り続ける現代を生きる私たちの心に、あのお姿は強く刺さるのかもしれない。

 

私は今日もまた、小さな達成感とともに、ワット・ポーで見たあの巨大な涅槃像の穏やかな顔を思い出しながら……。

静かに、目を閉じる。

 

 

涅槃って、人生の最後にだけ訪れるものじゃなくて、

ひとつの恋の終わり、

ひとつの仕事をやり切った夜、

そんな小さな“終わりと安らぎ”の積み重ね。

 

でも、安らぎで終わる1日の方が、まだまだ少ない。

今日も1日を振り返る……。

あれも終わり、これもやり切った。

誰かの役に立てたかも? しれない。

でもそれは、自己満足?

小さなトラブルも、なんとか着地した。

でも、完璧じゃない。

やり残したこともある。

 

まずは1日の終わりに、

「やり切った!」

と思える夜を、積み重ね増やしていく。

「自分の人生を自分に取り戻していく、涅槃の時間」

その瞬間、体から力が抜けて、静かにベッドに沈んでいく。

 

もしかすると、あの涅槃像の安らぎも、こういう感覚の延長にあるのかもしれないと思う。

人生の最後に、「全部、やり切った」と静かに横になれる日が来るのかどうかは、まだわからない。

あの日の達成感は、特別な1日ではなく、少なくとも今日。

という、日常の静かな満足。

その小さな積み重ね。

 

いつか未来で、小さなやり切り感は、大きな安らぎに繋がるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

❒ライタープロフィール

藤原宏輝(ふじわら こうき)『READING LIFE 編集部 ライターズ俱楽部』

愛知県名古屋市在住、岐阜県出身。ブライダル・プロデュース業に26年。

‘夢をかたちに’と、2200組以上の花婿花嫁さんの人生のスタートに関わりました。

伝統と革新の融合をテーマに、人生儀礼の本質を探究しながら、現代社会における「けっこんのかたち」を綴り続ける。

思い立ったら、世界中どこまでも行く。

知らない事は、どんどん知ってみたい。 と、好奇心旺盛で即行動をする。何があっても、切り替えが早く、土壇場に強い。

ブライダル業務の経験を中心に、過去の経験を活かし次の世代に何を繋げていけるのか? 何を未来に残せるのか? を、いつも追い続けています。

2024年より天狼院で学び、日々の出来事から書く事に真摯に向き合い、楽しみながら精進しております。

 

 

 

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2026-02-19 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.344

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