不満は「連鎖反応」のトリガー 〜私がクソゲーとお寺にハマった理由〜 《週刊READING LIFE Vol.349「連鎖反応」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2026/03/26 公開
記事:回復呪文は使えない(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
私は『クソゲー理論』の信奉者だ。
『HUNTER×HUNTER』で知られる漫画家・冨樫義博が、かつて描いたSF漫画『レベルE』の中で、登場人物にこんなセリフを言わせている。
「あいつら、間違って買ったクソゲー(つまらないゲーム)を毎日学校で文句言いながらやってるだろ。あれはもう、ハマる寸前なんだ」
私はこれを勝手に『クソゲー理論』と呼んで、人生の様々な局面で教訓にしてきた。
今回は、このクソゲー理論がいかにして人間の心に凄まじい「連鎖反応」を起こすのかを、私自身の実体験をもって分析してみたい。
「連鎖反応」と言えば、ドミノ倒し、チェーンメール、あるいはウランの核分裂のような物理的な現象を想像する人が多いかもしれない。しかし、あらゆる「クソゲー」の中には、ある一つの小さなきっかけから爆発的なエネルギーを生み出す「連鎖反応」のスイッチが存在する。
あれは私がまだ小学生だった頃の話だ。
当時、社会現象にもなっていた「某超有名RPG」の新作をどうしても発売日に手に入れたかった私は、近所のおもちゃ屋で予約を申し込んだ。
しかし、そこで店主から提示された条件は、子どもにとってはあまりにも理不尽なものだった。
「予約したかったら、ワゴンに入ってる100円のソフトを3本一緒に買うこと」
いわゆる「抱き合わせ販売」というやつである。
理不尽な大人の事情に泣く泣く従い、私はよくわからない100円のソフトを3本買った。
そのうちの1本は神殿を探索するアクションRPGで、もう1本はバイクに乗って進む横スクロールのアクションゲームだった(最後の1本はどうしても思い出せない)。
超有名RPGが発売されるまでの間、「どうせ買ったんだから」と一回ずつプレイしてみたが、まったく面白く感じない。なにしろ、100円の在庫処分品である。子供心に完全にバカにしていて、「こんなもの、真剣にやるべきゲームじゃない」と斜に構え、最初から心に強くブレーキをかけていたのだ。
ところが、ここで予想外の事態が起きる。
一緒にプレイしていた弟が、なぜかその100円のゲームにドハマりし、みるみるうちに上達し始めたのだ。
これが、私の中に最初の「連鎖反応」を起こすトリガー(最初の中性子)となった。
弟がどんどん先のステージへ進んでいくのを見るのが、兄としてはどうしても面白くない。悔しい。私は渋々、自分もコントローラーを握って練習を始めた。
しかし、私がそれまで慣れ親しんでいた王道のアクションゲームと違い、その100円のゲームたちはジャンプの軌道や攻撃のタイミングなど、非常に独特で癖のある操作性を求めてきた。対応するのに時間がかかり、すぐにはうまくならない。
ちょっとやって少し慣れると、悔しいが「少し面白いかも」という感情が芽生え始める。
しかし、ここで「面白い」と素直に認めてしまうのは、抱き合わせで買わされた手前、ひどく癪に障るのだ。
そこで私は、そのゲームの「悪い部分」を血眼になって探し始めた。
「なんだこの理不尽な敵の配置は!」
「ここのジャンプ、判定がおかしすぎるだろ!」
面白いと認めたくないからこそ、あえてツッコみどころを探して拾い上げ、グチグチと文句を言う。
しかし、不思議なもので、文句を言いながらプレイしていると、心の中に溜まっていたフラストレーションが外へ吐き出されていくのを感じるのだ。
「文句を言うために、さらにゲームの細部を観察し、やり込む」
「次の不満のネタを探すために、なんとかして先のステージへ進もうとする」
そうやってアラを探して文句を言い続けている間に、私は気づかないうちに何度もジャンプを成功させ、ボスを倒し、「小さな成功体験」を次々と積み重ねてしまっていたのである。
「文句を言う」→「不満を吐き出す(エネルギー放出)」→「次のネタを探す(新たな行動)」というプロセスが、ウランの核分裂のように指数関数的に増幅していく。
この連鎖反応が臨界点(クリティカル・マス)を突破した時、某有名漫画家のセリフの通り、私はその100円のクソゲーに完全に「ドハマり」していたのだ。
結局のところ、私は弟の圧倒的なプレイスキルに追いつけず、彼がクリアしていくのを横で指をくわえて見ているしかなかった。弟にとってはかなりのロングヒットになったようで、長い間そのゲームを遊び続けていた。
今でもYouTubeなどでそのゲームの独特なBGMを聴くと、あの時の悔しさと、文句を言いながら熱中した懐かしい記憶が鮮明に蘇ってくる。
さて、なぜ急にこんな子供時代のゲームの話をしたのか。
それは、大人になった今の私が、これと全く同じ「連鎖反応」を、人生というスケールで再び経験することになったからだ。
私のプロフィールには毎回、「『そんなことってある?』という展開で、ある日突然妻の実家のお寺を継がなければならなくなった」と書いている。
あれは決してウケ狙いの誇張表現ではない。私にとってそれは、あの日の「抱き合わせ販売」と同じくらい、理不尽極まりない強制イベント(無理ゲー)だった。
もともと私は、先代(義父)に対して「どうしても後継ぎに困ったら声をかけてくださいね」と、軽い親切心で伝えてはいた。
しかしその後、先代はきちんと複数名の後継者を指名してから施設に入所した。私もその話を聞いており、「ああ、これで安心だ。私の出番はないな」と完全に気を抜いていたのである。
事件が起きたのは、先代が施設に入った後、仏教界の長老に「お寺のカギ」を返しに行った日のことだ。
私は「はい、これカギです。お疲れ様でしたー」と爽やかに帰るつもりだった。しかし、長老の口から出た言葉は信じられないものだった。
「先代が指名した人たち、断っておいたから。筋目から言って君がやるべきだ。君もそう思うだろ?」
「……はい?」
「思わねーよ」と思う間もなく、追い討ちをかけるように、町内会長からも「お寺と町内は一心同体。新しい住職さん、これからよろしくね!」と満面の笑みで挨拶されてしまった。
カギを返しに行っただけなのに、なぜかすべての外堀が埋まっていたのだ。逃げ道はゼロ。小学生の時に買わされた100円のソフトよりもタチが悪い、人生の強制プレイが始まった瞬間だった。
かくして私は、財務コンサルタントという本業を抱えながら、仕方なく大学の仏教学部に入学し、仏教の勉強を始めることになった。
最初の頃の私は、毎日毎日、文句ばかり言っていた。
「なんだこの理不尽なクソゲーは」「本業があるのに仏教の勉強なんてやってられるか」「教えが難しすぎる」
口を開けば愚痴の連発である。
しかし、ここから私の心の中で、あの日のゲームと同じ「連鎖反応」が始まったのだ。
効果的に愚痴を言うためには、相手(仏教)の欠陥を具体的に指摘しなければならない。そこで私は、「仏教のツッコみどころを探してやろう」という極めて不純な動機で、経典や教義を斜めから観察し始めた。
実際、仏教という約2500年の歴史を持つ巨大なシステムは、ツッコみどころの宝庫だった。
矛盾だらけのルール、人間臭すぎる仏様のエピソード、現代の感覚からするとぶっ飛んでいる世界観。見つかるツッコみどころの多さに、私の愚痴はいつしか「質の高いネタ」へと変わっていった。
「ネタ探し」のつもりで教義を読み込んでいるうちに、私はあることに気づき始めた。
最初はただの「ツッコみどころ(バグ)」だと思っていたものが、その背景にある歴史や、当時の人々の思想、そして密教などの深い哲学を紐解いていくと、「なるほど、そういう意図があったのか!」と、パズルのピースがカチリとハマるように納得に変わっていくのだ。
「愚痴を言う」→「ツッコみどころを探す(観察)」→「ネタになる(面白がる)」→「背景を知って納得する」→「さらに深く知りたくなる」
あの日の「100円のクソゲー」と全く同じ連鎖反応である。
不満という名の最初の中性子が、仏教という巨大な原子核にぶつかり、「知的好奇心」という新たなエネルギーを放出しながら、次々と連鎖して分裂を繰り返していく。
この連鎖反応は、ついに臨界点を突破した。
気づけば私は、あんなに文句を言っていた仏教の勉強に「完全にハマって」しまっていたのだ。
今では大学の勉強だけでは飽き足らず、「大学院(通信制)にも行って、もっと深く研究したい!」とすら思い始めている自分がいる。
控えめに言って、毎日がめちゃくちゃ楽しいのだ。
「愚痴を言うな」「不満を持つな」と世間は言う。
たしかに、ただ不機嫌になっているだけの愚痴は何も生まない。
しかし、「なんでこんなクソゲーなんだ!」という強烈な不満は、その世界を徹底的に観察し、ツッコみどころを探し出し、やがてその構造の面白さに気づくための「連鎖反応のトリガー」になり得る。
もしあなたが今、理不尽な環境や面白くない仕事という「クソゲー」に直面しているなら。
大いに愚痴をこぼし、徹底的にツッコみどころを探してみることをお勧めする。
その連鎖反応が臨界点を超えた時、あなたがやらされているそのクソゲーは、人生最高の「神ゲー」に変わっているかもしれない。
でも、一つだけ注意点がある。
「毎回同じ内容で愚痴を言わないこと」
つまり、「明日は明日で別のネタを探して愚痴る」
これが、「楽しく情熱的にクソゲーに苦しむ」コツなのではないかと信じている。
【ライターズプロフィール】
回復呪文は使えない(READINGLIFE編集部ライターズ倶楽部)
「そんなことってある?」という展開で、ある日突然妻の実家のお寺を継がなければならなくなった僧侶見習い。髪はまだある。本業は財務コンサルタントと金融投資業。煩悩の象徴、お金を扱う本業と、煩悩を断つ使命を帯びた僧侶の両立に悩む。
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