週刊READING LIFE vol.44

ハッピーマントラがもたらしたささやかな変化《 週刊READING LIFE Vol.44「くらしの定番」》


記事:日暮 航平(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

あなたはポジティブ思考だろうか? それともネガティブ思考だろうか?
 
もちろん、誰もがポジティブ思考でありたいと思うだろう。
しかし、僕はポジティブ思考とはかけ離れた人間である。
完全なネガティブ思考というわけでもないが、どちらかというとすぐにイライラして落ち込みやすく、人のことを簡単に信用できないし、何か想定外のことが起きると悪い方に考えがちだ。
 
こんな自分を何とかポジティブ思考のカタマリにしたい! と一時期ポジティブシンキングの本にハマったことがあった。
 
そこでよく書かれているのが、「将来こうなりたいという自分をイメージして、いかにも現在すでに達成されているかのように、例えば『私は年商1億円を達成した社長です』と現在完了形で毎日唱えなさい」といったことだ。
そうすると、「引き寄せの法則」のごとく、その通りの現実がやってくるというものだ。
そういうポジティブな言葉で唱えることを、一般的にアファメーションと表現されることが多い。
 
早速、僕もそれを日常に取り入れて「私は何があっても、明るく元気でポジティブな人間です」みたいなアファメーションを、朝と夜それぞれ1日10分くらい唱えてみた。
最初唱えた時は、何となく気持ちが高ぶって、「もしかして本当にポジティブになれるんじゃね?」と高らかに期待していた。
 
しかし、毎日それをやっていても、それ以上の変化はあまり感じられず、徐々に飽きてくるようになった。
日々生きていれば、ちょっとしたことで落ち込んだり、満員電車とかにイライラしたりするし、「あれ? 結局何にも変わってなくね?」となって、唱える意義が薄れてしまい、次第に意欲がフェードアウトしていくのだった。
 
「こんなアファメーションをしても、結局ポジティブになれないのか……」と逆に余計に落ち込んでしまう羽目にもなった。
「やばい、こんなんじゃダメだ。もっとシンプルにできるものはないか」と探していたところ、友人と会った時に飲みがてら相談をしてみた。
 
そうしたら、その友人が「毎日『ツイてる、ツイてる』とひたすら唱えたら、本当にツイてくるみたいだよ。ツイてきたら、ポジティブになれるんじゃないか」と言ってきた。
「あはは、ホントかよ」と思わず笑ってしまったが、「ツイてる」の四文字をひたすら唱えるだけで、本当にポジティブになれるなら、お安いもんだと思い、ためしてみることにした。
 
「ツイてる、ツイてる、ツイてる、ツイてる、ツイてる、ツイてる、ツイてる、ツイてる……」
朝起きて着替えをしている時はもちろん、歯を磨いている時は心の中で唱えたりした。
いつでも、どこでも四文字をひたすら繰り返しているだけなので、とても簡単だし唱えている時は、アファメーション同様にとても気分がよくなった。
「こりゃ、いいや。いずれ本当にツイてくるかも」と意気揚々だった。
 
しかし、実際にツイてきたのは、貧乏神の方だった。
 
僕は、休日にちょっとした買い物をする時は、財布から少しお金を抜いて、小銭入れに入れ替えてポケットに入れて出かけるのだが、スーパーのレジで会計をしている時に、それがポケットにないことに気づいてしまった。
カードも持ってなかったので、気まずい思いで、買い物せずにスーパーを出たのだが、道の途中で落としだのだろうとくまなく探してみたが、結局見つからなかった。
 
こんなことは滅多にないことだった。
「何だよ、ツイてるって毎日唱えてても、こんなんじゃ意味ねーじゃんか」
結局、これもやめてしまった。
 
こんな飽きっぽい僕であったが、あることがきっかけで、今でも続けているふとした「くらしの定番」に出会うこととなった。

 

 

 

 

僕は昔から歴史が好きで、特に仏教に惹かれていた。
学生時代はよく仏閣を巡り、仏像を見るのが好きだった。
しかし、社会人になって忙しくなり、そういったことをする余裕もなくなっていった。
 
そんな中、たまたま自宅から友人宅まで自転車で移動していたら、お寺の隣にある「曼荼羅美術館」という看板が目に飛び込んできた。
「あれ? こんなところにこんな美術館があったのか」
友人との約束の時間まで、まだしばらく余裕があったので、思わず入ってみることにした。
 
曼荼羅といえば、真言密教が由来で、仏様や神様がずらりと並んで描かれる色彩も豊かな、あの絵図だ。
「おお、学生時代もこういうの好きで、よく見に行ってたな……」
しばらく、懐かしさの想いにふけっていたら、その隣に、やたらとアートっぽい文字が目に飛び込んできた。
 
「おお、これはサンスクリット文字だ!」
これは古代インドの文字で、お釈迦様が生きた紀元前4世紀の時代にも使われていた。
日本では「梵字(ぼんじ)」とも言われ、これを書いたり唱えたりするだけで、運が巡ってくるという人もいる。
 
学生時代からサンスクリット文字自体は知っていたが、あまり深くは学んだことがなかった。
それから、サンスクリットについて、もっと知りたくなり、ネットで色々検索してみた。
 
そしたら、ある興味深い記事が目についた。
「サンスクリット語でマントラを暗唱すると、脳灰白質が増加することが明らかに」
(2018年6月8日 Newsweekの記事のタイトルをそのまま引用)
 
「脳灰白質!? 何かよくわかんないけど、脳みそにはよいってことか?」
実際には、ニューロン(神経細胞)の細胞体が集まるところで、マントラを唱えることでアルツハイマー予防の効果があるらしい。
「サンスクリットのマントラを唱えていれば、俺はボケないってことか!?」
先の心配はさておき、何かよいマントラがないか調べてみることにした。
ちなみにマントラとは、元々は「真実の言葉」という意味で、仏様に願いを届ける際に唱えられる。
 
そうしたら、自分にとって唱えやすそうなマントラを見つけた。
「オン バザラ タマラ キリク ソワカ」
これは千手観音菩薩をあらわすマントラで、千本の手を持ち、どんな人でも救済しようという広大無限の慈悲の御心をもった菩薩であるとされている。
 
ためしに、つぶやくように唱えてみた。
「オン バザラ タマラ キリク ソワカ」
語感が心地よく、爽やかな風が心に広がったようだった。
何より、この言葉に意味を求めることなく、マントラを唱えること自体に心地よさを感じられた。
 
「よし! これならやっていけそうだ」
それから、日常生活にマントラを取り入れることとなった。
 
朝起きて、朝食の支度や、着替えをする時、
自宅からの最寄駅に向かって歩く時、
仕事の休憩時間の合間や、ランチの時、
自宅に帰って、シャワーを浴びている時、
寝る前に、目をつぶって瞑想をしている時……などなど
 
そんな日常生活のふとしたスキマ時間に、マントラを唱えてみた。
通勤時の満員電車など、周りに人がいる時は、心の中で唱えることもある。
 
「オン バザラ タマラ キリク ソワカ
オン バザラ タマラ キリク ソワカ
オン バザラ タマラ キリク ソワカ……」
 
おそらく、もし人が隣にいて、偶然これを聞かれたら「この人、頭がイっちゃってんじゃね?」と思われるだろう。
しかし、僕はこのマントラを唱えることだけで、不思議と心が満たされた。
気がつけば、マントラを唱えることが、生活の一部となり「くらしの定番」化していた。
僕は、いつしか勝手に「ハッピーマントラ」と呼ぶようになった。
もはや、このハッピーマントラを唱えることの効果なんて、求めなくなっていた。
 
そうなると、人間というものは不思議なもので、このハッピーマントラの効果が気づかぬうちにあらわれるようになっていったのだった。

 

 

 

 

「あれ? なんか目覚めがよくね? 何だ、この爽快感は」
あまりに爽やかな心持ちで、目が覚めたので、自分じゃない気がして、まだ夢を見ているのかと思ったくらいだった。
 
「あ、夢じゃねーわ。本当に目覚めたんだ……」
自分のほおをつねったら痛かったので、夢じゃないことを確認すると、朝食の支度や着替えをしながら、またいつものハッピーマントラを唱え始めた。
 
それから会社に出勤し、メールチェックをしていたら、上司から朝一番で呼び出された。
正直、あまり仲がよくない上司だった。
「何かミスでもしたっけ?」と思いながら、上司の席に行くと、
「おおっ、おはよう。最近仕事は順調か?」と温和な表情を向けてきた。
いつも眉をしかめているイメージがある上司だけに、いつもと違うものを感じた。
 
「あ、はい、おかげさまで」と僕もにこやかに答えた。
「お前、最近変わったな」
「え!?」突然の思いがけない言葉にびっくりした。
「以前は、何か肩に力が入ったような雰囲気があって、忙しいと切羽詰まってイライラしているのが周りにも伝わってた気がするが、最近は心に余裕をもって、しっかりと仕事に取り組んでいるのが感じられるよ」
「えっ、そう見えているんですね……」
正直、人から見てそんな変化があると思われていたことに驚いた。
 
でも、確かに以前よりイライラすることが減った気がした。
以前は、例えば満員電車の中に押し込まれている状態が、かなりストレスだったが、最近は「この人、どんな人生を送ってるんだろう?」と周りの人間観察をする余裕が心の中に生まれていた。
 
「これって、もしかして……」
そう、ハッピーマントラのおかげかもしれないことに気づいたのは、効果があらわれて大分後のことだったのだ。

 

 

 

 

アファメーションは長く続かなかったのに、ハッピーマントラはなぜ長く続けていられるのだろうか?
おそらく、効果そのものを期待しているわけではなく、唱えていることそのものに心地よさや楽しみを見出したからだろう。
 
「オン バザラ タマラ キリク ソワカ
オン バザラ タマラ キリク ソワカ
オン バザラ タマラ キリク ソワカ……」
 
こう唱えるのは、意外にも舌やあごなどの顔の筋肉も使うので、滑舌がよくなるという、まさかの副次効果をも生み出した。
 
マントラというと、何か宗教じみて、拒否反応を示す人もいるだろう。
「科学的裏付けがあるのか?」と言われれば、正直そういった面からの説明はできない。
 
しかし科学的根拠などなくとも、実感をもって言えることがある。
「ハッピーマントラを唱えること自体が楽しいし心地よい。そして効果なんかなくたっていいから、日常の暮らしの中で、これからも唱える続ける」と。
 
そして、今日もハッピーマントラと共に、爽やかな気持ちで1日が始まるのだ。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
日暮 航平(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

茨城県ひたちなか市出身、都内在住。1976年生まれ。
東証一部上場企業に勤務した後に、現在はベンチャーから上場した企業で、法務に携わる。
平成28年度行政書士試験合格。
フルマラソン完走歴4回。最高記録は3時間46分。
過去に1,500冊以上の書籍を読破し、幼少時代からの吃音を克服して、ビジネスマン向けの書評プレゼン大会で2連覇という実績を持つ。

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/86808

 


2019-08-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.44

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