元車椅子ホスト、寺田ユースケって何者?~彼が留学先から持ち帰ってきた“新しい笑いのセンス”が日本を変えてしまう理由~《 週刊READING LIFE Vol.49「10 MINUTES DOCUMENTARIES〜10分で読めるドキュメンタリー特集〜」》
記事:坂田幸太郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「歌舞伎町で、一風変わったオモロいホストがいる」
そんなことを友人から聞いたのは、彼がYouTuberデビューする3年前だったか。
源氏名は、クララ。
現在はホストクラブを辞めて、寺田ユースケとして、メディア活動、執筆活動などマルチに活躍しているとのこと。今流行りのインフルエンサーだ。
クララときいて女性かと思う人も多いと思うが、彼は男性であり、職場も女性をターゲットとするお店らしい。
では、なぜクララという源氏名をつけたのだろう。
私は直ぐにクララで調べてみた。
すると理由がわかった。
「え!? このホスト、車椅子なの?」
そう、なんとクララは車椅子を使った車椅子ホストだったのだ。
「そう、車椅子ホストなの。クララって源氏名もアルプスの少女のキャラクター、クララから名づけたみたい」
なるほど、確かアルプスの少女ハイジに出てくるクララというキャラクターは車椅子を使う少女だった気がする。
立つこともできなかったクララがハイジの目の前で立つというシーンが印象的だ。
クララが初めて立った姿を見たハイジが嬉しさのあまり「クララが立った! クララが立った!」と大はしゃぎする名場面を知らぬ日本人は恐らくいないだろう。
ホストクラブの紹介ポスターも、その名シーンをまんま使用している。
彼が車椅子から立ち上がった写真に堂々と「クララが立った!」と書かれているポスターを見て私は思わず笑ってしまった。
「ね! センスヤバいでしょ」
と友人も笑った。
確かにセンスがヤバい。
だが、私はふと思った。
このセンスにどこまでの人が気づき、笑うのだろうか。
ユースケの人生はまさに、そのセンスとの戦いだったのではなかろうか。
あえて題するとしたら、「障害」×「笑い」。
なんでも前職がホストという個性的な肩書きを持つがその前の職業も実に個性的である。
前々職、お笑い芸人。
お笑い芸人さんということは、当たり前だが、笑わすことを生業とする職業。
ホストをやる前から、自分のセンスと戦い続けていたのだ。
なぜ、ユースケさんはそこまで大それたテーマに挑戦し続けられるのだろうか。
それはユースケさんのある強い想いと関係があるようだ。
寺田ユースケさんは、1990年愛知県名古屋市に生まれる。
生まれつき足が不自由だったそうだ。
といってもユースケさんは高校生まで、車椅子に乗っていなっかたようだ。
初めて乗ったのは大学生のとき。
初めて乗ったユースケさんはあまりの移動の便利さに衝撃を受けたようだ。
後に「車椅子はかぼちゃの馬車だ」と語っている。
車椅子に乗ることで益々行動的になったユースケさんは、大学4年の時、海外へ語学留学に行くことを決める。
行き先はイギリス。
この経験があのテーマとの対面するきっかけとなる。
海外ではよく差別に敏感だと聞く。
肌の色、障害や性的なマイノリティーについては特に敏感だと聞くが、海外留学経験者からすると日本の方が敏感だそうだ。
敏感というより、日本人は過敏だという。
ユースケさんも同じような空気を感じたとのこと。
いったい、どういうことだろうか?
その時のエピソードはユースケさんにとって忘れられない思い出として語られている。
留学先にも慣れ始めたころ、もっと語学を極めたいという感情が芽生えたそうだ。
そこでユースケさんは地元のBARに行き地元の人と交流しながら語学を身に着けていこうと決めた。
とにかくいろんな人に声をかけまくったそうだ。
これが 日本だったら、車椅子の人が一人で、しかも話しかけてきたら困惑してしまう方もいるかもしれない。しかし留学先のBARでは、そんなことは1度も起こらなかったという。
むしろ、人が集まったとのことだ。
日本人という珍しさもあっただろうが、それ以上にユースケさんの底抜けの明るさが地元民に受け入れられたのだとおもう。
やはり飲みの席は楽しんだ人が主役になれるのだ。
さらにユースケさんは自虐ネタでもその場を沸かせる。
「ヘイ! 俺は車椅子の 酔っ払いだよ!」
と車椅子のことや、足のことなどを笑いのネタにしたそうだ。
相手もそれにノリノリで応じてきたという。
根が明るいユースケさんの自虐ネタは悲観的に捉えられることもなく、一つの笑いのネタとして大爆笑を誘ったのだ。
すると地元住民の人たちもユースケさんの障害をいじってきた。
ユースケさんはそれが嬉しかったそうだ。
確かにマイノリティーに関しては日本より海外の方が敏感である。
だが、それは日本と性質が異なる。
デリケートな部分は関わらないようにする傾向があるのが日本人の特徴だ。
それに反して海外の人はデリケート部分に興味を持ち触れていい部分といけない部分を探りながら親睦を深めていくのだ。デリケートな部分を取り除き人間本質とフィーリングが合うかで関係を築く。
そんなイギリス人の人間性に衝撃を受けたユースケさんはある決心をする。
帰国したらお笑い芸人になりたいー
なんとお笑い芸人になることを志したのだ。
イギリスのデリケートな部分への接し方や笑いのセンスを肌で感じたユースケさん。
なんとかこの笑いのセンスを日本に広めることはできないかと考え思いついた職業が、お笑い芸人だったのだ。
帰国後まもなくして、日本のお笑いの総本山である吉本興業に入る。
初めはご両親も驚いたようだが、最終的には全面的にバックアップをしてくれたそう。
ご自身の書籍でも、「親には一生頭が上がらない」と語っている。
寛大なご両親の応援を感じながら、ほどなくして同期の男子とコンビを組む。
だんだんと夢の実現へ近づき順調かと思われた、ユースケさんの目の前に一つおおきな壁が現れる。
吉本のお笑い芸人さんはすぐに舞台には上がることができない。
講師と呼ばれる方の前でネタを披露し、ダメ出しをされながらお笑いのセンスを身につけるのだとか。
ユースケさんも、渾身のネタを持ち寄り講師に披露した。
その時事件が起きた。
ユースケさんはコント中「相方に車椅子蹴ってほしい」とお願いした。
相方は渋るもユースケさんには笑いに変わるという確信があった。
イギリスで感じてきた笑いのセンスを信じればこの行為が爆笑になるのは当然だったのかもしれない。
だが、日本はそのセンスにまだ追いついていなかった。
ネタ披露の時、ユースケさんの熱望から相方さんは車椅子を蹴った。
すると、講師は「ダメダメダメ、車椅子を蹴っちゃダメ」とコントを止めたそうだ。
やはり、「車椅子を蹴る」=「いじめてる」に繋がり易い日本で車椅子を蹴るという行為はあまり良いとは言えないらしい。
だとしたら頭を叩く「ツッコミ」はなぜ良いのだろうか。外国人からしてみれば立派な暴力として認識されるらしい。
それにも関わらず「ツッコミ」という文化になったのは、「ツッコミ」が長い歴史を経て両者同意のコミュニケーションとして受け入れられたからではないだろうか。
ということは、「車椅子を蹴る」行為もいつしか両者同意のコミュニケーションとして受け入れられるのかもしれないが、日本はまだその環境が整っていなかった。
早すぎた笑いのセンスというべきか。
ユースケさんは、その後時代という大きな壁を共に目の当たりにした相方さんとコンビを解散し、一人夢を追いかけ花の都へ向かうのであった。
ピンとして渋谷の舞台の上りながらユースケさんは芸を磨く日々が続いた。
名のしれた芸人ならまだしも、駆け出しの芸人の笑いに耳を傾ける人は多くない。
舞台から見える客席は常に空っぽ。
それでもユースケさんは舞台の上で自分の笑いを追い求め続けた。
軌道に乗りかけた時もあったという。時に同じ悩みを持つ女芸人さんとコンビを組んだり、大物芸人さんと交流したりと、芸人人生を謳歌している時期もあったそうだが、2015年にユースケさんは舞台から身を引くことになる。
志半ばのユースケさんをホストへと誘ったのは尊敬する知人だった。
本人は初め冗談だと思ったらしい。
だが実際にお店の会長さんと会うとトントン拍子で働くことになったそうだ。
その際に希望の源氏名を問われたが思いつくものがなく、「じゃあクララはどうだ」
と言われ決まったそうだ。
会長さんはふざけているのか、真面目だったのかユースケさんもわからなかったらしい。
どちらにしても会長さんはセンスがいいと私は思う。
週1回のバイトで入ったユースケさんは、クラブの環境に馴染めなかったそうだ。
煌びやかな装飾にフカフカのソファー。なにもが今までとは違う夜の世界になれなかったのもその一つではあるが、居心地が悪かったのはユースケさんにこんな考えがあったからだ。
ホストって人を騙す職業でしょー
ホストは女の人を騙し、お金を巻き上げる職業だと思っていたそうだ。
言うのであれば、偏見だ。
もしかしたら自分もホストなんて人を騙す職業をしていることに罪悪感を感じていたのかもしれない。
唯一の反抗は他のホストさんと近い距離にいないこと。
「馴染めなかった」のではなく「馴染もうとしなかった」のだ。
そんな日々を送るさなかある些細な事件が起こる。
ユースケさんが何回か車椅子から立つと周りのホストから「クララが立った!」といじられたらしい。当然悪意はない。‘
これがイギリスだったら、恐らくユースケさんは「おいしい」と思っていただろう。
これが劇場だったら、「ウケた」と思ったに違いない。
だが、勝手なホストへのイメージのせいでバカにされたと勘違いしてしまったそうだ。
終いにはケンカに発展することも。
こうして、ユースケさんをイジる人は徐々にいなくなった。
そんなホスト生活を送るユースケさんにも大切な日が訪れる。
誕生日だ。
ホストにとって誕生日は最も大切なイベントだ。
誕生日プレゼントとしていつも以上にシャンパンやお酒が飛び交い易くなる。
言ってしまえば一番稼げるイベント、それが誕生日だ。
でもそれはお客が付いていれば、の話だが。
当時のユースケさんにはお客は付いておらず、ホスト最大のイベントは一人もお客さんが来なかったそうだ。
そんなユースケさんを見て先輩ホストさんは「今日、ユースケの誕生日なんだよ」と自分のお客にアプローチをした。
するとそのお客はユースケさんにシャンパンを開けた。
「え? いいんですか?」と聞くと
「うん。いつも可愛がってるって聞いてたからね!」と答えた。
その後も次々と先輩ホストさんがユースケさんの誕生日を盛り上げてくれたという。
ユースケさんは自身の書籍で「最高の誕生日」とあの日のことを振り返っている。
こうして他のホストさんからの愛を感じながら、ユースケさんは歌舞伎町の男へとなっていったのである。
自身の書籍「車イスホスト」はこんな言葉で締めくくられている。
「いつか障害者と健常者の架け橋のような存在になれたら」
その想いは今もyouTubeで発信し続けることで、実現へと歩みを進めている。
ユースケさんのチャンネル「寺田家TV」
このチャンネルではユースケさんがさまざまなことに挑戦したり、他の障害を持つ方と対談したりと当事者ならではのコンテンツを発信している。
なかでもあの「五体不満足」でお馴染みの乙武さんと共演している動画は面白かった。
乙武さんと20m走をするという内容だ。二人ともガチの真剣勝負だったので尚のこと面白い。
いま「え?」って思った人ほどみてほしい。
まずは動画を見てから楽しいコンテンツであるかどうかを決めてほしい。
きっと味わったことのない笑いに触れられることであろう。
私とこの面白さを共有できる人もいると思うが、なかなか楽しめないという人もいるのも事実。
やはり今の日本じゃまだ理解に苦しまれる方もいるかもしれない。
しかし笑いの感覚は時代によって変わるもの。
きっとユースケさんの動画が何も考えずに笑えるコンテンツになるとおもう。
それこそ、ユースケさんが追い求めた笑いのセンスだ。
今は無理に理解しなくてもいい。
でも、これからユースケさんの笑いのセンスに時代が追いつく日が来る。
私はそうだと信じたい。
そしてあの「クララが立った」ポスターのセンスがわかる時代が訪れることを私は信じたいのだ。
ユースケさんは己の笑いを今後も追及していくであろう。
彼の行く先にどんな世界が広がっているのか。どんな笑いがるのだろうか。
時代の先駆者、寺田ユースケ。
彼の進む先の世界、私はそれが見たくって仕方がない。
◻︎ライタープロフィール
坂田幸太郎 26歳(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
東京生まれ東京育ち
10代の頃は小説家を目指し、公募に数多くの作品を出すも夢半ば挫折し、現在IT会社に勤務。
それでも書くことに、携わりたいと思いライティングゼミを受講する
今後読者に寄り添えるライター
http://tenro-in.com/zemi/97290
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