週刊READING LIFE vol.49

12,500フィート上空の5秒間《 週刊READING LIFE Vol.49「10 MINUTES DOCUMENTARIES〜10分で読めるドキュメンタリー特集〜」》


記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 

「富士山と同じぐらいの高さってことですか?!」
 
隣に座っている相手の耳元に大きな声で叫ぶ。
セスナの機内は機械音が反響して、大きな声でなければ会話できない。
 
「富士山よりもずっと高いところからです!」
 
負けじと大きな声で返事が返ってきた。
 
大声で会話をしている間にもセスナはどんどん高度を上げていく。
 
小さな窓から見える雲はもうはるか下の方にある。これ以上高くならなくてもいいのに、もう高さはこのあたりでいいのに、と弱気な考えが頭をよぎる。
 
「上に行くまで、このベルトと自分をつないでください」
 
セスナに乗ってそう言われた。
操縦席と助手席以外は座席がすべて取り払われている機内。床は金属がむき出しだ。床のところどころに金具で短いベルトがつながっている。
 
言われるままに床につながっているベルトのカラビナを手に取った。自分のお腹のあたりにある金具をつなぐと、ガチャリと音がした。
 
まるでヘソの緒みたいだ。
唐突にそう思った。
 
脈絡ない思いつきの連想から、セスナの機内が胎内のように思えた。母親の胎内は外の音が雑音のように反響しているという。だから生まれた赤ちゃんはテレビの砂嵐の音を懐かしいと感じるそうだ。このセスナの機内も似たにたものかもしれない。飛び立ってからずっと機械音が反響し続けている。
 
機内の大きさは3畳の大きさがあるかないか。そこに20人近くが体操座りで座っている。隣同士の肩が触れ合うような窮屈具合だ。
 
埼玉までスカイダイビングにやってきた。
上空に向かうセスナ機の中。私はインストラクターの人とつながって飛んでもらうタンデム飛行。セスナに乗っている他の人たちは単独のソロで飛ぶ人たちばかりだ。
 
セスナの入り口は通常の飛行機と違って、車庫のシャッターのように出入り口が開け閉めできるようになっている。飛び立つ前に担当のスタッフ同士が打ち合わせをするのが聞こえてきていた。
 
「途中3000mあたりで一度開けますね」
 
いきなりシャッターの扉がガラガラと開けられた。この扉は手動だ。おそらく気圧の調整なのだろう。先程から耳の奥がキーンとして、何度もつばを飲み込んだ。
 
ひんやりとした風が機内に強く吹き込んでくる。地上は朝の9時でも汗ばむほどの気温だったのに。
 
扉はもう一度閉められた。セスナが更に高度を上げていくのが分かる。ソロの人たちが腕につけている高度計を確かめはじめた。
 
「青木さん、僕の前に座ってください」
 
タンデムで一緒に飛ぶ予定のインストラクターのNさんが大声で言う。慌てて機体と自分をつないでいた金具を外してインストラクターさんの前に座り直す。
 
背中の何箇所かの金具がガチャリガチャリと音がして、自分の身体とNさんの身体が固定されていくのがわかる。
 
耳元でNさんが叫ぶ。
 
「もう一度シュミレーションしますね。ダイブする時は脚を投げ出して、顎を上げて。1,2,GOで行きますからね」
 
扉近くの人が合図をした。シャッターが開けられた。ソロの人たちの服装はつなぎのようなシンプルな服装に、背中に背負っているパラシュートの入っているザックのような装備は心もとないほど小型でシンプルだ。
 
ソロの人たちが迷いなく、音もなく次々に飛び降りていく。
 
セスナの機内はどんどんと人がいなくなった。ガランとした空間が広がっていく。
 
「さあ、行きますよ」
 
迷っているヒマも、いやちょっと、と声を出すヒマもない。
大人二人の身体がつながっているので、這いずるように入り口の方に向かう。気がつけばセスナの扉の前に立っていた。
 
「はい、脚を外に投げ出してくださいね。顎を引いて、手は肩ベルトを掴んで」
 
扉から外に私の脚は投げ出された。なにかにしがみつこうにも、力が入るのは肩のベルトを掴んでいる手しかない。
 
「行きますよ、1,2,GO!」
 
あっという間に身体が空中に投げ出された。
 
もがく間も、言葉を出す間もなかった。
見えるのははるか下にある雲と、雲間からかすかに見える地面。その地面に向かって自分の身体がぐんぐん落下していく。
 
「ちょっと、待った――――――!!!」
 
いまさらながら、心の中で大声で叫んだ。
 
思いつきでやってきた埼玉のスカイダイビングだった。
はじめは知り合いがスカイダイビングをしたというFacebookの投稿を見て興味を持ったのがきっかけだった。
バンジージャンプはやる気にならないけれど、スカイダイビングはどのくらい高いところから飛び降りるのだろう。ネット検索で埼玉の桶川にスカイダイビングをできるスクールを見つけた。
 
アジア最大級19人乗りのスカイダイビング専用機で、上空まで約20分の遊覧飛行。国内最高高度12,500フィート(≒3,800メートル)。 国内最長フリーフォール。
 
ふうん、そうかそんなに上まで上がっていくんだ。国内最長というとなんだかやりがいがありそうかも。
 
ちょうど日曜日の東京の予定があいたからといって気軽に申し込んだ自分。もしタイムマシンがあってその時の自分に言えるのなら、大きな声で言ってやりたい気持ちだ。
 
「そんな甘いものじゃないぞ―――――!」
 
急激に落下しながら後悔した。
落下し始めて最初の5秒間、来たことを本気で後悔した。
 
一体私は何をやっているんだ。
エレベーターに乗っていて急に降りるときのフワリ感。あのフワリ感が苦手だとか言っていたのに。ジェットコースターの一番上から一気に滑りおりるときが嫌いだからジェットコースターには金輪際乗らないと言っていたのに。
今、人生最大の落下に身を晒している私。
 
身体は加速をつけてぐんぐん落ちていく。
突然、後ろから肩を叩かれた。
 
「肩を叩いたら、手を広げて良い合図ですからね」
 
そうだ。合図だった。Nさんに言われていたこと思い出す。
 
肩のベルトから手を離すのは怖かった。手は思い切りベルトを握りしめていた。
 
そうしているうちにも身体はどんどん落下していく。
 
えいっ!
 
握りしめていた手を広げた。顔が前を向いた。はじめて周りが視界に入った。
地平線を見回した。地平線はゆるくカーブを描いていた。地球が丸いということを理屈なく納得する光景だった。
 
空の青、そこに輝く夏の太陽。
雲が下の方に浮かんでいて、その合間から遥か下に地面の茶色や畑の緑がちらちらと見える。
 
その瞬間、落ちていくことが気にならなくなった。
私は空を飛んでいた。
 
飛行機の上からは見たことがある光景ではあるけれど、自分の身を晒してそこに身体をおいてみる光景は全く違った。
 
今、目にしている言葉にならないものを、あえて言葉にするのならば一言しかなかった。
 
「世界は美しかった」
 
先程までの緊張と恐怖が嘘のようだった。景色にみとれた。身体が光景と一体になっていくような気がした。この時間がずっと続いていくように思えた。
 
この落ちていく時間は約55秒らしい。
 
「さあ、次、行きますよ」
 
Nさんの声で我に返った。
 
突然、ガクン! と衝撃がきた。
パラシュートが開いて、身体が急に上に持ち上げられたのだ。
 
肩からぶら下げられたように、身体が縦になった。
 
そこからは落下がゆるやかになった。ゆっくりと地面に向かって降りていく。でもまだ雲は私の下にある。
 
周りを見渡すと、ソロでダイブした人たちのパラシュートも開いて互いにゆっくり降りていくのが見える。
 
みんなが近づきすぎないようにしながら同じ着地のポイントを目指していく。
 
まるで飛行場に飛行機が降りていくように、着地のポイントに次々に列になって近づいていく。パラシュートがこんなに精密に飛ぶことを操作できるなんてしらなかった。
 
そんなことを考えているうちに地面がどんどん近づいてくる。
着地の時に一番怪我が多いという言葉を思い出して胸がどきどきする。
 
「さあ、降りますよ~」
「思いっきり脚を上げてくださいね!」
「せーの!」
 
パラシュートが地面に近づくと同時に脚を思いっきり上げて、滑り台で滑るように、芝生の上に滑るように着地した。
 
ホッとしたのと、あっけなく終わってしまった残念な気持ちがないまぜになった。Nさんが手早く自分と私をつないでいた金具を外してくれる。
 
立ち上がろうとすると重力を感じた。その重みが、なにか懐かしかった。
 
あちこちに、ソロでダイビングした人も着地していた。
近くにワゴン車が迎えに来てくれいていた。他の何人かとワゴン車の荷台に乗り込む。
 
「あとからコレをたたむのが汗だくなんだわ」
「夏は暑いでね―――」
 
ソロの人たちが、笑いながら抱え込むように乗せている色鮮やかなパラシュートを指差す。
 
「ほら、あそこ。今パラシュートが開いたところよ」
 
ソロで飛んでいた女性の人が空を指差した。
その指の先をたどっていくと、遥か雲の上の方に、黒い点が見えた。
あんな上でパラシュートが開いていたんだ。
 
スカイダイビングをして人生は変わっただろうか。それとも変わらなかっただろうか。
 
ワゴン車の荷台に揺られながら思った
人の一生はセスナから飛び降りて、地面につくまでの間と似ている。
 
人は母の胎内から、産まれた先のことがわかって産まれてくるわけではない。きっと、エイヤッと産まれてくるに違いない。私がへその緒のようなベルトを外して、外に飛び降りた時、もう無我夢中で飛び降りるしかなかった。そこにどんな世界が待っているか全くわからなかった。そして全くわからなかったからこそ、スカイダイビングをやってみたかったのだ。
 
無我夢中で落下していく数秒間。
すこし慣れて世界を眺め確かめる時間。
パラシュートが開いて落ち方をコントロールしながら降りていく最後の時間。
 
生きているということは止められない時間の中で生き、それは落下し続ける時間と同じだった。
 
そこで何を決断しても、何をやってもやらなくても。時間は刻々と過ぎていき、身体は落下し続けていく。
必ず人生には最後があり、ダイビングはいつか地上に着地する
 
スカイダイビングが着地して、最後に地面から空を見上げた時、私は
もう一度あそこから降りてきてみたいと思った。あの落下に身体をゆだねてみたいと思った。
 
人は人生が終わったときに何を思うだろうか。
もう一度人生を最初から生きてみたいと思うのだと想像した。あの楽しさ、あの苦しさ、そしてあの身体全体で生きていることを十全に感じきった感覚。それをもう一度味わいたいと私なら思う。
 
だとしたら、私のここからの生き方は変わらざるを得ない。
終わったときに振り返ってもう一度生きたいと思う時間の中に、地上に着してもう一度飛んでみたいという落下の中に、今、まさに自分が身をおいているのだから。
 
帰り際、駅までのタクシーから空を見た
 
育ちかけている入道雲の上に夏空が拡がっていた。私はあの空のずっとずっと上から落ちて来たのだ、と思った。
 
今まで眺めるだけだった空と私はつながった。自分の身体の奥深くに、あの空から落ちていく感覚がしっかりと刻まれている。それは人が人生の新しい扉を開いて、その向こうの光景を見たときの気持ちとどこか似ているようだった。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
青木文子(あおきあやこ)(天狼院公認ライター)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ28th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

 
 
 
 
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2019-09-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.49

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