週刊READING LIFE vol.52

パワハラ上司との日々は、筋トレで打ち勝て《 週刊READING LIFE Vol.52「生産性アップ大作戦!」》


記事:大杉祐輔(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「いやいや、そんなことないっしょ……」 本屋さんで出会ったその本に対して、真っ先に抱いた感想がそれだった。「あらゆる悩みは筋トレで解決する」。そんな嘘八百に、俺は騙されないぞ。いくらなんでも単純すぎる。しかしそんなに自信満々に言い切る根拠は何なのか、気になるではないか……。
 
この出会いが、私の筋トレ道の第一歩だった。筋肉という言葉と無縁のガリガリ体型にも、少しずつではあるが変化が生じ始めた。そしてそれに伴い、仕事にも私生活にも明らかにポジティブな影響をもたらした。今や週に3~4回、仕事終わりの自宅は一人ジム状態。30分~1時間のトレーニングが日課になっている。しかしここに至るまでには、苦難の道のりがあった。
 
生まれつきの体質なのか、いくら食べても太らない。今でも体重は50キロ台で、ほとんど変化していない。しかしその代償として、いくら頑張っても筋肉がつきにくい。動しても、力仕事に勤しんでも、体力こそつくが体型に変化はない。スリムというと聞こえはいいが、裏を返せばガリガリ体型。学生時代はそんな体質も特に気にしていなかったのだが、なんとか筋肉をつけなければと感じる瞬間がやってきた。新卒で入った研修先で上司のイビりが始まったのである。
 
私は大学を卒業後、栃木にある農業研修施設で野菜作りや養鶏を学んでいた。4畳半の部屋に住み込みで、朝5時半から日が沈むまで畑で汗を流す。新規就農を目指す20代~40代の若手の仲間たちと、仕事に打ち込みながら日々新たなことを学び、食事の時はだんらんを楽しむ。充実した日々が続いていた。
 
研修先には頼れる先輩やスタッフも多く、たくさんのことを教わった。スタッフのひとりであるワタナベさんは、サラリーマン経験が豊富でおしゃべり好き、仕事もバリバリこなす頼れる40代男性。私は彼の示唆に富んだ発言や仕事への姿勢に惹かれ、よく食事中や農作業の合間に様々なことを教わっていた。トラックの運転練習につきあってもらった時には、自分の不注意で車を崖に落として廃車にしてしまい、綿密なアフターケアをしてくださった。あの時のことは感謝してもしきれない。
 
しかし、平和な生活も半年ほどで陰りが見え始める。ワタナベさんのイライラの矛先が、自分に向き始めたのである。私は仕事のミスや抜けが多く、報連相を怠ってしまうこともあり、ワタナベさんからの「教育的指導」が入るようになった。はじめは初心者ということでやさしめの口調だが、次第に自分に接するときは常に不機嫌な態度をとるようになっていった。私がなかなか指摘された部分を直せないのと、ワタナベさんのこだわりを理解しきれなかったのが原因だと思う。私は気づけば完全にワタナベさんの「ターゲット」となり、洗濯物の干し方から洗い物についてまで、生活面の細かな部分まで指導が入るようになった。確かに私がいけない部分は多々あるが、だんだんとイライラが隠せなくなっていった。食事中にもワタナベさんとぶつかり合うことが増えた。
 
週に一回ほどある飲み会では、公の場で私のミスをけなされる。畑に立てる支柱の幅のずれであったり、野菜の収穫の基準の甘さであったり。これが正論なので反論もできない。なぜ私ばかりこんなに言われなければならないのか? 仕事への姿勢が甘いからだ。ミスが多いからだ。何度も反省して対策も考えているのに直らないからだ。ストレスが身体と心をじりじりと傷つけた。
 
どうしても悔しさに耐えられないある日、私は飲み会を途中で抜け出し、真夜中の畑で一人涙を流した。それでもダメで走り出した。悔しくて悔しくてたまらない気持ちが、身体を突き動かしていた。真っ暗な田んぼ沿いの道を、カエルの声に包まれながら、酔いも回ってふらふらになりつつも走り続けた。
 
悔しさを噛みしめながら、息が上がるほど走り、全力疾走で宿舎の前に立つ。汗だくで倒れるようにゴール。気づけば、頭の中をぐるぐる回っていた悩みは、消えていた。
 
「身体の状態と精神状態は連動している」。幸福論で有名な哲学者、アランの言葉が思い出された。走っていると、心の中のストレスが消えていく。胸の中の黒い雲のような悩みが、日が差したように晴れていく。このことに気づいた私は、運動によるストレスの解消に勤しむようになった。そうでもしないと、やっていられなかったのだ。
 
週に3~4回は、宿舎近くの田んぼ周りをカエルの声に包まれながら走る。己の弱さをかみしめ、スタッフへの怒りをバネにさらに強くなろうと誓う。生まれて初めてハーフマラソンにエントリーし、完走する。記録は1時間44分。初めてにしては満足なタイムだった。少し自分に自信が付き、ストレスともうまく付き合えるようになってきた。
 
このあたりで、ランニング能力のさらなる向上のため、トレーニング方法も研究し始めた。そこで出会ったのが筋トレである。「筋トレは最高のソリューションである」という筋トレ系自己啓発書が本屋さんに平積みされていた。著者のTestosteron氏の言葉は、はじめは正直うさん臭かったが、立ち読みでパラパラめくるたびにその熱量に圧倒された。そして、特に刺さったのが次のひとこと。
 
“生物として弱い” と認識されるとなめられて仕事を押し付けられたりイジメられたりします。「俺をなめんなよ」と常日頃から攻撃的な性格でいるとただの痛い人。嫌われます。どうしたら穏やかに過ごしつつも“危険な生物”として認識してもらえるのか? 答えは簡単、筋肉です。筋肉は生活に平穏をもたらします。
 
これだ。私に足りないのはこれだ、筋肉だ。このガリガリ体型が、生物としての弱さを周囲にアピールし、いらぬ災厄を呼び寄せていたのだ。自分よりムキムキな相手にストレスをぶつけようとする人間はいない。「金も人間も裏切るが、筋肉は裏切らない」。Testostaron氏の言葉を胸に、意気揚々と本を手にレジへ向かう。これが私の筋トレ道のはじまりだった。
 
はじめは腕立て伏せや腹筋、スクワットから挑戦する。筋トレ本を片手に正しいフォームを追及すると、10回いかないうちに限界がやってくる。変な声をあげながら地面に倒れこむ。キツい作業だが、終わった後には確実な達成感がある。昨日の自分より、今日の自分は1歩でも前に進んだ。そんな積み重ねが、ストレスまみれの日々の中で、自己肯定感を与えてくれた。
 
ルーティンワークで同じメニューをこなしていると、別なトレーニングもやってみたくなるものだ。Tarzanの筋トレ特集をコンビニで買ってきて、さらなるバリエーションを研究する。正しいフォームで10回×3セットできるのがいいトレーニングらしいので、それをクリアしたら負荷を増やすか、別なトレーニングに挑戦していく。すると、今まで全く使っていなかった筋肉があることに気づく。上腕二頭筋は腕立てで鍛えていたが、上腕三頭筋は全く刺激していなかったり……。そしてそうした筋肉は、ちょっとトレーニングするだけで一気に肥大する。自分の腕はこんなに太くなれるのか! 身体のもつまだ見ぬ可能性に気づき、一人にやける。
 
筋トレを始めて特によかったのは、上記のようなフィジカル面だけでなく、精神的なタフさが身につくことだ。Testostaron氏は、別の著書である「筋トレ×HIPHOPが最強のソリューションである」において、“ワンモアレップ”という概念の重要性を説いている。筋トレとは筋線維の破壊であり、その破壊のためには自分の限界を超えた挑戦が必要になる。「もうダメだ!」 と思ったところから、あと一回だけ! と自分にハッパをかけ、バーベルを上げる。昨日の自分を1%でも超える。その挑戦の姿勢が、強靭な筋肉を生みだすのだ。
 
筋トレをしていると、上記のようなワンモアレップ精神を常日頃から鍛えることになるため、キツい状況でも臆せずに向き合うことができるようになる。このキツさを超えた先に成長があるし、自分は超えられる。そんな根拠のない自信が芽生え始めるのだ。また、体力的にハードな作業でも、「これも筋トレだな」 と考えれば嫌じゃなくなる。むしろもっとやりたくなる。こうして身体も精神も強くなっていくのである。「殺し屋1」 の悪役 垣原ではないが、ドMは最強なのである。
 
さて、こうして肉体面でも精神面でも強くなってくると、自分に自信が持てるようになる。ワタナベさんとは相変わらず険悪な関係だったが、自分なりに前向きに仕事に取組み、将来のことを考えて目標を持って動くことができるようになった。研修先を卒業した後の独立に向けたプランを練りつつ、リーダーと相談しながら今やるべきことを整理した。批判されても自分なりの意志を持ちながら考え続けた。
 
また、このころ婚活サイトで彼女を探し始め、恋愛経験の少なさがコンプレックスだった
自分を変えるべく試行錯誤を重ねた。筋トレの成果かある程度自信をもって異性とコミュニケーションがとれるようになり、はじめて1か月ほどで遠距離ながらも彼女ができた。卒業後は一緒に農業をしようということになり、これが決め手になってリーダーの説得に成功し、研修先からの卒業が正式決定した。
 
ワタナベさんは最後まで私につっかかってきたが、卒業の日にこう言った。「おまえはどちらかというと、野菜作りよりもその楽しさを広めるような仕事が向いていると思う」 もっとさんざん不満をぶつけられると思ったが、予想外のエール(?)に驚いた。二年間にわたる研修生活への、彼なりの労いだったのかもしれない。なんやかんや洞察力のある上司だったなあとしみじみ思う。
 
こうして私は新規就農のため、彼女と一緒に鹿児島県の最南端のまちにやってきた。方向性の違いから半年ほどで彼女とは別れることになってしまったし、農作業もうまくいかないことばかりだが、地域の方々の優しさに支えられ、楽しい日々を過ごしている。
 
同棲生活から一人暮らしになって、さらに筋トレの時間が増えた。身体と精神の状態を整えるために、間違いなく筋トレは効果的だ。うだるような暑さの鹿児島の夏でも、体調を崩すことなく日々の仕事に向き合えるのは間違いなく筋トレのおかげ。身体が資本の農家にとって、ダンベルは生涯の伴侶といえよう。
 
ストレスまみれの現代社会の中、お酒やタバコに溺れれば簡単に心身を病んでしまうが、筋トレは身体も心もハイにするうえに健康まで手に入る「体にいいドラッグ」 である。精神の状態をよくするにはまず身体から。パワハラ上司との日々が教えてくれた、かけがえのない気づきだった。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
大杉祐輔(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1994年生まれ、岩手県出身。2016年に東京農業大学 国際農業開発学科を卒業後、栃木県の農業研修施設で有機農業・平飼い養鶏を学ぶ。2018年4月から、学生時代に10回以上訪問してほれ込んだ、鹿児島県 南大隅町に移住。「地域に学びとワクワクの種をまく」をモットーに、自然養鶏・塾講師・ライターを複業中。

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/97290

 


2019-10-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.52

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