週刊READING LIFE vol.53

ママくんは今日も自転車で歌う《 週刊READING LIFE Vol.53「MY MORNING ROUTINE」》


記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

この四月から、息子を保育園に通わせ始めた。
 
朝が苦手で忘れ物大王の私にとって、保育園の支度は非常に困難なタスクに他ならない。オムツにお名前スタンプを押し、着替えの補充のスタンプ漏れを確認し、お手拭き、エプロン水筒連絡帳、そして何より息子の朝ごはん! 独身時代の一人暮らしなら、朝食抜きで家を飛び出して、コンビニでパンでも買えば済むのだが、入園当時は一歳、今は二歳の息子が買い食いできるはずもない、そもそも園に着いてから隅っこで食べるなんてもってのほかだ。お昼までにお腹が空いたら可哀想だからと、少しでも食べてくれる好物を並べてみるが、気まぐれな息子は一口しか食べないか、気に入ったものをのんびりまったりモグモグしている。おいしいね、とニコニコしている息子を抱き上げて、次はお着替えだ。肌が弱いのでクリームを塗って、肌着、シャツ、ズボン、靴下。Eテレのおかあさんといっしょか、いないいないばあに見入っている間に、舞台のどんでん早着替えのようにズバババと仕上げて、息つく間もなく、自転車のヘルメットをかぶせ、靴を履かせる。
 
「ほいくえん、いかにゃい! おうちいる!」
 
涙目で、たどたどしい抗議の声を上げる息子をぶら下げて、電動自転車の子供座席に乗せて、ベルトを締める。すんなり乗ってくれる日もあれば、釣られた魚のようにビッタンバッタン暴れる日もある。どんな状態であっても、ベルトをしてくれたら、まずは一息。ほーっと大きく息を吐いて、自転車を漕ぎ出す。風が汗だくの私の服もはためかせて気持ちいい。
 
「さあ、今日はなんのお歌を歌おうか〜」
 
家の前の坂を下りながら、私が聞く。息子のほっぺのパヤパヤの産毛が朝日に光りながらそよいでいて、甘い赤ちゃんの匂いが香るようだ。息子はもう泣いていない、動き出した世界を、キラキラした眼差しで眺めて、大好きなミキサー車やトラックを指差している。
 
「うみ、の、おうた〜!」
 
ゴキゲンに戻った息子からリクエストだ。誰もが一度は聞いたことがあるであろう、唱歌「海」。よーし、海ね。私は風を切りながら海を歌った。三番までしっかり歌い切り、続いてトンボのメガネも歌った。途中から息子も一緒に歌い、自転車は坂を登り、信号を渡り、イトーヨーカドーの横を飛んで行った。風と一緒に、私たちのお気楽なデュエットが流れる。最後、Eテレののりものステーションを歌っているあたりで、電車が見えるポイント、そして保育園に到着した。息子はもうご機嫌になっていて、抱っこから降ろすと早速お友達と遊び始めた。
 
よかった、今日も一緒に歌えた。
 
ホッとしたような、少し寂しいような気持ちを抱えて、私はすぐに踵を返してまた自転車に乗る。これから息子のお迎え時間まで、がっつり仕事が詰まっている、一秒でも時間を無駄にできない。帰り道のナンバーは、息子も大好きなEテレの曲、ぴかぴかすまいる、鼻歌バージョン。
 
そう、私の一日は、慌ただしい家事諸々と、それから歌とともに始まるのだ。

 

 

 

 

私の仕事は夫の会社の事務全般で、在宅ワークだ。そして私は役員なので従業員向けの育休制度は適用されない。なので産休だけ取得してすぐに復帰し、なんとか時間をやりくりしながら仕事をしていた。最初は息子が寝ている時間と、私の母が手伝いに来てくれる時間でなんとかやりくりできていた。が、息子が成長するとそれもままならなくなってくる。昼寝以外には寝なくなり、寝ないということはその間ずっと起きて遊んでいて、そして常に遊び相手を欲しているのだ。以前はメリーという、回転するおもちゃの下に転がしておいて、ちゃちゃっと請求書発送作業などこなしたものだが、ハイハイできるようになると、請求書のような紙の類なぞ、可愛いお手々に一網打尽にされてしまう。
 
さてどうしたものかと、方々手を尽くした。ベビーシッターに行政のファミリーサポート、保育園の一時預かり、それから私の両親によるババァシッター、ジジィシッターなど、思いつく限りの手段を使って仕事をしたが、毎月毎週、預け先確保のために連絡して回り、予定を調整するのは煩わしい。一時保育だと、息子はこの世の終わりかのように泣き叫んで嫌がった。あちこちに負担をかけて、お金もかかって、更には息子をこんなに泣かせて我慢させている。それならもういっそ、ちゃんと保育園に入った方がいいのではないか。預けられるにしても、いつものところで、同じくらいの歳のお友達もいた方が、息子は楽しく遊べるんじゃないか。そう思い立ってから諸々手続きをし、幸運なことに保育園入園の申請が通った。そして晴れて四月から一歳児クラスに登園することになったわけだ。
 
登園初日、息子は大泣きした。慣らし保育なのでたった一時間だったが、それはもう大泣きで、ずっと泣いていたらしい。息子のためを思って決意した入園だが、こうも泣かれてしまうと胸が痛む。こんな思いをさせてまで、仕事をしないといけないのだろうか? もう少し頑張れば、保育園に行かないでも、家事育児と在宅ワークの両立が出来たんじゃないか? そんなことが脳裏をよぎりながらも、ごめんね、ママお仕事だからね、と息子を預け、首や服にしがみつく息子を引きはがす日々が続いた。
 
入園から一ヶ月ほど経ったある日、いつものように息子を保育士の先生に引き渡した。息子はみるみるうちに顔をくしゃくしゃにして泣き出したが、私ではなく先生にしがみつき、私に向かって手を振って見せた。
 
「……ゆーたん……」
 
ポロポロ涙をこぼしている息子。それは悲しい、寂しい気持ちの表れだ。しかし、息子は自分が日中保育園で過ごすことを理解しつつある。保育園には友達がいて、先生がいて、給食とおやつがもらえることを把握しつつある。だから、私に向かって手を振った。自分はこれから保育園だと理解していても、ママと離れ離れになる寂しさは、まだ小さな彼の心の中で処理しきれていないのだ。自分の中で折り合いを付けようとしつつも、悲しみをこらえきれずに、涙となってポロポロこぼれてしまっているのだ。私は息子の健気さに胸を打たれて、ただただママ頑張るからね、と言って、手を振り返してやるしかできなかった。
 
「……手、振ってたな……」
 
仕事のために急ぎ帰宅する道すがら、心なしかいつもより自転車のペダルが重かった。親の都合で小さな頃から入園させてしまったけれど、子供なりに必死に順応しようとしている。申し訳ない気持ちでいっぱいで、毎日息子に謝りながら送り出していたけれど、それは、頑張っている彼からしたら、水を差されるような気持ちになるのではないのか。誰だって、ごめんねと送り出されるより、笑顔で見送られた方が、その後を楽しく過ごせるに決まっている。寂しさをこらえて頑張ろうとしている息子に必要なのは、ごめんねと謝って親の罪悪感を払拭することではなく、楽しんでおいで、と背中を押してあげることではないだろうか。
 
「…………」
 
その日の夕方、お迎えに行ってから、私は自分の行動を変えた。息子との会話で、とにかく保育園のことをほめまくったのだ。保育園は楽しそうでいいな、お友達がいていいな、ママも行きたいな。ママも給食食べたいな、お昼寝したいな。でもママはお仕事だから一緒に保育園行けないんだ、いっぱい楽しんできてね。夕食の支度、お風呂、寝かしつけ、思い立ったら常に保育園のことを話題に出した。次の日保育園に送っていく時も、保育園いいなあ、楽しみだなあ、と繰り返し続けた。息子は少し戸惑った様子で自転車により、戸惑った様子で先生に引き渡され、またもポロポロと泣いた。小さな子供相手に一朝一夕で効果が出るものではない。私は笑顔で「行ってくるね」と息子に声をかけ、その日も仕事に励んだ。
 
それから何日かした日の夜、息子が何か独り言をつぶやいていた。私や夫に話しかけているわけではなさそうだ。どー、たん、どー、たん、と、同じ言葉をしきりに繰り返している。なんだろうな、と思いながらも、それが何なのかはわからなかった。ひとまずその様子が可愛かったので動画を撮影し、息子が寝静まってから見返してみて、おや、と首を傾げる。
 
「……ぞうさん、歌ってるのかな……?」
 
どー、たん、どー、たん。おーなな、ななないね。かの唱歌「ぞうさん」の歌詞とメロディーに、聞こえなくもない。動画を繰り返し再生すればするほど、「ぞうさん」としか思えなくなってきた。息子が歌を歌ってる! 私は嬉しくなって動画を夫に見せ、両家両親写真共有アプリにもアップロードし、可愛らしい歌を楽しんだ。
 
次の日の朝も、いつもと同じように、息子を自転車に乗せた。保育園までの道すがら、私は保育園のことを褒めたたえるのではなく、ぞうさんの歌を歌ってみた。息子も嬉しそうに椅子の上で万歳し、どーたん、どーたん、と一緒に歌い始めた。やっぱりあれはぞうさんを歌ってたんだ! 私は嬉しくなって何回もぞうさんを歌った。息子も楽し気に、何度も何度もどーたん、どーたん、と大きな声で歌ってくれた。保育園までの道のりはいつもより短く感じて、あっという間に到着してしまった。ああ、今日もまた悲しいお別れの時間だなあ。そんなことを考えながら、自転車から荷物を持ち、息子を抱き上げる。いつもならこの時点で、私の首にひしとしがみついて、悲しそうな顔をするのだ。
 
「…………あれ」
 
息子は私にしがみついてこなかった。普段抱っこする時のように、肩にそっと手を添えただけだった。登園の準備を終えて、先生に引き渡す時がやってきても、ずっとそのままだ。
 
「さあ、ゆたかくん、こっちにおいで」
「…………」
 
先生が差し出した手に、息子もおずおずと手を伸ばした!
 
仏頂面で怒っているかのような表情だったが、それでも自分から、先生に手を伸ばした。私ではなく、先生にしっかりとしがみついて、私に向かってバイバイと手を振っている。昨日まで泣いていたのが嘘のようだ。私は驚きのあまり「ゆーたん、泣かないの!?」と素っ頓狂な声を出してしまった。そわそわした気持ちで家に帰って仕事をし、そのままそわそわしながらお迎えに行ったが、息子はいつも通り笑顔で迎えてくれた。先生の話でも、連絡帳でも、一日おりこうに過ごしていたようだ。家に帰ってからも息子はずっとゴキゲンで、どーたんの歌を何度も何度も歌っていた。その様子がいじらしくて、私もどーたんを歌いながら息子をもみくちゃに撫でまわした。
 
保育園からもらったおたよりを見返すと、「今月の歌」にぞうさんが選ばれており、園児たちは毎日ぞうさんの歌を歌っているようだ。それでこの前家でぞうさんの歌を歌っていたのだな、と腑に落ちた。息子はきっと、あの朝自転車で私がぞうさんを歌ったのが嬉しかったのだ。保育園はいいところ、と言い聞かせてみても、どこか半信半疑の気持ちだったのだろう。保育園で歌っている歌をママが歌ったのを聞いて、ようやく何かに合点が行ったのではないか。ママと一緒に歌を歌いながら乗った自転車は、彼にとって楽しいひと時となったのではないか。
 
それ以来、私は毎朝の保育園までの道のりを、息子と歌いながら通うことにした。最近は、私が一緒に歌うと怒り、息子のソロリサイタル状態だ。歌う曲は保育園の今月の歌のこともあるし、Eテレで放送していた曲や、私がよく歌っていた童謡のこともある。私が頼んだ歌を歌ってくれることもあるし、珍しく息子が私に歌えとリクエストしてくることもある。いつしか私の中で、息子を保育園に預ける罪悪感は消え、毎朝のこの歌の時間が楽しみになった。そして、たくさん楽しく歌った後は、息子は満足気な顔で保育園に向かってくれる。その小さくも頼もしい後ろ姿を見ると、帰り道もつい歌ってしまうようになった。

 

 

 

 

当時たった一歳の息子と始めたMY MORNING ROUTINEで、私と息子の楽しい時間が生まれた。息子は保育園でもいろいろなことを覚えて帰ってくる。その一つが、名前の後ろに「くん」をつけて呼ぶ呼び方だ。そして何故か、私のことを「ママくん」と呼ぶようになった。ママと呼ぶ時もあるのだが、遊びに誘う時などは、「ママくん、ママくん!」と呼びながら探しに来る。そんな風に呼ばれたら、ついついニンマリして、家事やら仕事やらの手を止めて一緒に遊びたくなってしまう。これも彼にとって、ママと確実に遊ぶためのルーティーンなのだろう。これからも、息子と一緒に楽しく過ごせるルーティーンをたくさん探していきたい。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」を連載。
http://tenro-in.com/category/doppelganger-company

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/97290

 


2019-10-14 | Posted in 週刊READING LIFE vol.53

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