週刊READING LIFE vol.54

あと一日を、耐え抜けば《 週刊READING LIFE Vol.54「10年前の自分へ」》


記事:大杉祐輔(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「いやいや、これは無茶だろう。殺される?」
 
10年前の4月、私は高校一年生。真っ黒なカーテンに包まれた薄暗い体育館に、320人の新入生が整列させられる。目の前に毅然と立つは、ボロボロを通り越してズタズタな学ランを纏った、屈強な三人の男たち。「せえぇぇぇいざしろおぉぉおおぉ!!!」とひと際屈強な男が叫ぶと、ヤンキーのような男女の痛烈な威嚇の声がキンキンと体育館に響き渡る。我々新入生は、すぐさま冷たく硬い体育館の床に正座する。捕虜収容所でのワンシーンのような、威圧感と恐怖に包まれたひと時。これがわが校130年以上の歴史を誇る、「春の応援歌練習」のはじまりだった。応援団から新入生への、地獄のシゴキ。人生で最も長く激烈な一週間の幕開けだった。
 
岩手県立盛岡第一高校、通称「一高」は、県で一番の進学率を誇る公立学校だ。中学三年生の夏、オープンスクールで見た一高生たちの楽しそうな姿と、勉強にも部活動にも全力で取り組む姿勢に惹かれた私は、決意をもって一高への進学を決めた。朝は4時~5時に起き、肌寒い部屋にストーブをつけて机に向かう。問題集のわからない部分を徹底的にノートにまとめて、自分で自分に説明する。全力の勉強が実を結び、桜の咲く春に晴れて私は一高生になった。
 
初めての登校日、3月の新入生オリエンテーション。期待と不安を胸に、真新しく清潔感のある校舎に入る。足を踏み入れた1年3組の教室には、知的だがキャラの濃さそうな同級生たちといかにも紳士的な担任教師。夢に見たワクワクドキドキの新生活。先輩たちのように、自分も部活も勉強も全力で楽しむぞ!
 
そんな淡い感情は、次の瞬間鳴り響く怒声によってたたき壊される。「押忍!!!!!」と叫びながら、3人の男女がドアを思いきりブチ開けて入ってきたのだ。明治時代の学生が被っていそうな学生帽を目深に被った、裸足の高校生たち。気が付くと先生は教室からいなくなっており、教壇には異様な雰囲気の彼らが仁王立ち。何が起こっているのか? そんなことを考える間もなく、彼らは叫び出す。
 
「お前ら新入生をこれから一カ月間鍛え上げる、指導有志の藤村、粟野、鈴木だ。俺たちの指導のあいだお前らが話せるのは、『押忍』と『イス』(Yes)、『シタ』(ありがとうございました)だけだ。わかったか!!!!」
 
突然の乱入者に、きょとんとする私たち。「返事はどうした!!!」「イス」「声が小せえぇんだよ!!!」「イス!!!」 そんな掛け合いが、真新しい教室に響く。
 
これが一高名物、春の応援歌練習のはじまりだった。一高に入った新入生たちは、一ヶ月間で校歌と十曲の応援歌を暗記し、この指導有志たちの鬼のシゴキに耐えなければならない。それは入学前から事前情報として知っていた。立派な一高生になるためと、覚悟していたつもりだった。しかし、これは怖すぎではないか? ヤクザ? 彼らは同じ高校生なの?
頭に浮かび上がるいくつもの疑問符。しかしそんなことを考えている暇はない。藤村はドスの効いた声で叫びだす。
 
「今からお前らに応援の基本である、発声の練習法を教える!!!」その方法は非常にシンプルで、ひたすらに腹式呼吸で「あー」と10拍分声を出し続けるのみ。問題は、我々が全力で声を出しているかどうか、指導有志達が常に歩き回って監視していることだ。少しでも手を抜いている者がいると、彼らは我々の前に仁王立ちし、「声が小せえ!」「やる気あんのかよ!?」「それでも一高生か?」と叱責する。
 
中学時代になまじ勉強ばかりしていた私にとって、こんなヤクザみたいな人たちから恫喝されるのは生まれて初めての経験だった。恐怖というよりは、わけのわからないままついていくしかない必死さが勝る。とにかく「イス」と叫びながら、彼らが納得いくまで全力で声を出すしかない。新入生たちの唸るような声と、指導有志の金切り声が爆音で教室に響く。
「音の暴力」といっても過言ではないそれは、1組~8組までのすべての教室で起こっていた。もはや我々に逃げ場はないのだ。
 
地獄の窯の蓋を開けたような、衝撃の新入生オリエンテーション。藤村たちは最後に、4月の入学式までに「校歌・応援歌の暗記」と「学生帽を壊すこと」の二つの課題を出し、「シタ!!!!」と叫んで再びドアをブチ開け、去っていった。今振り返れば、これは一種のハンマーセッションだった。メキシコ系のギャングが新参者にいきなり衝撃的な体験をさせることで、従来の価値観を粉々に打ち壊し、自分たちの集団の構成員として強制的に引きずり込む手法。中学時代の生ぬるい姿勢は、ここでは通用しないと心身に叩き込む授業。それが130年以上続いてきた、応援歌練習の本質なのだ。
 
命からがら帰宅すると、教科書と一緒に購入した学生帽を破壊する作業に取り掛かる。明治の学生が被っていたような黒いつば付きの帽子から、カッターとはさみを駆使して型を外し、わざと切れ込みを入れてボロボロにする。これが一高の応援に欠かせない「制帽」であり、異様で威圧的な雰囲気を醸し出すのだ。学校に行くと、同級生たちが制帽をいかに壊したか見せ合っている。異常な状況を通して、クラスの連帯感が急速に築かれていく。これも応援歌練習の目的の一つなのだろう。
 
学校が始まると、新入生は毎朝の応援練習が課せられる。8時きっかりに指導有志達が教室に乱入してくるので、それまでに机に向かっていないと大変なことになる。5~10分の発声練習の後、校歌や応援歌を実際に歌って練習する。しかし平穏に済むことはまずない。歌詞を間違えたり、覚えきれていない者がいたりすると、すぐに「やめろやめろ!!!」と声がかかる。「なめてんのかお前ら!」「なんで覚えてねえんだよ!」「アタマ腐ってんじゃねえのか!」と叫ぶ藤村たちと、ひたすらに「イス!!」と叫び続ける新入生たち。名指しで歌詞を暗唱させられ、間違えると教壇が蹴られて教室に轟音が響く。私も歌詞を間違えて覚えてしまっていたことがあり、心臓が縮み上がるくらい怒鳴られた。こんなに怒鳴られるのは生まれて初めてだ。なぜこんな高校に入ってしまったのか……? 遅咲きの桜が授業中に目に入ると、そんな思いもよぎった。
 
クラスごとの応援練習だけでなく、週に2回ほど全体の練習がある。時間になると軍隊のように教室前に整列させられ、駆け足で体育館に向かう。体育館はカーテンが閉め切られており、真っ暗な中に指導有志がうようよしている。並んだ組から発声練習が始まり、新入生の唸り声が広い空間に響く。目が慣れてくると、「乾坤一擲」「疾風怒濤」など勇ましい字面が書かれた垂れ幕が壁を覆っている。ほら貝の音が響き、応援団長が目の前に現れる。ぼさぼさの挑発にひと際ボロボロの学ラン。足には高下駄。真っ赤な応援旗。怒号が響く体育館で、新入生は必死に練習に食らいつく。少しでも気を抜くと、指導有志に別室に連行され、さらに叱責されるからだ。
 
途中では死にそうなほどつらかったが、こうした鬼の練習も、続けていくと精神が鍛えられていく。多少怒鳴られても、気持ちは折れずに喰いついていく姿勢も出てくる。あと一日練習日が長かったら、気が狂っていたかもなあと今でも思う。しかし、こうした逆境に挑戦するとは、今思えばいいワクチンになったなあと思う。あの時頑張れたのだから、まだ大丈夫。そう思える時が、いまたくさんあるから。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
大杉祐輔(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1994年生まれ、岩手県出身。2016年に東京農業大学 国際農業開発学科を卒業後、栃木県の農業研修施設で有機農業・平飼い養鶏を学ぶ。2018年4月から、学生時代に10回以上訪問してほれ込んだ、鹿児島県 南大隅町に移住。「地域に学びとワクワクの種をまく」をモットーに、自然養鶏・塾講師・ライターを複業中。

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/102023

 


2019-10-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.54

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