週刊READING LIFE vol.55

小さな巨人〜知り合ってまだ4ヶ月〜 《週刊READING LIFE Vol.55 「変人伝」〜変だけど最高に面白い人物図鑑〜》


記事:吉田健介(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

彼と出会ったのは、今年の7月だ。
 
「ちょっと来て欲しい」
妻から連絡が来て、僕は彼女のいる徳島へ向かった。
到着したのは夜の9時を少し過ぎた頃だった。
その2時間後、僕は初めて彼と出会うことになる。
 
「何を考えているんだろう……」
出会った当初、彼はあまり表情を表に出さないタイプだった。
こちらが話しかけても、反応はなく、聞いているのか、聞いていないのか、つかみ所のないリアクション。
食事にはあまりこだわらないようだ。
毎日同じ物を、同じ時間に食す。
美味しい、とも不味い、とも言わず、味の感想を顔にも出さない。ただ黙々と体に栄養を補給していた。
 
「味なんてものは特に必要ないんだよ」
 
と言わんばかりに、何のこだわりもなく、淡々と食事をしていた。
 
食後に甘い物を食べたり、コーヒーを飲んだりすることはない。
食事が終わると、ある程度満足した顔をし、そのまま一眠りする。
 
彼は風呂が大好きだ。
湯船に浸かると、至福の表情をこぼす。
ふわふわと宙に浮いているかのような心地で、溶けそうな表情をする。
「いい湯だな〜」
声には出さないが、まるでそう顔に書いてあるような表情をする。
 
じーーーー
彼は黄色い物に興味があるらしい。虎柄の小さなぬいぐるみを見つけると、他には目もくれず、じーっとそれを見続けている。
試しに触ったり、匂いを嗅ぐことはない。ただ、興味津々にずっと見続けている。
「変わったやつだなー……」
 
会うたびに、僕のことを覚えているのか、覚えていないのか、よく分からない表情。しかし次第に嬉しい時は笑うようになっていた。何もない時でも、笑うようになっていた。
7月1日(月)、午後11時18分。徳島県にある産婦人科で、彼は生まれた。
身長51cm。体重3600kg。
僕と妻の第一子が誕生した。
 
初めて彼を抱いた時、その無防備さに驚いた。
小さくて、柔らかい。まるで薄いワイングラスを持つように、そーっと彼を持ち上げた。
まだ目が見えていない彼は、潤ませた目でゆっくりと首を左右に動かしていた。
ふわふわと顔を動かしながら、何かを確かめるように遠くを見ていた。
恐る恐る彼を抱きかかえ、腕の中に収まる小さな体は、ただただ無防備だった。
妻も、ゆっくりと抱きながら、慣れない手つきで母乳をやり、愛おしそうに彼を見守っていた。
 
生後2ヶ月のとき、僕の住む街に、彼を連れて妻が戻ってきた。
一回りほど大きくなっていた。
前と変わらず、彼は母乳とミルクを飲んでいた。
表情を変えることなく、慣れた様子で食事をしていた。
「やっぱこれがうまい!」とも「もう飽きたよ…… 」とも言わず、決められた時間に決められた量の食事を取っていた。そして食後は睡眠を取った。
風呂では、いつものように顔を緩ませ、まぶたをやや落としながら、いい湯を満喫していた。
 
「ほー……」
 
声に出して言う訳ではない。「ほー……」と声を漏らしているような顔をする。口を縦に開け、まるでいい感じに酔っ払ったサラリーマンのように、体をとろけさせる。
生後2ヶ月の赤ん坊が、こんな表情する? と言ってしまうほど、ほっこりした顔をこぼす。
 
「変わったやつだなー」
思わずそう言う。
 
僕は、産後のイライラオーラを放つ妻の指導の元、オムツを交換したり、抱っこをして寝かしつけたり、お風呂に入れたり、洗濯や洗い物をしたりした。慣れない手つきで一連の作業を進める僕。そんな僕をよそ目に、彼は仰向けになりながら、何をするでもなく、手や足を動かしたり、口元から音を発したりしていた。
 
この変わり者は我が家の中心になり、僕と妻の生活を回していた。
僕と妻は、彼のためにオムツを替え、母乳やミルクを与え、抱っこをし、湯船に浸けた。
この無防備な存在が、マイペースで我が道をゆく彼が、長針と短針を動かす針の中心のように、僕らを回転させた。
 
「え…… ちょっとそれ早くない?」
「そうなの? まだ打たないものなの?」
 
ある日、彼はうつ伏せになるべく、体を動かしていた。肩からねじるような形で体を回そうとしていた。寝返りだ。
生後間もない赤ん坊は首が座っておらず、安定していない。首が安定するまで4、5ヶ月はかかる。そして首が座ると、寝返りの練習を始める。
 
だが彼はまだ生後2ヶ月半程だ。
もちろん首は座っていない。
 
事前に調べていた情報と大きく違う。
目の前で寝返りを始めた彼を見て、妻はかなり驚いた様子だ。
 
「うーーーん!」
卵でも産むのではないか、というくらい力んだ声を上げながら彼は寝返りを打った。
どうやら相当体力を使うようで、1日に1回が限界のようだ。
その後は疲れ果てたように通常モードとなった。
と思いきや、次の日から、彼の寝返り回数は指数関数的に上昇していった。つまり、日に日に、明らかに、少し引いてしまうくらい寝返る回数が増え、我が物として習得していったのだ。
もちろん、まだ首は座っていない。
 
いったいどういった仕組み、原理で、彼の寝返りが成されているのか、不思議で仕方がないものの、そんな僕らの目なんて気にもせず、取り憑かれたように寝返りを打っていた。寝返ることを重要な使命のように。寝返ることだけが、生きる全てだと言わんばかりに。
 
「そろそろ休んだら?」
僕らが体を元の状態に戻しても、自ら体を引っ繰り返らせて寝返る。その後ニヤッと笑顔を見せる。これはもう中毒者だ。寝返り中毒。寝返り狂。
 
「どんな世の中になっているんだろう……」
眠る彼の顔を見ながらふと考える。おそらく、僕の父や母がそうしたように、先のことをふと考える。
 
100円の物が100円で買えなくなった。
ファミコンが登場し、マリオが大活躍した。
いかりや長介が亡くなり、ドリフターズが4人になった。
ポケットベルが登場し、携帯が普及し、スマートフォンが当たり前になった。
となりのトトロに感動し、魔女の宅急便に心を躍らせた。
阪神・淡路大震災で町の様子は復旧により様変わりした。
 
僕が大きくなるにつれて様々な物が変化し、誕生し、消滅していった。
そんな中、僕は小学校へ行き、中学校、高校へ行きながら学生生活を過ごした。
目の前で眠る彼も、きっと同じように社会の、環境の変化を目の当たりするのだろう。
それでも小学校に通い、中学生、高校生をするのであろう。
 
「オヤジの時代は、自分で車を運転していたらしいよ」
「昔は、わざわざ店に行って買い物してたんだってさ。お金を持ち歩いて、直接払ってたらしいよ」
「昨日の数学のテスト、どうだった?」
 
数十年後、そんな会話がなされているのだろうか。
変わるものと変わらないもの。
 
我が家の変人は、時に悩み、時に腹を抱えて笑い、葛藤し、号泣し、創作し、新しい物を生み出していくのであろう。
 
「変なやつだな……」
彼の顔を眺めながら静かに物思いに耽る。
何を考えているんだろう。
僕のこと、理解しているのかな。
焼肉とか唐揚げ、食べたいと思わないの?
 
聞きたいことはたくさんあるが、そんな僕に構いもせず、スヤスヤと眠り続ける。
 
しばらくは、彼が中心となり僕らの生活を回していくのだ。時計の針のように、一定のリズムで、止まることなく。
 
「お父さん」
そう呼ばれたら父親としての実感が湧くのだろうか。
気がつけば父親になっているのだろうか。
まだ実感はない。
 
そんなことを考えながら、我が家の変人、小さな巨人の寝顔を眺めていた。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
吉田健介 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1981 .7.22 生まれ。兵庫県西宮市育ち。現在は京都府亀岡市在住。
関西大学卒業、京都造形芸術大学(通信)卒業、佛教大学(通信)卒業。

現役の中学教師。美術と数学の二刀流。

趣味はパーカッション(ダラブッカ、フレームドラム、カホン)。
最近は、写真にも取り組んでいる。kensukeyoshida89311.myportfolio.com

http://tenro-in.com/zemi/102023

 


2019-10-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.55

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