週刊READING LIFE vol.55

最後まで名優だった男の話《 週刊READING LIFE Vol.55 「変人伝」〜変だけど最高に面白い人物図鑑〜》


記事:山本周(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「このマンションに住んで、もう10年になるの」
松下さんの奥さんは、わたしを部屋に案内して説明してくれた。
地上8階部分で眺望が良く、ベランダが窓に沿って南北に長い。とても居心地はいいのだけれど、来年の3月には、生まれ育った東京に帰る、と言う。
「一人暮らしには広いしね」と奥さんは笑った。
 
松下さんが亡くなられたのは2019年の1月、享年76歳だった。
その後、9か月経った10月のある日、奥さんが、わたしの劇団のお芝居に、衣装など、何か今後必要になるものがあるんじゃないか、と大阪の枚方市内のマンションに呼んでくれたのだ。
 
「このマンション前の並木はすごくいいですね。それと団地も多いんですね、この辺り」
わたしは初めて訪れた松下さん宅で、少しかしこまっていた。が、奥さんはこれまでの電話でのやりとりのまま、気さくな感じだったので安堵した。
大阪府枚方市の香里ケ丘の、この辺り一帯は、戦前、旧陸軍の火薬製造所があったと奥さんは教えてくれた。戦後は、日本住宅公団の団地が建ち、今は閑静な住宅地となった。マンション前のけやき通りは、「枚方八景」の一つに選定されているという。
 
亡くなった松下さんとは、わたしの劇団で16年前、初めて俳優として舞台に出演してもらって以来のお付き合いだった。
「あなたの劇団に出させてもらったのは、高校教員を定年退職してからよね。今から京都へ稽古に出かけてくる、と言って楽しそうだった」
と奥さんは語ってくれた。
 
わたしは当時、10年務めた銀行を2001年に辞め、独身の身軽さで、興味の向くまま、ふとしたきっかけから演劇に足を突っ込んでいた。次に就職することになる2年後までの間、参加した演劇のワークショップで、演出家を目指す男性と知り合い、彼と俳優のわたしとで劇団を結成した。それから少しずつ、舞台の創作を始めることになる。
 
演出担当の彼は、大阪府の枚方演劇連絡会で運営委員も務めていて、そこで松下さんと知り合った。連絡会主催の合同公演ではW.シェイクスピアを上演することになり、演目の『真夏の夜の夢』で、松下さんは、妖精の王の役、オーベロンを演じた。
 
2003年になり、本格的な舞台創作に向け、その舞台俳優の一人に、松下さんを当てたいと演出家が提案した。松下さんは当時、60歳。公演の半年前の3月に、大阪府の公立高校教員を定年退職したばかりだった。ちなみに専門は国語教科、そして演劇部の顧問を務めていた。
 
この舞台作品は、ウィリアム・サローヤン(1908-1981)の1941年の戯曲『Hello Out There』(邦訳『おーい助けてくれ』倉橋健)である。サローヤンは、アルメニア移民の子として、アメリカはカリフォルニア州フレズノに生まれた。優れた小説、戯曲を発表し、ピューリッツァー賞(戯曲部門)の対象となったが、本人が辞退の申し出をしている。
この作品は1930年、アメリカ南部テキサス州の片田舎が舞台で、姦通罪の疑いで若い男が留置場にいる。賄いとして留置所で働いている少女は、この男の境遇が自分に似ていると、次第に心を通わせる。
 
松下さんは、舞台の後半、妻を取られた恨みで、留置所に銃を持って現れた。無実を主張する男役のわたしは、松下さんに銃を突きつけられる。松下さんの、そもそもの上背の大きさと、そのいで立ち、荒げた声のトーンに、わたしは本当に撃たれるのではないかという気がした。
 
わたしたちの劇団で、舞台づくりにおいて大事にしていることは、戯曲のせりふの解釈を徹底的に議論することだった。自分たちとは違う歴史、環境、習慣、その中で生み出されるストーリーと登場人物のせりふに、一つひとつ向き合うことを決めていた。この言葉は、どういう思いで登場人物から出た言葉なのか。言葉の意味を解き明かしていく作業を「格闘」などと呼んでいた。
 
松下さんは、国語教員だったこともあり、また演劇部の顧問だったこともあったためだろう、せりふを話すのに、やはり十分な下調べをしてきてくれた。多分、こうなのだろうと、自分で考え、思考してきたものを、稽古の場で具体化して、わたしたちに見せてくれた。
ただ、それが少し自分で固まってしまって、演出家が違う提案をしても、なかなか変えてくれない、いや変えられない、ということもあったけれど。
 
2003年の、この舞台は観客からの手ごたえもあり、また、わたしたちも思い入れも深く、はやくも翌年に再演を果たした。もちろん松下さんにも、ぜひにと、再出演をお願いした。
彼がいないとこの舞台は成り立たなくなっていたのである。
 
2005年には、ノーベル文学賞作家の川端康成らと新感覚派の文学運動を展開した横光利一(1898~1947)の戯曲に取り組んだ。彼の『幸福を計る機械』は、今から90年以上前の戯曲だが、夫婦が自分たちの幸せについて語る、一種おとぎ話のような空間に読む者を誘う。その空間は、ふと現代人の孤独や充足感に通じているように映った。
 
この舞台を、劇団の演出家は、列車で目的地に向かう夫婦の会話と設定を変えた。そして、原作の戯曲にはない、列車に乗り合わせるもう一人の初老の男性として、松下さんを登場させた。前回の舞台で見せた松下さんの佇まいを、この作品にもスパイスとして活かしたいと、演出家は前作に続き出演依頼したのだった。
 
それにより作品の幅が広がり、劇の世界観が豊かになったことはとても有難かった。また同時に、わたしには前2回の作品創りを通じて、松下さんの度量の大きさ、和やかさが、稽古場にもたらす雰囲気に、何よりも癒されていた。わたしが勝手に思っていただけなのだが、松下さんに精神的に支えてもらっていた。この存在は大きかった。
 
稽古中、係わっている舞台の背景を探る作業も行われる。これまで創られてきた、それこそ数多の、年代や国を問わない映画や演劇の作品も、時に参考のため、わたしたちの話題に挙がる。いつぞやの稽古で、2005年にノーベル文学賞を受賞したイギリスの劇作家、ハロルド・ピンターに話が及んだ。その場はそれで終わったのだが、次の稽古日、松下さんが「これ、参考にどうぞ」と、ピンターの書籍をご自身の蔵書の中から持ってきてくださったことがあった。
 
わたしは結局1時間半ほど、松下さんのご自宅にお邪魔し、奥さんといろいろな話をした。その間も、「いつか舞台に必要になるかもって、そう言って、彼はその場で買っちゃうの」と奥さんは言い、家の中の、それら松下さんの購入物品を、どうぞどうぞと見せてくれた。クローゼットに架かっていた背広は、着用すると、やはり少しわたしには大きいような気がした。でも、数着いただくことにした。
 
そう、いつか、必要になるかもしれない。わたしもそう思った。
背広や音楽CD、書籍など、結局、段ボール数箱になった。
 
松下さんに、われわれの舞台に係わってもらったのは、約3年の期間の、3作品だけとなった。今でもその3年間の、豊かな時間はわたしの中に残っている。
松下さんは、それ以降、演劇からは遠ざかったと伝え聞いた。「障害」をもつ子が、小学校や中学、高校で普通に就学できるよう、さまざまな支援の連絡会に精力を注がれたそうだ。松下さんらしく、いつも笑顔で朗らかな好々爺で、辛い場面でも皆を和ます役割だった。その反面、教育委員会などとの交渉では、憤りを込めて、熱く、鋭く意見を述べた。
 
そんな松下さんの様子は、亡くなった後、有志で開かれた「松下さんを偲ぶ会」に寄せられた追悼文集で知った。
読んでいくうちに、わたしは思った。
熱く語るその姿は、あの共演させてもらった舞台上での、松下さんの役柄そのものじゃないだろうかと。
 
ではそろそろ、とわたしは奥さんに今日のお礼を伝え、おいとますることにした。部屋の一角に設えてある遺影の横に、とてもりりしく、若い高校教員の時の写真と、『真夏の世の夢』のオーベロンの衣装を着て舞台に立っている写真があった。
 
実は、亡くなる2か月前の昨年の11月、わたしは松下さんと再会していた。急に松下さんから連絡があり、「サムルノリ」という韓国の農村地帯の伝統農楽を現代に再現した演奏を一緒に聴きに行かないかと突然のお誘いだった。
 
京都の街中にあるライブハウスで久しぶりにお会いした松下さんは、少しふくよかになっていたが、笑顔と朗らかさは以前どおりだった。もう76歳だが、この夜中、枚方の自宅からわざわざ京都の街中のライブハウスまで来て、音楽を聴く行動力にわたしは驚いた。そして久しぶりの対面に、胸がはずんだ。
 
公演後の夜も更ける中、二人で四条通り寺町を少し北に行ったところにある、古くからの好み焼き屋で遅い食事をとった。松下さんは、今でもいろんな映画や芝居を観てるよと、その作品名や俳優名を、ポンポンと話の中に差し挟んでくる。最近、何だか記憶力があやしくなってきた気がするわたしと比較し、勝っているんじゃないかと思う記銘力に、またまたびっくりしてしまった。
 
そして今年に入った1月13日の夜の 9 時頃、いつもと変わりなく松下さんは自宅の居間で奥さんと歓談していたが、急に崩れるように倒れた。搬送される救急車の中で、松下さんは、そのまま息を引き取った。
 
あの11月の、夜も更けたお好み焼き屋の店内で、もう一度、一緒に舞台にあがりませんか? と共演をお願いしたら、松下さんはどう答えてくれただろうか。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
山本周(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

京都市出身。大学卒業後、10年間勤めた銀行を退職し、2002年、34歳の時、俳優として初舞台を踏む。今は京都にある社会福祉法人に勤務しながら、2003年より演出家・松浦友の演劇ユニット、YOU企画に参加、現在まで共に舞台を創作している。主な主演作に『近代能楽集』(作:三島由紀夫)、『人間合格』(作:井上ひさし)、『HELLO OUT THERE』(作:W・サローヤン)、『チェロとケチャップ』(作: 金明和)、『橋の上の男』(作:ギイ・フォワシィ)、『思い出せない夢のいくつか』(作:平田オリザ)。天狼院書店には、2019年6月開講「天狼院ライティング・ゼミ」より参加。

http://tenro-in.com/zemi/102023

 


2019-10-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.55

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