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週刊READING LIFE vol.67

「世間体のために」ゲームがプレイできなくても《週刊READING LIFE Vol.67 「世間体」》


記事:一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

筆者は大学を新卒で就職して、何を思ってか、大手総合電機メーカーに就職した。
 
何を思ってか……なんて言うと、良識がある方にたしなめられそうな気もするが、個人的に、この決断は私が人生で犯した失策トップ3に入る出来事なのでしかたがない。
 
入社半年前の形式ばった内定式や内定者懇親会のときから、嫌な予感はしていた。入社初日も形式ばった入社式があったので、気づくのが遅れてしまった。入社3日目に新人一斉研修が始まると、それは確信に変わった。
 
会社は悪くない。自分に合わない場所を選らんでしまった私が悪いのだ。社風も、仕事内容も、会社の諸々のルールも、同期との会話も、違和感しかなかった。詳細は省く。別に会社は悪くないし、中の人は良い人たちだ。ただ、私と考え方や方向性がまったく合わなかっただけだ。
 
結局、入社して半年で、その大手一部上場企業を退職した。
 
不幸中の幸いで、夏に転職先が見つかったが、仮に転職先がなかったとしても、遅かれ早かれ精神か身体のどちらかを病んで辞めていただろうと信じている。その会社で数少なく仲良くなった友人のうちの1人も、精神を病んでしまった。真面目な良い人が多く、残業時間が異常に多い。メンタルをやられるには格好の条件が揃っているのだ。
 
そもそも、なぜそこの会社に入ろうかと思ったのか。いろいろな要因があるが、親の影響は少なくない。別に親に「その会社にしろ」と言われたわけではない。何枚かある内定先のカードのどれを選ぶか? を悩んで、最終的な決断を下したときに「これを選べば親も少しは安心するかな」と思った。その程度だ。
 
日本の大きな会社のほうが安心だし、世間体も良い。
 
自分の親がそういうふうに思考する人間なことは、よく知っている。親だけではなく日本の大多数の人間がそう考えているらしいということも、知っている。それなら、そのゲームに合わせて踊ってみても良いかな……そんなふうに思ったのだ。
 
しかし、所属組織とそのコミュニティにまったく馴染めない……という悪夢の半年間の経験を経て、自分は世間体のために自分の踊り方を変えられるほど器用な人間ではない、ということがよくわかった。
 
だから、私は「世間体のために」という考えを捨てた。
 
「病むくらいなら好きなことをやって苦労しよう」と心を入れ替えて、科学系の出版社で働いた。同業種で海外で働くという経験もすることができた。そのまま日本に帰ってこないという選択肢も考えたが、色々あって日本に帰ってきた。
 
自分がやりたいことをやればいい。
 
そう思って生きるようになったら、生きるのが楽しくなった。
 
自分がやりたいことをやろうと決めたから、出版業界で働きながら、20代のうちに海外で働くという目標も達成できた。ただ、「海外で働く」ことが目標だった残念な状態の私は、そこから先の打ち手で迷走した。それなりに仕事は充実していたが、そこで成し遂げたいことが、よくわからなくなってしまった。
 
職場で信頼され、任される仕事も増え、一人二役掛け持ちのような状態でアジアを飛び回る生活になった。順調だった。しかし次第に、自分の能力の限界が見えてきた。日本語でできないことは、英語でもできなかった。つらかった。それでも出来る限り工夫した。体当たりした。それなりに成果を出すことに成功した。
 
しかし、仕事で成果を出して、それで? と、思うようになってしまった。
 
海外暮らしはやりたかったことだし、はじめのうちは楽しかったはずなのに、だんだんと辛くなってきてしまったことに気づいた。なぜ自分は日本にいないのだろう? と思うようになった。自分が日本を恋しく思うことなんてないと思っていたのに、ふとしたときに「日本に帰りたいな」と思うようになってしまった。
 
そんなふうに悩みながら日々を過ごすようになっていたとき、旧ソ連圏のアルメニアを旅行した。
 
アルメニアは、決して豊かな国とはいえない。私が訪問した2015年当時のGDPは一人当たり年3,000ドル程度(日本は32,000ドル程度)、隣国アゼルバイジャンとは領土争いでほぼ戦争状態、もう一方の隣国トルコとも歴史認識を巡って敵対状態。そのため発電用のガスや石油を得られず、老朽化した原発に電力を頼っている。
 
しかし、アルメニアの自然はとても美しかった。歴史ある石造りの教会も素晴らしかった。貧しいなかでも国内にとどまり生きる人々には、人間としての誇りがあった。現地で採れる材料をふんだんに使った料理はほっぺたが落ちるほど美味しかった。お金はないけど、豊かだった。
 
アルメニアを旅しながら、私も自分の国に帰って、手元にあるものを大切にして生きようと、決めた。
 
日本に帰って、5年ほど経った。
 
またしても「日本に帰る」ことが目標だった残念な状態の私は、そこから先の打ち手で迷走している。言い方を変えれば、自由に生きるということの難しさを痛感している。
 
世間体という強力な軸があれば、行動を決めることは、楽になる。
 
いわゆる社会的成功者は、その軸に沿ったゲームプレイが上手だ。世間体の悪いことはいい感じに闇に葬りつつ、世間の期待に応えて、社会的ステータスの高い地位を得たり、お金を稼いだり。そう言うことができるひとは、その能力を活用して生きていけばいい。
 
しかし、私のように「世間体のために」ゲームがうまくプレイ出来ない人も、人生を楽しむことはできる。
 
「世間体のために」という視点を捨てて生きるようになり、15年程度経った今だから、断言できる。この世界にはそのゲームから外れてしまった人間が生きることができる程度の隙間はある。自由に生きる難しさはあるけれど。
 
「世間体のために」ゲームがプレイできなくても、生きてていいし、笑ってていい。
 
二十歳そこそこの時にはそういう開き直りがまだできなかった。周りの人々の話も総合して考えてみると、まぁ若いってそういう事みたいだ。
 
私自身は「世間体」という言葉を使わなくなって久しいけれど、この言葉に縛られて生きるのが辛くなっている人も、まだまだいるのかもしれない。そんな人がいたら、伝えたい。
 
この世界は意外と寛容にできていて、GDPが日本の10分の1の国でも人は誇り高く生きることができるし、この日本の国内にだって、あなたが世間の目を気にせずに、楽しく生きていくくらいの隙間はあるんだよ。
 
 
 
 

◽︎一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
日本で5年働いた後、シンガポール移住。あちらで5年働いた後、日本帰国。たまに東南アジアに帰りたくなりつつ、日本の空を飛んでます。

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2020-02-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.67

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