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週刊READING LIFE vol.69

「おかあさんといっしょ」で泣いてほしい《週刊READING LIFE Vol.69 「とにかく私を泣かせてくれ」》


記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

あるコンサートでの開幕の瞬間、私は涙が止まらなかった。
 
2019年のゴールデンウィーク、令和という元号が発表された直後のことだ。あと少しで二歳になる息子を連れて、夫と一緒に馳せ参じたNHKホール。NHKの教育系番組、通称Eテレで不朽の人気を誇る「おかあさんといっしょ」のファミリーコンサートだ。奇しくもたいそうのお兄さん、パントのお姉さんが代替わりしたばかりで、前代の二人が出演する最後のコンサートかもしれないということで、チケット抽選は熾烈を極めた。親戚や友人のつてをすべて使って抽選申し込みをしてもすべて落選。諦めきれず、チケット流通センターで手に入れたのは、一万円超の値段だった。それでも、どうしても息子をコンサートに連れて行ってあげたかった。息子が「おかあさんといっしょ」を純粋に楽しめるのは、ほんの数年のことだ。もしかしたら来年には○○戦隊が好き、なんて言って、もう見向きもしないかもしれない。歌と踊りと楽しい遊びが織りなす平和で安心な世界を食い入るように見ている今、テレビ画面越しではなく、息子と同じ空間で体験させてあげたかった。夫を説得して、お小遣いをはたいて、何とかチケットを手に入れて挑んだNHKホールだった。
 
ゆーたん、楽しんでくれるかな。
 
二階席のステージ向かって右、上手側の席で、小さな横顔を眺めながら開幕のブザーを聞いた。華やかな音楽、煌びやかな照明、ステージ中央で歌のお兄さんお姉さん、着ぐるみのキャラクターが手を振っている。彼らはくるくると踊り出し、歌も始まった。いつも息子と一緒に見ていたお兄さんたちが、キャラクターが、目の前で動き踊っている。ゆーたんほら、ムームーだよ、と指差しながら、私は自分の鼻の奥が熱くなるのを感じていた。あれ、くしゃみかな。一瞬そんなことを思うが、鼻だけではなく目も熱くなってくる。視界がゆらりと歪み、そこでようやく私は自分が泣いていることに気が付いた。
 
私どうして泣いてるんだろう。
 
ステージでは最初の歌が終わって、出演者の自己紹介と寸劇が始まっていた。息子は最初大きな音に驚いて泣き叫んでいたのだが、やっと落ち着いてステージをじっと見つめていた。夫もニコニコしながら息子とステージを見比べている。息子が泣いていたのと、私の涙は種類が違うだろう。私は急に音楽が鳴っただけで泣いたりはしない。でも、どうして涙が出ているのか、結局最後まで分からなかった。
 
以来、私はEテレのコンサートをよくチェックするようになった。次は「おかあさんといっしょ」より低年齢向けの「いないいないばあ」のコンサートにも行った。そこでもやはり開幕と同時に泣いてしまった。「いないいないばあ」のメインキャラクター、わんわんは着ぐるみだが、中に入っているのは「このまちだいすき」という昔の教育番組のパーソナリティー、チョーさんだ。私も子供の頃「このまちだいすき」をよく見ていたので、この時はチョーさん扮するわんわんに会えた感動で泣いたような気がしていた。だが、それでは前回のコンサートで泣いた理由が分からない。いつも息子に番組を見せながら着替えをさせたり家事をしているので、応援してもらっているような気持になったからだろうか。そうと言えばそうかもしれないが、どうもしっくりとは来ない。どこかモヤモヤした気持ちを抱えながら、秋にまた「おかあさんといっしょ」ファミリーコンサートのチケットを取った。ちなみにどれも抽選落選しているので、お小遣いがなくなって大変なことになった。
 
秋の「おかあさんといっしょ」ファミリーコンサートは、特別な位置づけだった。「おかあさんといっしょ」放送開始から60年を記念して、歴代のお兄さんお姉さん、キャラクター達が大集合するらしい。前任の体操のお兄さんも出たりするのかなと、案内のWebページを見ていて、あっと声を上げた。
 
にこにこぷん。
 
私も子供の頃「おかあさんといっしょ」を見ていた。その時の着ぐるみ劇は「にこにこぷん」というタイトルで、じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろりという三人組がメインキャラクターだった。彼らが仲良くしたり、時に喧嘩をしたり、なんてことはない日常が繰り広げられる。大人からするとただそれだけの話なのだが、毎日とても楽しみにしていた。彼らに会いたいと真剣に願ったし、「おかあさんといっしょ」に出演したいと母にせがんだりもした。そのにこにこぷんの三人も、次のファミリーコンサートに出演するというのだ、息子のためにとったつもりのチケットで、彼らに会いたかった幼い私の夢が三十余年ぶりに叶おうとしている! コンサートの日が待ち遠しく、私はいつになくはしゃいでいたと思う。
 
秋のファミリーコンサートの開幕、やはり私はボロボロ泣いた。物語はキャラクター達が不思議な汽車に乗って、いろいろな星に立ち寄り、いろいろな人に出会う。ある星に立ち寄って、「にこにこぷん」の三人が懐かしい歌を歌いながら登場した時、私は鼻水をかんでも追いつかないほど泣きまくった。その後、前代の体操のお兄さんが登場し、初代歌のお姉さんも登場し、ステージの盛り上がりも私の涙も最高潮に達した。歴代の体操の曲を華やかなメドレーに仕立てたダンスを見ながら、どこか懐かしい気持ちになった。それはじゃじゃまる、ぴっころ、ぽろりの声が変わっていなかったことに安堵した懐かしさとは違う種類のものだ。懐かしさというよりは既視感なのかもしれない。賑やかな音楽と踊り、歌、華やかなステージ。平和で安心できる世界観。なんだろう、劇団四季のミュージカルかな。似ているけれどそれでは腑に落ちない。込められた想いの違いとでも言えばいいのか。子供たちが楽しめるように、豊かな発想の源となるように、健やかな心が育まれるように──そんな思いが込められたエンターテイメントを、私は知っている。
 
「……ディズニーだ」
 
ディズニーリゾートのいずれかのパークでパレードを見上げた時の、胸が締め付けられるような感覚と高揚感。当初はパレードにもキャラクターにもそんなに興味がなかったはずなのに、気が付けばミッキー! ミニー! と手を振りまくって、カチューシャも買ってしまう。パークを巡っていくうちに、ディズニーに夢中になるなんてちょっと子供っぽいと思っていた気分は消え失せて、積極的にパークの世界観に溶け込もうとしていく。世界は素晴らしくて、みんな夢を見ていればそれはいつか叶うもので、愛が何よりも尊い、そんな気持ちになっていって、帰りたくない気持ちがお土産をたくさん買わせてしまい、次の日の自分が頭を抱えることになる。
 
ディズニーの世界に溶け込んでいる時のあの感覚。
目の前の「おかあさんといっしょ」のステージにも、このホールにも、幸福とも言える不思議な感覚が満ち満ちている。
 
そうだ、私が「おかあさんといっしょ」を見ていた頃は、世界はとても楽しいところだった。両親や兄に甘え切っていて、私を脅かすものは何もなく、毎日何をして遊ぼうかとワクワクしていた。まだ友達と喧嘩をしたり、天然パーマのことをからかわれたり、テストの点数が悪くて落ち込んだりといったことは一切経験していなかったのだ。学校に通うようになって、登校時間が「おかあさんといっしょ」の放送時間よりも早かったので、自然と見なくなった。再放送しているのは知っていたが、放課後に友達と遊ぶのが楽しくて、約束を断ってまでわざわざ見ようとは思わなかった。ファミリーコンサートのステージは、成長と共にいつの間にか離れていた、かつて私がいた世界だったのだ。ステージの幕が開いた瞬間、私の無意識が本能的にそれを感じ取って、涙を流させていた。私はここに帰ってきた、懐かしくも愛しいこの世界に、帰ってきたのだ。
 
クライマックスに進むステージを見ながら、脳裏にはディズニーアニメの名場面や、印象的だったパレードの場面が思い浮かぶ。「おかあさんといっしょ」は子供のために作られた番組で、子供時代を卒業すれば自然とその世界から離れて行ってしまう。一方でディズニーリゾートは、大人が子供に還れる場所を一つのコンセプトにしている。ディズニーアニメも、ラプンツェルやアナと雪の女王など、大人が見ても見ごたえのある作品がたくさんある。「おかあさんといっしょ」が、子供のためにずっとその世界を守り続けているのだとしたら、ディズニーは大人のためにもう一度あの世界を作って見せたのだ。そこまで思考が至った時、フィナーレでまたじゃじゃまる達が出てきて、耐え切れずに号泣してしまった。

 

 

 

実在しない生き物が子供の心に椅子をつくり、それらが去った後に実在する大切な人を座らせることが出来る。「エルマーのぼうけん」「おさるのジョージ」などの翻訳を手掛けた渡辺茂男氏の有名な言葉だ。
 
「おかあさんといっしょ」のステージを見たところで、私と同じように泣くことができるかどうかは人によると思う。だが、大人になってからディズニーリゾートに行って、やっぱり楽しいなと感じる気持ちは多くの人が持っているように思える。そんな人にはきっと、子供の頃に自分がいた、平和で安心できる世界があったはずだ。それは絵本かもしれないし、大切なぬいぐるみかもしれないし、友達と作った秘密基地かもしれない。物は何でもいいのだ。子供の頃の自分の心に椅子を作ったのがなんだったのか、大切に紐解いてみてほしい。
 
その世界の優しく温かな空気、満たされていた自分の心を思い出して、そっと泣いてみて欲しいのだ。

 
 
 
 

◽︎吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」を連載。
http://tenro-in.com/category/doppelganger-company

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2020-02-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.69

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