なぜ、結婚したがるのだろう?《週刊READING LIFE Vol.71 「なおざり」》
記事:一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
男と別れた。
半年ほどデートした。印象が薄い人だったけど、優しかったから、結婚相手には良いかもと思った。でも、結婚についてどう考えているか、面と向かって質問すると、のらくらとはぐらかされてしまうのが気になった。
だからある日、私は決心して、男に長いメールを送った。
「結婚したらどんな生活をしたいですか。今はほとんど家に帰らないで仕事しているようですが、結婚したら遅くても帰宅するようになると思いますか? 家事分担は、できそうですか。私は自分の姓を変えたくないのだけど、そういうことについてはどう思いますか?」
2日待った。「なんだか面倒だね」という文面のメール返信が来た。
その話は結局、破談になった。遅かれ早かれ破局する運命だった。ろくに議論もできない男は、だめだ。結婚したいと言っていたけれど、どこまで本気だったのか、怪しいものだ。いや、単に私と「結婚」に求めるものが違っただけかもしれない。
人は、なぜ結婚したがるのだろう?
……ちょっと考えてみたが、いかんせん主語が大きすぎる。私が結婚したい理由と、男のそれを、一緒くたにすることはできない。主語を小さくしてみよう。
私はなぜ、結婚したがるのだろう。
私はなぜ、婚活しているのだろう?
自分の姓を変えたくないという意思は、いまだに夫婦別姓という選択肢がない日本国における婚活では、大きなハンデだ。多くの日本人男性は、自分の姓が変わる可能性なんてこれっぽっちも想像したことがない。男が「姓を変えたくない」と思うのは当たり前のこととして受け止めるいっぽうで、女が「姓を変えたくない」というと「なぜ?」と問われる。その時点で終了することもある。ひどいケースになると「僕を愛せないのか?」と言い出す。そんなことではない。
私はバツイチだ。姓が変わったとき、どんなことが起こるか、私自身がどんなふうに感じるか、心情だけではなく現実的にどんなコストが生じるか、身をもって学んだ。
実体験にもとづいて、私は「姓を変えたくない」と主張している。詳しい説明を求められれば、いくらでもする。でも、多くのケースにおいては、説明を求められることはない。私がこういう主張をし始めた瞬間に「なんだか面倒くさい女だな」と思われて、連絡が途絶える。
何度もそういうやりとりをして、私はだんだんと疲れてきてしまった。
「名前ひとつにこだわって、婚活がうまくいかないなんて、ばかみたい。別に家督を継ぐわけでもないのだから、もっと柔軟になればいいのかな……」
そんな考えが頭の片隅に生まれた。そのタイミングで、あの男に出会った。
男は、私が姓を変えたくない理由を聞かなかった。振り返ってみると、私が語る「結婚したらどうなりたいのか」についても、反応はなかった。趣味や仕事について軽く雑談して、私が一方的にする「面倒な話」を聞き流して、私からの質問を鮮やかにかわして、私の瞳を見つめ、手を握った。
今ならわかる。あの男は、私の思想をなおざりにしたのだ。
女友達に男と別れた話をしたら、言われた。
「九州男児は、何も言わずに付いてくる女が好きなんですよ」
「でも、何をどう考えているか、どう生きていきたいかを一度も話し合わずに、どうやってこれから数十年を一緒に生きていけるというの?」
「かなこさんはリベラルだから……。典型的な九州の男は、女は半歩後ろを何も言わずに付いてくれば良いと思ってるんです。何も言わずに、言われた通りに動いて、なんなら言わないことまで気を遣って男をそっと立ててくれるのが、良い女なんですよ……九州では。私も九州出身ですけど、ずいぶん時代遅れなはなしですよね」
九州出身のあの男と私の相性が合わなかったのは、よくわかる。でも、合わない男と付き合ってしまったのは、私の責任だ。
私はいま、そのことを悔やんでいる。
他人が私のことをどう扱うかは、私にはコントロールできない。付き合い始めのうちは大切にしてくれていても、途中で心変わりするかもしれない。遊びでデートし始めた相手でも、だんだんと入れ込んでしまうかもしれない。男女関係は、何があるかわからないのが面白い。
でも、私は、私の思想をなおざりにしたくない。してはならない。
私の思いをなおざりにするような人と、一緒に人生を歩んではいけない。
私が姓を変えたくない理由を、もう少し説明しておこう。1度目の結婚で名前が変わってしまったとき、私は自分の過去が否定されたように感じた。友人たちが唐突に私のことをファーストネームで呼び始めることに、違和感をもった。現実的な話をすると、金融機関の名義を全て変えるのが大変だった。外国の金融機関では名前を変えた証明として裁判所から書類を持って来いと言われた(注:結婚によって名前が変わってしまう国は少数派だ)。
そういう心情的・現実的コストを払ってまで、姓を変えたくない。相手に姓を変えろという気もない。それだけの話だ。
それだけのことだけど、今の日本では解決策がない。入籍せずに事実婚で済ませるか、または、姓を変えなくて済むように外国人と結婚するか……それくらいしか手段がない。それはわかっている。
それなのに、私はなぜ、結婚しがるのだろう。
なぜ、婚活しているのだろう?
「人生のパートナー」が欲しいからだ。一緒にごはんを食べて、嬉しかったことを共有したり、困ったときは相談したり助け合ったり、くだらないことを笑い飛ばしたり、そういう交流ができるパートナーがいたら素敵だな……と思うからだ。
友達がいれば十分と思うこともある。パートナーがいてもいなくても、友達はかけがえのない存在だ。このままずっと良いパートナーと巡り会えなければ「友達がいれば十分」といってシングル生活を続けるのだろう。昨今の日本(とりわけ東京)の未婚率の高まりを見ると、同じようなことを考えてる人はけっこういるのかもしれない。
九州出身で、今は都内の大学の博士課程に在籍している女友達は、ひととおり私の話を聞いてから、論理的な解説を付け加えてくれた。
「労働して稼ぎを得る男性と、家を守る専業主婦の女性という構造は、役割分担ができているという意味で、楽です。話し合いで物事を決める民主主義は、非効率なんですよ。赤の他人なんだから、意見が食い違うのは当たり前。そのたびに話し合いで解決するのは大変、双方にエネルギーと忍耐が必要です。それよりも男が「こうする」といって、女がそれに従う。女が我慢を強いられることはあるかもしれないけど、不公平で前時代的な制度のほうが、効率的ではあるんです」
彼女がいうことは、きっと正しい。2人の人間がいて、両方の意見を尊重するのは、ときとして難しい。どちらか一方の意見をなおざりにして進めてまえば、楽だ。ぱっと見は、そちらのほうが効率的だろう。
でも、私は、私の思想をなおざりにしたくない。
そんなふうに思ってしまう面倒くさくて、リベラルで、近代的な私は、今しばらく婚活を続けるのだろう。ああ、私以外の人たちは、いったい何を思って婚活しているのだろう。
人はなぜ、結婚したがるのだろう?
◽︎一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
日本で5年働いた後、シンガポール移住。あちらで5年働いた後、日本帰国。たまに東南アジアに帰りたくなりつつ、日本の空を飛んでます。いわゆるアラフォー世代。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
http://tenro-in.com/zemi/103447