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週刊READING LIFE vol.71

なおざりに効く妙薬あります《週刊READING LIFE Vol.71 「なおざり」》


記事:大矢亮一(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「なおざりになってしまった関係に効く妙薬あります」
そんな不思議なのぼりを立てていた不思議な行商の男に出会った。
福島での出張の帰り、カミさんに土産でも買って行こうと東北道の那須高原SAで立ち寄った際、令和の時代にはなかなか見かけなくなった薬売りのような風体をした男が、SAの建物の外に設置された喫煙スペースで、足元に薬箱であろう背負う形の大きな木箱を置き、タバコを吹かして休憩していた。
その木箱にくくりつけてあったのぼりには、件の文言が手書きで書かれていた。
まだ少し風の冷たい季節のせいか、屋外の喫煙スペースにいるのは私とその行商の男の二人きりだった。
あまり物珍しげにじろじろ見ていると何か売りつけられそうだったので、一本吸い終わると私はSAの建物に戻り、カミさんへの土産を物色することにした。
一通り土産物のコーナーを回ってはみるが、何を買おうか悩んでいること自体に疲れてしまって、毎度の出張で購入する安全パイの御用邸チーズケーキを購入した。
もう三十年以上前になるが、カミさんと結婚する前は、よく二人であちこち旅行に出かけた。
二人とも食べることが大好きだから、旅の目的は自然と食べることになり、どこそこの何々がおいしいと聞けば、二人でどこへでも出かけた。
この那須高原SAの御用邸チーズケーキも、そんな中の一つ。定番中の定番土産だからと思って、ずいぶん後になって食べてみたが、やはり定番はハズレが無いということで、以来お気に入りの土産となった。
それもあって、もう何年も東北道を通って帰る際の土産には御用邸チーズケーキしか買っていない。
何も悩む必要がないから楽だ。そんなふうに楽な方を選んでしまうのは、私の短所の一つだと思う。
今回の出張だって、3.11以降誰もがいきたがらない出張だったが、それ以前から同じエリアを担当していたという理由だけで、言われた通り文句を言わずに私が担当を続けている。カミさんはそれを快く思っていないようだが、言っても聞かない私には、出かける際に少し不安そうな笑顔を投げかけるだけだ。
そんなことをつらつらと考えながら会計を済まし、外に出て何気なくまた外の喫煙スペースに目を向けると、まだあの行商の男がタバコを吹かしていた。
もう一本だけ吸っていくかと、再度喫煙スペースへ向かい、火を付けたところでその行商の男が声をかけてきた。
「旦那、その手にぶら下げているのは、御用邸チーズケーキですかい」
今時そんな口調で話す人がいるのかと思わせる、芝居がかった台詞回しだった。
「ああ、そうだよ。カミさんが好きなもんでね」
私がそう言うと、行商の男は大袈裟に首を振って見せた。
「それじゃ、いつもと同じお土産でしょう。そいつはいけねえ」
行商の男はそう言うと、足元に置いてあった薬箱のような木箱を開けて、小さな茶色い小瓶を取り出し、私に見せた。
「これは、そんな旦那にぴったりのお土産です。御用邸チーズケーキもようござんすが、これを奥方様へ買っていけば、もっと喜ばれますぜ」
年齢不詳でつかみどころのない男だが、不思議とその目の細い人懐っこい顔で笑いかけられると悪い気持ちはしなかった。
「これは何だい?」
尋ねる私に、また大袈裟に首を振る行商の男。
「聞くだけ野暮ですぜ、旦那。ここに書いてあるでしょう。これは『なおざり』に効く妙薬でさあ。奥方様にお渡しにさえなれば、それで問題解決でさあ」
ひらひらと薬箱にくくりつけてあったのぼりを揺らして見せる。
消費税込みでワンコインと言うので、騙されたと思って買うことにした。
車に戻り、エンジンをかけてもう一度喫煙エリアの方を見たが、行商の男ものぼりも、もうそこには見当たらなかった。

 

 

 

帰宅するとカミさんが小走りに駆け寄ってきた。
「お帰りなさい。無事で良かった」
心底ほっとしているようだった。
「別に大したことじゃないよ。いつものことだろう」
カミさんは何も言わずにまたキッチンへ戻り、夕食の支度を続けた。そんなカミさんの背中越しに話しかけた。
「お土産、買ってきたよ」
カミさんはこちらを見ずに返事をする。
「ありがとうございます。いつものですか」
座敷に座りかけた私は、再び立ち上がりケーキの入った袋を持ってキッチンに行く。
「ああ、いつものだよ。だけど、今日はおまけがある」
味噌汁をかき混ぜていたカミさんは振り向くと興味深そうにこちらを見た。
「まあ、珍しい」
「何が」
「いや、いつも同じものしか買ってこないあなたが、おまけだなんて」
やっぱり、そう思っていたのかと内心良い心持ちではないが、そこは口に出さず袋の中から例の行商の男から購入した茶色い小瓶を取り出した。
「何ですの、それ」
案の定カミさんは不審そうに茶色の小瓶を見た。
私は、那須高原のSAで不思議な行商の男にこれを売り付けられた話をして聞かせた。
カミさんは目を丸くしながら話を聞いた後、受け取った茶色の小瓶の蓋を開けた。
中を覗き込み、次に匂いを嗅いだ。そして、にっこりと笑ってから小さなスプーンで小瓶の中から薄い茶色のペーストを少しすくうと、ペロリとひと舐めした。
「なるほど」
一見すると味噌のようだったそのペースト状のものが何なのか、私は聞いてみた。
「何がなるほどなんだ。中身は何だい?」
「ありがたく頂戴します。さ、夕食の支度をしますんで、座敷でテレビでも見ててください」
カミさんはそう言うと、また料理を再開した。私も、もうそれ以上聞かずに座敷で夕飯ができるのを待つことにした。
少しすると、いつものように焼き魚に里芋の煮っ転がし、そしてお漬物とお味噌汁の夕飯が用意された。
テレビを見ながらいつものように味噌汁へ口つける。
「あれ、これは」
それは何とも言えない香ばしく、そして深みのある豊かな味わいだった。
「気づきました?」
カミさんは笑いながら、自分でも味噌汁を一口啜った。
「やっぱり、思ったとおり美味しい」
いつもの味噌汁とは違う、何とも言えない上品でまろやかな口当たり。
「あの茶色い小瓶に入っていたのは味噌だったのか」
カミさんは首を小さく振る。
「違いますよ、自分で確かめてごらんなさい」
そう言って茶色の小瓶を持ってくると、小さなスプーンでひとさじすくってよこした。
ひと舐めしてみてが、何となくわかるような、わからないような面持ちで小首を傾げていると、カミさんは笑いながらこう言った。
「これね、ピーナッツバターですよ」
ああ、そうだ。なるほどこれはピーナッツバターだ。しかし、菓子パンについているような甘いピーナッツバターではない。茹でたピーナッツを無糖のままペースト状にして作ったピーナッツバターだった。
「無糖のピーナッツバターなんて買ったことなかったから、何に使おうかと思いましたが、もしかしてお味噌汁に入れたら美味しいんじゃないかと思って」
そう言って、味噌汁を一口啜って満足そうな顔をするカミさん。
「確かに、これは美味いね。ちょっとびっくりする美味しさだ」
私もそう言って、なかなか味噌汁を手放せない。
「お味噌汁なんて、毎日毎日具を変えるくらいしか変化がなくて、なおざりになっちゃってますけど、まだまだ少しの工夫でこんなに美味しくなるんですね」
カミさんは茶色い小瓶を見つめてそう言った。
私もふと思うところがあった。
毎日毎日同じように過ごす中で、なおざりにしてしまっていることがある。
それは仕事への姿勢でもカミさんへの土産でもそうだ。しかし、ほんの少しの工夫をするだけで、なおざりなことだからこそすぐにその変化を感じることができる。
そんな少しの工夫ですら、億劫がってやらない自分を恥じた。
得体の知れない茶色い小瓶一つで、いつものお味噌汁をこんなに美味しくすることができるカミさんに感服し、普段のなおざりなことに意識を向けてみようと言う気にさせられた。
ピーナッツバター様様、いや、あの不思議な行商の男様様だ。
「ところで、あの行商の男は何者だったのだろう」
いつもと同じなのに、いつもよりも美味い晩飯を頬張りながら私が言う。
カミさんは嬉しそうに目を輝かせながら答えた。
「昔、那須高原の向こう、磐梯山に行った時、あの辺で狐を見かけたでしょ。あの辺には狐が多いみたいよ。また今度、久しぶりに行ってみたいわ」
あの行商の目が嫌に細かったのは……、などと思いながら、今度は出張ではなく旅行で訪れてみようと考えていた。
新しい寄り道先も工夫してみよう。

 
 
 
 

◽︎大矢亮一(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
東京在住。今もまだ何者でもない。

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2020-03-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.71

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